From Darwin to Derrida その146

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その11

 
ヘイグは送信者と受信者(そしてその内部のサブ解釈者たち)により複雑で多層的な意味の世界があることを提示し,遺伝子に話を進める.細胞内にはDNA配列(あるいはRNA配列)を読む3種類の解釈者が存在し,彼等は心を持たない解釈者ということになる. 
 

遺伝子の意味 その2

 

  • 1つのDNA配列は,DNA複製の1ラウンドを通じたそのアンチセンスの解釈であり,2ラウンドを通じたそのセンス鎖の解釈でもある.しかし1つの遺伝子は転写を通じてmRNAとして解釈される.すなわち,遺伝子はDNAポリメラーゼにとってはそれ自身を意味し,RNAポリメラーゼにとってはmRNAを意味する.複雑な解釈者は単純な解釈者から生まれうる.DNA配列は,RNAポリメラーゼとリボソームの組み合わせによる複雑な解釈システムの(まずmRNAそしてタンパク質へという)2段階解釈によりタンパク質として解釈される.この結果遺伝子はこの組み合わせ解釈者によりタンパク質を意味することになる.

 
3種類の心を持たない解釈者にとっての意味はそれぞれ異なり,相補的あるいはそれ自身のDNA配列,mRNA,タンパク質ということになる.おなじDNA配列が解釈者によって異なる意味を持つ具体例ということだ.最後の解釈は2種類の解釈者の組み合わせから生まれたものだ.するとより複雑な組み合わせにより異なる意味が生じうることになる.
 

  • より興味深い主張には「生物個体の遺伝子は集合的に生物個体を意味する」というものがある.過去の生物個体は現在の遺伝子の複製と伝達にかかわっている.そして現在の遺伝子は複雑な発生システムにより現在の生物個体として解釈され,現在の生物個体は将来の遺伝子の複製と伝達にかかわる.生物個体と遺伝子は一次志向性のもと再帰的に関連していることになる.したがって生物個体はそのゲノムをそれ自体として解釈すると考えることができる.

 
そのような複雑な組み合わせを生物個体まで広げると,生物個体はDNA配列全体つまりゲノムを生物個体として解釈するとみることもできるということになる.とはいえヘイグはすぐに次のような留保をおいている.
 

  • この言明を過解釈してはならない.個体発生においてテキストは常に文脈依存的に解釈されるので,ゲノムテキストの解釈はそれぞれユニークなものになる.生物個体はそのゲノムを環境文脈の中で解釈するわけで,全ての詳細が意図されたものではないのだ.

 
ここからゲノムに血友病因子がある場合の具体例になる.
 

  • マイナーな遺伝的差異が大きな個体的差異を作ることがある.ヒトのFactor VIIIと呼ばれる血液凝固タンパク質の282番目のアミノ酸はアルギニンであり,この遺伝子のセンス鎖においてはCGCコドンに,相補的なアンチセンス鎖ではGCGコドンとなっている.Gに先立つCは時にメチル化して5メチルシトシン(5-meC)となる.この5-meCに脱アミノ化が生じると5-meCがTに変わる.するとGCGコドンがGTGコドンとなり,センス鎖はCACになる.これは当該アミノ酸をヒスチジンとして解釈する.このように解釈されたFactor VIIIタンパク質は男性に致命的な血友病を発症させる.

 
血友病を発症させるこの遺伝子がX染色体上にあることは有名だ.このために突然変異が生じた際に,女性の場合もう片方のX染色体が正常である可能性が極めて高いので正常な血液凝固タンパク質が合成できるため発症しないが,男性の場合には必ず発症することになる.
 

  • アミノ酸を変えてしまうようなDNAの突然変異は非同義置換と呼ばれる.DNAポリメラーゼ,RNAポリメラーゼ,リボソームはタンパク質の機能を顧みずに忠実に非同義置換された遺伝子を解釈する.ヒスチジンとしての解釈は解釈者(DNAポリメラーゼ,RNAポリメラーゼ,リボソーム)にとっての(進化によって形作られた,テキストをそのまま解釈せよと言う)意図された意味だ.しかし生物個体から見るとヒスチジンや血友病は意図されていない.父系の祖先系列のどの男性個体も変異遺伝子を持っていなかったし,血友病にも罹患していなかった.

 
DNAポリメラーゼ,RNAポリメラーゼ,リボソームは分子機械なので,与えられた指令に忠実に従う,突然変異をそのまま解釈することはこれらの解釈分子機械にとっては意図された意味になる.生物個体を解釈者として見るなら,これは意図された意味ではないというのがヘイグの解説だが,なかなか難解だ.この点については次節でさらに詳しく検討されることになる.
 

  • 遺伝カウンセラーは,男の胎児のFactor VIIIタンパク質遺伝子のDNA配列のプリントアウトを読む.そこには母のX染色体の片方からキャリーされた変異配列がある.違いを作る違いは当該コドンの中のGとAの違いだ.カウンセラーはプリントアウトを読み,Gを見たなら「問題ない」と告げ,Aを見たなら「問題あり」と告げることになる.
  • アミノ酸を変えない突然変異は同義置換と呼ばれる.進化生物学者は2つのDNA配列の中の同義置換と非同義置換の比を調べて,そこに自然淘汰がかかっているかどうかを推測する.この場合リボソームという解釈者にとっては意味のない違いが,進化生物学者という解釈者にとっては意味のある違いになる.

 
進化生物学者にとっては同義置換は様々な情報源になる.このため進化生物学者にとっては同義置換の有無は意味のある違いになるというわけだ.

From Darwin to Derrida その145

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その10

 
ヘイグは送信者と受信者(そしてその内部のサブ解釈者たち)により複雑で多層的な意味の世界があることを提示した.ここからようやく話が遺伝子に移る. 
 

遺伝子の意味 その1

 

  • 遺伝子の意味とは何か.短い答えは,解釈者が意味として解釈する物理的実体なら何でもそうだということになる.細胞には3種類の重要な解釈者が存在する.それらは遥か昔に非周期的ポリマーを解釈するように進化した.

 
ここまでの議論から行くとヘイグによると遺伝子のDNA(あるいはRNAに転写された)は入れつの意味は,その解釈者によって異なることになる.そしてこの場合解釈者は3種類存在し,DNAポリメラーゼ,RNAポリメラーゼ,リボソームということになる.
 

  • DNAポリメラーゼはDNAのセンス鎖をアンチセンス鎖で補完する.RNAポリメラーゼはDNAセンス鎖をRNAに転写する.リボソームはmRNAをタンパク質に翻訳する.
  • DNAポリメラーゼにとってDNA配列の意味はその補完鎖だ.RNAポリメラーゼにとってDNA配列の意味はRNAだ.リボソームにとってmRNAの意味はタンパク質だ.同じ配列が異なる解釈者にとっては異なる意味になる.情報(入力)は同じでも意味(出力)は異なるのだ.

 
同じ配列が解釈者により異なる意味を持つというのはこれまでの議論を当てはめた場合の当然の結論になる.
 

  • DNAもmRNAも解釈されるべきテキストだ.RNAポリメラーゼは(DNAだけでなく)トランスファーRNA(tRNA)やリボソームRNA(rRNA)も転写する.これらはmRNAの転写に使われるツールであり,さらに解釈されるべきものではない.RNAポリメラーゼやリボソームに解釈されるテキストの中にはRNAポリメラーゼやリボソームの製作のためのインストラクションも含まれている.解釈者は自身を知っているのだ.

 
ここは少し難解だ.RNAポリメラーゼがtRNAを転写する場合にはなぜ解釈が生じないということになるのだろうか.私はあまり分子遺伝学に詳しくないので,ちょっと調べて見ると,3種類のRNAポリメラーゼが存在し,それぞれ転写するRNAが異なるということのようだ.RNAポリメラーゼ I は 5SrRNAを除くrRNA前駆体,RNAポリメラーゼ II はmRNA前駆体,RNAポリメラーゼ III はtRNA,5SrRNAなどの転写を行うらしい.いかにも複雑だが,ツールだからrRNAとかtRNAヘの転写が解釈とは言えないということの意味はよくわからない.
 

  • これらの分子機械は,特殊化されたテキストの汎用目的で心を持たない解釈者だ.特にDNAポリメラーゼは,全ての可能テキスト図書館の写字室にいる写字僧に似ている(Borges 2000).彼等は面白くもないDNA配列をひたすら正確に書き写す.あるいはその図書館はデネットのいう一定程度の長さの全ての可能なDNA配列を収めるメンデル図書館としてもよいだろう.ヒトのゲノム長の可能配列の中で,そのごくごく一部のみが実現されたに過ぎない.自然淘汰はメンデル図書館ライブラリーの中で現在までに実現できたごくごく一部の(そしてそれでも膨大な)配列が収められたダーウィン図書館のライブラリーの中で働くのだ.このライブラリーの中で,なお読まれるテキストともはや読まれることのないテキストの差異が,過去何が働いて何が働かなかったかの情報をもたらす.

 
この3種類の解釈者はまさに分子機械であり心を持たないことは明らかということになる.写字僧のメタファーはアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスからきているようだ(ノンフィクションの散文を集めた本が参照されている)メンデル図書館とダーウィン図書館の比喩はもちろんデネットの「ダーウィンの危険な思想」からきている.

訳書情報 「ヒトは〈家畜化〉して進化した:私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか 」

 
以前私が書評したブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズ夫妻による「Survival of the Friendliest」が「ヒトは〈家畜化〉して進化した」という邦題で邦訳出版された.
本書はヒトの同種個体に対する友好性そして協調性が「自己家畜化」を経由して進化したものであることを説得力を持って解説している好著だ.特にトマセロやランガムの元での経験談や家畜化について知るためにシベリアのベリァーエフのキツネ飼育実験場まで赴いた話などは臨場感たっぷりで楽しい.後半はそのような同種個体への友好性を持つヒトがなぜ戦争やジェノサイドを引き起こすのかについて,外集団に向けた敵意も自己家畜化の一側面であり,それが相手の<非ヒト化>を通じて強化されるという議論を行っている.本書の議論はランガムによる「善と悪のパラドックス」の議論と深く関連しており,あわせてヒトについての自己家畜化を考察する上で有益な書物だと評価できよう.
 
原書の私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/03/06/111046
 
 
原書

 
ランガムによる自己家畜化本 
同原書

From Darwin to Derrida その144

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その9

シグナルの送信者と受信者にとって,それぞれのシグナルを送受信する意図やシグナルの意味(解釈)は異なりうるもので非常に複雑な状況が生起しうることが説明されてきた.ここから解釈者の内部に話が進んでいく.
 

私的テキストと公的テキスト

 

  • 複雑な解釈者の内部の働きにはサブ解釈者たちへの仕事の委任が含まれている.サブ解釈者はテキストを他のサブ解釈者に提示する.これらの内部的にのみ使われるプライベートなテキストは全て物理的実体をもつ.その一部は一時的なものだ.例えば知覚の認識結果は感覚器への入力の解釈で,次のサブ解釈者に渡される(その後消えてしまう).別の一部は長期的なものだ.記憶は必要なときに取り出されるテキスト記録になる.

 
我々の自己は単一の存在ではないというのは,心の中に意識のホムンクルスが存在するはずがない(それは何層もの階層と複雑なネットワークによる処理だ)ということだろう(デネットがカルタジアン劇場の比喩を提示して丁寧に説明しているところだ)
 


 

  • 意識はプライベートなテキストであり,私たちのメンタルデスクトップであり,極く短期間のメモリだ.私たちはそのメモリがどのように書かれているかを知らないが,意識は関連する情報を得るにはどこを探すべきかを別のサブ解釈者から教えられる.視覚に捉えられた光景はコンスタントにアプデートされる世界の単純化された解釈であり,ほかの知覚との齟齬矛盾を常に比較される.
  • 私はモネの絵を見る.そこにはボートと5羽のアヒルのいるセーヌ川が色のついた斑点の芸術的な集合体として描かれている.私は水面の光の揺らめきばかりか,ボートの索具装置が立てる音すら感じる.これらの意味は私の解釈だ.私の連れ合いはアヒルではなくカモメを見る.キャンバスにより近づくと見えていたものは歪んだ形の斑点に溶けていく.アヒルはただの白く塗った跡とわかる.私の見た光景は劣決定だが,モネの天才は最小の手段と絵に仕込まれた内部情報でそれを示唆するのだ.モネは私が絵に近づくときにそこに期待する詳細の幻想を作り出すのだ.

 
この絵はおそらくクロード・モネの『赤いボート、アルジャントゥイユ』のことだと思われる.ハーバード美術館に収蔵されているのでヘイグにはこの絵を見る機会が多いのだろう.
 
artsandculture.google.com
 

 

  • この文章は私があなたの解釈に与えようとする全ての情報を含んでいない.紙の上にあるインクの配置により,私は絵とその光景を示唆し,あなたに「ああ,何を言ってるかわかるよ」と言わせようとしているのだ.あなたに特にわかってほしいのは,著者はパブリックなテキストを組み上げるときに,常に読者のプライベートな豊かな情報やリソースを当てにしているということだ.

 
送信者の意図はテキストに全て書かれているわけではない.受信者がどうそれを解釈するかは様々な状況に依存し,それを前提にしていることになる.
 

  • 私のテキストは,進化してゆくテキストの複数のドラフトからの作り上げられたものだ.読み,読み直し,書き,書き直している中で,私は自分が何を意味していたか,意味しているのかを理解する.私の意味は今あなたが読んでいる公的なテキストであり,私の中の曖昧な感覚ではない.
  • 齢を重ねて心の鋭敏さが薄れるにつれ,私は本当は何を意味したかったのかを知るために,記憶補助メモとして以前の私の公的なテキストに頼るようになった.私の心にあるのは,以前のドラフトから思い起こした記憶と下手くそに書いたテキストについての後悔だ.いったんテキストが出版されたなら,読者にとってのその意味は書き手の意図の手を離れる.あなたが読むと私の意味はあなたの意味になるのだ.

 
自分がテキストを書いていたときに何を本当に意図していたのか,それは一部分の忘却と記述スキル不足のために時とともに曖昧になっていく.そして最終的にはそこにあるテキストと(著者が推測できたかどうかにかかわらず)読者が持つ様々な状況のみによって意味が定まっていくということだろう.これは自分の昔のテキストを読んだことがある人にはよくわかる感覚だろうと思う.

From Darwin to Derrida その143

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その8

 
だんだん難解になる「Making Sense」.送信者(最初の解釈者,情報の創造者)意図と受信者(2番目の解釈者,情報の消費者)の意図が異なるという話に続き,送信者の意図が欺瞞的な場合の話になる.
  

解釈の解釈 その3

 

  • さらに著者の意図と,著者が読者にどのように解釈させようとしていたかというのも区別されるべきだ.一部のテキストは欺瞞的だ.ガの折り畳まれた翅の隠蔽色は捕食者に「ガではない」と解釈されることを意図したものだ.そしてガが飛び立つ時に翅を広げて見せる目玉模様は,(貴重な一瞬を稼ぐために)「上位捕食者の眼」と解釈されることを意図している.もしこれらのテキストがガの捕食者にガが意図した通りに解釈されるなら,それらは目的に役立ったのであり,読者に誤解させるという著者の意図通り読者に解釈されたのだ.

 
最初の意図と意図した解釈の区別というのは,どう解釈させようとしたか(what)となぜそう解釈させようとしたか(why)は異なる問題だというほどの趣旨だろう.ここから目的論についての蘊蓄が始まるかと思いきや,ヘイグは禁欲的に意味について語り続ける.
 

  • 完成した巣には構築についての証拠が残されている.もし鳥が自分の巣のモデルを自分が巣立った巣に求めるなら,親の巣は子の巣の構築の情報を伝えていることになる.もし親が,子が再構築しやすいように巣を作っているなら,それは孫の生存率を上げることになり,繰り返されるだろう.だとするなら巣は子どもの解釈を意図したテキストということになる.この例は物事は(抱卵のための)ツールであると同時に(子孫への教示のための)テキストでありうることを示している.マフィアが内通者の死体を通りに放置するとき,殺人は(裏切り者の消去という)目的についての直接的な手段であると同時に,(潜在的な内通者への警告という)テキストでもあるのだ.

 
ここはちょっと面白い.あるテキストには二重(あるいはそれ以上)のメッセージが託されることがあるということだ.するとそのテキストの「表現型」は2つの目的にとっての最適性が異なることから妥協的になることが予想される.
 

  • 地上営巣性の鳥の擬傷ディスプレイは,捕食者に「ここに簡単に捕れる獲物がいる」と解釈されることを意図したテキストだ.このディスプレイの機能は捕食者を本当に簡単に取れる卵から遠ざけることだ.もし捕食者がこのテキストを「近くに巣がある」と解釈して近くを探すなら.テキストは意図された通りに解釈されることに失敗しているが,捕食者は状況を正確に解釈していることになる.逆にもし鳥が本当に翼に怪我をしていてその様な動作をしているなら,捕食者が「ここに簡単に捕れる獲物がいる」と解釈することは正しい解釈になる.それを「近くに巣がある」と解釈して探索するなら,状況を誤解釈したことになる.
  • さらに本当は翼に怪我をした鳥が,捕食者がこれを擬傷ディスプレイと解釈することを意図して怪我をした動作を行うという状況も想像することができる.捕食者がそう解釈して近くを探索するなら,捕食者は鳥の動作を,鳥の(捕食者にこう解釈させようという)意図通りにテキストとして解釈しているが,鳥の意図自体を誤解釈していることになる.テキストは鳥の意図を達成し,うまく騙された捕食者の意図を阻止したのだ.

 
ここも面白い.ドーキンスとクレブスが看破したように利害の一致しない送信者と受信者間のシグナルは,送信者による操作になり,受信者はそれを見破ろうとするアームレース的な状況がうまれるということだ.
  

  • 紫外線は色素のない皮膚にダメージを与える.一部の皮膚は紫外線に暴露されるとメラニンを蓄積させる反応を起こす.このような反応を起こさない皮膚は紫外線を情報として使わず,紫外線によって単にダメージを与えられるだけだ.反応を起こす皮膚は紫外線をさらなるダメージを防ぐためのメラニンとして解釈する.黒い皮膚の観察者は,その皮膚が日光に当たったであろうこと,さらに文脈によっては皮膚の持ち主がアウトドアでレジャー活動しただろうことを推測できる.レジャー活動には社会的価値があるので,そのような解釈されるように紫外線ランプで皮膚を黒くしようとする人もいる.この場合黒い皮膚は意図を持つ観察者の解釈に情報を与えるように意図されたテキストになる.

 

  • 解釈(意味)は解釈された情報を「表現(to represent)」するもので,「解釈者」による情報コンテンツの属性要因(ascription)だと考えることができる.(ここで解釈は観察のメタファーとして使われている) 表現はどのように解釈者の内部プロセスが情報から意味を引きだし,なぜ解釈者はそのように解釈するように進化したかという興味深い疑問を生じさせる.テキストは単に著者により使われた情報を表現(represent)しているわけではなく,意図された読者に向けた情報を提示(present)しているのだ.
  • テキストは直接的ではなく,読者の解釈を通じて間接的に働く.テキストはエージェントではない.それ自体は何もしない.しかしテキストの違いは世界に大きな違いを作ることができる.それはバガヴァット・ギーターやアメリカ独立宣言やシオン賢者の議定書のことを考えてみればわかる.

 
このあたりは難解だ.利害が対立するものの情報のやり取りはいろいろと複雑な状況を生み出すので,それを深く考察できるということだろう.
なおよくわからなかったので調べて見ると「バガヴァット・ギーター」とは古代インドの長大な叙事詩「マハーバータラ」のなかの一節で,神の化身クリュシナとパーンタヴァの第5王子アルジュナの対話が収められている.この対話のテーマの1つが「無私の行為」であり,ガンジーに影響を与えたということらしい.また「シオン賢者の議定書」とは「ユダヤ人が世界を征服しようとしている」という陰謀論が書かれた偽書であり,ナチスのホロコーストに影響を与えたということらしい.このあたりの蘊蓄も深い.