書評 「思考と意味の取り扱いガイド」

思考と意味の取扱いガイド

思考と意味の取扱いガイド

  • 作者: レイ・ジャッケンドフ,大堀壽夫,貝森有祐,山泉実
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書はレイ・ジャッケンドフによるこれまでに形作ってきた思考や意味についての考え方をまとめた本になる.ジャッケンドフはもともとチョムスキーのもとで生成文法を学び,その後認知的視点から言語,思考,意味について考察を深めてきた.その考察は膨大なものになるが,本書ではエビデンスの詳細には踏み込まずに,ジャッケンドフのアイデアの筋道を語る形になっている,
 

第1部 言語,言葉,意味

 
冒頭で「言語と思考の関係はどうなっているのか」という問題が提起される.そしてジャッケンドフはこの問題を取り扱うにあたって「日常的視点」と「認知的視点」を峻別し,本書はどこまでも認知的視点から問題を考察していくという方針を示す.そして過去多くの認知科学からの言語への取り組みは「文法」を考えるものだったが,本書は「意味」を考えるのだとする.そして本書は「思考と意味はほぼ完全に無意識的である」ことを読者に納得させるために書かれたと宣言する.なかなかスリリングな始め方だ.
 
ジャッケンドフは最初に「言語とは何か」を扱う.まず(チョムスキー直伝の)心的文法を解説し,具体的な場面ではまず伝えたい思考が先にあり相手も同じ心的文法を持つことを前提に心的文法を用いて発話するのだとする.

  • 個別の言語とは各人の頭にある心的文法を便宜上同じものと見做して理想化したものであり,だから言語は話者の頭の中にある.
  • これは認知的視点からの見方であり,多くの哲学者は日常的視点から考え言語を話者から独立した抽象的な存在物として扱っているので話が噛み合わないのだ.(またこの2つの視点の違いは脳神経学的視点に「還元」しても解決しないともコメントしている)

 
ジャッケンドフは「意味」に話を進める.

  • 語の意味も視点により変わってくる.語によっては単一の視点からしか意味を持たないものもある(「洗濯物」「がらくた」には日常的な意味しかないが,「微分可能」「c制御」には専門的な意味しかない).意味は視点に部分的に依存している.
  • 「語」は,物理的視点から見ると音響特性があるだけだが,認知的視点から見ると人々の頭の中にある体系の一部であり,それぞれ個人的な心的辞書に格納されていることになる.そしてこの視点から見ると「語の理解」とは,部分的にはその音と既に知っている音の最も良い合致を見つけることであり,部分的には話者が何について話しているのかを推測することだ.これらは無意識的に行われる.そしてどこまでが同じ語でどこからが同音異義語であるかも視点に依存する.
  • さらに「mean: 意味する」という語を分析すると極めて複雑な状況が現れる.これはまず客観的用法として翻訳,定義,実演,説明を表し,さらに連関を表すこともあり,その場合には因果,意図が表現される.文法フレームによっては影響を表すことができる.また登場人物の主観的なとらえ方,連関という用法もある.この上に「mean」には「意地悪な」「平均値」という意味もある.(ジャッケンドフはこの極めてゴテゴテした状況はごく普通なのだと強調している)

 
ここまでもかなりややこしいが,実は意味について考察するための準備段階だった.ジャッケンドフは「意味とは何か,どこにあるのか」に話を進める.代名詞「これ」や「文」の有意味性は何と関係しているのか.プラトンは語の意味についてイデアを持ち出した.一部の言語学はこれまで語や文の意味を抽象的な「深層構造」や「論理形式」から考察してきた.これらのアプローチの結論は「我々は意味を直接認識できない」ということだとジャッケンドフは言う.意味は(意識から)隠れているのだ.そして意味の性質を整理する.

  1. 意味は発音と結びついている(ソシュールの恣意性)
  2. 文の意味はその部分の意味から組み立てられている(フレーゲ流の構成性)
  3. 翻訳は意味を保持しなければならない
  4. 意味は言語と世界を結びつけなければならない(指示機能)
  5. 意味は相互につながっていなければならない(推論機能)
  6. 意味は隠れたものである

音と意味のペアの意味サイドは「それと結びついた音声が有意味であるという感覚」を生みだすことを除けば無意識のものだというのがジャッケンドフの主張になる.さらに意味が視覚イメージではあり得ないこと,語の意味は(認知的視点では)連続的であり離散的ではないこと(ウィトゲンシュタインの家族的類似性*1)を説明し,さらにフレーゲ流の構成性を語用論を用いて拡張する(推意と談話の接続,省略.指示転移.アスペクト共生が解説されている).
 
そしてジャッケンドフは言語と思考の関係に進む.

  • 語の意味が概念だとすると,文の意味はそれが表現する思考になる.しかしすべての概念や思考が語や文の意味だとは限らない.多くの概念や思考は言語でうまく表すことができないのだ(例として明暗パターンの詳細,楽器の音色などが挙げられている) 
  • 哲学者は「命題」について議論するが,それは話し手から独立して真か偽を決められるものであり,思考そのものではない.
  • 概念や思考は言語のようなものだとする議論もあるが,概念や思考自体は発音を持たず,発音と結びついているだけだ.このような議論は発音は単なる音に過ぎず非本質的だと考えているのだろうが,認知的視点に立って言語がどのように話者に機能するかを考えれば発音は極めて重要だ.

そしてジャッケンドフは最後にサピア-ウォーフ仮説にもコメントする.仮説支持者は様々な例(位置関係を山の斜面の上下で表すツェルタル語,ジェンダーを持つ言語の話者と持たない言語の話者に表れる連想の差など)を引き,それらは確かに違いを示しているが「大勢に影響はない」とする.そして人々の考え方の違いには,言語よりも文化や政治的立場の方があるかに大きな影響があると指摘する.思考の根本的な違いを生みだすのに言語の違いは必須ではないということだろう.
 

第2部 意識と知覚

 
ジェッケンドフは第1部で提示した「意味は隠れている」ということを深く掘り下げる.

  • プラトンのイデアは言語を外在的なものと捉える視点によるもので,人々が言語をどのように使うかを説明するには役に立たない.ある意味,プラトンは「意味は我々からあまりに隔たったものだ」と考えているといってもよい.
  • 認知的視点に立つなら意味は我々に近しいものであり,心のなかのアクセスできない部分(つまり無意識)にあるのだ.我々は発音のまとまりが有意味であるときも,その意味を直接知覚できない.我々が意味の存在を意識するのは発音が意味と結びついて知覚可能な「取っ手」として働くからだ.(これをジャッケンドフは意味の無意識仮説と呼んでいる)

 
ではこの仮説はどう検証されるのか.ジャッケンドフは仮説が支持できることを示すいくつかの現象をあげている.

  • 同じ意味を表す2つの文を前にその共通の意味は何なのかを述べるのは難しく,言い換えを繰り返すしかない.
  • アスペクト強制がどんな意味を付加しているかを説明するのも実は難しい.
  • 「考えが閃いたが,どう表せばいいかわからない」という状況は,意味が無意識にあるのだが発音の取っ手が提示されないために表に出てこられないという状況だと解釈できる.我々が思考の内容を意識できるのは発音と結びついているときだけなのだ.

 
ここからジャッケンドフは「意識とは何か」という問題に進む.意味の時と同じように「consciousness: 意識」「conscious: 意識している」という語の分析を行ったあと,哲学史的に解説を行う(デカルト,フロイト,行動主義,認知革命,ハードプロブレムまで扱われている).

  • 「意識とは何か」に答える良い方法は脳の視点,認知的視点(コンピュータ的視点)に立つことであり,そうすれば「ニューロン発火と情報処理のいかなるパターンが経験のいかなる側面と相関するのか」を問うことができる.
  • なぜそれが経験を成立させるのかを知るにはハードプロブレムが立ちふさがるが,それに答える前にも多くの進歩を期待できる.

 
ジャッケンドフはもう一度意味の無意識仮説に戻り,さらに掘り下げる.

  • 認知的視点からは言語表現は音韻論(発音),統語論(文法),意味論という3つのデータ構造からなっている.意味論は思考に関わるデータ構造ということになる.意味の無意識仮説からするとこの3つのデータ構造で思考の経験と最も近似するのは音韻論になる.
  • つまり発音が意識的思考の主要な認知相関物になる.この結びつきが発音の有意味性の感覚を生む.心/脳は音韻,文法,意味の構造を結びつけなければならず,結果的に音と意味が一体になる.
  • 外部からの音はまず無意識の聴覚入力で処理される.そして意識的な心のなかで既存の発音と結びつきがあるか調べられ(イメージモニター)イメージの存在感覚(特性タグ)を意識の認知的相関物として生む.さらに発音と思考の間に結びつきがあるかどうかが調べられ(有意味性モニター),「取っ手」のあるものは有意味性の感覚(特性タグ)を意識の認知的相関物として生む.それは無意識の思考につながる.この中間部分が意識的思考になる.

 
ここでジャッケンドフは意味の無意識仮説と対立する考え方を扱う.知性(思考)と意識を同一視する考え方,「意識はニューロンの一般的特性だ」という考え,「意識は1種の執行部だ」という考え,「意識はメタ認知だ」という考え,「意識は広域作業空間だ」という考えに,これらは人が頭の中で言語として「思考を聞く」という経験に注意を向けず,意味と発音にかかる2つの異なるデータ構造を分けて考えていないのだと批判している.
 
ここからジャッケンドフは言語の認知処理と視覚イメージの認知的処理の類似性を提示する.

  • この2つの認知処理には多くの平行現象が見られる.視覚認知処理で「発音」にあたるのは視覚表層になる.視覚認知において,多義的図形の認知,イメージの補完,矛盾した内容の表現が観察できる.視覚イメージが成立するには膨大な量の(無意識的)心的計算が関わっている.
  • それは言語の認知処理でも同じで,膨大な無意識の過程がある.
  • ではこの2つの認知処理は思考とどう関わるのか.「空間構造」にはより視覚的処理が相関し,「概念構造」にはより言語的処理が相関するだろう.そして空間構造と概念構造は無意識の中で結びついて思考を形成する.

ジャッケンドフはこの2つの認知処理と2つの構造がどう結びつくかを,さらにタイプ/トークンの概念構造の差をどう処理するのかという例を用いて詳細に論じている.また似たようなことはほかの感覚の認知処理でも生じていることにも触れている.
 
ジャッケンドフは「特性タグ」についても掘り下げる.

  • 特性タグは経験の全体的な性格を特徴付ける.
  • 視覚的認知の場合,外部世界の何かを見たとき,光が目に入り,脳は視覚表層を作る.これは視覚的意識の認知的相関物だ.
  • この時これは頭の中ではなく外部世界の現実だと認識する.(視覚的経験を鮮明にイメージしただけの時と比べてみて)それは視覚表層と目からの入力の間に結びつき(現実性の特性タグ)があるから現実と認識できると考えるべきだということになる.
  • 有意味性や現実性以外の特性タグとしては,親近性と新奇性,肯定性と否定性,聖なるもの,自己制御性と非自己制御性(自由意思と深く関わる)がある.(それぞれ詳細に議論されていて面白い)

 

第3部 指示と真理

 
第3部では意味のいくつかの特徴が掘り下げられていく.まず最初に「意味の指示機能:意味(の少なくともその一部)は世界と結びつくことができる」を取り上げる.ここは難解だ.

  • いかにして言語で表現されたものが外部世界と結びつくのか.言語使用者は知っている個物に対しそのトークン特徴を付与した概念構造をコード化する.それはすべての内容特徴と特性タグの両方が組み合わされており「指示参照ファイル」と呼ぶべきものになる.言語表現はこの支持参照ファイルに結びついていれば外部世界の何かを指示することになる.言語についてはただこれだけだが,認知的視点に立つと,問題は人が指示を行うために言語表現をどう使うかということになる.
  • 言語哲学はしばしば日常的視点に立っているために,人によって指示参照ファイルが異なる場合「『あのマティーニを飲んでいる男』が本当は水を飲んでいればどうなるのか」などの問題で身動きが取れなくなる.しかし認知的視点に立てば,話者と受け手が互いに理解するに至ったかどうかだけを考えればよいことになる.
  • メタ形而上学は,実在論「あるものは実在するのか」とデフレーション論「我々は実在をどう語るのか」の問題を分けるように発展してきているが,第3の視点認知的立場をまだ発見していない.この立場に立つと形而上学的な問いは「人の心はどのような種類の存在物を世界に登場させているか」になる.話し手は聞き手に対して代名詞を使って同じ視覚表層からあらゆる種類の解釈を引き出すことができる.これらは空間構造や概念構造にコード化され,指示参照ファイルを獲得する.(種類として物体,物体のタイプ,音,場所,動作,長さなどの例が解説される)これらは対象の存在ではなく,我々の理解に関わるものだ.

さらにジャッケンドフは,これらが対象そのものではなく対象についての絵画,お話し,話者の想像(思考)となったときの状況を解説し,画像について考えたり話したりするのと,思考について考えたり話したりするのはほぼ同じ方法によっていることを示し,思考についても指示参照ファイルがあるとする.また,我々は無生物,生物,人を異なる存在として理解し,「人には身体と魂があり(異なる存在として別々の特性タグがつきうる),社会関係,社会的役割,権利,義務,道徳的責任を持つ」と理解していることを認知的視点から見た言語の用法から解説している.さらに我々は「私という存在の重要性」「神聖という感覚」を持ち,それが日常的視点を形成し,大衆の科学への反発の底にあるのだろうとコメントしている.
 
ジャッケンドフは次に「真理」を扱う.ヒトの心は「真理には根底に何か純粋な本質がある」と考える誘惑に弱いがそれに負けるわけにはいかないのだとコメントされている.そして最初は「true(truth)」についての言語学的な分析だ.

  • 哲学者は平叙文について「true: 真」だとする用法を用いる(反対語は「false: 偽」になる).これは文が世界のあり方に対応していれば「真」だということになる.疑問文,命令文,提案,遂行文についてはこの用法で真であることはできない.平叙文であっても冗談であれば真であるという特徴付けをされない.
  • もう1つの用法は「Xについての真実」「Xについての真の原因」のような用法で,「false」が反対語にならず,隠れた意味論的要素を持ち,genuine, realで言い換え可能だ.この用法は緩やかに拡張可能で,家族的類似性を示す.
  • 第1の用法において,ある文が真かどうかはどう判定できるのか.哲学者はしばしば日常的視点に立ち「『XがYである』という文が真であるのは.XがYである場合,そしてその場合に限り真である」などという.しかしこのような理論は「現在のフランス王はハゲである」「ボストンからニューヨークまでの距離は200マイルだ」「シャーロック・ホームズは英国人だ」のような文の真偽判定には無力だ.つまり文の真偽判定には,それがどのような世界についてのことかという判断が必要なのだ.
  • 認知的視点に立つと,問題は「我々はある言明をどうやって真であると把握するようになるのか,そしてどうしてそれは不変であると感じられるようになるのか」となる.
  • 文を真あるいは偽と判断すると,文と連合している感覚(特性タグ)によって経験の中に刻印される.(ある絵についての言明がどう判断されるのかについて知覚経験,空間構造,概念構造を用いた認知メカニズムの詳しい説明がある)
  • 「真だ」「偽だ」とは異なる特性タグもある.例えば「何かおかしい」という特性タグは2つの情報源が矛盾しているときに生じる.「なじみ」「新奇」「実在」「イメージ」などもそうだ.

 

第4部 理性と直感

 
第4部では合理的思考と直感が取り扱われる.まずルイス・キャロルが「亀がアキレスに言ったこと」で提示した問題を扱う.

  • 我々はなぜ古典的三段論法を使うことができるのか.三段論法を使うためには,三段論法の論理の骨格と具体的な命題を対応させなければならない.これを知るには対応のルールが必要になる.そしてその対応のルールに従っているかどうかもそれを決めるルールが必要になる.こうして議論は無限後退する.これがキャロルの指摘した問題だ.
  • また三段論法をきちんと使うには,具体的命題が単に文の文法形式だけ三段論法に対応していてもダメで,特定の論理形式にしたがっている必要がある.これは問題が表面的な文法だけでは解決せずに,文の意味が問題になることを意味する.しかし意味は(意識から)隠れている.だからこれについて明示的な対応ルールを作るのは不可能なのだ.
  • そして我々が具体的命題が三段論法の論理形式に沿っていると判断するのは,結局「ああ,そうか」という直観的判断によって支えられている.
  • 結局いわゆる「合理的判断」という理想を実現するのは不可能だ.合理的思考として経験するものは究極的には自分の直感を基礎にするほかないからだ.合理的経験の認知的相関物は,前提と結論の発音,それらが有意味であるという感覚,結論が有効だという感覚だ.
  • 一般に合理的思考と呼ばれるものは直感的思考からなる膨大で複雑は背景なしでは生じ得ない.つまりいわゆるシステム2はシステム1と不可分なのだ.システム2とはおそらくシステム1プラス言語(といくつかの取っ手と結びついたその他の思考形式)だ.

 

  • そして我々の日常的判断のほとんどは直感的に行われている.直感的推論は(それがどのように動作しているか認識できないというだけで)決してでたらめではない.重要なことは,直観的判断力は進化の産物であり,多くの直感的方略は多くの場合かなりうまくいくということだ.
  • では合理的判断はどのように役に立つのだろうか.ポイントは発音という取っ手によって思考のそれ自体の指示参照ファイルを与えることができるというところだ.これにより,発音し終わったあとでも文は手の届くところに存在できる.それを別の形で感じたり思い出すことが可能になる.そしてそれを操作し,矛盾を感じたり,思考の背後にある理由や原因の探求を始めることができる.また文と文の関係を直観的に判断するという推論が可能になる.
  • こうした言語による操作は我々の思考にとって極めて重要だ.それは仮想世界を可能にし,さらに思考と思考の関係を考察することを可能にする.

 

  • しかし合理的判断には落とし穴もある.まず取っ手はあるかないかの離散的なものとして認知されやすいが,現実の世界は多くの場合連続的だということがある.またそれを表す語がないとその概念が認識されない可能性がある.無意味な文を作ることも可能だし,それに有意味性の「オーラ」を与えて相手を操作することも可能になる.さらに話し手は自己欺瞞的にこの操作に気づかないこともある.

 
ここでジャッケンドフはこれらのことを説明するのに室内管弦楽のメタファーを提示する.ブラームスの管弦楽の解釈を巡って楽団メンバー間で議論が行われるのだが,合理的思考の基礎に直感があること,特に共通の目的を追求するときには合理的思考が重要であること,相手への感受性,何かがおかしいという感覚の重要性が示されている.ジャッケンドフはこれらの合理的思考あるいは「クリティカルシンキング」は,言語化により取っ手を付けて記憶して操作できる能力を通じてのみ可能であり,科学もまたそうなのだと強調している.ここで芸術系の人文学の意義(それは論理的真を求めるのではなく,表層が持つ特性を楽しむところにある)にも踏み込んでいるのは面白い.そして最後に理性は言語化された直感だともう一度強調し,視点を俯瞰する視点(特定の視点に縛られないこと)の重要性を指摘して本書を終えている.
 
以上が本書のあらましになる.言語と思考について認知科学的に考え抜いてきたジャッケンドフの現在の到達点が示されているということになるのだろう.言語処理において膨大な無意識的過程があるというのは理解していたつもりだったが,意味についても無意識下に隠れていて,意識は発音と結びついた「有意味性」という取っ手しか持たないというのは衝撃的な議論だ.ジャッケンドフは言語分析,認知的な視点からの分析を駆使して,これを説得的に提示している.そしてこの「意味」は語の意味にとどまらず,文の意味(つまり思考)にも当てはまる.無意識下にある思考は様々な特性タグを通じてのみ意識されるということになる.この展開も衝撃的だ.そして最後に,しかし言語により取っ手を与えられ,文の意味を意識下で操作できることによりヒトの知性の地平線は大きく広がったのだと力強く主張されている.これは進化心理学的な「意識の報道官仮説」に対するジャッケンドフの意識の進化仮説ということなのかもしれない.認知,言語,意識,二重過程論に興味のある人には大変面白い本だと思う.


関連書籍


原書

A User's Guide to Thought and Meaning (English Edition)

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ジャッケンドフの本(邦訳のあるもの)

言語の基盤―脳・意味・文法・進化

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同原書
Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution

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心のパターン―言語の認知科学入門

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同原書
Patterns In The Mind: Language And Human Nature

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*1:どこまで薄くなったら「ハゲ」と言えるのかという例を用いている

Virtue Signaling その2


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

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第1エッセイ 政治的クジャク

 
本書では各エッセイの前にミラーの解説がある.最初のエッセイについてはこういう説明になっている.

  • 「Virtue Signaling」という言葉はどこから来たのだろうか.英国のジャーナリストのバーソロミューが2015年に使ったのがきっかけだという人もいれば,ある合理主義者のブログが2013年に使ったのがきっかけだという人もいる.
  • それ以前から「合理主義と効果的利他主義」サブカルチャーの中では信号理論が多くのイデオロジカルな行動を説明できること,そしてシグナリングが政治的議論の合理性を失わせていることが広く知られていた.
  • 私もこの言葉を使い出したのは数年前からだが,政治的な「Virtue Signaling」については1990年代の中頃から考えていた.私は1992年からロンドンにいて,ヘレナ・クローニンが主催するLSEのダーウィンセミナーに出席していた.そこに毎週通ううちに政治シンクタンクのDemosの人々と知り合った.本エッセイは彼等のDemos Quarterly Journalに進化心理学の視点からということで1996年に寄稿したものだ.この寄稿では(当時研究していた)性淘汰を広く扱うことはせずに政治的な事柄に焦点を絞った.
  • 私は自分の政治的態度を見せびらかしたりしない中道派の両親に育てられたが,コロンビア大学に進んで,多くの真逆な態度を目にすることになった.学生たちは寮の壁にポスターを貼り,バックパックにステッカーをつけ,セミナーの議論で自分の政治的態度を誇示した.しかしその政治的立場から見て実効性のある行動をとることには無関心なようだった.
  • 1985年にコロンビア大学で燃え上がったアパルトヘイト抗議行動は特に印象的だった.彼等は建物の多くの部屋を占領し,夜通しネルソン・マンデラ解放の歌を歌い続けた.
  • 10年後ロンドンで初めてこれを理解する道具を手に入れた.学生たちはオスのクジャクだったのだ.彼等は自分たちの性格的個性と道徳的な徳を見せびらかしていたのだ.

 
ここからがエッセイになる.
 

Political Peacocks. Demos Quarterly , 10 (special issue on evolutionary psychology), pp. 9-11 ( 1996)

  • 1985年にコロンビア大学で突然アパルトヘイトへの抗議行動が燃え上がった.彼等はキャンパスの多くの建物を占拠し,大学側に運用ファンドから南アフリカで経済活動を行っている企業の株式を売り払うように要求した.私はその突然性,熱意,学生間の意見の一致を不思議に思った.なぜ多くのミドルクラスの北米の白人学生が投獄されるリスクをものともせずに地球の裏側の貧しい黒人のために立ち上がったのだろう.
  • 保守派の学生新聞はこの出来事を年一の春の求愛儀式だと皮肉った.私は当時これをひどい記事だと思ったが,今では真実が含まれているのかもしれないと思うようになった.
  • 彼等の政治的な要求は通らなかった.しかし抗議行動は若い男女が仲良くなることについては非常に効果的だった.多くの場合イデオロジカルなコミットメントは薄っぺらいものだったし,抗議行動はちょうど半期の試験前には収まってしまったが,そのときに作られた男女の関係は時に何年も続いたのだ.
  • 仮説はこうだ:政治的イデオロギーの誇示行動は,クジャクの羽やナイチンゲールのさえずりのようにある種の求愛ディスプレーとして機能している.この仮説が正しいなら政治的主張は単に求愛のためだということになり,すべての政治的議論が矮小化されるリスクがあることになる.
  • これを避けるベストな方法は,政治的議論の性的な含意を無視することではなく,これを最も強力な理論つまりダーウィンの性淘汰理論で分析することだ.

 

歴史

 
ここでミラーは政治科学ジャーナルの読者向けに性淘汰理論の学説史とメスの選り好み型性淘汰の概要を説明している.このタイプの性淘汰のポイントについてミラーはこう説明している.「配偶者選択は感覚器と脳しか持たないメスの動物が自然の条件下で実行可能な最高の優生学的遺伝子スクリーニング手法なのだ」と.
またここではヒトの配偶者選択が双方向であること,女性は化粧や美しい服装でディスプレイする傾向があり,男性は本や音楽などの創作物,所有不動産などを用いる傾向があることも説明している.このあたりは初歩の進化心理学の解説にもなっている.
 

アイデア

 
ここでミラーはヒトの様々な文化的産物が,進化と切り離されて議論される傾向があることを見る.ドーキンスやデネットもヒトの進化ではなくミームの進化として文化を見ている.ミラーに言わせると,これはヒトの文化があまりにコスト高でしばしばイデオロギー執着的であるから自然淘汰産物には思われないからだろうということになる.しかし性淘汰を考慮すると風景は変わってくる.ミラーはこう自分の仮説を提示している.

  • 私の仮説はイデオロジカルな行動のペイオフの大部分は繁殖にあるというものだ.言語,文化,音楽,芸術,神話を可能にするヒトの能力は男女双方向の配偶者選択型性淘汰により作られた.これら求愛儀式のための能力による技術的な成果は予期されない副産物なのだ.
  • 言語こそイデオロジカルなディスプレイの鍵だ.言語は自然界におけるテレパシーのような奇跡だ.統語論と意味論というトリックにより複雑なアイデアを別個体の脳に伝えることができる.これにより求愛儀式のアリーナは物理的なものから概念的なものに拡大された.
  • 一旦この型の性淘汰過程が始まると,それは強い淘汰圧となり,ランナウェイする.
  • この過程の素晴らしい効果は大きな脳だ.そして問題含みな効果がイデオロジカルな能力への効果,つまりこのイデオロジカル能力が,世界を正確に捉えるよりも,より新奇で興味深く遊興的的内容へと向かう淘汰圧を受けることだ.この効果は多くのトピックに関連するが,ここでは政治的なものに焦点を絞ることにする.

 

インプリケーション

 

  • 多くの人はほとんど政治的権力を持たない.しかし強い政治的な信念を持ち,それを(正しい社会的文脈の中で)強く頻繁に大声で表現する.
  • この行動は経済学的には理解できない.私の指摘は,このような政治的イデオロジカルな主張が生みだす個人的な利益は,政治的なものではなく社会的,性的なものだということだ.
  • このアイデアは多くの謎を解決する.なぜ男性の方がより保守的で権威主義的で右派的で非共感主導的なのか.なぜ人々は中年になるとより保守的になるのか.なぜ男性の方がより政治家になるのか.なぜほとんどのイデオロジカルな革命は男性革命家に主導されたのか.
  • これらの謎は,政治的イデオロギーが政治的利益の合理的な反映だと考えると解決できない.政治経済的な観点から見ると政治的な利益はすべての人に偏りなくあるはずだ.しかし性淘汰的に考えると,特定のグループより繁殖に関心があることが理解できる.
  • 性淘汰理論からは,若い男性が繁殖行動でより積極的でリスクテイキング的であることを容易に理解できる.
  • 少し難解なのは,政治的イデオロギーのどの側面をより若い男性がディスプレイしがちであるかという問題だ.私たちの学生を用いた調査によると,彼等は互いにその政治的イデオロギーをパーソナリティのプロキシーとして利用している.保守派は野心を持ち利己的で配偶相手を保護してリソースを供給することに優れると受け取られ,リベラルはやさしく共感的で子育てや関係維持に優れると受け取られる.
  • 配偶選択における性差を考えると,男性が保守派を,女性がリベラルをよりディスプレイしがちであることは驚くべきことではなくなる.男性は(無意識に)社会的経済的優位性をアピールし,女性は(やはり無意識に)子育て能力をアピールしているのだ.中年になってより保守派になるのは増加した社会的な優位性が反映するためだ.
  • より微妙なのは,配偶選択が社会的なゲームであるために,政治的イデオロギーも何らかの最適値に向かうのではなく,ゲーム理論の不安定な均衡ダイナミクスの中で進化することだ.
  • これがある大学の学生の大半があるとき突然イデオロジカルになることを説明する.求愛アリーナは気まぐれにある政治イッシューから別の政治イッシューに移り変わる.しかし一定数以上の学生がアパルトヘイトに反対するかどうかがその心が適正かどうかのリトマス試験紙になると考えるようになると,誰もがアパルトヘイトに反対するしかなくなるのだ.これは生物学的には頻度依存型淘汰と呼ばれる.
  • 多くの人が政治的意見を世界をよくする合理的な方法提示ではなくパーソナリティを誇示する求愛ディスプレイと受け取るのであれば,政治アナリストはどうすればいいのだろう,
  • 実践的な解決はヒトの心の進化の説明を受け入れた上で分析することだろう.ヒトは政治的意見について,まず強大な脳を持ちアイデアに取り憑かれたハイパー霊長類として反応する.そしてそれから二次的に現代社会の市民として反応するのだ.
  • この見方は世論調査員や扇動政治家やスピーチライターを驚かすことはないだろう.彼等は人々のイデオロギーへの渇望を飯の種にしているのだから.しかし社会科学者は(もっと合理主義的に考えていただろうから)驚くだろう.
  • 幸運なことに性淘汰は我々の心を形作る唯一の力ではない.血縁淘汰や互恵利他主義などは政治的合理性への本能に効いているだろう.性淘汰なしに私たちはこのようなカラフルなイデオロジカルな動物にはならなかっただろう.しかしその他の社会淘汰の力なしにはこの性的に変幻自在なイデオロギーを現実とすり合わせることもできないのだ.

 
ちょうど「The Mating Mind」を書いている頃に書かれた論文で,ヒトの特徴の多くを性淘汰から説明しようとするミラーの姿勢が良く出ている.ヒトの性淘汰がパーソナリティディスプレイに向かうだろうという議論もこの頃から考えていたこともわかる.そして性淘汰産物であることの検証のキーは性差にあるが,ここで双方向淘汰による微妙な問題が生じることが理解を難しくしていることも論じられている.
 
ここで問題になっているのは80年代のアメリカ東海岸のキャンパスの状況だが,日本とは随分状況が異なっている.70年代の全共闘世代の学生運動が男女のあいだをとりもったのかどうか私にはよくわからないが,80年代以降は政治活動に熱心なことがキャンパスで広く求愛ディスプレイとして機能していたようには思えない.(むしろそういう男性は普通の女子学生から引かれる方が多いのではないだろうか)これも移り気な性淘汰装飾の特徴をよく示しているということかもしれない.
 
このミラーの広範囲なヒトの特徴を性淘汰から説明しようとする議論はいかにも大風呂敷的だが,しかしじっくり考えるとその説得力の高さに唖然とせざるを得ないところがある.それは最初に「The Mating Mind」を読んだときに強く感じたことだが,今このエッセイを読んでみて改めてそう感じてしまう.
言語は嘘を簡単につけるまさにチープトークの道具だが,評価軸を内容の正確性から,内容の新奇性,途方もなさ,想像力に移すと,その持ち主の脳の能力についての正直な信号となるのかもしれない.なかなかスリリングだ.
 

Virtue Signaling その1


 

本書は「The Mating Mind(邦訳:恋人選びの心)」「Spent(邦訳:消費資本主義!)」「Mate」などで有名な進化心理学者ジェフリー・ミラーによるエッセイ集.Virtue Signalingに関する様々な自身のコラムや論文が年代別にまとめられているものだ.
「Virtue Signalling」というのは割と最近アメリカのSNSや政治周りで使われるようになった用語で,「自分がいかに道徳的に優れているかの(時に空虚あるいは偽善的な)ディスプレイ」を指す.フェイスブックにいかに自分が環境に気をつけているか書き込むことや,アイスバケツチャレンジのようなものが典型的だが,政治的には2016年の大統領選で,互いの非難キャンペーンに用いられてからかなり使われるようになった言葉なのだそうだ.

ジェフリー・ミラーは(そういう用語こそ使っていなかったが)このような現象について,道徳の性淘汰の枠組みで遙か以前からいろいろ考察していて,それを今回一冊の本にしてまとめたということになる.

Preface 序言

序言はこう始まっている.

  • 私たちはみな「Virtue Signaling(道徳的徳についてのシグナル)」をする.私もするし,あなたもするのだ.そして特にあいつら,つまり自分が気に入らない政治的部族は「Virtue Signaling」をする(もちろん相手も同じように思っている)
  • そうじゃない振りをするのはやめよう.私たちはみなヒトであり,ヒトは自分のモラル的徳.倫理原則,宗教的信念,政治態度,ライフスタイルの趣味の良さを他人に見せびらかすのが大好きなのだ.

 
そして「Virtue Signaling」に関する自分の人生を振り返っている.ここはミラーの自伝的なコメントとしても興味深い.

  • 「Virtue Signaling」という言葉は2016年の大統領選挙以降広く用いられるようになった.しかし「Virtue Signaling」はヒトの道徳の起源,つまり何百万年前からあるものだ.そして私は高校生の頃から「Virtue Signaling」に愛と憎しみを抱いてきた.
  • 私は政治的に早熟だった.両親は食卓でよく政治の話をした.父はコロンビア大学で西洋文明の古典を学んでおり,軍事史と資本主義と共産主義のコンフリクトに強い興味を持っていた.母は地元の女性投票リーグを運営し,政治ディベートを主催し,投票登録推進運動を進めるような人だった.両親ともプラグマティックで中道派だった.そしてすべてのアメリカ人には情報に基づいた合理的な投票の義務があると信じていた.彼等にとって政治的な問題は(シグナリングするのではなく)リサーチして議論するものだった.
  • 両親は車に政治的なバンパーステッカーを貼ったりしなかった.サンクスギビングのテーブルで大勢のいとこたちがいるようなところで政治の話はしなかった.ソーシャルメディアはなかった.しかし静かにゾーニング規制の改善やランドマークの保存に取り組んだ.彼等の意見は時に食い違ったが,共通の価値観にしたがって協力した.多くの点で彼等は「Virtue Signaling」なしの効果的で規律を持つ市民のロールモデルだったのだ.
  • このような背景で育った私は80年代の後半に高校に進学し,そこで「Virtue Signaling」を目撃してショックを受けた.
  • 私は5年生までに多くのSFを読み,あり得べき将来を夢見た.そして高校に入るまでに「自由は良いことだ」「核戦争を防ぐのは重要だ」という2つの政治的信念を持つようになった.
  • 自由に関する信念から私は「自由のための若いアメリカ人」という組織に加入し,学校新聞に自由に関する記事を寄稿するようになった.私は内向的なオタクだったが,この活動は快かった.
  • 核戦争に関する信念を持った私はそのころの大人たちに絶望した.彼等は目の前の脅威から目をそらし,流行の政治テーマを追いかけていた.高校2年になる頃にはこの国は何もわかっていない大人たちに牛耳られていると考えるようになった.当時まだ「Virtue Signaling」という言葉はなかったが,あったら使いまくっていただろう.
  • コロンビア大学に進むと,周りの「Virtue Signaling」はさらに強度を増した.
  • 時はレーガンが再選された頃だ.私はレーガンが核戦争の引き金を決して引かないということについて信用していなかった.彼の地滑り的な勝利はアメリカはこれから性差別的父権的ファシズム的国家になりソ連と戦争する道を歩むように感じられた(これはちょうど今のトランプ政権についての感覚に似ている)学生寮は中絶の権利,ゲイの権利,グリーンピース,チェ・ゲバラ礼賛のポスターにあふれていた.当時の学生寮にも保守派的信念を持つ学生は多くいたはずだが保守派のディスプレーはどこにもなかった.私はフリースピーチとフリーマーケットを礼賛するリバタリアン的な意見を吐く唯一の学生だった.
  • コロンビアのコアカリキュラムには西洋文明の基礎についての素晴らしいコースがあった.心理学を専攻してからは政治的行動の認知的社会的基礎も学んだ.
  • スタンフォードの院に進み,デートした女性たちから「Virtue Signaling」の心理を深く教わることになった.そして「恥知らずのダーウィニアン」であることは社会的,性的なハンディキャップであることを知った.いくら女性の権利を擁護しようともダーウィニアンであることの前には何に効果もなかった.リバタリアン的な意見は反動的保守の意見だとされた.彼女たちは進化的な理由付けに生理的な嫌悪感をあらわにし,進化心理学は道徳的にナチの優生学と同じだと決めつけた.ブランクスレートドグマを否定すれば私の政治的意見は無視された.同じ政治的部族に属しているという「Virtue Signaling」に失敗すれば,間違った部族にいると見做されるのだ.
  • それ以降私は「Virtue Signaling」の刻印ともいえる道徳的偽善に魅せられるようになった.人々は情熱的にある意見を表明するが,現実に特に気にせずにそれに反する行動をとる.
  • 偽善は悪いことだから偽善シグナルはまずいはずだ.しかし本当にそうなのか.私の理解は信号理論を知ることによって複雑になった.院では性淘汰と性シグナルを学んだ.動物行動においては適応度シグナルは重要だ.そしてシグナルは性淘汰装飾だけではない.
  • 1996年,私は当時の進化ゲーム理論の中心地の1つであるロンドンのUCLでリサーチを始めた.そこでウェブレンの顕示的消費,マイケル・スペンスの知性シグナルとしての学歴の議論,そしてザハヴィのハンディキャップ理論を知る.「Virtue Signaling」を理解するための知的ツールがそろい始めたのだ.
  • シグナルにはいわゆる「チープトーク」とコストのかかる正直な信号がある.SNSでチープトークに信頼性を与えるように働く主な圧力は非難と村八分への恐れだ.「Make America Great Again」と書いた帽子をかぶるのに大したコストは不要だが,それは友情を失わせるかもしれないのだ.コストのかかるシグナルには何ヶ月もボランティアを続ける,莫大な寄付をするなどがある.
  • 「 The Mating Mind」を書きながら,チープトークとコストのある信号の違いについてよく考えた.子育てや家事への努力自体長期パートナーに対する正直なシグナルになる.学会の事務局で皆と協力して熱心で丁寧な仕事をするのも,社会性や開放性のシグナルになる.
  • さらに「効果的利他主義運動」に参加して,信頼できる「Virtue Signaling」の利益を知ることになる.私は信頼できる「Virtue Signaling」を行う効果的利他主義者と恋に落ちた.

 
そして本書への導入としてこうコメントがある.

  • 「Virtue Signaling」はヒトの本能の最良の部分と最悪の部分を併せ持つものだ.
  • 最良というのは,「Virtue Signaling」はヒトの道徳の最良の基礎になるからだ.それなしでは利他主義の進化は非常に困難だが,その困難を飛び越えるように働くのだ.
  • 最悪というのは,それは政治的分断を悪化させるからだ.それは人々を検閲,魔女狩り,村八分に駆り立てる.
  • 「Virtue Signaling」が科学への好奇心,価値と視点についてのオープンな心,優先順位についての合理性,手段と目的についての戦略的な手腕と組み合わされれば素晴らしいことが起こる.しかしそうでなければロベスピエール的恐怖政治につながりかねないのだ.

そして本書の構成について説明がある.本書は7つのエッセイからなっていて,それぞれ1996年から2018年にかけて様々な場所で発表されたものになる.長さもまちまちだが,すべて「Virtue Signaling」がテーマになっているものだ.ミラーは最後にこうコメントしている.
 

  • 私たちの子孫が火星に,そして星々に広がったとき,どうか彼等が長寿を楽しみ,繁栄しますように.そして私たちがここまでやってきたやりかたより,より自覚的に,より合理的に,より相互理解の元に「Virtue Signaling」をしますように.

 
 
ミラーの本


ヒトの様々な特徴が性淘汰産物として理解できることを説得的に論じた本.私が初めて読んだのは2001年頃だが,まさに目からウロコだった.


同邦訳


進化心理学的視点から見たマーケティングについて,そしてそれが個人差のディスプレイであると考えるとうまく理解できることについての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967


同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384



男性オタクのためのもてるためのハウツーが詰まった実践的進化心理学応用本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180101/1514810891

日本鳥学会2019 公開シンポジウム「ペンギンを通して学ぶ生物の環境適応と生物多様性保全」

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今年の日本鳥学会は東京開催で,最終日(9月16日)にペンギンに関する公開シンポジウムがあると聞いて参加してきた.場所は北千住にある東京芸術センターの21階にある天空劇場.当日は小雨降る天気だったが,見晴らしの良いロビーの奥にあるあるなかなかゴージャスな会場だ.
 
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osj2019.ornithology.jp
 

趣旨説明:生物の環境適応と生物多様性保全 森貴久

最初の2講演が環境に対するペンギンの適応について,あとの2講演が環境が変わったことによりペンギンにどういう影響があるかについてのもので,最後に合わせて保全について考えたいという趣旨説明だった.なぜペンギンかについては,鳥類が冷たい海で飛行を捨てて生活しているので,強い適応への圧力があり,環境変化の影響が予測しやすいということ,そして人気者であり,学ぶのにいいという理由を挙げていた.
 

ペンギンと地球の6600万年史 安藤達郎

地球環境の変化に沿ったペンギンの進化史の講演.時代に沿って4つのテーマから解説された.

<ペンギンの誕生>

  • 最古の化石はニュージーランドから出た6000万年前のワイヌマペンギン.既に飛行能力を失っている.分子的にはオオミズナギドリとの分岐が白亜紀後期とされており,白亜紀後期から6000万年前のどこかでペンギンが誕生したことになる.
  • 適応段階としては(A)空を飛ぶ海鳥(B)潜水して採餌するようになる(C)飛行能力を失うという段階を踏んだと思われる.Cの飛行能力の喪失が真のペンギンの誕生と考えていいだろう.
  • それが生じたと考えられる地球史のイベントとしては白亜紀末の大量絶滅がある.ここで大型の海棲爬虫類が絶滅し,多くの大型のサメも絶滅している.これにより捕食圧,採餌を巡る競争圧力共に減少し,空を飛ぶ必要がなくなり,体重を増加させられるようになったのではないかと考えられる.

<ジャイアントペンギンの時代>

  • ここでペンギンは大型化する.化石が,最大のジャイアントペンギン(パラエエウディプテス・クレコウスキ,体長2メートル,115キロ),最古のジャイアントペンギン(クミマヌ・ビカイエ,体長1.7メートル,100キロ)などいろいろでていて,このジャイアントペンギンの時代はペンギン誕生の直後に始まり4000万年ほど続いたことがわかっている.その当時の地球気候は今より10℃ぐらい温暖だった.
  • ではこのペンギンの最大サイズを2メートルに制限していた要因は何か.競合生物との関係か,生理的な制限か,これは未解決だ.
  • ジャイアントペンギンは大いに栄えて分布域を広げ,多様化した.クチバシは現生ペンギンより細長く,採餌戦略が異なっていたことを示唆している.オキアミではなく魚類などを主に食べていたようだ.インカヤクの化石では羽毛の色がわかり,背中側が灰色,腹側が赤茶だったことがわかっている.また冷水への適応としての翼の対交流熱交換の仕組みもこの頃獲得したようだ.

 
<海洋環境の大変動とジャイアントペンギン時代の終焉>

  • ジャイアントペンギンの時代の温暖な海水温の時代は,漸新世の末期(3400万年前)に大陸移動により南極大陸が孤立し,南極海流が発生したことで海洋循環が大きく変化し,現代型の深層大循環が成立したことにより終わりを迎えた.これはグリーンハウスからアイスハウスへの変化と呼ばれる.
  • ペンギンにとっては深層まで海流が循環し栄養塩が舞い上がるようになって餌が変化したと思われる.ここでジャイアントペンギンは姿を消し,ムカシクジラも絶滅している.
  • この時期ペンギンは多様性を減少させ,ムカシクジラに取って代わったハクジラ類は多様性を大きく上昇させた.これは餌を巡る共同ではクジラ類に劣後したことを示している.

 
<現生ペンギンの出現>

  • 現生ペンギンの最古の化石は900万年前のものだ.化石と組み合わせた遺伝子の分析では分岐は1300万年前頃だと推定されている.
  • 南極半島周辺はペンギンの肥沃な三日月地帯と呼ばれていて,現生ペンギン類の起源地だと思われる.
  • アデリーペンギン属,コウテイペンギン属はそこから南極大陸の周辺域に分布を持ち,イワトビペンギン属とキガシラペンギン属は南極海周辺の小島に,そしてフンボルトペンギン属が南米大陸,アフリカ大陸に分布を移し,さらにそこからコガタペンギン属がオーストラリアへ移ったと思われる.
  • 中新世の中頃に鰭脚類が北半球から南半球に分布を広げてきて,ペンギンと餌と繁殖地を巡る競争関係に入った.ペンギンはより小型の餌に特化し,オキアミを主に食べるようになったと思われる.

 
ジャイアントペンギンがかつて存在していたという話は聞いていたが,こうやって進化史を解説されると大変楽しい.充実した講演だった.
 

水中環境に適応したペンギンの行動・形態的特徴 佐藤克文

 
水中生物のバイオロギングの第一人者佐藤克文による講演.

  • 日本の水中生物のバイオロギングの歴史は内藤によるキタゾウアザラシの潜水記録に始まる.アザラシの潜水時間は平均20分,最長62分,最新1250メートルなどがわかった.
  • 私はそれに続き,アオウミガメ,マンボウ,イタチザメ,ペンギンなどを調べてきた.
  • 最初に気づいたのは彼等の遊泳は必ずしも採餌行動と一致していないということだった.
  • これに関連して,いつも泳ぐのより,最初は重力で沈降し,浮かび上がるときにだけ遊泳した方がエネルギー節約的だという説があり,鳥の間欠羽ばたき飛行との収斂だというリサーチも出て,支持者が多かった.
  • しかしそれは納得できない.水平に移動するよりわざわざ坂道を下ってから,登る方がエネルギー節約的なはずがないではないか.
  • ということで調べてみた.アザラシに浮きや重りを付けて遊泳させてロギングする.わかったことは彼等は浮力があるとき,重りがあるとき,中性浮力の時に泳ぎ方を変えるということだ.そして中性浮力が最もエネルギー節約的であることもわかった.実際にアザラシは潜る直前に息を吐き出して中性浮力にする.
  • するとここでパズルが生じる.ペンギンの泳ぎを解析すると餌取りに潜ったあと最後は羽ばたかずに浮力を用いて上昇している.そして実はペンギンは潜る直前に息は吸い込んでいるようなのだ.なぜペンギンはエネルギーロスになるようなことをするのだろうか.
  • どのように身体に酸素を貯めているかを調べると,哺乳類は血液や筋肉にため込み肺には貯めないのに対して,ペンギンはかなりの部分を肺に貯めている.
  • これを説明するために,遊泳のエネルギーコストに,生理的な代謝コストを合わせて考察してみた.すると遊泳コストは確かに息を吸い込んだ方が上がるが,息を吸わずに潜ると一定以上の潜水を行うには不足することがわかった.この代謝エネルギー不足は身体の大きさに大きく依存する.ペンギンは海棲哺乳類に比べて小さいので,深く潜るためにはエネルギー的ロスを負っても息を吸う必要があるということだ.これは貧乏人は何かするには利息を払っても借金せざるを得ないことに似ている.

 
ストーリーが明確で楽しい講演だった.
 
佐藤によるバイオロギング本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20071117/1195289971https://shorebird.hatenablog.com/entry/20110326/1301100541

ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ―ハイテク海洋動物学への招待 (光文社新書)

ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ―ハイテク海洋動物学への招待 (光文社新書)

巨大翼竜は飛べたのか?スケールと行動の動物学 (平凡社新書)

巨大翼竜は飛べたのか?スケールと行動の動物学 (平凡社新書)

 
ここで一旦休憩.当日資料としてこのペンギン特集が掲載された「遺伝」が配られた.なかなか素晴らしい.

 

気候変動がペンギンに与える影響 高橋晃周


気候変動がペンギンに与える影響を,ペンギン類全体についてとアデリーペンギンについて解説する講演.

  • 現在までペンギン18種のうち13種で気候変動の影響が観測されている.(残りも深くリサーチされていないだけで影響はあると思われる)
  • 直接的には気温変化によるストレス,雨風による衰弱,海氷減少による営巣地の減少などがある.間接的には餌不足がある.直接的影響はそれぞれ3種,3種,2種で生じていることが報告され,間接的影響は13種の報告がある.(それぞれ個別の例が解説される)

 

  • アデリーペンギンは南極大陸周縁部に生息し,379万つがいが生息していると推定されている.そして世界各国の南極基地がこれを観測している.
  • 南極半島周辺では50年間に気温が2.7度上昇しており(地球平均の倍),パーマー基地ではアデリーペンギンが80%減少したことが観測されている.これは海氷の張り出しが減少し,氷の裏につくアイスアルジーが減少してオキアミの生産量が下がったことに由来すると考えられる.
  • しかし南極の東海岸では逆に個体数が増加し,南極半島の減少を補っている.ここでは50年間で気温があまり変化していない.海氷の張り出しは減少しているが,個体数との相関は半島とは逆で,むしろ海氷が少ない方が,潜れる場所が増えるということがあるからだと思われる.
  • 影響には未解決の問題が多い.

 
アデリーペンギンの個別の話はなかなか面白かった.いろいろ一筋縄ではいかないようだ.
 

人為活動がペンギンに与える影響 山本誉士

 

  • 現在ペンギン18種のうち11種が絶滅危惧種,2種が準絶滅危惧種になっている.これには人為的な影響が大きい.
  • 繁殖地での人為的攪乱:人がそばにいると心拍数が上がる.家畜の持ち込みにより草がなくなり営巣地として不適になったり,イヌやネコによる捕食の問題が生じる
  • 漁業活動による影響:漁網漁具による損傷,乱獲による餌減少がある.
  • 性比の歪みによる影響:ケープペンギンはオスとメスで餌場が異なり,片方に負荷がかかるとモノガミー種なので,全体数の減少以上の影響が出る.
  • 不適応行動の誘発:進化適応した環境が変化することにより適応行動が不適応になる.ケープペンギンは西側の採餌場所の餌条件が悪くなり成鳥は東側に移動しているが,若鳥は遺伝プログラムにしたがって西側に行ってしまうという報告がある.
  • ペンギンが絶滅したら何が起こるのだろう.それはあとのパネルディスカッションで議論して欲しい.

 
いろいろなことが悪影響を与えていることがわかる.ケープペンギンの話はいろいろ面白かった.
 

総合討論

 
まずフロアから質問に答える.さすがに鳥学会の公開シンポジウムだけあって深い質問が多かった

Q:ジャイアントペンギンが多様化したということだったが,現生ペンギンと比べてどうなのか

A:全部が化石になるわけではないので正確には比べようがない.分布の大きさ,最大サイズなどから今より多様性が高かったと思われる.
 
Q:グリーンハウス時期になぜペンギンは北半球に広がれなかったのか

A:分布域はその海域の生産性により決まる.グリーンハウス時期には今より低緯度でペンギンが生息できたが,それでもどこかに低生産性のバリアがあったのだろうと思われる.
 
Q:羽毛の中にも空気がため込めると思われるがどうか

A:羽毛の空気も調べた.潜水開始後大体3分で泡が出なくなるので,ほとんどなくなると思われる.若干残っていたとしても基本的な結論は動かない.
 
Q:ペンギンは空気が血液に溶け込む潜水病の問題をどう解決しているのか

A:実はアザラシが空気を吐いてから潜水するのは血液に窒素が溶け込む潜水病にならないための適応的行動だと実に美しく説明されていた.しかしペンギンが息を吸い込むことがわかって,これは再考を迫られている.実際にペンギンがどうやって潜水病の問題を生理的に解決しているかについてはわかっていない.
 
Q:気嚢の存在は議論に影響しないのか

A:ペンギンにも気嚢はある.気嚢の中の酸素を調べたこともある.潜水中にどんどん下がっていってエネルギー生産に使われていることがわかった.(肺と気嚢をセットで考えると)あまり議論には影響しないと思う.とはいえよく考察してみたい.
 
Q:ケープペンギンの幼鳥が西に向かうのは遺伝的行動だということだが,エビデンスはあるのか

A:これは基本的に幼鳥の渡り行動と同じ議論.親と一緒に渡る鳥は学習かもしれない.しかし巣立ち後親と離れて独自に渡るのは遺伝的プログラムと考えられる.新潟のオオミズナギドリは太平洋に出るために親鳥は津軽海峡に回るのに対して,幼鳥は本州の山脈を越えてまっすぐ南に向かう.南に向かう遺伝的プログタムがあると考えられている.ケープペンギンもそういう意味で遺伝的と考えられる.ただし確かめる必要はある.
 
ここでコメンテイターで日本ペンギン会議の上田一生から報告
 

  • 今年2019年に3年ごとに開かれる国際ペンギン会議が開かれた.年々参加者が増えており,400人規模になっている.
  • ケープペンギンとアデリーペンギンで鳥インフル感染死が報告された.
  • 講演にあったようにケープペンギンは営巣地を東に移そうとしているように見える.しかし東側には(西にはいない)ヒヒ,ヒョウ,ハイエナが生息し,この捕食圧がどう影響を与えるかが注目されている.
  • ジェンツーペンギンは水中で鳴き声を出していることがわかった.意味については解析中.

 
総合討議として「ペンギンがいなくなったらどうなるか」がお題として与えられて,各講演者がコメント
 
森:生態系としては誰かが取って代わるだろう.水鳥はそこまで特殊化していないので海棲哺乳類になるのではないか.保全に関していうと,保護区が設定されているが,ペンギンの場合採餌場所は保護区外になる.その場合保護の効果がうまく出ないことがある.
 
安藤:誰が取って代わるかだが,翼は水中遊泳にすぐ用いることができる.鳥も候補に入れていいと思う.保全については,生態系のネットワークから考えるべきだと思っている.
 
高橋:ペンギンは営巣場に糞をすることにより,陸上生態系にも影響を与えている.絶滅するとそこに影響するだろう.保全についていえば,極地域のペンギンは温暖化の影響を受けつつもしぶとく残ると思う.それ以外のペンギンは危ない.人為的影響をできるだけ抑えることが重要だと思う.
 
上田:最後に国際ペンギン会議のロイド・デービスの言葉を紹介したい.それは「ペンギンは地球にとっての探鉱のカナリアだ」というものだ.海洋,地球全体の環境変化を我々に教えてくれる.保全してその動向を見守ることは人類の存続にとっても重要だと思う.

最後に討議についてフロアのコメントを求める

コメント1:ペンギンが絶滅すると,餌としているヒョウアザラシやシャチに影響が出るのではないか
 
コメント2:「日本のライチョウは温暖化の影響により2050年で消滅するだろう」というような予測がペンギンにはあるのか

A:ペンギンはライチョウと違って海を移動できるので,そういう単純な絶滅予測はない.コウテイペンギンについて2100年で4割の繁殖地が失われるだろうという予測はある.
 
コメント3:ペンギンがいなくなると研究者が困る.そして寂しくなる.観光資源として利用されているのでそういう影響もある.特殊な進化適応をしている生物として是非存続して欲しい.

A(兼締めのコメント):19世紀に北半球のペンギンとよばれることもあるオオウミガラスが絶滅した.之が今日の保全活動の始まる1つのきっかけにもなっている.今回のシンポジウムがそういう議論につながることを期待したい.
 
 
以上が公開シンポジウムのあらましだ.2時間半ペンギン漬けになることができ,大変楽しかった.
 
 
これは講演会後北千住で食したチャーシュー丼
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書評 「恐竜の教科書」


本書は2016年に出版された恐竜本「Dinosaurs: How They Lived and Evolved」の邦訳.著者も監訳者のばりばりの恐竜研究者で,「教科書」と名打つのにふさわしい本だ.これまでの恐竜の教科書的な本としては原著2012年邦訳2015年の「恐竜学入門」があったが,本書は2012年以降の研究の進展が反映されていて,より最新の知見*1に触れることができる.また「恐竜学入門」はやや系統樹と分岐学にこだわった内容だったが,本書はよりバランスが取れた総説本といっていいだろう.
 

第1章 歴史,起源,そして恐竜の世界

 
第1章では恐竜研究の歴史と恐竜の起源が扱われる.ここではまず恐竜とは何かが扱われ,その中で鳥類は恐竜そのものであり,恐竜はなお1万種現存するということが強調されている.(このため本書においては「恐竜」という表記は鳥類を含む意味となり,鳥類ではない恐竜を指す場合には「非鳥類型恐竜」と表記されている)
つづいて学名,系統樹,地質時代,研究手法(ブラケッティング法)を解説するコラムをはさみながら恐竜発見,恐竜研究の歴史が概説されている.オーウェンによる命名,北米恐竜発掘黄金期,恐竜ルネサンスを経て現代の恐竜研究の様相が描かれている.近時発掘と記載数が大きく上昇中であり,軟組織の化石の報告も増えている.
ここから恐竜がいた中生代の環境(大陸移動,気候),恐竜の起源(翼竜との分岐で恐竜側にあり,なお恐竜とは認められないラゲルペトン,マスケラス,シレサウルスなどについて詳しい),中生代初期のワニ系統主竜類との競争(なぜ恐竜が陸上で優勢になったのかはなお明らかではない)などが扱われている.
 

第2章 恐竜の系統樹

 
ここでの最初の問題は鳥盤類,獣脚類,竜脚類の系統関係だ.長らく獣脚類と竜脚類を竜盤類として括る分類(鳥盤類(獣脚類・竜脚類))が主流だったが,2017年に鳥盤類と獣脚類の方が近縁だ((鳥盤類・獣脚類)竜脚類))という新説が提示されて論争になっていることが解説されている.現在では(((鳥盤類・竜脚類)獣脚類))という説も提示されて争われているそうだ.
ここから獣脚類,竜脚類,鳥盤類という伝統的な順序で系統樹を示しながら代表的な恐竜が解説されている.
以降私的に新知見だった記述を紹介する形のレビューとしたい.

  • マニラプトル類の中の1グループであるカンソリオプテリクスは長い前肢の指の間に皮膜を持っていたことがわかった.前肢に羽毛を持つグループに属していながら皮膜を進化させて滑空していたらしい.
  • かつて古竜脚類とまとめられていたグループには竜脚類との近縁性が様々なものが含まれており,単一クレードではないことが明らかになった,現在この名称は使われなくなりつつある.
  • ディプロドクス上科の恐竜としては,ディプロドクス,アパトサウルス,ブロントサウルスが挙げられている.(ブロントサウルスの復活.2015年にアパトサウルス属と別属としてブロントサウルス属を認める論文が出されて,本書ではそれにしたがっているということらしい)
  • 竜脚類は主にジュラ紀の恐竜であり,白亜紀には一部の例外を除いて絶滅していたとされていたが,今日これは誤りで竜脚類は白亜紀を通じて多くの大陸で支配的な存在であったことがわかっている.

 

第3章 恐竜の解剖学

 
第3章では恐竜の身体的特徴が扱われる.全体的骨格,腕,腰と後脚,動きと機能,骨の連結と姿勢.顕微鏡的特徴,体重推定,筋肉,呼吸と気嚢システム,消化器系,外見,羽毛などの解説がなされている.

  • 竜脚類の首がほぼ水平にまっすぐで可動性がなかったという見解は(骨だけを見て)頸椎の関節面でごく小さな動きしかできなかったという考えに基づいている.しかし軟組織(特に軟骨円盤)を考慮した復元を元に考えると幅広い動きが可能だったと考えるべきだ.
  • 骨の切断面の顕微鏡的観察によると,巨大恐竜でも40年~50年を超えて生きることはほとんどなかったようだ.
  • 恐竜の体重推定は軟組織の総量をどう推定するかによって大きく異なってくる.
  • 体骨格の含気性(気嚢システムを推定させる)は翼竜にあり,マラスクスと鳥盤類にはなく,獣脚類にあり,竜脚形類では最初期のものと後期のものにある.また最初期の獣脚類や竜脚形類の気嚢システムは貧弱なものだった.気嚢システムの進化(あるいは消失)過程はまだ解明されていないが複雑だったようだ.
  • 竜脚類は(気嚢システムなどにより)体内に大量の空気を含んでいたことがわかってきた.これにより非常に浮きやすくなっており,水深が深いところでは非常に不安定だったと思われる.
  • 保存状態の良いスキピオニクスの化石の1つでは腸が良好に保存されており,表面の細かいひだや顕微鏡的な特徴もいろいろ観察できる.
  • 恐竜ルネサンス以降,恐竜について軽量で細身の外観の復元が流行になった.筋肉質でスリムな外観はある意味正しいが,たるんだ皮膚や脂肪などの軟組織の可能性を無視しており,「シュリンク包装」復元とも呼ばれる.最近はデジタルモデリングや新しい化石の基づいたよりリアルな復元をめざす動きも出てきている.
  • 恐竜の顔について,頬を覆う筋肉があった可能性は小さいが,顎の縁に肉厚の唇や頬があった可能性は高い.ウィトマーは現生カメ類ワニ類の鼻孔の構造と化石に残る血管のあとに基づいて,恐竜の鼻孔についてこれまでの復元より口に近い部分に鼻孔開口部があったと主張している.
  • 角竜に角質のクチバシがあったことはよく知られているが,角質が顎の後方まで覆っていたかクチバシの後方に頬があったのかは明らかではない.

 

第4章 恐竜の生態と行動

 
第4章は生態と行動.食性と採餌行動,歯の摩耗,獣脚類恐竜の前肢の使い道,消化器系の中身と糞石,歩行と走行,水中移動,生理機能(内温性),繁殖,子育て,性差,成長,群集が扱われている.

  • ティラノサウルウス類の歯は獣脚類の中でも格段に大きい.骨を突き破るのに適していたようだ.
  • デイノニクスの有名な鉤爪は長らく獲物の腹をえぐる武器だと考えられてきた.しかし実際にはこの鉤爪で獲物の腹を切り裂くのは難しく,獲物の恐竜にも簡単に切り裂くことが可能な部分はほとんどない.現生の猛禽類やフクロウと同じく,獲物を地面に押さえつけるために使っていた可能性が高い.
  • 建築物や航空機の構造解析に用いられてきた有限要素解析法が恐竜の頭蓋骨の構造解析に応用され,恐竜の採餌行動の理解が進んでいる.例えばバリオニクスの鼻面に沿って応力が伝達される様子はガビアルに似ており,スピノサウルス類が魚食だったという説を支持している.またティラノサウルス類の頭骨は大きな応力に耐えられることを示しており,骨を砕いていたという説を支持している.
  • ミクロラプトル類の復元模型の風洞実験で,滑空は可能だが滑空距離は短いということが示された.彼等は枝から枝へ滑空可能だったが,陸上生活を基本とする捕食獣であったようだ.

 

第5章 鳥類の起源

 
鳥類は恐竜なのだから,当然ながら恐竜の解説本でも主要なテーマとなるにふさわしい.ここではオストラム以降の鳥類=恐竜説の進展,恐竜の1グループとしてみた場合の鳥類の特徴,飛行の起源,いくつかの古代の鳥類の解説が置かれている.

  • アーケオプテリクスなどの初期恐竜は骨化した胸骨を欠いており,強力な羽ばたきはできず,おそらく飛行そのものができなかったと考えられる.また現生鳥類の骨化した胸骨はマニラプトル類の胸骨が起源ではなく,独立に進化したものだと考えられる.アーケオプテリクスはおそらくほとんどの時間を地面で過ごしていたのだろう.
  • 白亜紀のエナンティオニス類の鳥類化石では成長過程の卵細胞に見える組織が保存されているが,身体の片方にしか見られない.これは2本の卵管のうち1本のみを使用するという特徴が鳥類史の初期に進化したことを示唆している.
  • 飛行の起源にはいくつかの説(滑空,地上での高速助走,翼アシスト跳躍など)があるが,結論は出ていない.最近注目を集めているのは翼アシスト傾斜走行(WAIR)説だ.

 

第6章 大量絶滅とその後

 
第6章では大量絶滅説を扱う.著者たちは隕石衝突の単一原因説には与せずに,それ以前から火山活動による気候変動で衰退していたという複合要因シナリオ説に沿って解説を行っている.そして生き残った恐竜たちとして新生代以降の鳥類史と現生鳥類の多様性が解説されている.
 
以上が本書のあらましになる.勘所を押さえた端正な解説書で,わかりやすいイラストも多数掲載されている.何より最新の知見がバランス良く採り上げられており嬉しい.恐竜ファンとしてはとりあえず押さえておきたい一冊だろう.
 
 
関連書籍

原書

Dinosaurs: How they lived and evolved

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より詳しい教科書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150820/1440029130

 
同原書

Dinosaurs: A Concise Natural History

Dinosaurs: A Concise Natural History


シュリンク包装復元図に疑問を呈している古生物アート本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171121/1511266243

*1:中には2017年のものもある.本書は2016年出版だが2018年のペーパーバック版に際して改訂があったのかもしれない.詳細は不明だ