Enlightenment Now その60

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第21章 理性 その2

 
ピンカーによる理性の擁護.次は「実はヒトはかつて考えられていたほど合理的に行動するわけではない」という最近の心理学的な知見についてどう考えるべきかという部分になる.だからといってヒトはじっくり考えて理性的にもなれるわけだから,むしろ積極的に理性を擁護する理由になりそうなものだが,そうではない論陣を張る懐疑派が多いのだろう.ピンカーの議論はこう始まっている.
 

  • カーネマンやアリエリーがベストセラーで説明したこともあり,今や多くの人が認知心理学の「ヒトは不合理だ」という知見を知っている.しかしそのような発見が,啓蒙主義の信条を反駁するものだとか,我々がデマゴーグの軍門に降るしかない運命であることを示すものだと考えるのは間違っている.

ファスト&スロー (上)

ファスト&スロー (上)

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

  • まず,啓蒙運動の思想家で,ヒトが完全に一貫して合理的だと考えていたものはいない.彼等は「私たちはドグマを振り捨てて合理的に振る舞うべきであり,それは自由な言論や論理的分析により可能だ」と主張しているのだ.*1
  • 理性に対する懐疑主義者は,しばしば粗悪な偽進化心理学「ヒトはトラかもしれない茂みのざわつきに対し扁桃で考えて直感的に反応する」を用いる.しかし真っ当な進化心理学者はヒトについて異なった考えを持っている「ヒトは世界の説明を当てにする認知的な種なのだ.世界はヒトがどう信じるかにかかわらず存在する以上,真実の説明を行える能力へ強い淘汰圧がかかっただろう.」というものだ.つまり理性による理由付け(reasoning)には進化的なルートがあるのだ.(狩猟採集民の推論能力についてのリサーチの紹介がある)リアリティは強力な淘汰圧になる.

 

  • (それを踏まえると認知心理学の知見を受けた)現代の我々の課題は「誤りよりも真実に至れるような情報環境をデザインすること」なのだ.第1段階は,何故ヒトはこれほどインテリジェントなのに愚かな誤りに陥るかを理解することだ.

 

  • 21世紀はかつてないほど知識へのアクセスが容易になっている片方で,不合理性の動乱も渦巻いている.進化の否定,反ワクチン,温暖化否定,陰謀論の大繁殖,トランプの当選.理性を信じるものにはこれは絶望すべきパラドクスにみえる.しかし彼等も自身の非合理性を少し持っていて,説明できるかもしれないデータを見過ごしているのだ.

 

  • 大衆の愚鈍さの標準的な説明は「無知」というものだ.二流の教育システムが大衆を科学的な文盲にし,お馬鹿な芸能人や扇情的ケーブルニュースに煽動される.そして標準的な解決法は教育の改善ということになる.この説明は科学者である私にとっては魅力的だったが,今ではこれは誤っている(あるいは問題のごく一部に過ぎない)と考えるようになった.
  • 人々が進化を信じるかどうかは,進化の正しい理解をしているかどうかとはあまり関連していない.(リサーチが紹介されている)「進化を信じるかどうか」は「自分が世俗的リベラルのサブカルチャーに属しているかどうか」と最も関連しているのだ.(つまり反進化論を表明するかどうかは自分が信心深い保守派カルチャーに属しているかどうかに関連している)これは温暖化がフェイクかどうかについても同じだ.温暖化は科学的な知識の問題ではなく,政治的イデオロギーマターになっているのだ.

 

  • 法学者であるダン・カハンはある種の信念は文化的同盟のシンボルになっていると主張している.人々はこれらの信念の是非について,その是非を知っているかどうかではなく,自分がどの同盟に属しているかに従って態度を決めているのだ.これらの信念は二元の軸を持つ.1つは左派と右派の平等に関す軸,もう1つは個人主義と集団主義の自由に関する軸であり,ある特定の信念はその部族を選り分けるタッチストーンやモットーや聖なる価値になるのだ.そして人々を分ける価値は誰を敵とするか(強欲な企業,鼻持ちならないエリート,嘘をつく政治家,無知な大衆,エスニックマイノリティ・・・)によっても決まる.
  • カハンは,そういう意味では人々の選択は「合理的だ」と指摘している.人々が進化や温暖化について特定の信念を表明した場合に,それが世界を変える可能性は極めて小さいが,彼等の属するコミュニティにおける扱われ方には大きな差が生じるからだ.我々は「信念の共同体の悲劇」の登場人物なのだ.
  • この「表明される合理性」「アイデンティティ保護的認知」の背景にあるダークなインセンティブは21世紀の非合理性のパラドクスをよく説明してくれる.2016年の大統領選の中で,多くの政治評論家はトランプ支持者のあからさまな虚偽や陰謀論を支持するコメントを信じられない思いで聞いていた.実は彼等は「青い嘘(イングループのためにつく嘘)」を共有していたというわけなのだ.彼等は陰謀論を支持することで,リベラルに反対し,団結をディスプレイしていたのだ.そしてディプレイのシグナルとしては,ばかばかしい嘘を信じているということがコストのある信頼できるシグナルになる.

 
これは非常に重要な指摘だと思われる.ヒトはある社会グループの中でどのように振る舞えば有利になるかを意識的,無意識的に理解し,(場合によっては自己欺瞞と共に)周りが自分を重要視してくれる(つまりそれによって有利になる)ような意見を表明し,あるいは本当に信じ込むのだ.アメリカにおいてはこれは進化を信じるか,温暖化を信じるかに大きく効いている.日本だと福島を巡る言説に似た傾向があるのかもしれない.

*1:ここでピンカーは「それで,あなたがそれに賛成しないとしても,ヒトが合理的に振る舞えないというそのあなたの主張を私たちがなぜ受け入れなければならないのだろうか?」と反問している.そういう主張をすること自体ヒトが合理的に振る舞えることを示しているのだよという前節の主張を受けた見事なレトリックになっている

Enlightenment Now その59

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第3部 理性,科学そしてヒューマニズム

 
ピンカーは第1部で啓蒙運動の中身とその現代的意義を語り,第2部では具体的な進歩の様相をデータを駆使しながら示してきた.最終第3部は啓蒙運動の擁護そのものに当てられている.

  • アイデアは重要だ.それを最もよく示すのはマルクスだ,彼が大英博物館で書き付けたアイデアは20世紀の世界の様相と何十億人もの運命を大きく変えた.
  • ここから私は啓蒙運動の擁護を行う.そして敵はポピュリストや宗教家だけではない.驚くべきことに主流のインテリ文化の一部も大いなる敵なのだ.
  • インテリの教授や批評家や預言者やその読者たちに対して啓蒙運動を擁護するというのは(彼等は真正面から啓蒙運動を否定したりしないだろうから)ある意味ドンキホーテ的に思えるかもしれない.しかし一部のインテリたちの啓蒙運動へのコミットメントはいかにもおちゃらけたもの(squirrely*1)で,まともに啓蒙運動を擁護するわけでもなく,その考えにはしばしば権威主義や部族主義や進歩主義が入り込む.
  • ここでは大衆説得や煽動のダークな技をもてあそぶことはしない.議論を重要だと考えている人々に向けた真剣な議論を行いたい.議論は重要だ.なぜなら実践的な人々はアイデアに影響されるからだ.彼等は大学に行き,知的な雑誌を読み,クオリティペーパーを読み,TEDトークを観る.そして啓蒙された人々やダークに落ちた人々が集まるインターネットのフォーラムにも顔を出すのだ.私は,理性,科学,ヒューマニズムという啓蒙運動の理想が彼等に流れ込むことで良いことが起こっていくだろうと考えたい.

 
ここからが本書を執筆してピンカーが世間に訴えたい本題ということになる.理性.科学,ヒューマニズムの順序で擁護が行われる.

第21章 理性 その1

 

  • 理性(reason)に反対することは,定義的にも非合理(unreasonable)だ.しかしそれは反啓蒙主義者をたじろがせたりしない.彼等はハートより脳,前頭葉より辺縁系,スポックよりマッコイを好み,そしてこう言うのだ「私はここに考えるために来たのではない,感じ,そして生きるために来たのだ」.理由なしに何をか信じることには尊敬が集まり,「理性は力を持つものの口実だ」とか「現実は社会的構築物だ」とかいうポストモダニズムが人気を集める.認知心理学者ですらしばしばヒトが合理的なエージェントであることを否定する.
  • しかしこれらの立場にはみな致命的な傷がある.彼等は自分自身も否定してしまわざるをえないのだ.哲学者トーマス・ネーゲルは「論理とリアリティについての主観主義と相対主義は支離滅裂でしかあり得ない.なぜなら何もないことから何かを批判できるはずがないからだ」と指摘している.(ネーゲルの「The Last Word(邦題:理性の権利)」からの引用がなされている.)

The Last Word (English Edition)

The Last Word (English Edition)

理性の権利 (現代哲学への招待 Great Works)

理性の権利 (現代哲学への招待 Great Works)

 

  • ネーゲルはこういう考え方をデカルト的と呼んでいる(「我思う故に我あり」と似た論理だという意味だろう).「何かを主張するために理性に訴える(appeal to reason)ものは,理性の存在を示している」.あるいは超越的な議論といってもいい.「議論を行うということは,それをするための前提条件(理性の存在)を認めていることになる」 理性の存在をことさらに信じる必要はない,我々はそれを使うのだ.(ピンカーはプログラムを書くためにCPUの存在を信じる必要がないのと同じだとコメントしている)
  • 理性がすべてに先立ち,その存在を擁護する必要がないとしても,一旦理性(reason)に基づく議論を始めると,そのときに用いた特定の論理構成(reasoning)が一貫性を持って現実と整合していないと,それは打ち砕かれる.そして理性と世界が整合的であることは,我々は世界を自分たちに有用になるように変えていくこと(感染症を抑制したり,人類を月に送ること)を可能にすることを意味するのだ.
  • デカルト的議論は屁理屈ではない.極端な脱構築主義者や陰謀論者であってもみな「なんでお前のいうことが正しいとわかるんだ」とか「じゃあ証明してよ」とかいう主張が強力であることを知っている.誰も「いやそんな根拠はないんだ」とか「そうだ,私の主張はクズだ」とはいわない.みな自分の主張は正しいということを前提に議論するのだ.

 
ピンカーの理性擁護の最初の一発は「そもそも理性を否定してしまったら,何らかのまともな主張や議論ができるはずはない」ということだ.これは当然だろう.理性の否定者はまともな議論を拒否しているのと同じだ.ここから話を始めざるを得ないほど,脱構築主義などの理性否定論者が論壇やアカデミアに巣くっているということ自体が嘆かわしい限りだということだろう.

*1:リスのようだという面白い言い回しになっている

書評 「The Coddling of the American Mind」

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

 
本書は法学者であるグレッグ・ルキアノフと社会心理学者であるジョナサン・ハイトによる近時のアメリカの大学キャンパスで生じている問題についての本である.その問題とは,過度に拡張解釈された学生の「安全」を保護すべきであるとする風潮に学問の自由と学生たちのメンタルが脅かされているというものだ.
 
導入において本書が書かれることになった経緯が描かれている,(冒頭に虚構の寓話が仕込まれていて面白い)著者たちによると現在のアメリカのキャンパスには以下の3つの虚偽がまかり通っているという.

  1. 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする
  2. 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ
  3. 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

そしてこれは古代からの知恵にも,心理学リサーチからの知見にも反しており,これを信じるとその個人にもコミュニティにも有害になるのだと主張している.
そしてこれをルキアノフが気づいたのは2013年に,学生が「トリガリング」内容を講義コースから除去したり,そのような講演者を呼ばないように要求すると聞いたことだったそうだ.トリガリングとは社会正義運動家やフェミニストによる「ある言説の内容が『攻撃的: offensive』であること」を示す用語だそうだ.それはどのようなものが差別発言であるのかの例示なども含み,ホメロスやダンテの文章であってもそう指摘されうる.そして講義に際してそのような内容を含む場合には事前に「トリガリング警告」を行うように要求されるようになった.もちろん学生の過激な要求は昔からあったが,今回の風潮は「学生は脆弱で,守られなければならない」という前提があることが特異的なのだ.
ハイトはこの話をルキアノフから聞き,新しいモラルコードが大学で生まれつつあるのかもしれないと感じて一緒になぜこうなったのかを調べて2015年11月にアトランティック誌に投稿した.その後一連の警官による丸腰のアフリカ系アメリカ人容疑者の銃殺事件,トランプ当選,#MeToo運動などがあり,大学でのこの新しい風潮は加速した.そこで本書を執筆することになったということだそうだ.ここで著者たちは本書の性格についていくつかコメントしている.

  • 過保護は有害になり得る.しかしこれはある意味全般的な進歩の副産物であるとも言える.豊穣な世界の肥満のようなものだ.
  • 本書では道徳的な議論を行わず,実践的な議論を行う.

 
本書は4部構成になっている.第1部でこの新しい『安全文化』の中身を解説する,第2部ではそれが大学や社会にどういう現象をもたらしているかが語られる.第3部でなぜこうなったかが吟味され,第4部で処方箋が提案されている.
 

第1部 悪いアイデア

 
冒頭の3つの虚偽が章ごとに解説されている.
 

第1章 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする

 
冒頭では子どもにナッツに触れさせないことがナッツアレルギーを逆に増やしているという例が紹介され,過保護が逆に子どもの脆弱性につながりうることが説明される.そしてアメリカ国内で子どもの安全について20世紀までは身体的な安全性のみが問題になっていたが(チャイルドシート義務化など)21世紀になって「安全」が拡大解釈されるようになり「感情的安全」を含むようになったことがことが説明される.
しかし他者のどんな言説がどのように「危険」かをどう判断できるというのだろうか.20世紀の「トラウマ」,PTSDの議論を経て21世紀にその基準は完全に主観的なものになった.そしてアメリカの学生は2013年頃から感情的な痛みを感じれば,それは攻撃的で危険だと主張するようになった.これは1995年生まれ以降の世代(iGen)が大学に入ってきた時期になる.彼等は安全に取り憑かれ,安全スペースとトリガリング警告を要求するようになった.しかし子どもは本来様々な考え方に触れることによって精神的に鍛えられるのだ,この風潮は子どもを逆に脆弱にしているのだと著者たちは主張している.
 

第2章 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ

 
この考え方は心理学的知見に真っ向から反している.よく確立された(鬱,食事障害,強迫神経症などに対する)認知行動療法においては,自分のオートマチックに生じる考えをよく吟味し,ネガティブな感情を断ち切ることを行う.そして多くの心理学的なリサーチは数々の認知の歪みを明らかにしている.
そしてこの感情論法が現在キャンパスに横行している.著者たちはいくつかの例をあげている.

  • 最近「マイクロアグレション:microaggression」が問題にされるようになっている.これはデラルド・ウィン・スーが2007年に提唱したもので,意図の有無を問わずに言葉や行動で示される微妙な差別的な行為(「英語がうまいですね」のような言動もこれにあたりうるとされる)を指すものだ.そもそも攻撃は意図的なもののはずだが,スーは問題はそれが与える感情的効果だとし,この概念を正当化する.しかしマインドリーディングではしばしば認知の歪みが生じることを考えるとこれは危ない(容易に意図を誤解されて糾弾される).
  • もう1つの感情論法の例はゲストスピーカーの「講演拒否(disinvitation)」だ.学生を不愉快にしたり怒らせたりする講演者は講演を拒否されるべきだという考え方に基づくものになる.これは現在しばしば大規模な抗議行動を生じさせている.これはソクラテス以来の西洋哲学の方法論を否定するものだ.

 

第3章 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

 
多くの抗議行動は「不正義がなされた」という単純な図式による主張を伴う.しかし事実はいつもより複雑だ.
ここで著者たちは現実の大学で生じた教職者による特に悪意はないとしか思えないメールや言動が「邪悪の意図の元に書かれた」と糾弾され,非難の大合唱の中で辞職を余儀なくされたケースをいくつか取り上げている.そして社会心理学的な「ヒトは容易に部族主義的なマインドセットに陥る」という知見を紹介し,このような「自分たちは正しく,相手は邪悪であり,糾弾されなければならない」という思考様式,特に「共通の敵」アプローチを採るアイデンティティポリティクスの危険性を指摘し,これを乗り越えるにはより包括的な「皆同じ人類だ」というアプローチを採ることが有効だと説明している.また近時のキャンパスではインターセクショナリティによる差別分析(様々な差別の軸を複合的に捉えるアプローチ)が流行っているが,これは学生を細分化し部族主義への傾向を助長しやすいこと,さらにこの「共通の敵」アイデンティティポリティクスとマイクロアグレション理論が組み合わされると「コールアウト文化(敵認定をした相手を公に糾弾し辱めることを是とするもの)」につながり,学生の教育にとっても,彼等のメンタルヘルスにとっても有害だであることが解説されている.
 

第2部 行動におけるバッドアイデア

 
第2部では第1部で解説された近時の風潮が一体どんな騒ぎを引き起こしているのかの具体例が取り上げられる.いずれの事件も迫力のある紹介振りだ.
第4章では2017年のUCバークレーで生じた暴動騒ぎ(これは右派のジャーナリストであるマイロ・ヤノプルスのキャンパスでの講演を阻止しようと一部学生が実力行使に及んだもの)をはじめとした右派講演者の講演実力阻止騒ぎの詳細が取り上げられて,これが「スピーチも暴力になり得る」という残念な思想の影響であることを指摘する.
第5章では「魔女狩り」案件が取り上げられる.まず冒頭で「魔女狩り」の特徴(急速に進行する,社会に対する犯罪が糾弾されるが,実際の行為は些細なものか捏造されたもの,被告を擁護することが難しい)を整理した後,実際の事件としてレベッカ・トゥバル事件(性転換に比べて人種転換Transracialismが非難されるのを考え直そうというエッセイが,トランスジェンダーの人を傷つけるものとして糾弾された)ワックスとアレクザンダー事件(社会問題の解決にはブルジョワ精神にもいい点があるというエッセイが,優越する文化を褒めてはならないというアカデミアのタブーに触れて糾弾された),エバーグリーン事件(人種問題を考えるためにこれまで自発的に有色人種の人々がキャンパスから1日消える形で行ってきた「デイオブアブセンス」を,今回学校側主導で白人が消えるように要請する形式に変えようとすることを批判した教授が糾弾され,最終的に大学全体が無秩序状態になって混乱した)が紹介される.著者たちはこのような状況はクリティカルシンキングに必要な視点の多様性を失わせるものだと憂い,背景にある1990年代半ばから急速に進んだアカデミアのリベラル化の問題を指摘する.
 
この章で実際に紹介されている事件はいずれも衝撃的だ.特に第5章の魔女狩り案件は集団が熱に浮かされたように空気に流されており,アメリカでもこんなことになるのかという驚きを感じざるを得ないものだ.
 

第3部 どうしてこうなった

 
著者たちはここからこのような風潮を創り出した要因を追及していく.著者の指摘する要因は6つある.

  1. 政治的二極化の進展と政党間の敵意の増大
  2. 10代の若者の不安と鬱の亢進
  3. 子育てプラクティスの変化
  4. 自由遊びの減少
  5. 大学の官僚化
  6. 国中を揺るがす大きな事件に対する正義を求める情熱の高まり

 
そしてここから6章をかけて順番に解説される.
 

第6章 二極化

 
アメリカの政治情勢は1990年頃から二極化が亢進している.これは政治的意見を聞くアンケートでも,政党に対する評価アンケートでも顕著に現れている.著者たちはこの原因として,(1)大恐慌,第二次世界大戦,冷戦という国を挙げてのチャレンジがなくなったこと(2)アメリカ人が自分たちをより区分して考えるようになったこと(3)メディアが多元化したこと(4)ギングリッチ以降議会において激しい衝突が生じるようになったことを挙げている.そしてこのような政治情勢の中で1990年代以降大学は左傾化した.これが大学内での右派の活動への敵意を亢進させたというのが著者たちの見立てになる.このような状況で生じる騒ぎについて著者たちは二極化サイクルと呼び,典型的な騒ぎの起こり方*1とその具体例を示している.またこのサイクルはトランプ当選以降悪化しているそうだ.
 

第7章 不安と鬱

 
著者たちが2番目の要因に挙げるのは2010年代以降若者の不安と鬱の比率が上昇しているというものだ.そのような不安心理が保護を求める動きにつながったというのが著者たちの見立てになる.著者たちは不安心理の上昇をコホート効果で説明しており,いわゆるiGen(インターネット世代:1995年以降に生まれたアメリカ人世代)を取り上げる.彼等はスマホやソーシャルメディアの影響を大きく受け,飲酒喫煙率が低く,成熟が遅く,より安定志向であり,不安と鬱の比率が高いとされる.そしてなぜiGenの(特に少女たちの)不安が大きいのかについてスマホとSNSの利用普及による仲間はずれ恐怖の増大を挙げている.
ここはピンカーが,診断基準の拡大やリサーチ方法の問題点から疑問視している部分であり,アメリカでも決着がついていないところなのだろう.著者たちは診断基準に関する批判にも言及しつつ,診断されることによる自己実現的な部分もあるとコメントしている.

 

第8章 パラノイア子育て

 
ここでは最近のアメリカの子育て風潮の変化が取り上げられている.アメリカでは1981年にハリウッドのシアーズで親が目を離した隙に誘拐された6歳の子供が遺体で発見された事件が全米の注目を浴び,(実際の誘拐リスクは極めて小さいにもかかわらず)子どもから目を離すことについての恐怖感がすり込まれた.著者たちは「子どもを絶対に1人にしない」はアメリカの新しい子育て行動基準になり,たとえば最近1人でニューヨークの地下鉄に乗ることを我が子に許可した母親がSNSで激しい非難を浴びるような風潮を創り出しているのだとする.
著者たちはこのような安全主義・ゼロリスク症候群は新たな問題を作るのだと指摘している.子どもが本来経験すべきことを経験できないことはスキルや独立心を得ることの障害になり得る.そして子育てプラクティスは社会階層の問題と絡む.中層以上家庭はこの安心主義さらに濃密干渉主義子育てに浸り,下層家庭は放任主義になっている.一見経験を積める下層階級の方が有利になるようにも見えるが,この文化の分断自体が下層から上層に移る障害になってしまう.
そしてこの中層以上のパラノイア子育ては3つの虚偽に直接結びつくと著者たちは主張する.子どもたちは世界は悪意に満ち危険だと教えられ,「我々対あいつら」世界観に容易にはまり込む.安全ではないという感情を信じるように諭されるのだ.
 

第9章 遊びの減少

 
哺乳類にとって遊びは成熟したあとで用いるスキルを学ぶために重要だ.だからヒトの子どもも遊びが大好きだ.ここで著者たちは“experience-expectant development”概念を解説し,いかにヒトの(言語や社会生活面での)発達にとっても遊びが重要かを説明する.だから子どもには子どもたち同士で自由に遊ぶ経験を積ませるとが重要なのだが,それが減少している.自由遊びは協力や争いの解決スキルの習得にとって重要だ.この能力が低いと3つの虚偽に誘引される.これが著者たちが指摘する4つ目の要因になる.著者たちは自由遊びが減少している理由について,前章で示した誘拐への恐怖もあるが,そのほかに大学入学のための(テスト勉強を含めた)準備時間の増加やスマホの普及があるとしている.
 

第10章 安全主義の官僚化

 
著者たちが挙げる5つ目の要因は大学側の問題だ.大学組織の官僚化は意図せざる悪い結果を招いているというのだ.
学生を守ろうとする官僚的規則は時に学生を非人間的に扱ってしまう(学生が悩みをカウンセルと相談しただけで,自殺的な思考を周りに感染させないようにという脅しのような文章が届く例が紹介されている).この背景には大学が肥大化して企業化することがあり,その結果レピュテーションリスクや法的責任リスクに対して過剰に反応してしまうこと*2.予防的な過剰規制がなされることなどが生じる.それでは教職と学生の間の信頼感は醸成されないだろうと著者たちは訴えている.
さらにここに主観的な感情だけに基づくハラスメント糾弾が加わる.これは発言を萎縮させ,キャンパスにおける言論の自由を蝕むものになる.著者たちは大学は「威厳の文化」から(トリガリング警告,マイクロアグレション,安全空間が要素となる)「被害者の文化」に変容しつつあり,これは学生にモラル依存を生じさせ,争いの解決能力を失わせるものだとコメントしている.
 

第11章 正義の追求

 
著者たちが挙げる最後6つ目の要因は少し面白い.まず著者たちはアメリカ政治の謎を提示する.アメリカでは1950年から54年にかけて生まれた白人はその前後に比べて民主党支持比率が高いのはなぜか.政治学者のギタとゲルマンはアメリカの投票パターンを分析し,人の政治傾向は18歳ぐらいの時の経験に大きく影響を受けると主張した.彼等の議論を受け入れると50年代生まれの白人が民主党支持に傾くのは公民権運動が燃えさかった時にその多感な時期を過ごしたからだということになる.
するとここ数年の政治環境がiGenの政治指向に大きな影響を与えることになる.それは警官による無抵抗な黒人容疑者射殺事件への抗議,ゲイマリッジ運動,49ersのQBキャパニックの国歌斉唱時の起立の拒否による抗議,#MeToo,そしてトランプ政権,銃規制を求めるデモということになる.著者たちはこれらの雰囲気は1968年から1972年にかけてのものとよく似ていると指摘する.iGen はより社会正義に敏感なのだ.
ここから著者たちは正義とは何かという解説に入っている.まず直感的には分配的正義(インプットに比例した報酬の平等)と手続的正義(機会の平等)があり,社会正義としてはまず直感に沿う「比例的手続き的社会正義」(誰かが分配的正義,あるいは手続的正義を無視されたらそれを見つけて解決する)があり,それはまさに公民権運動の柱になった.そしてもう1つは「結果の平等的正義」であり,これは直感とは食い違い,分配的正義や手続的正義を満たさない結果を要求することになる.著者たちはこれがクオータ制やアファーマティブアクションがしばしば激しい議論になる理由だとする.そして著者たちは今日の若者の正義への要求がしばしば後者の「結果の平等的正義」を追求するものであり,因果と相関を取り違えてグループアイデンティティ間の結果の差異を差別が原因だと断定しがちであることを憂えている.

第4部 気づこう

 
第4部では,ではどうすればいいのかが扱われる.著者たちの処方箋は以下のようなものだ.またこれらの改善の兆しもあるとしていくつか例を最後においている

<子育て>

  • 子育ての方向性を変えよう,試行錯誤をさせ,打たれ強くなるように育てよう.(自転車通学を許可しようとかサマーキャンプに参加させようとかいろいろな具体的なアドバイスもある,”LetGrow.org” のサイト(https://letgrow.org)も推奨している)
  • 最悪の敵も自分の誤った思考法ほど害悪ではないことを理解しよう.(認知行動療法やマインドフルネスを進めている)特に世界を善悪の対立と考えるのは有害であることを知ろう.
  • 学校のやり方も変えよう.宿題を減らし,監督下にない子どもの活動を増やそう.身体的なものを除き「安全」という用語を使わないようにしよう.中学以降は"intellectual virtues”を育て,ディベートや理性的議論を教えよう.
  • スマホなどのデバイスに触れる時間を制限しよう.その影響を子どもと議論し,睡眠を確保させよう.
  • 大学進学前にギャップイヤーを作って社会経験を積ませるようにしよう.

 
<大学>

  • もう一度「知的追求の自由」へのコミットを噛み締めよう.学生や教授が言論の自由を奪われそうになっていることを直視し,大衆の激情に流されないというポリシーを確立しよう.抗議者に講演者の排除権を認めるべきではない.
  • 多様性を確保しよう.ギャップイヤーを推奨し,"intellectual virtues”育成を実践している高校の枠を広げよう.
  • 明示的に3つの虚偽を否定しよう.
  • 細分化されたアイデンティティポリティクスに拘泥せずに「我々」の輪を広げよう.「本大学の精神」を掲げ,より多様な意見を大学内で表明できるようにしよう.

 
 
本書は現在アメリカの大学で生じている変化を扱う「教育と智恵」についての本になる.トランプ当選以降のアメリカのリベラルの憤りは深く,いろいろきしみが生じているだろうなあとは思っていたし,UCバークレーの騒ぎは聞いていたが,こうして読んでみるといろいろ深刻な部分があることがわかってくる.日本のキャンパスでは(若者の安倍政権支持率が比較的高いこともあって)少し事情が異なるようにも思うが,やはり思想的な影響は受けるだろうから,今後は注意が必要なのかもしれない(先頃「ヌードの美術講義が『セクハラ』だとして女性が京都造大を提訴」のようなニュースが流れたのは記憶に新しい).
また第3部の原因追求パートは現代アメリカのいろいろな側面が捉えられていてなかなか興味深い.私的には本書の読みどころだった.
処方箋のところは理想論に流れていてどうやって実践するのかのところが難しいだろうという感想だ.スマホの時間制限の是非というのも微妙な気がするし,「抗議者による講演者の排除を認めるべきではないこと」に関しては「あからさまなヘイトスピーチの場合にどうするのか,例外を認めるなら線引きをどうするのか」が実務的には最大の課題になると思われるが,本書はそこに触れておらず,やや物足りない.
本書はピンカーの「Enlightenment Now」やマット・リドレーの「The Rational Optimist(邦題:繁栄)」の議論に大いに触発されたとも書かれているが,それでもところどころピンカーの言う進歩懐疑主義的な記述もあって面白い.それもこれも合わせていろいろと参考になった一冊だった.
 

*1:左派の教授による右派のやり口を非難するコメントに対して右派のメディアがその一部をねじ曲げて取り上げてレイシストだと反撃,それに学生が乗せられて教授の糾弾騒ぎに発展し,大学当局は教授を擁護できないという流れが典型的だそうだ

*2:HBOの人気テレビシリーズ「ゲームオブスローンズ」の「我は自らのものを火と血でもって得るだろう(I will take what is mine with fire and blood)」というスローガンが入ったTシャツを着た娘の写真をSNSに投稿した教授にたいして「FireはAK47を連想させる」として休職措置をとった例が紹介されている

Enlightenment Now その58

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第20章 進歩の将来 その3

 
ピンカーはトランプ現象の背景を見てきた.では今後どうなるのだろうか.ここはおそらくピンカーが最も訴えたかったことの1つであり,真剣に議論されている.
 

  • これまで何十年も世界を牽引してきたリベラルでコスモポリタンな啓蒙主義ヒューマニズムと権威主義的反動ポピュリズムの間の緊張はどうなっていくのだろう.
  • これまでリベラリズムを推し進めてきた人の流動性,コネクティヴィティ,教育,都市化の流れは反転しそうにない.性や人種の平等への動きも止まりそうにはない.確かにこれらは推測にすぎない.しかし1つ確かなことがある.ポピュリズムは老齢者の動きなのだ.

(ここでトランプ支持,ブレクジット支持,ヨーロッパのポピュリスト支持の年齢別の比率が示されている.いずれも50歳以上で高く,それより若いと急速に支持が減っていく形になっている.ソースは出口調査にかかるニューヨークタイムズの記事)

  • 第15章で扱ったリベラル傾向のコホート効果からみるとこのトランプやブレクジット支持の年齢効果に驚きはない.このグラフはこれらのベビーブーマーやそれ以前の人々が今後ポピュリズムを墓場に一緒に持って行ってくれるかもしれないことを示している.もちろん「君が25歳でポピュリストでないのならハートが無く,45歳でポピュリストなら脳が無いのだ」*1ということである可能性はあるが,政治的方向性についてのこのようなライフサイクル効果は見いだされていない.人々は歳を取っても開放的価値を持ち続けるのだ.ギタとゲルマンのリサーチではアメリカ人には「歳を取るほど共和党大統領候補に投票する傾向」がないことがわかっている.今日ポピュリストに反対している若者が,今後ポピュリスト支持になることは考えにくいのだ.
  • どのようにして啓蒙運動へのポピュリストの脅威という主張に反論すればいいだろうか.経済的不安定は問題ではない.だから製鉄会社の作業員のレイオフ問題に対処し,彼らを慰めようとするのは(それ自体に価値はあるにしても)いい戦略ではないだろう.文化的な反動が問題なのだから,不必要な二極化レトリックやアイディンティティポリティックスを避けるのが賢明だろう.メディアにも役割があるだろう.長期的には都市化や人口動態が一部の問題をある程度解決するだろう.
  • しかし最大の謎は.ポピュリストの政策により不利益を受けるはずの人々の実に衝撃的な割合が選挙を棄権することだ.若いイギリス人,アフリカ系アメリカ人,ラティーノたちはなぜ棄権するのだろう.この謎は我々を本書のテーマ「今こそ啓蒙運動」に引き戻す.
  • ポピュリストが「西洋諸国は不公正で機能不全であり,劇薬しかこれを改善できない」と決めつけることについて,私はメディアとインテリは共犯関係にあると思う.ある左翼は「私はアメリカがクリントンの元で自動運転されるよりトランプの元で業火に包まれて崩壊するのを見る方を望む,それなら少なくとも劇的な変化が期待できるから」とまでコメントしているのだ.主流のメディアもアメリカを人種差別と不平等とテロと社会的病理と機能不全の巣窟といって憚らない.
  • このようなディストピアレトリックの問題点は,人々がそれを額面通りに信じてデマゴーグのアピールに魅力を感じてしまうことにある.「(ポピュリストの極端な考えを信じたとして)何か失うものがあるというのか」と考えてしまうのだ.しかし,もしメディアとインテリが統計と歴史に基礎をおいているなら,この問いかけにも答えることができる.
  • 民主制は貴重な獲得物なのだ.それはいつも問題含みだが,大火を引き起こして灰の中から何かが現れるのを期待するより遙かにまともに問題を解決できる.

 

  • 現代を擁護するためのチャレンジは楽観主義がナイーブに見えるということだ.公正,平等,自由についての完璧な理想は危険な妄想だ.人々はクローンの集合体ではない,だからある人の満足は別の人の不満を呼ぶ.そして自由であることには破滅する自由も含まれているのだ.リベラルな民主制は進歩を起こせる,しかしそれはぐちゃぐちゃの妥協や継続的な改革を通じてのみ得られるのだ.
  • ある点についての進歩は予測できなかった別の問題を提起し,その解決はまた別の問題を提起する.それが進歩というもののありようだ.我々を前に進めてくれるのは創意,同情,良き制度だ.後に引き戻すのはヒトの本性の暗い部分と熱力学の第二法則だ.
  • 啓蒙運動と科学革命以来,我々は毎年破壊するより少しだけ多く創造してきた.そのわずか数%の違いが積み重なって文明と呼ばれるものが構築されてきたのだ.進歩が自動的に進んできたように思えるのは振り返ってみたときだけだ.
  • 我々はこのような短期的な停滞や後退を挟みつつ長期的に進むアジェンダについて適切な名前を持っていない.楽観主義というのは適切ではない.なぜなら物事が常にうまくいくと考えるのは常に悪くなると考えるのと同じぐらい間違っているからだ.ケリーは「プロトピア:protopia」と呼ぼうと提唱している.あるいは「悲観的希望」「楽観現実主義」「ラディカル累積主義」という提案もある.私の好みはハンス・ロスリングによる「あなたは楽観主義者ですか」という問いに対する回答だ.彼はこう言った.「私は楽観主義者ではない.私は非常に真剣な可能性主義者だ:I am not an optimist. I’m a very serious possibilist.」と.

 
進歩は自動的に得られたものではない.それは先人たちの努力とぐちゃぐちゃの歴史的道のりの上にあり,大切に守りさらに継続していくべき獲得物なのだ.だから冷静に真実と理性をもって粘り強く進歩を擁護していかなければならないというのがピンカーの本書のメッセージだ.まことにその通りだと思う.

*1:これはピンカーが巷で流布しているミームを修正したもの,この「ポピュリスト」という部分には,様々なミームの変種において,リベラル,社会主義者,共産主義者,左翼,共和党支持者,民主党支持者,革命家などが現れるのだそうだ.そして誰が最初に言ったかについても諸説ある.有名どころではユーゴー,ディズレーリ,バーナード・ショー,クレマンソー,チャーチル,ボブ・ディランが登場するそうだ.ピンカーはオリジナルについておそらく19世紀の法律家アンセルメ・バトビーではないかとしている.

Enlightenment Now その57

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第20章 進歩の将来 その2

 
将来にどのような懸念があるのか.ピンカーはまず潜在的経済成長率が低下しているのではないかという問題を扱った.そして次に本命のポピュリズムの興隆を取り扱う.
 

  • これとは全く異なる進歩にとっての新しい脅威は啓蒙運動の基礎を破壊しようという政治的な情勢だ.2010年代になって世界は「ポピュリズム」と呼ばれる反啓蒙運動を目撃することになった.これは正確には権威主義的ポピュリズム(民衆の主権を強いリーダーが体現する形をとる)と呼ばれるべきものだ.
  • この権威主義的ポピュリズムはある意味ヒトの本性への押し返しと見ることもできる.すなわち部族主義,権威主義,敵を悪魔として扱う,ゼロサム思考を要素とし,それらを抑えようとしてきた啓蒙運動を否定するものだ.
  • この権威主義的ポピュリズムには右翼のそれも左翼のそれもある.そして両者とも経済をゼロサムの闘争だと誤解する素朴理論(左翼は階層間の闘争,右翼は国家間あるいは国民対移民の闘争の文脈で用いる)に従う.問題は世界の現実から生まれる不可避のチャレンジであると捉えず,エリート階級,外国,マイノリティの陰謀から生まれると考えるのだ.そして進歩を全否定する.
  • (このポピュリズムの起源については第23章で扱うが)ここでは近年の盛り上がりを考察しよう.
  • 2016年にポピュリズム政党はヨーロッパ議会選挙において13.2%の得票を得て11カ国で連立政権の一角に参画している.ハンガリーとポーランドではリーダーシップを取り,英国ではブレクジットに大きな影響を与え,そしてアメリカでドナルド・トランプの当選を後押しした.「Make America Great Again」というトランプのキャンペーンスローガンほどポピュリズムの部族主義,後ろ向き思考をよく表しているものはないだろう.

 

  • 私はこれまで進歩を扱う章を執筆してきたが,それぞれ各章の最後に「しかしここまでの進歩はトランプの登場によって脅威にさらされている」という警告をおくという誘惑に抵抗してきた.しかし脅威はリアルだ.2017年が歴史の転換点になるのかどうかはともかく,ここでレビューしておくことは重要だろう.
  • 寿命と健康:トランプは「ワクチンが自閉症を引き起こす」という既に科学的に否定された主張を擁護している.またオバマケアを葬り何千万人もの健康保険をなくそうとしている.
  • グローバル経済:トランプは貿易をゼロサムだと考え,はっきり保護主義をとっている.
  • 技術革新,教育,インフラ:トランプはテクノロジーにも教育にも無関心だ.
  • 格差:トランプは移民と貿易相手を悪魔視し,技術の変化による中流下層の仕事の減少を無視している.そして格差を和らげる累進課税や社会保障に敵対的だ.
  • 環境:トランプは環境保全に有用な規制を経済を破壊するものだと決めつけ,温暖化をフェイクだとする.
  • 安全:トランプは安全規制も馬鹿にする.そしてエビデンスベースの政策に全く興味を示さない.
  • 平和:トランプは国際貿易をけなし,国家間の取り決めを無視し,国際機関の力を弱めようとしている.
  • 民主主義:トランプは報道の自由に関する法を反ジャーナリムズの方向に変えようとし,自分の当選に関する異議について脅迫的に行動し,取り上げようとする司法システムの正統性を攻撃する.これらはすべて独裁者の特徴だ.トランプはロシアやトルコなどの権威主義的リーダーを礼賛し,民主的なドイツの指導者を馬鹿にする.
  • 平等:トランプはヒスパニック移民を悪魔視し,イスラムからの移民を禁止しようとする.何度も女性の品位を傷つけ,人種差別・性差別主義者に寛容だ.
  • 知識:トランプは馬鹿げた陰謀論をふりまわし,意見は真実に基づいて決めるべきだという考えをあざける.
  • 核戦争の脅威:恐るべきことに,トランプは核戦争の脅威から世界を守ってきた規律を掘り崩そうとしている.彼は気軽に核の使用や核軍備競争についてツイートする.

 

  • しかしドナルド・トランプは,そして他のポピュリストたちは,本当にここ250年間の進歩を破壊してしまうのだろうか.まだ悲観して自殺すべきではない理由がある.何世紀にも続いた動きがあるなら,おそらく背後にシステマティックな力があるのだ.そしてここ数年ですべてのステークホルダーが反転したと信じる理由はない.
  • システムのデザインとして,アメリカの大統領制は任期のある君主制ではない.大統領は権力の分立の上にあるのだ.そこには立法府,司法,行政システムがある.トランプの権威主義はアメリカの民主制にストレステストをかけているが,ここまでのところ,このシステムはいくつもの戦線でトランプの攻撃を押し戻している.(司法,行政,ジャーナリスト,トランプ自身の政策スタッフたちの奮闘が解説されている)さらに州政府も抵抗しているし,他国政府も多くの大企業もトランプに唯々諾々と従うわけではない.多くのステークホルダーの利益は平和と繁栄と安定の上にあるのだ,そしてグローバル化のメリットも同じだ.これらを永遠に否定できるはずはない.真実を巡る戦いについても,真実の側にはビルトインされたアドバンテージがある.あなたが真実と共にあるなら,真実は決して消えてなくならないのだ.

 

  • より深い問題は,このポピュリズムの興隆は,これから生じる大きな流れを体現しているものかどうかということだ.2016年に生じたことは世界が中世に戻ることを暗示しているのだろうか.
  • まず第1に,今回の選挙は啓蒙運動に対する信任投票ではない.トランプは共和党のパルチザン候補としてスタートして共和党候補になり,投票全体ではクリントンに対して46:48で負けていた.就任時の支持率は40%に過ぎない.退任時の支持率が58%あったオバマは明確に啓蒙運動の精神を支持していた.
  • ヨーロッパの選挙もコスモポリタンなヒューマニズムに対する信認投票ではなく,感情に訴えるいくつかの問題(共通通貨,ブリュッセルの官僚たちによる押しつけがましい政策,イスラムのテロと中東からの膨大な難民の受け入れなど)への反応と見るべきものだ.それでもポピュリズム政党は13%の票を得ているに過ぎない.トランプとブレクジットの後でも多くの選挙でポピュリズム政党は議席を減らしている.
  • しかし,政治情勢より遙かに重要なのは社会と経済のトレンドだ.歴史的進歩は勝者と共に敗者も創り出す.そして明らかな敗者はグルーバル経済における敗者であり,批評家たちはまるで船の難破の原因を探るようにしばしばこれらの敗者がポピュリストの支持者だと指摘する.しかし我々はこの説明が間違っていることを知っている.アメリカの大統領選では経済が重要だと答える低所得者層はよりクリントンに投票し,高所得者層はよりトランプに投票している.そしてトランプ支持者は移民とテロが重要問題だと答えているのだ.
  • 統計家のネイト・シルバーは「所得ではなく,教育水準がトランプ支持を予測できる要因である」と指摘している.なぜ教育が影響するのか.凡庸な説明は「高い教育水準がリベラルと相関する」というものだ.もう少し面白い説明は「高い教育はマイノリティーを悪魔視しなくなるようにする」というものだ.そして最も興味深い説明は「高い教育を受けると真実と理性による議論を好むように,陰謀論から背を向けるようになる」というものだ.
  • シルバーは,さらにトランプへの地域別投票マップは失業,宗教,銃所有,移民比率のマップと重ならないが,Googleサーチの「nigger」サーチ頻度マップと重なることを見つけた.「nigger」サーチ頻度はダヴィッドヴィッツが人種差別感情の信頼できるインディケーターであることを示したものだ.

誰もが嘘をついている?ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性?

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  • これはトランプ支持者の大半が人種差別主義者であるという意味ではない.しかし公然の人種差別主義は憤激と不信に姿を変える.そしてマップのオーバーラップはトランプ支持の強い地域は,何十年にもわたるマイノリティの権利擁護と統合の試みに最も抵抗する地域であることを示している.そして出口調査でトランプ支持と最も関連するのは悲観主義だ.トランプ支持者たちの多くはアメリカは間違った道に進んでいると答えるのだ.
  • 大西洋の向こうで,政治学者のロナルド・インゲルハートとピッパ・ノリスは同じようなパターンを見いだした.経済要因はあまり効いていなかった.ポピュリストへ投票するのは,より老齢で宗教的で田舎に住み教育程度が低く男性で民族的なマジョリティである傾向があったのだ.彼等は権威主義的価値観を持ち,自らを右翼と規定し,移民とグローバル化を嫌っていた.ブレクジットへの投票も同じだった.インゲルハートとノリスは権威主義的ポピュリズムの支持者は経済ではなく文化的な敗者なのだと結論づけた.彼等は自国の価値観が進歩主義的に大きく転換していく中で疎外感を持つようになったのだ.そしてこれはアメリカでも同じだ.
  • ポピュリストの興隆は,グローバル化,人種的多様性,女性の権利,世俗主義,都市化,教育という現代の潮流への反動だとしても,その選挙での成功は投票者をうまく誘導できるリーダーがいるかどうかに左右される.だからヨーロッパの各国でのポピュリスト議席の割合はそれぞれ異なっているのだ.

 
トランプの当選は啓蒙運動に対するリアルな脅威だ.そして本書が書かれるようになったきっかけでもあり,ピンカーは詳細にその背景を論じている.トランプ現象についての論評は膨大にあり,このピンカーの議論がその中でどういう位置にあるのか私には判断できないが,この文化的な敗者だという議論は説得的だ.
私がトランプ当選に至るアメリカの流れを見ていて感じたのは,リベラル側の道徳的な押しつけがやり過ぎだったのではないか(そしてそこには偽善の匂いが濃厚にある) ということだ.強烈にアイデンティティポリティクスをかまされると白人男性は何も言えなくなるだろう.自分たちが当然としてきた文化的な価値観が道徳的に劣ったものとして否定され,まさに新しい価値観の象徴のようなヒラリーが大統領になるのかと思ったときの彼等の鬱屈した気持ちが投票所で吹き出したということではなかったのだろうか.
 
日本の政治情勢はアメリカやヨーロッパとは少し異なる.露骨なポピュリズム政党は存在しないし(維新は少しそれに近いし,小池新党がそうなる可能性はあったかもしれない.しかしいずれにしても文化的敗者を支持基盤とするような政党ではないだろう.),陰謀論や硬直的な姿勢はリベラル寄りとされる政党にもよく見られる.安倍政権は思想信条的には過去のノスタルジアの理想化部分を持つが,実際の政策は女性活躍や働き方改革を見てもわかる通りリベラル寄りだ.そして何より若者が自民党をより支持している.私に論評する能力は無いが,興味深いところだ.