Virtue Signaling その22


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版
 
ミラーはニューロダイバージェントの人々がこれまでどのように取り扱われてきたのかをまず見ていく.
 

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その3

 

なぜスピーチコードはもっとも創造的な人々を烙印を押すのか

 

  • 大学がスピーチコードを課すと,ニューロティピカルではない人(ニューロダイバージェントの人々:アスペルガー,双極性障害,その他のパーソナリティ障害者など)にとっては遵守不可能な基準を押しつけることになる.
  • 歴史的にはニューロダイバージェントな人々は極端な偏見によって迫害を受けてきた.その中で自閉症権利運動などの運動は社会の受容を求めてきた.そして最近では好意的に取り上げられるような本や映画も出てきている(テンプル・グランディンの一連の本,「ビューティフルマインド」などが紹介されている).

 

動物感覚 アニマル・マインドを読み解く

動物感覚 アニマル・マインドを読み解く

我、自閉症に生まれて

我、自閉症に生まれて

 
「動物感覚」についての私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20061015/1160912461

 

ビューティフル・マインド (字幕版)

ビューティフル・マインド (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

 

  • 私が知っている真の天才のほとんどはニューロティピカルではない.そして彼等は大学のスピーチコードの遵守に困難を覚えている.
  • そしてこれはおそらくこの数千年間に文明を作り上げてきた素晴らしい思考家たちの大半にも当てはまるだろう.自伝から多分自閉症/アスペルガースペクトラムに該当しただろうと思われる天才たちを思い浮かべてみよう.バルトーク,ベンサム,ルイス・キャロル,マリ・キュリー,エミリー・ディキンソン,アインシュタイン,ロナルド・フィッシャー,・・・・(原文では合計22人の名が挙げられている).さらに現在のテックビリオネアたち(ポール・アレン,ビル・ゲイツ,イーロン.マスク・・・)もアスペルガー症候群の傾向を見せている.そして映画やテレビドラマでもおしゃべりで感受性に欠けるアスピーたちは単にマッドサイエンティスト役だけでなく,魅力的な主人公(トニー・スターク,シャーロック・ホームズ・・・)としても登場している.
  • 片方でニューロダイバージェントたちによる文明(特に科学やテクノロジーについて)への貢献は膨大なものだ.そしてもう片方でアカデミアにいるニューロダーバージェントたちは何らオフェンシブであろうとする意図なく発言したことで大衆の怒りを買っている.

 
文明や人々の生活の改善に大きく貢献するであろう人々(そして時には大衆から愛されるような人々)が,今や本人にはどうしようもないことにより,本来最も活躍が期待できる大学において苦境に立っているというのがミラーの見たてになる.

訳書情報 「美の進化」

美の進化ー性選択は人間と動物をどう変えたか

美の進化ー性選択は人間と動物をどう変えたか

 
以前私が書評した鳥類学者リチャード・プラムによる性淘汰本「The Evolution of Beauty: How Darwin's Forgotten Theory of Mate Choice Shapes the Animal World - and Us」が邦訳され「美の進化:性選択は人間と動物をどう変えたか」という邦題で出版されるようだ.
本書は選り好み型性淘汰について基本的にザハヴィ,グラフェンのハンディキャップではなくフィッシャーのランナウェイのメカニズムで捉えるべきだと主張し,様々な鳥類の性淘汰形質を解説し,さらにヒトの進化についてもその視点でいろいろななぞが解明できると主張する本になる.
この理論的な主張については「ランナウェイ過程はメスの選択にコストが少しでもあると安定平衡を持たない」という問題を全くスルーしているのでかなり奇矯な主張に止まっているが,様々な鳥類の性淘汰の有り様の紹介部分は大変素晴らしい.特にマイコドリについては読みどころだ.ヒトについての仮説についてはいろいろ穴もあるが野心的で刺激的な議論が多く収められている.性淘汰に興味のある人には大変面白い本に仕上がっているだろう.
 
私の原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170613/1497350790


原書

The Evolution of Beauty: How Darwin's Forgotten Theory of Mate Choice Shapes the Animal World - and Us

The Evolution of Beauty: How Darwin's Forgotten Theory of Mate Choice Shapes the Animal World - and Us

  • 作者:Richard O. Prum
  • 出版社/メーカー: Doubleday
  • 発売日: 2017/05/09
  • メディア: ハードカバー

Virtue Signaling その21


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版
 
 

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その2

 
導入に引き続いてミラーは本論に進んでいる.
 

エキセントリシティからニューロダイバーシティへ

 

  • 検閲は創造性,真実,そして進歩を殺す.これは明白だ.アイデアの自由な交換がないと人々はリスキーな新しいアイデアをシェアできないし,ほかの考え方と比べてテストすることもできない.さらにそれを文明の進歩に役立てることもできない.
  • そして検閲は目立たないやり方で合理的文化をも殺すのだ.それはエキセントリックな人々を黙らせる.それはニューロマイノリティを差別する.並外れた脳の動きを持つ人々を抑圧する.偉大なアイデアを持っているのだが,同時に特異なパーソナリティやエキセントリックな信念や普通ではないコミュニケーションスタイルを持っていたりするためにその時点のスピーチ規範を理解して遵守することが難しい人を疎外するのだ.ハーバードのスピーチコードやツイッターの正義戦士たちの規範はプリンケピアの内容自体を禁止するわけではないだろう,しかしそういう本を書くエキセントリックな人々を追放してしまう.
  • エキセントリシティは貴重なリソースであり,簡単に毀損されてしまう.ジョン・スチュワート・ミルは「自由論」の中で「マジョリティの専制」はエキセントリックの洞察を疎外するだろうと警告している.
  • 今日,ニューロティピカルな人々の専制はニューロダイバージェントな人々を抑圧している.それは我々の時代の重要な危難なのかもしれない.

 

スピーチコードにあるニューロティピカルな人々の前提

 

  • キャンパスのスピーチコードはもともとは良い結果をめざして始まった.それは少数派への攻撃的な言辞を禁じることで大学内により多くのマイノリティや女性を招き入れようとしたものだ.
  • しかしデモグラフィックな多様性を促進しようとしたことの副作用は,脳内で「適切なスピーチ」の境界線を引くことができない人に汚名を着せることによるニューロ多様性の減少として現れる.
  • そしてより「リスペクトフル」な大学ほどニューロダイバージェントな人々を追放し,(ニューロ多様性を失った)ニューロティピカル状態になる.
  • ここに問題がある.アメリカの大学の「何は言っていいのか,何はいけないのか」のインフォーマルなスピーチコードは「正常な」脳の持ち主が作り「正常な」脳の持ち主が従うべきコードとして施行されている.公式のルールも同じくニューロティピカルな人々によって書かれ,ニューロティピカルな人が従うべきものとして施行されている.彼等はすべての人がすべての場合において以下のことが100%できるということを前提にしているのだ.

 

  • 言語的知性と文化的バックグラウンドを用いて,意図的に曖昧で婉曲的に書かれた「誰がどのような文脈でどのような単語を使ってどのような内容を表明することが許されるか」に関するスピーチコードを理解することができる.
  • 現在のオバートンウィンドウ(ある時点で主流の人々にとって政治的に受け入れ可能なポリシーの範囲)の「受け入れ可能範囲」を理解することができる.それには「何がリスペクトフル」で「何がオフェンシブ,不適切,性差別的,人種差別的,イスラム嫌い,LGBT嫌い」であるかの社会規範が含まれる.
  • どのような言論が,異なる性別,年齢,エスニシティ,性的志向,宗教,政治信念を持つ誰かにとってオフェンシブであり得るかを,「心の理論」を使って100%正確に判断できる.
  • 誰かに記録されているかもしれない中で,すべての社会的文脈の中での不適切な言辞を100%抑制できる.
  • 何が同僚,学生の運動家,ソーシャルメディア,メインストリームメディアの怒りを引き起こすのかについて100%正確に予測できる.このどの人々の怒りに触れても大学にとっての「敵意的パブリシティ」にあたり,自己の権利についての弁護を受けられないままスピーチコード審問を受けなくてはならなくなる.

 

  • スピーチコードはヒトの本性についての誤ったモデルを前提にしている.そのモデルは「すべての人は同じ種類の脳をもち,それにより狭い範囲の『正常な』パーソナリティセット,認知能力,言語能力,モラル気質,コミュニケーションスタイル,自己抑制能力を持つ」というものだ.このニューロティピカル性の仮定は科学的に誤っている.人々はみな脳の発達や機能について異なる遺伝子セットを持っていて,脳の機能や成長や精神的特徴には大きな遺伝率があるのだ.
  • この遺伝性は深い.それは青春期から成人期を通じて安定しており,社会的知性から政治的態度まで多くの物事に影響を与える.そして人のコミュニケーションスタイル(そこにフォーマル,インフォーマルのスピーチコードの理解と遵守にかかる能力も含まれる)にも大きな影響を与える.ニューロダイバージェントな人は,単にそう生まれつくのだ.

 
要するに現在のアメリカの大学のスピーチコードはニューロティピカルにはわかるが,ニューロダイバージェントにはわからない,文脈依存の内容になっていて,この判断を誤るとアカデミアから追放されかねないことを考えるとニューロダイバージェントにとっては極めて不利で差別的なものになっているというのがミラーの主張になる.(ニューロダイバージェントにとっていかに判断が難しいかはこのあと詳細に説明される)
最後に遺伝性の話が出ているのは,よりリベラルなアカデミアの人々にこれが「差別的」であることを明確にしようという趣旨だろう.本来は遺伝的に決定されようと環境により決定されようと(そしておそらく両者が共に絡んでいるのだろうが),本人が自分の意思で変更できないニューロ傾向に基づく差別ははどちらも同じように酷い差別ということになると思われる.

Virtue Signaling その20


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版

 
Googleメモに関する第5エッセイの執筆はミラーをさらに深い考察に進ませる.それがこの第6エッセイになる.ポリコレやアイデンティティポリティクスの帰結でもある現在の大学のスピーチコードは才能はあるが社会的適応力に欠けるある種のパーソナリティ障害者にとってはとんでもないほど大きな差別環境ではないのか.リベラルは本来マイノリティに寄り添う立場のはずなのにニューロマイノリティには厳しい結果を強いるのはどうなのかという問題意識だ.

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その1

 

  • Googleメモの一件の後,私はオタクやアスピー(アスペルガー症候群の人々のこと)について随分考えた.私は昨今のポリコレ,社会正義,wokeness*1の軍拡競争の「キャンセルカルチャー*2」の中での彼等の苦境に思い至ったのだ.
  • 私はこれまで常に,社会的不適格で,内向性オタクで,人よりものに興味があり,ゴシップよりアイデアに興味を持つ人間だった.2年生の時にはほとんどの時間をインドからの転校生ラメシュとチェスをして過ごした.ラメシュとは「ポーンをキングの4へ」のような会話しかしなかった.5年生でSFにはまり,以後ずーっと読み続けることになった.中学生の夏休みは大半の時間を近所の友達と「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をやって過ごし,キャンプでは潜水艦と宇宙船のデザインに熱中した.高校で入った数学チームは気に入っていた.チームの半数は女子でみな賢かったからだ.大学に入るまで人とアイコンタクトをとるのは苦手だった.
  • 振り返って考えると私はいわゆる高機能性アスペルガー症候群だったのだろう.それが最新のDSMでは本式の診断とは認められていない(最新版ではアスペルガーと自閉症を自閉症スペクトラムとして一緒に括っている)のは知っているが,それはどうでもいいことだ.アスペルガーは実際にある.私の同性の友人はみなそうだったし,ガールフレンドたちはみなすぐ気がついて,我慢してくれていた.
  • Googleがメモの著者であるダモアをどう扱ったのかを知り,そして彼がテレビのインタビューで晒されているのを見て,私は彼に強い感情的なコネクションを感じた.彼は私の5年生から12年生までの時の親友.大学院からのベストフレンドによく似ている.もし私が今より20歳若くてGoogleにいたなら彼が書いたのと全く同じ科学的に正確でモラル的に誠実なメモを書いていても不思議はない.そして同じように批判されて失墜していただろう.

 

  • 社会正義戦士たちは口では「多様性」にリップサービスするが,彼等は多様性のもっとも基本的な次元について全く無視することに私は気づいた.その次元はニューロ多様性(neurodiversity)だ.そして彼等は彼等の「スピーチ・コード」がアスペルガーの人々にほとんど遂行不可能なほどの重い負担を押しつけることになることについて全く無関心なのだ.だから私は自分の考えをQuilletteに寄稿することにした.
  • これはこれまで書いた中でもっとも自己開示的なエッセイだ.私に個人的に会ったことがある人はみな私が内向的で社会的に不器用なことを知っている.しかしそれは自分がアスピーであることをカミングアウトすることとは違う.
  • それでも,我々アスピーたちは検閲的なノーミー(普通人)たちに対して自分の権利のために立ち上がるべきだと考えたのだ.そして,それが私に嫌がらせをうけるコストを少し負わせることになるとしてもそれがなんだっていうのか.私はもうテニュアを持っているのだから.

 

The Neurodiversity Case For Free Speech Quillette July 18 (2017)

 

  • 若きアイザック・ニュートンが1670年代の英国から2017年にタイムトラベルしてきてハーバードの教授職に就いたらどうなるかを想像してみよう.
  • ニュートンは元通り固執的なパラノイドパーソナリティ,アスペルガー症候群を持ち,口ごもりながら喋り,心的状態は不安定だろう.しかしハーバードでは「他者の尊厳をリスペクトしない言辞を禁止する」というスピーチコードに直面する.このコードを違背するとハーバードの審問(「エクイティ,ダイバーシティ,インクルージョンオフィス」)という試練を受けなければならない.
  • ニュートンは重力法則を説明する「プリンケピア」を出版しようとするだろう.しかし彼の出版エージェントはニュートンが「オーサープラットフォーム」を築き上げるまで出版契約は無理だと説明することになる.オーサープラットフォームを作るには少なくとも2万のツイッターフォロワーが必要で,かつツイッター履歴に彼の古代ギリシア錬金術,聖書暗号学,不換紙幣,ユダヤ秘密主義,アポカリプス日時予測についてのエキセントリックな言及がないことが要件になる.
  • ニュートンは現代アメリカで「パブリックインテレクチュアル」の立場に長くとどまることができないだろう.遅かれ早かれ,彼は何らかの「オフェンシブ」な言動を行い,ハーバードに通報され,主流メディアから道徳的に逸脱した扇情者だとつまみ出されるだろう.彼のエキセントリックな態度や社会的な不器用さはアカデミアやソーシャルメディアや出版業界からの追放につながるだろう.結果,ハフポストやバズフィードで少しの注目を集めるかもしれないが,重力の法則の発見を業績とすることはできないだろう.

 

  • この仮想歴史の悪夢から離れて,一般的な「ニューロ多様性と言論の自由」の問題を考えてみよう.ここではニューロ多様性について科学が明らかにしてきたことを説明し,キャンパスのスピーチコードと抑制的なスピーチ規範が多くのニューロ多様性を持つ人々にとって不可能なほどの社会的感受性・文化的理解力・口語的正確性・自制力を要求していることを示したい.
  • またこのスピーチコードが特にアカデミアのニューロ多様性に抑圧的な影響を持つことを訴えたい.これは私自身がオタク的であるためでもあるが,それだけではない.中世以来,大学は非正常で並外れた脳と心を持つ人々を育んできた.歴史的に見て大学は様々なニューロ多様性を持つ人々にとっての天国だったのだ.エキセントリックな人々はケンブリッジで1209年以来,オクスフォードで1636年以来集ってきた.そしてこのエキセントリック天国は何百年もの間,古代西洋文明から現代のテクノロジーまで,そしてモラルの進歩までを我々にもたらしてきたのだ.しかし今,何千ものこの天国は脅威にさらされている.これは悲しいことであり,間違いだ.この議論は全くほかではされていないが重要なものだ.

 
ここまでがミラーによるこのエッセイの導入になる.
なおここでミラーはいくつかの用語の整理もしている.neurodiversity vs neurohomogenous, neurodivergent vs neurotypical, neurominority のための “Neurodiversity Movement”など.このような用語は最初は自閉症の人々の権利運動から始まったが,ここではすべてのneurodivergentな人々のための運動として扱うとある.

*1:差別や不平等などの社会正義について自覚的であることを意味するようだ

*2:俳優やコメディアンについて過去のポリコレ違反的な発言が掘り出されると,彼を作品から排除せよ,あるいは出演作品を差し止めよと多くの社会正義戦士たちが叫び立てるような現象のことを指すらしい.

書評 「利己的遺伝子の小革命」

利己的遺伝子の小革命:1970-90年代 日本生態学事情

利己的遺伝子の小革命:1970-90年代 日本生態学事情

  • 作者:岸 由二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: 単行本

 
本書は生態学者で「利己的な遺伝子」の翻訳で知られる岸由二による一冊.岸はそれまでイデオロギーが幅を利かせ,(集団遺伝学を全く無視し)ルイセンコや今西進化論が跋扈していた日本の生態学界において社会生物学,行動生態学を最も初期に受容していた1人になる.そして岸は受容の時代に社会生物学や行動生態学について様々な解説を書き,受容に大きな役割を果たしたが,一方でイデオロギー的な攻撃を受け,90年代に生態学から撤退し都市自然環境再生の仕事に進んでいる.本書は書き下ろしの回顧録ではなく,当時発表された様々な解説や論文を集めたものになっている.
構成としては社会生物学や行動生態学の紹介解説,今西進化論について,受容後の学説史的総説,関連書籍の書評 岸自身が書いた行動生態学の論文という順序で収められている..
 

第1部 社会生物学上陸

第1部では,ハミルトン以降の行動生態学(本書では社会生物学あるいは進化生態学という用語の方が主に使われている)の基礎的な解説が基本になっている.またここでは社会生物学という用語の背景にあるややこしい問題,英米の社会生物学論争の解説,包括適応度概念の数理的解説,行動生態学理論フレームの位置づけと評価(集団遺伝学の厳密理論に対しては近似理論ということになるが取り回しの良さから進化条件の見通し,仮説発想,発見への刺激効果が得られ,生態学分野のフィールドで有用であること)などについても扱われている.これらは70年代後半から80年代初頭という時代背景を考えると日本語で書かれた非常に貴重な解説だったと思われる.
また今日的に興味深いのは,この英米で60年代後半から70年代にかけての動きが日本に入ってくるのになぜ10年以上かかったのかという分析部分だ.岸によると第二次大戦後の日本の生態学は(正統的な進化の現代的総合説に依拠している)集合遺伝学と没交渉であった.そして60年代後半までは強い左翼的イデオロギーの影響下にあり,ルイセンコ的な進化論が持ち上げられ,総合説的な進化学説は帝国主義的還元主義でありいずれ弁証法的進化論に取って変わられるはずだと声高に主張する人々が跳梁跋扈していた.さらにルイセンコが失墜した後の空白地帯に今西進化論が入り込んだ.そしてそれらの結果総合説の受容が大きく遅れたということになる.
 

第2部 今西進化論退場へ

第2部は今西進化論についての小文がいくつか収録されている.私もどのように進化が進むのかのメカニズム的説明が荒唐無稽で全く説得力に欠ける今西進化論がなぜ大きな影響力を持つことになったのかかねがね不思議に思っていたところ(そして現在も当時の関係者の口は重く,内部的な総括がされていない状況)なので興味深く読めた.岸の整理を少し詳しく紹介しよう.

  • 今西は社会のたとえで自然の構造を捉え,「種社会」をキーワードに「すみわけ論」と呼ばれる自然観を提示した.この自然観では種社会が主体的に生物個体の生活の場を統制することになる.
  • 今西進化論においても「すみわけの密度化」として分岐を繰り返して系統樹を形成する態様を認めており,この点ではダーウィン進化学説と同じと見ることができる.大きく異なるのは種の変化や分化のメカニズムの説明になる.今西は個体の遺伝的変異の方向が種社会や生物全体社会の統制下にある(種自体が変わるときにはすべての個体が一緒に同じ方向に変わる)と考えた.今西進化論のポイントはこの全体論(ホーリズム)にある.これはダーウィン進化論の還元主義に対する弁証法的説明と解釈された.
  • 今西自身も考えが変化している.初期には適応的な方向に変化するとしていたが,後には定向的な進化を強調するようになった.さらに1980年以降は種社会の統合・分離をもたらす「プロトアイデンティティ(原帰属性)」概念にこだわるようになり,思想的哲学的な主張に変容していった.
  • 今西進化論は正統派ダーウィン進化学への科学的対立理論にはなり得ていないとしか評価できない.つまり今西進化論の要点は思想的哲学的主張でありその人気は社会現象として理解すべきものになる.
  • 社会現象として今西進化論が人気を持った原因は(1)ルイセンコが失墜したあとの日本の生態学における「正統派」の不在(なお左派イデオロギーの影響が強い生態学界には西欧流の進化理論への心理的反発があった),(2)戦後の平和主義的心情が「競争原理」を忌避する方向に働いたこと,(3)同じく戦後のナショナリズム的心情が「日本独自」の理論への期待につながり,専門の生態学者が批判しにくい土壌があったこと,に求められる.

 
要するに生態学界内での今西進化論の影響力についての岸の説明は,左派的な生態学者はイデオロギー的に弁証法的全体論を支持し,そうでない生態学者もナショナリズム的な今西進化論応援の「空気」の中で表だって批判しにくい土壌があったからということになる.ここでは今西の直弟子筋の京大の霊長類研究者たちのことはほとんど触れられていない.彼等にとっては単にイデオロギー的好意というよりももっと深い心情があったようにも思える.実際にはどうだったのだろうか.
 

第3部 一つの総括

第3部は,日本の生態学の社会生物学,行動生態学の受容についての総説論文(1991年の講座進化2「進化思想と社会」東京大学出版会に収録されたもの)が収められている.当時の行動生態学の理解(90年代の血縁淘汰の理解ぶりなどはかなりなつかしい),ルイセンコと今西による鎖国状況(還元論,機械論,個人主義,競争原理 vs 弁証法,全体論,非西欧,集団主義の対立が強調されている),行動生態学のフレーム,その有用性とリスク,社会生物学論争,特定研究「生物の適応戦略と社会構造」の意義などが,「開国」後10年の視点から整理されている.
 

第4部 ブックガイド

第4部は1992年,1988年に書かれた行動生態学関連のブックレビュー.私が行動生態学を勉強し始めた時期と重なり,利己的な遺伝子の初版とかクレブスとデイビスの教科書とかいろいろなつかしい本が紹介されている.
 

第5部 進化生態学の方法

第5部では,岸による1980年頃の論文が3本収められている.冒頭が行動生態学のフレームについて(集団遺伝学との関連,数理的解説),あとの2本が個別のトピックを扱ったもので,最適卵サイズについての数理的モデル,ハゼ類の性淘汰の多様性(性役割逆転)についてのもの.いずれも行動生態学受容初期の熱気が感じられる論文になっている.
 
 
本書は日本の生態学の行動生態学の受容に大きな役割を果たし,その後様々なイデオロギー的軋轢から学界を退出していった岸による当時の解説や論文を収めたもので,学説史的に大変興味深い本になっている.私自身にとっても行動生態学を学習し始める直前の状況が描かれており,いろいろと感慨深いところがある.なお当時の生態学界のイデオロギーが吹き荒れるなかでパワハラ,モラハラが跋扈するすさまじい様子については伊藤嘉昭伝「もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ」に収録された岸によるエッセイ「嘉昭さん,応答せよ」が詳しい.興味がある方はあわせて読むと良いだろう.
 

関連書籍

伊藤嘉昭を偲ぶ弟子たちの寄稿集.戦後の日本の生態学がいかにイデオロギーと個人的確執に満ちあふれたものだったかについての同時代的証言「嘉昭さん,応答せよ」が収められている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170509/1494292695

生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ: 生態学者・伊藤嘉昭伝

生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ: 生態学者・伊藤嘉昭伝

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 海游舎
  • 発売日: 2017/03/15
  • メディア: 単行本