From Darwin to Derrida その48

 
私たちは自分自身の中で意思決定についてコンフリクトを感じる.これは自然淘汰的にはどのように説明されるべきなのだろうか.ヘイグは適応制約説を説明し,現代環境における問題解決の際にモジュール間の統合プロセスがうまく働かないのは,それが新奇環境であるからではないかと示唆する.では(進化環境では)統合プロセスはどうなっていたのだろうか.進化環境ならうまく働く統合プロセスがあるのか,あるいは無い方がよかったのか.続いてヘイグは適応説を吟味する.
 

第6章 個体内コンフリクト その3

 
<適応仮説>

  • 個体内コンフリクトについての適応的な説明は,最良の行動を選ぶためには代替案を競争させることが最も良いメカニズムだとするものだ.(この仮説によれば)チータに追われているガゼルが前方に切り株を見つけ次に右にカットするか左にカットするかを決めなければならないとすると,ガゼルは最終判断地点に至るまで地形などの新しい情報をインプットしながら右選択肢と左選択肢のそれぞれの予想される結果を計算する.これらの計算は両プランの競合としてなされる.追いかけているチータも同様にガゼルが右にカットする場合と左にカットする場合のそれぞれの(フェイントに騙されないような)最良の追跡行動を計算し続ける.ガゼルが一旦どちらかに決めたら採用されなかった選択肢は完全に消え去る.しかしこのようなモデルは「悩ましい状況に追い込まれる」ようなことを説明するには不十分だろう.

 
この右か左か決定マシンは複数モジュールによる並列計算の有利性の最も単純なモデルということになるのだろう.確かにこれではヒトの意思決定の内的コンフリクトは説明できそうにない.ヘイグはここでヒトに現れるコンフリクトについて,より吟味する.
 

  • ジェイムズは衝動のコンフリクトについて2つのタイプを考察した.
  • 第1のものは,Oという状況にはAという対処を,Pという状況にはBという対処をするような衝動を持っているが,OはPの徴候であるという経験があるというものだ.この場合Oという状況に対して,直接的にはAの衝動を感じるが,間接的にBの衝動も感じることになる.
  • 第2のものは,様々な物事に対して相反するような衝動が生じ,状況のわずかな変化に応じてどれを選ぶかが変わってくるというものだ.
  • この両方のモデルにおいて,ジェイムズは,どちらを選ぶかは経験によって決まると考えた.その決断は部分的に理性から擁護可能になる.ジェイムズの考えによると理性で衝動を抑え込めるわけではないが,(ちょうど裁判官のように)どちらの衝動がより望ましいかは決められるということになる.ただジェイズムは何故このような決定を行うために感情的な努力を必要とするようになっているのかは説明できなかった.

 
このジェイムズの第1の例は通常私たちが自分の中の意思決定コンフリクトを感じるような典型例とは異なっているだろう.第2の例はまさにモジュール間のコンフリクトになるが,ヒトの日常生活に現れる典型的なコンフリクトは片方が短期的衝動的なもので片方が熟考による理性的なものということが多いだろう.ヘイグはそのタイプのコンフリクトについて考察を行う.
 

  • ヒトは,ハードワイヤードの本能の限界の補償のために汎用の問題解決メカニズム(理性)と学習能力を進化によって得た.私たちは理性的で文化的で本能的な存在なのだ.時にこれらの行動の代替的ガイドは異なる選択をする.
  • 本能は過去の自然淘汰の智恵を表し,似たような環境下でうまくいった方策を推奨する.文化も同じく過去の智恵を表し,遺伝子の淘汰よりはるかに素速く反応できるが,遺伝子的視点からは適応的でないものも推奨してしまうことがある.理性は現在の状況に対して,微弱な有利性にも反応できるが,歴史的な評価を持っているわけではない.

 
ここでおもしろいのはヘイグは理性的意思決定について汎用論理メカニズムとしての一般知性(理性)だけでなく学習と経験による文化的な決定プロセスも含めているところだ.ここから遺伝子の役割が考察に加わる.
 

  • 私たちの感情はポジティブなものもネガティブなものも遺伝子がその目的に私たちを沿わせるための飴と鞭だ.理性は感情の奴隷かもしれないが,理性は楽しみを目的のための手段として用いるのではなく,その楽しみ自体を目的とする.
  • 私たちの理性を用いる能力は本能の限界を補うための適応産物かもしれないが,その適応自体にも限界はある.例えば本能と理性がコンフリクトするとクラッシュしがちになってしまう.

 
理性は包括適応度上昇を目的とせずに,(包括適応度上昇のために遺伝子が用いる飴としての)快楽自体を目的にする.そのため脳のシステムはクラッシュという問題を抱えることになる.なぜ理性がこのように実装されているのか(最初から包括適応度を目的にするような理性は実装できないのか)というのは考えてみると面白い問題だがヘイグはそこには触れていない(これも1種の適応制約ということになるのかもしれない)
いずれにせよ理性がこうなっているので本能的衝動と理性の間でコンフリクトが生じてクラッシュするという問題が生じる.
  

  • しかし,もしそのようなクラッシュが不可避で繰り返されるのなら,ヒトはこれを解決するための(不完全かもしれないが)メカニズムを進化させているはずだ.良くデザインされた生命体は本能と理性の相克をどのように解決するだろうか? 
  • そのような生命体は十分な理由がある場合に限って理性で上書きするようになっているかもしれない.であれば理性が適応度と関わってくるような本能的な解決に異を唱えるには,強い動機が必要になり,そうでもない場合にはその動機の閾値は下げるようになっているだろう.こう考えると主観的な努力について適応的な説明ができそうだ.意思の力は適応産物ということになる.道徳家はこの筋肉的な説明を好むだろう.

 
ヘイグによると(理性が最初から包括適応度上昇するためのプロセスとしては進化できないとすると)1つの解決は基本的に衝動優先だが,特定条件下で理性が上書きするような解決になる.そしてこの特定条件が「強い動機」であるなら,ヒトは衝動を意思の力で克服でき,そのような意思の力は統合プロセスとしての適応産物ということになる.

From Darwin to Derrida その47

 
私たちは自分自身の中で意思決定についてコンフリクトを感じることがある.ヘイグはウィリアム・ジェイムズを引用してそのような現象があることを示し,そこから本章のテーマに進む.このようなコンフリクトは自然淘汰的にはどのように説明されるべきなのだろうか.
 

第6章 個体内コンフリクト その2

 

  • この問題については3つの仮説をたてることができる.それは(1)適応制約仮説(本来内部コンフリクトは無い方がいいが,なんらかの制約により非適応的になっている),(2)適応仮説(内部コンフクトは適応的であり,非適応的に見えるのは幻想だ.淘汰は利用可能な真実にたどりつく効率的な方法として複数当事者対抗型のシステムを採用した),(3)内部コンフクトリアル仮説(内部コンフリクトは現実に存在し,それは内部の複数のエージェントのゴールの違いに基づくものだ),になる.私はこのすべての仮説が内部コンフリクトの説明に有用だと考えている.

 
よくある進化心理的な説明は,このコンフリクトはモジュール間(あるいはモジュールと一般知性)のコンフリクトだとするもので,その場合になぜ脳がモジュールの集合体となっているのかについては,「一般問題解決機能を作るためには多くのステップを経る必要があり適応度がすぐには上がりにくい.自然淘汰はすぐに適応度が上がるような小さな特定問題を解決する部品を1つずつ作っていくように働きがちだ」からだということが含意されている.これは上記の仮説としては(1)の適応制約的な考え方に近いだろう.ヘイグはいずれの仮説もコンフクトの説明に有用だと主張し,まず適応制約説から解説を始める.
 
<適応制約仮説>

  • 最初に個体内コンフリクトの非適応解釈を見てみよう.自然淘汰による正確な最適化には制約がある.それは過去環境に向けて調整が生じる後ろ向き型の過程であること, 利用可能な変異が限られていること,非常に弱い淘汰圧に鈍感なこと(浮動の影響の方が大きい)などによる.

 
ヘイグはまず制約について一般論をおいている.ではこの問題についてはどう考えるのかが次に議論される.
 

  • 私たちのゲノム進化は古いテキストにマイナーリビジョンを加える形で進行する.それはちょうどコンピュータのOSが古いコードに新しい機能を実装しながら改良されるようなもので,プログラマーも自然淘汰も機能不全のすべての可能性を排除できるわけではない.
  • この視点から見ると個体内コンフリクトは「システムコンフリクト」に似たものということになる.OS内の複数の機能プログラムが時に互いに反する要求をOSに突きつけ,システムがクラッシュする状況と似ているというわけだ.
  • しかしこのアナロジーには限界がある.私のコンピュータの中で複数のプログラムが同時に走っているわけではない.それはCPUで常に単一のプラグラムが走る(そして高速でプログラムを切り替えている)シリアルマシンだ.私たちの脳はこれと対照的に,異なるデータを処理する異なるサブシステムを並列的に走らせている.そしてその中でどうにかして単一の決定を行わなければならないのだ.おそらくコンフリクトはサブシステム間の統合プロセスの不完全さから来るのだろう.

 
まずはコンフリクトについてそれはシステムコンフリクトだと説明がある.これは進化心理なモジュール間のコンフリクトだということになるだろう.
次に自然淘汰はマイナーリビジョン型で進む過程だとある.ここで一般問題解決型の単一システムにはならないことを説明をしているのだろう.これも適応制約の1種だといえるような気がするが,ヘイグはそういうとらえ方はしていないようだ.そして単一システムでないことよりもサブシステム間の統合プロセスがうまく働いていないことを問題として提起している.では何故コンフリクトを避けるような統合プロセスは装備されていないのか.ヘイグはここについて新奇環境を持ち出している.
 

  • 疑いなく私たちの現在の新奇な環境は(その問題に対する適応を欠いている中で)私たちに挑戦課題を突きつけている.
  • 私たちの進化環境では「なんらかのアセットに数十年投資してリターンを得る」ということはできなかった.退職プランは新奇な文化的環境であり,私たちはこれについての適応的意思決定メカニズムを持っていない.これに対しては一般目的解決メカニズムを利用するしかなく,それは(進化環境における適応によって)組み込まれた特殊意思決定メカニズムとコンフリクトを起こす.私の合理的解決策は短期的衝動に覆されがちだ.(ただしこの退職プランに関する合理的目標が,本当に適応度を上げるのかどうかは定かでない.実は短期的衝動に従う方が遺伝的な適応度は高いのかもしれない)
  • 強力な麻薬は別の新奇環境だ.中毒患者は心から中毒から逃れたいと願っているかもしれないが,この強く非適応的な(しかし過去環境への適応として進化的に組み込まれた)衝動に打ち勝つことができない.

 
つまり統合プロセスが装備されていないのは,進化環境ではそれが適応的意思決定の妨げになっていないからだという説明になる.この答えは最初のテーマと少しずれている.問題はコンフリクトの有無であり,それがうまく働くかどうかではなかったはずだ.いずれにせよ進化環境でうまく働くなら統合プロセスは進化しないだろう.*1
そしてさらに(進化環境では)統合プロセスが無い方がいいならコンフリクトは適応的デザインの一部ということになる.ヘイグは続いて適応仮説に進む.

*1:この場合にコンフリクト自体が生じるかどうか(モジュールと一般目的解決メカニズムが常に同じ結論を提示するのか,それともコンフリクトの末にモジュールが勝ってそれが適応的な意思決定になるのか)が本来のテーマに沿った回答になるはずだが,ヘイグはそこには踏み込んでいない.

From Darwin to Derrida その46

 
ヘイグは第5章で遺伝子がどのように個体の行動決定に関わっているかについて論じ,特に個体内の遺伝子間にコンフリクトがある場合について考察した.第6章ではこの議論を進めて,個体内で生じる(自覚があるタイプの)意思決定についてのコンフリクトが扱われる.
 

第6章 個体内コンフリクト その1

 
冒頭ではウィリアム・ジェイムズの著書「心理学原則」が引用される.ジェイムズは19世紀末から20世紀初頭ににアメリカで活躍した心理学者になる.
 

The Principles of Psychology (Vol. 1&2) (English Edition)

The Principles of Psychology (Vol. 1&2) (English Edition)

 

  • ウィリアム・ジェイムズはその著書「心理学原則」の中で,5つのタイプの意思決定を議論している.
  • そのほとんどのタイプは特に努力が要らない決定だが,最後のタイプは異なる.(本からのかなり長い印用がなされている.そのタイプの決定においては証拠は出そろっていて,それを吟味して決定するのだが,その瞬間に決定者は自分が負けているように感じる,そしてその行為には内向的な努力が必要だという記述になっている)
  • いろいろな決定タイプについて考察したあとでジェイムズは「直感的で習慣的な選択肢よりも非通常的で理想的な選択肢を選ぼうとするときは・・・・努力は意思を込み入らせる」と結論づけている.

 
ちょっと蘊蓄を披露した後で,ヘイグはこう続けている.
 

  • 感情と理性,利己と利他,今すぐの喜びと長期的目標の追求の間にあるコンフリクトについては,宗教的,文学的,精神分析的なテキストが豊富にある.私たちは皆,電話をかけたいと同時にかけたくない,あるいは誘惑と良心みたいなジレンマについておなじみだ.
  • しかし,なぜ私たちの主観的経験がこのように組織化されているのかについて進化生物学はこれまで良い説明を与えられなかった.私たちが包括適応度最大化に向けてデザインされているとするなら,自分自身の中に戦争があるというのは,パラドクスになる.
  • なぜ私たちは意思決定に困難を覚えるのだろうか.適応度最大化コンピューターなら単純に期待値を計算して最大期待値を得るように決定するだろう.なぜある種の決定は別種の決定より困難なのか.努力という主観的経験は問題の計算困難性に過ぎないのか,それ以上のものなのか.

 
このパラドクスに対するよくある進化心理学的な説明は「自然淘汰は様々な目的別にモジュールを作る形で脳を作った.コンフリクトはこのモジュール間の相克だ.(そのような相克がない形で脳を組織化するような方向に自然淘汰は働かなかった)」というものになる.この説明の中には個体内の遺伝子間のコンフリクトは含まれていない.
ヘイグは本章でこの進化心理学的な説明を出発点に自然淘汰が何故そう働かなかったのか,そして個体内コンフリクトがある場合にはどうなるかを議論していく.
 

  • ジェイムズにとってこの問題は「意思決定における努力の存在についての解釈は,精神的因果関係,宇宙の目的,自由意思の存在などの重大な問題にとって重要だ」ということだった.私の本章における目的はそのような重大な問題やなぜどのように主観的経験があるのかという問題に取り組むことではなく,この非生物学者が感じている「内面のコンフリクトの普遍性」と進化生物学者の持つ「心は自然淘汰による適応産物だ」という見方をどのように調和させるかというものだ.内部コンフリクトはしばしば(時間やエネルギーの無駄で)非適応的だと見做される.もしそうだとするならなぜそれはこんなに普遍的なのだろうか.

 
一旦持ち出したジェイムズにご退場願ってから進化生物学的な議論が始まるということになる.

書評 「アリ語で寝言を言いました」

 

本書は中南米のアリの専門家村上貴弘によるアリの本.中南米にはハキリアリ,グンタイアリ,ヒアリ,アルゼンチンアリなど進化の末にすさまじい能力や習性を獲得したアリが多い(そのため他地域で侵略的外来種になるリスクが極めて高い).その興味深い生態と喜々としてその謎に迫る著者体当たり研究物語が本書の魅力を形成している.なおのこの「アリ語で寝言を言いました」という題はハキリアリがコロニー内で音声コミュニケーションをしているらしいことを見つけた著者がそれを解明しようと没頭していたときのエピソードから採られている.
 

第1章 アリはすごい!

 
第1章ではアリについての概説がおかれている.とはいっても一般の読者に興味を持ってもらうために特に興味深いところに焦点が当てられている.いくつか紹介しよう.

  • アリは真社会性生物でカーストを持つ.オオズアリ,ヨコヅナアリの兵隊アリは巨大な頭部を持つ.ナベブタアリには巣の扉になる巨大な頭部を持つ大型ワーカーがいる.
  • アリはおおむね雑食だが,北海道などにいるヒメナガアリは種子食で知られる.
  • アギトアリの大顎が閉じるスピードは筋反射によるものとしては最速で時速230キロになる*1.主にトビケラのような素速い獲物を捉えるのに使うが,逃げるときにもこの顎を使う.
  • ヒラズオオアリの仲間が体内の化学反応を用いた自爆攻撃をすることは知られていたが,2018年に自爆前にねばねば体液で相手の動きを封じ込める新種が見つかった.
  • アリは利他行動の相手となる同コロニーアリの識別を匂いで行っている.ここでナワヨツボシオオアリとヤマヨツボシオオアリという近縁種はナワヨツボシオオアリの方がやや南に分布し単独女王性で,ヤマヨツボシオオアリはやや北に分布し多女王制になっている.著者はこのアリを用いて1個体1個体対戦を3000回(!)させて,ヤマヨツボシオオアリの方が匂いの違いに寛容であることを確かめた.著者は環境が厳しいところでは多女王制を採り匂い識別を緩めて協力行動の範囲を広げる方が有利になるからだと説明している.

この著者の実験苦労話は楽しい.章末には師匠である東正剛についてのコラムがおかれ.エゾアカヤマアリのスーパーコロニーの発見譚*2や傑作エピソードが紹介されている.
 

第2章 農業をするアリ

 
第2章はキノコアリ(そしてその1グループであるハキリアリ)がテーマになっている.
まずハキリアリが登場する神話が紹介され,著者が日本で唯一のキノコアリの専門家であること,そしてそれがどういう意味を持つのかが語られる.ハキリアリは一旦侵入したら極めて厄介な農業害虫になるリスクが高く,日本に持ち込めない.このため研究は片道25時間以上かかる中南米のフィールド(著者の場合はパナマのバロ・コロラド島)で行うしかないのだ.
ここからパナマのフィールドの話がたっぷり語られて楽しい.アリのリサーチの第一歩はアリの行動をリスト化してマーキングで個体識別して観察するのだそうだ.いかにも大変そうだ(第2章~第4章の章末にはパナマのフィールドでの苦労やドタバタを扱ったコラムが収録されている).本章の前半はキノコアリについて.

  • キノコアリのキノコ畑の菌を食べるのは成虫ではなく幼虫であり,(ほかのアリの幼虫のようにワーカーから口移しでもらうのではなく)直接食べる.
  • キノコ畑で栽培される菌もそこに寄生する菌も地球上でキノコアリの巣からしか検出されない.それぞれの種は緊密な共生関係にある.どちらがより強く相手を選抜するかをよく考えると,おそらく(生存のためにより相手に強く依存する)キノコがアリを選抜する淘汰圧の方が強いだろう.
  • アリは寄生菌に対して様々な防衛行動をとる.その1つは抗生物質を出すバクテリアを体内に持つことだ.

 
後半ではハキリアリに焦点が当てられる.巣の発掘物語,キノコ畑の詳細,ゴミ捨て場,巨大で長命な女王アリ,グンタイアリとハキリアリの対決*3などいろいろ語られていて楽しい.
 

第3章 おしゃべりするアリ

 
第3章は書名にもなっているハキリアリの音声コミュニケーションについて.アリは基本的に匂いによりコミュニケーションをとる動物だが,それだけではない.著者は好蟻性であるシジミチョウの幼虫が宿主の女王アリの音を擬態しているという論文に刺激を受け,ハキリアリが様々な音を出しており,音声コミュニケーションをとっているらしいことを見つける.まだ論文未発表ということで詳しくは語られないが,どのような音が聞こえるのか,どこから音を出しているのか,解析の苦労話が語られ,最後にアリリンガルを開発して駆除に役立てたいという希望が述べられている.
 

第4章 男はつらいよ・・・アリの繁殖

 
第4章はアリの繁殖システムについて.冒頭でアリの性決定システムとハミルトンの3/4仮説が解説されている*4.面白いのはワーカーを観察すると(まさに包括適応度理論の予測通り)オスを嫌っているようだというくだりだ.ここからは各論になる.(なお最後にはトゲネズミやカモノハシの性決定システムも語られている)

  • カドフシアリには無翅の中間型女王が出現することがある(より北に行くと出現率が上がる).彼女たちは(交尾を求めて飛翔できないので)秋口に巣の入り口でフェロモンを出してオスを誘って交尾し,そのまま巣に戻って越冬し,春に3体ほどワーカーを連れて独立する.(この柔軟なシステムについてさらに詳細が述べられていて興味深い)
  • アミメアリは女王を持たず,すべてワーカーで単為生殖することが知られているが,ごく稀にオスが生まれることがある.オスは交尾相手が存在しない*5のに産まれてくることになる.何故このようなことが生じるのか(淘汰されてしまわないのか)はわかっていない.
  • フトハリアリには明確な女王アリが存在せず,年齢が上で喧嘩に強い個体が交尾して産卵できるというシステムになっている.(形態的な女王アリがいる種でもワーカーを含めて喧嘩で産卵個体が決まるという報告もあるそうだ)
  • トゲオオハリアリのコロニーでは孵化したメス個体の翅の痕跡器官であるゲマをワーカーが囓りとろうとする.うまく逃れた個体のみ女王アリとなり産卵が許される.逃れられるかどうかは(強さや優秀さではなく)タイミングで決まるらしい.
  • イバラキノコアリの1種は完全にオスが存在せず,単為生殖だが,その中でワーカーと女王アリが存在する.

 

第5章 働きアリの法則は本当か・・・アリの労働


第5章はアリの行動について.冒頭は長谷川英祐による働きアリの法則の紹介がある.シワクシケアリではコロニーのワーカーのうち少数割合がよく働き,それ以外はあまり働かない.そしてよく働くアリ,働かないアリだけ取り出しても同じような労働比率になるというものだ.これは予備戦力を確保しておく方が突発事に対応できて有利ではないかということで説明されている.だとするとこのような性質が進化するかどうかは状況依存で,すべてのアリにあてはまるとは限らないことになる.

  • ハキリアリではサボるアリはごく少なく1~2%程度.コロニー全体で効率的で,システマティックに分業がなされている*6.徹底的に働くハキリアリのワーカーの寿命は短くわずか3ヶ月になる.
  • その他のキノコアリではワーカーの寿命は5~6年で,全体として見るとより単純な社会を持つキノコアリの方がより多くの割合のワーカーがサボっている.
  • アレハダキノコアリの女王で婚姻飛行で交尾できなかったものは元の巣に戻ってワーカーとして働く.

 
このほか第5章ではサムライアリやトゲアリなどの社会寄生性のアリの生活が解説され,章末のコラムではアリの個体にRFIDをつけて行動解析する話やアリの脳の解剖の話が語られている.
 

第6章 ヒアリを正しく恐れる

 
第6章は日本への侵入が危惧されているヒアリについて.著者によると日本にいるアリはおとなしいアリばかりで,中南米のアリの強烈さとは好対照なのだそうだ.そしてヒアリも中南米原産で著者のリサーチ対象になっている.

  • 現在特定外来生物に指定されているアリはヒアリ,アカカミアリ,アルゼンチンアリ,コカミアリの4種だ(このほかハヤトゲフシアリが検討中のステイタス)
  • ヒアリに噛まれた場合,アナフィラキシーショックに至るのは1~2%とされている(アメリカでの致死率は0.001%以下).しかし侵入定着を許すと公園や道路脇に好んで巣を作るため非常に多くの人が噛まれるので健康被害は大きい.侵入定着されたなら,ヒアリの巣らしいものに近づかないことが重要になる.農業被害,機械設備被害,不動産被害などの経済的被害も大きく,アメリカでは被害額について年間1兆円程度と試算されている.生態系への影響も大きい.
  • 噛まれた経験からいうと痛み自体は危険昆虫の中で中の上クラス(キイロスズメバチ,パラポネラ,グンタイアリの方が断然痛い).しかし2度目に噛まれたときに軽いアナフィラキシーショックを煩い,寒冷や様々なアリ毒に敏感になり,体質が変わってしまった.
  • ヒアリの原産地(パラナ川流域の熱帯雨林)では洪水が多く,洪水後のリカバリーが重要となり,ヒアリは女王の繁殖能力が極めて高くなるように進化している.原産地では単女王制だが,北アメリカの侵入コロニーでは多女王制にスイッチし,血縁にとらわれないスーパーコロニーを形成する.
  • ヒアリはアルカロイド系の毒とタンパク毒の2種類の毒を持つ.通常フグ毒などの動物のアルカロイド毒は植物が生産したものを取り込むが,ヒアリは自ら合成できる.タンパク毒はさらに4タイプがあり,アレルギーを引き起こす.噛まれたら最低限30分はじっとして様子を見る方がいい(アレルギー症状が出たらすぐに病院に行く).なお北アメリカでは毒についても原産地より強くなっている.
  • 一旦定着したものを駆除するのは非常に難しい.これまで成功したのはニュージーランドだけだ.アメリカは駆除に力を入れたが,途中で(レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の影響で)DDTが使えなくなり,失敗した.
  • 現時点ではヒアリはまだ日本未定着だが,青海埠頭で50個体を越える有翅女王個体が発見されたりしており,極めて定着に近い状態でリスクは大きい.音を利用したヒアリホイホイが実用化できないか挑戦している.

 
以上が本書の内容になる.改めて解説されてみると確かに中南米のアリには強烈なものが多い.アルゼンチンアリやヒアリの世界的な拡大は最近よく聞くところだし,ハキリアリも一旦侵入されたなら(どんな植物もキノコにして食べてしまえるために)その農業被害はすさまじいことになるようだ.そしてそのような強烈な相手を研究するために片道25時間かけてフィールドに出て研究を続ける著者の語る物語は面白い.フィールドの面白話からアリをめぐる様々なトピックまで,この際引き出しにあるすべてを語り尽くしたいという著者の情熱が感じられる一冊だ.
 
関連書籍
 
本書でも紹介されている長谷川英祐の働きアリの法則に関する一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20110427/1303899084

 
アリについての面白い本としてはこの本がある.ハキリアリやアルゼンチンアリも扱われている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140722/1406026778
 
ハキリアリについてはこの本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120804/1344075902
 
やや古い本で現在入手困難だが,アリ本なら同じくEOウィルソンとヘルドブラーによるこの本も外せない. 
さらに邦訳はないが同じくEOウィルソンとヘルドブラーによるピューリッツァー賞を取った超有名なアリ本. 

*1:長らく世界記録だったが,最近さらに速いアリが見つかって現在世界第2位だそうだ.著者がなぜその1位になったアリを紹介しないのかはよくわからない

*2:長らく世界最大のコロニーとされていたが,2002年にスペインからイタリアに広がるアルゼンチンアリのスーパーコロニーが発見されてその地位を失った.

*3:どちらが強いかよく聞かれ,一般論としては攻撃力はグンタイアリ,防御力はハキリアリになると答えるそうだが,一度グンタイアリの襲撃を受けてハキリアリの巣が滅びる現場を観察したことがあると語られている.

*4:アリの真社会性の説明は3/4仮説で決定的というような書きぶりになっている.ここはやや丁寧さが欠けていて残念なところだ

*5:なお日本のとある場所では女王アリが生まれるアミメアリもあるそうだ

*6:サブカーストは10以上で労働レパートリーは30を超えるそうだ

From Darwin to Derrida その45

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その10

 
ヘイグはインプリントされた遺伝子間の個体内コンフリクトを取り上げ,いくつかの例をあげた.基本的に父由来遺伝子と母由来遺伝子は母親からの投資量をめぐってコンフリクト状態になる.実際にこの投資を母親から引き出すためのパーソナリティや行動傾向がコンフリクトによる綱引きの結果決まっているらしいことが(そのインプリント遺伝子クラスターが除去された状態である)プラダーウィリ症候群とアンジェルマン症候群からわかるのだ.
この個体内コンフリクトは第5章のテーマである「遺伝子はどのように個体をコントロールしているか」を良く理解するための実例ということになる.そしてヘイグは第5章の最後でこのテーマに戻り,これを発達システム論との関係で論じている.
 

多数からなる1つ(E Pluribus unum*1

 

  • ここで一旦発達システム理論の視点に立って,遺伝子が有機体の自動機械をコントロールしているのかどうかを考えてみよう.
  • 個体発生には必然的に発達中の物質的生命体とその環境の相互作用が含まれている.遺伝子はこの過程の重要な部分だが,それだけでは作用できない.核酸は遺伝子の物質だが,生命体の分子コンポーネントという意味ではタンパク質や脂肪や炭水化物やミネラルと異ならない.これらの分子はより高いレベルのコンポーネント,つまり筋肉や神経や骨に組織化され,環境の中で目的論的に機能する.
  • 瞬間瞬間の生命体の行動のコントロールには遺伝子発現の変化はほとんど関与しない.しかしより長期的な発達のタイムスケールにおいては遺伝子は生命体が環境においてどう反応するかを改変するツールとなる.この生命体の機能にかかる遺伝子の概念はトークンとしての遺伝子,あるいは物質的遺伝子に近い.物質的遺伝子は生命体の行動をコントロールしない.生命体はそれの持つ複雑性の世界の中でそれ自身をコントロールしている.これは自律的なロボットのメタファーになる.

 
最後の部分は難解だ.発達過程において生命体の構成に指令を与える遺伝子が情報遺伝子より物質遺伝子に近いというのはわかりにくい.ヘイグがここで指摘しているのはそのような生命体を構成するような指令は直接の行動の指令とはかなり異なるということに過ぎないのだろうか.ここからヘイグは個体内コンフリクトの視点も入れ込むとどうなるかに進む.
 

  • ここでその生命体が分割されているとするなら,我々はコントロールについてどう考えればいいのだろうか.社会というメタファーは(自律的ロボットというメタファーより)より柔軟なエージェンシーについての考察の方法を示唆してくれる.国家とその市民のエージェンシーを考えてみよう.国家は世界の中で活動する.国家は宣戦布告し,条約を結び,インフラに投資し,市民間の紛争を解決する.これらの活動は市民の行動によって部分的に定められるが,その市民の選択や選好は国家の行動により形成される.
  • 国家の集合的エージェンシー性を否定しつつ市民の自律エージェンシー性を信じることができるかもしれない.しかし社会とそのメンバーについての因果性を理解するという問題は(部分から全体を参照し,かつ全体から部分を参照するという)単純な聖書解釈学ではない.
  • 個人としてのヒトは単に社会的グループの下部構造であるわけではない.グループはオーバーラップするメンバーを持つ.例えば一部の市民は(二重国籍者として)複数の国家に属している.このような場合の二重忠誠は国家内のコンフリクトの要因にもなれば,国家間の協調の要因にもなるだろう.

 

  • 私は生命体の行動のタイムスケールにおいて2種類のアクターを認識している.我々が生命体と認識する歴史的な個体と私が戦略的遺伝子と呼ぶ歴史的個体だ.これらの関係はある意味で国家と市民のそれに似ている.生命体は世界の中でその戦略的遺伝子達の集合的行動として決定されたように行動する.しかし個別の遺伝子的な行動は生命体レベルで得られた情報により決定される.戦略的遺伝子は単に生命体機械のパーツであるだけではない.なぜなら生命体の中の一部の戦略的遺伝子の結託は生命体全体の利益を自分たちの利益と引き替えに損ないうるからだ.戦略的遺伝子と生命体は異なる種類のエージェンシーを持つのだ.それは異なる方法で働く.

 
ここまで読むとヘイグの言いたいことはかなりはっきりしてくる.生命体が受ける指令は1つのレベルだけからではないのだ.それは個体の意思決定として捉えた方が適切な場合もあれば,戦略遺伝子社会での決定と見た方がいい場合もあるのだ.私たちは時に協調的で時にコンフリクトを持つ多層的なエージェンシーによる複雑な相互作用の結果を受けて行動しているということになる.
 

  • ここで注意を一時的な発達の軸から通時的な進化の軸に移そう.進化的なタイムスケールでは情報遺伝子はテキストになる.それらは情報の貯蔵庫でアリ.過去の環境で何がうまくいき,将来何が期待されるかが記されている.これらのテキストは過去の環境によって核酸配列として書かれている.それは現在の環境の解釈者でかつ遺伝テキストの解読者となる生命体の構築方法を含んでいる.現在の環境は発達過程におけるその物質的テキスト解釈の文脈を供給するのだ.

 
この最後の結論は深い.遺伝子は過去情報が詰め込まれたテキストであり,そのテキストの解読者を作る指令を出す.そしてこの解読には現在の環境が影響を与えるということになる.

*1:「多数から1つへ」という意味をもつラテン語の成句で,多くの州からなる1つの統合国家という意味でアメリカ合衆国を指す言葉として国璽などに用いられているそうだ