From Darwin to Derrida その156

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その21

 
ヘイグの意味についての議論は因果の流れに移り,ミクロの出来事の影響がマクロに表れる場合もその逆の場合もあることを解説する.
  

バスタブの寓話 その2

 

  • 出来事の因果的影響は増幅することも減退することもある.ブラジルのマリーリアのチョウの羽ばたきがシドニーでの土砂降りを引き起こすという「バタフライエフェクト」は小さな違いが大きな違いを生むことの直感的な表現だ.ダイナミックアトラクターの存在は正反対のインプリケーションを持つ.アトラクターは違いを消すことがある.バスタブを考えてみよう.水が注ぎ込まれたのが,カップからだろうが,シャワーヘッドからだろうが,蛇口からだろうが,結局排水溝へ流れて行く.バスタブは文字通りアトラクションのベイシン*1なのだ.バスタブの形は,水分子の動きの全ての自由度を最終的にゼロにする.個別の水分子はそれぞれ独自の排水溝への経路を持つが,将来的な影響に違いはない.これは違いを作らない違いなのだ.バスタブの材質ではなく,形が過去の違いをキャンセルする.バスタブはその意図を強制する.

 
状況の構造が因果を増幅したり減衰させたりするとヘイグは説明する.ここではバスタブになっているが,形態だけだと漏斗の方がしっくり来る様にも思える.(ヘイグが念頭に置いている)過去のこれを取り上げた哲学的議論*2がバスタブを使ったという経緯があるのかもしれない..
 

  • 水がある時の渦巻きは再帰的なアトラクターだ.生物界は再帰的な目的追求アトラクターであふれている.なぜなら「最も美しく,最も素晴らしい際限のない形態が進化してきたのであり,今も進化している」からだ.収斂形質は進化時間の適応空間におけるアトラクターだ.成体の形態は発生時間における形態空間のアトラクターだ.生得的行動や学習された行動は,行動時間におけるパフォーマンス空間におけるアトラクターだ.文化的慣習は,社会空間や,それによりグループメンバーが共通の意味に収斂する方法におけるアトラクターだ.フォントや発音における微妙な違いは言葉がどう理解されるかに影響を与えない.単語のトークンは表現の自由を生む安定性の基礎だ.そしてもちろん敬礼も奇妙なアトラクターなのだ.

 
途中にあるのはもちろんダーウィンの「種の起源」の最終パラグラフからの引用だ.自然淘汰が形作る生物は再帰的な目的追求のアトラクターであり,そこに見られる安定性はバスタブ型の構造から来るとみなすことができるということになる.このような視点から見ると収斂形質,発生における成体形態,行動パターン,文化的慣習,言語の離散性から来る安定性も似たような構造の中にあると見ることができるわけだ.
 

  • 生物はホメオスタティックなアトラクターの階層を体現している.このアトラクターは空間的時間的な様々なスケールにおける因果的揺らぎに影響を受けずに基礎的な機能を保証する.分子から個体に至るまでの全てのレベルの身体のアトラクターは,予期せざる出来事から受ける個体の運命への影響を和らげる.このような非重要な出来事からの影響を緩衝することは,重要なことへの集中を可能にする.生物は世界にある様々な潜在的な原因のなかから,意思決定ポイントにおいて,適応的に干渉することを可能にするものを選択する.生物体は不動の動者であり,それは意図した目的の追求の中で自己選択した情報により動く.それはどの違いが違いをもたらすかを決めるのだ.責任転嫁はここで止まる.生物は自分で自分の運命を選ぶのだ.

 
そしてこのような因果構造の中を生きる生物は,安定しているものはその構造にまかせ,違いを作る違いに集中して意思決定を行うことになる.デネットの自由意思の考え方のヘイグ流の解釈ということになろうか.
 
デネットの自由意思についての本を再掲しておこう.

 

*1:最終的に同じ結果になる初期条件の集合という意味だが,basinには水盤という意味がある

*2:あるいはデネットの「Elbow Room」にあるのだろうか?

From Darwin to Derrida その155

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その20

 
ヘイグの意味についての議論はどんどん難解になる.潜在的可能性の世界から解釈者は違いを作る違いについての情報からその1つを選び,世界の状態は可能性から実在に収束する.ここから話は因果の流れに移る.
  

バスタブの寓話

 

もしあなたが自分を極く小さくできるなら,あなたは全てを外部化できるだろう.

ダニエル・デネット 1984

 
この引用はダニエル・デネットの「Elbow Room」からのものだ.この「Elbow Room」は1984年の出版(2015年に新版が出ている)で,永らく邦訳がなかったが,2020年に哲学者である戸田山和久により「自由の余地」という邦題で邦訳出版されている.「Elbow Room」というのはもともと「肘を自由に動かせる余地」という意味で,自由意思についての考察にとってのちょっとひねった題であるようだ.ちなみに私は未読だ.

 
 

  • メカニズムの研究はしばしば還元主義と結びつく.還元主義とは「大きなものはその小さな部分の特性と相互作用から適切に説明できる」というイデオロギーだ.小さなスケールの出来事が大きな影響を与えることがあることは否定できない.単一細胞のファクターVIII遺伝子の突然変異は,少なくとも10人のヴィクトリア女王の男性子孫に血友病を生じさせた.この中にはロシア皇帝やスペイン王も含まれる.アルマジロをツチブタから,シマウマをコブウシから異なる動物にしている*1全ての遺伝的変異は,もともとは単一の突然変異から始まっているのだ.

 
極く小さな出来事が世界に巨大な影響を与えるというのは(複雑系である)世界にはよくあることだ.最近の出来事でいうと,(おそらく)中国の武漢近くの誰かがコウモリを食べた時に小さなウイルスがヒト体内に入り込んで感染を成立させたことが,大パンデミック,サプライチェーンの混乱,(感染不安から人を遠ざけたことがプーチンの判断を狂わせたという説をとるなら)ロシアのウクライナ侵攻,大規模経済制裁,インフレと世界を大きく変えたことが想起される.なおここで説明される血友病の系譜については以下の論文が参照されている.
https://jcp.bmj.com/content/jclinpath/29/6/469.full.pdf

 

  • また大きなものが小さなものに影響を与えることがあることも否定できない.私の父方の祖父は第一次世界大戦で毒ガス攻撃を受けた.病院のベッドで検査のために正座するとき,彼は右手で敬礼しただろう.この敬礼の起源は不明で,何世紀も,おそらく千年以上遡るものだろう.いろいろな説がある.例えばそれは上位者の前で帽子を取る行為,あるいは騎士が兜の頬当てを上げる行為,あるいは武器を持たないことを示す行為が様式化されたものだというが,いずれも推測に過ぎない.ジョン・スチュワート・ヘイグの敬礼はオーストラリアや英国の将校の前ではほとんどオートマチックな反応だっただろうが,単にそれに似た人や特にドイツの将校の前では生じなかっただろう.メカニズム的には,彼の敬礼は神経筋接合部ヘのアセチルコリンの放出で生じる.しかし特定の抽象的な人物の前において敬礼を引き起こす分子レベルのメカニズムはどんなものだろうか.軍隊の伝統がどのようにして膜イオンを移動させるのだろうか.

 
西洋軍隊の敬礼の起源は何となく古代ローマの(ファシスト党が採用した)敬礼にあるのかと思っていたが,ヘイグの解説を見る限り,そうではないというのが主流の考え方のようだ.いずれにせよ,世界の状況が個人の行動に影響を与えることは当然で,その際にはミクロの神経系のメカニズムが効いてくることになる.というか,大きなものが小さなものに影響を与えるのはある意味自明という気もするところだ.
 

  • 13テラ電子ボルトのエネルギーで光速の0.99999999倍の速度で衝突した陽子の衝突のデトリタスはヒッグスボソンの存在証拠と解釈されている.そのような出来事はスイスとフランスの国境にある27キロのトンネルを持つ巨大なハドロンコライダーで作り出された.アメリカ議会はそれより大きなコライダーの計画をその巨額なコストのために1983年に却下した.このヒッグスボソンの存在証拠がアメリカではなくヨーロッパで検出されたという違いは政治的な状況からもたらされた.このような陽子衝突がテキサスではなくフランスで行われたことについての解釈可能な量子的メカニズムによる説明は存在しない.対人関係と大西洋を挟んだライバル関係のレベルの出来事が量子の動きに影響を与えた.選択という方法により,巨大で複雑な物事が小さく単純なものをコントロールして巨大な違いを作ったのだ.

 
そして大きなものが小さなものへ影響を与える別の例として,政治状況がハドロンコライダー(とそこでなされる量子実験)に与えた影響が採り上げられている.この話もちょっと面白い.

*1:distinguish armadillos from aardvarks and zebras from zebus:動物をアルファベット順に並べたときの最初のあたりの組とから最後あたりの組ということになる.

訳書情報 「人はどこまで合理的か」

  
 
以前私が書評したスティーヴン・ピンカーの「Rationality」が邦訳出版された.本書はピンカーがハーバードの学部生向けに行った講義がもとになっており,合理性とは何か,しばしばヒトの行動に合理性が乏しいように感じられるのはなぜか,合理性はなぜ重要かを説くものだ.*1
本書の中心になっているのは最初の「合理性とは何か」という部分になる.そこでは合理性を「どのように思考・行動すべきか」についての規範モデルと捉え,それを追求することに失敗する状況,この規範モデルの正当化が可能か,規範としての優先性をまず論じ,そこから具体的な合理性の中身として,演繹的論理,確率・統計,合理的選択と期待効用,統計的意思決定,ゲーム理論,因果と相関が採り上げられている.このあたりはいかにも学部生向けの講義らしく本質を捉えた充実した内容にまとまっている.
そして最後の2章で,なぜヒトはしばしば合理的に振る舞えないのか(様々な動機やバイアスがまとめられている),しかしそれに打ち勝って合理性を追求することがいかに重要か(合理性は人類社会の繁栄と道徳性の向上をこれまでもたらしてきたし,バイアスに打ち勝って合理性を追求することによりそれを継続できる)が論じられる.
原書出版から1年以内に邦訳出版され,電子版と同時発売となっており*2,この点については出版社の努力を評価したい.深く啓発的な内容でありながらわかりやすく書かれており読みやすい.多くの人に読まれることを期待したい.
 
原書に対する私の書評
shorebird.hatenablog.com


原書

*1:そういう意味では邦題には不満が残るものだ,なぜこのような書物の内容の極く一部を取りだしたような邦題をつけるのだろうか.商業的な理由ということなのだろうが,煽り文句になっているようにも思えないし,煽って売れるような本でもないと思う.

*2:残念ながら上下合本版は出されていない.検索を考えると是非合本版を出してほしいところだ

From Darwin to Derrida その154

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その19

 
ヘイグは「選択」と「選好」を採り上げる.単に何かを選択したことだけがわかっても,その選択者の選好はわからない.何を選択し,何を選択しなかったのがわかれば,選択したものと選択しなかったものの間で選好勾配があることがわかるということになる.ここからヘイグは本章の冒頭で登場した「水素センサーを備えて大気成分に水素がないときだけマッチを擦る機械仕掛け」の話に戻る.

違いの生成とメカニズム その2

 

  • 爆発,あるいは爆発しなかったことの原因の問題をもう一度考えてみよう.片方で,マッチを擦ることの有無,酸素の存在の有無は違いを作っていない.水素の存在の有無こそが違いを作っている.もう片方で,マッチを擦ることや酸素の存在は爆発を引き起こすメカニズムの本質的な要素だ.科学者が水素の有無についてコントロール実験を行うとき,その他の条件をそろえようとする(もし彼女が酸素の有無やマッチを擦ることの有無の条件を変化させるなら,それは実験変数になり,潜在的な違いを引き起こすものとなる).観察は現実の出来事であり,可能性の中の違いではない,違いではなく,現実の物事がメカニズムを構成する.しかし私たちは違いを作るためにメカニズムを調べるのだ.

 
これは因果を調べるためのコントロール実験の話ということになる.コントロールされた条件のあるなしで結果が異なれば,それが違いを作る因果的な要因と推測できる.しかし実験自体は現実の出来事であり可能性を直接見ているわけではないということだろう.
 

  • 「違いを作るものとしての因果」は,何が違いを作りうるのかという問題だ.それは選択されなかった経路の歴史だ.「メカニズムとしての因果」は別の結果ではありえなかったものであり,物事の連鎖の単一の経路だ.この原因についての2つの概念の関係は熱心に議論されてきた.(Hall 2004; Strevens 2013; Waters 2007)異なる行動は異なる結果を生み出しうる.しかし特定の行動は特定の結果を生む.私たちは容易に世界をアイデンティティ,あるいは関係性として解釈し,たやすくこれらの視点を見逃してしまう.

 
この(コントロール実験が含まれる)現実に存在した出来事の連鎖とあくまで可能世界の中で定義される因果との関連について哲学的な議論があることが紹介されている.ここで参照されているのは「Causation and Counterfactuals」に収められたホールの「Two concepts of causation」という論文,ストレヴェンスの「Causality Reunified」という論文,そしてウォータースの「Why Genic and Multilevel Selection Theories Are Here to Stay」という論文になる.最後の論文はマルチレベル淘汰にも絡んでいるようでなかなか剣呑な雰囲気だ.

https://www.fitelson.org/269/Hall_TCOC.pdf
philpapers.org
www.cambridge.org


 

  • 解釈者とは,可能性のある入力(観察のエントロピー)を可能性のある出力(行動のエントロピー)に結びつける進化したメカニズム,あるいはデザインされたメカニズムだ.これらの自由度がメカニズムの能力(何を観察できて,どんな行動ができるか)を決める.解釈者は特定の入力を特定の行動として解釈するまで,不確定で未決定だ.情報は,観察されるまでは別でありえたものだ.意味は,観察が異なれば別でありえたものだ.解釈と情報(違いを作るもの)と意味(作られた違い)を結びつける.自らの運命に干渉するように進化した解釈者にとって,唯一有用な情報は違いを作る違いについてのものだ.
  • 違いを作るものとしての因果は,私たちの知識の不確実性を選択メカニズムに投影する.トークンとしての出来事が一度しか生じない単一ユニバースにおいて,なぜ「別でありえたもの」は「別でありえなかったもの」より重視されるのだろう.それはどんな違いを作るのか? どのように決定できるのか? フィッシャー(1934)は私の心に1ビット干渉し,私は今や「別でありえたもの」を選ぶ.しかし私は違いも,それにかかっているものも理解していない.そのビットは元に戻りうる.「別でありえたもの」の視点から見ると,私たちの選択は世界を変える.私たちは,過去の選択が違いを作り,将来の選択が違いを作るからこそ,選択するように進化したのだ.

 
なかなか難解なテキストだ.解釈者は得られた情報が示す様々な可能性の中で自らにとってよい結果(違い)をうむような行動を選択する.つまり解釈によりあり得た不確定で未決定な状態は1つに収束する.量子論のようなテキストでもあり,デネットの自由意思の解釈にも近いだろう.
最後に出てくるフィッシャー(1934)とはフィッシャーが「Philosophy of Science」に投稿した「Indeterminism and Natural Selection」という論文を指している.これは第11章でも引用されていたものだ.
https://digital.library.adelaide.edu.au/dspace/bitstream/2440/15119/1/121.pdf


デネットの議論はここにある

From Darwin to Derrida その153

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その18

 
ヘイグは「意味は解釈過程の出力だ」という独自の見方を提示し,情報理論との関連を示した.通信(コミュニケーション)についての技術的問題,意味論的問題,影響的問題のうち情報理論は特に技術的な問題にフォーカスを当てているということになる.ここから「選択」と「選好」が問題にされる.

違いの生成とメカニズム

 

  • 選好とはもの(物体やイベント)ではなく,関係性(違いと同じ)の特質だ.誰かがxを選んだということを告げられても,彼が何を拒絶したかも聞かなければ,彼の選好を知ることはできない.私たちが,あるものを別の何かに優先して選ぶとき,私たちは無条件にあるものを選んでいるのではなく,あるものと別のものとの関係性における選好を表明しているのだ.それは,くずの中のましな方を選んでいるのかもしれない.

 
要するにここでいう「選好:preference」とは相対的な概念だということだろう.
 

  • x_{1}x_{2}のどちらかを選ぶという二者択一選択は, \bar{x}\pm\Delta のように表現できる.ここで平均 \bar{x}=\frac{x_{1}+x_{2}}{2} は「同じ」を \Delta=\frac{x_{1}-x_{2}}{2} は「違い」を表す.

 
選択が \bar{x}\pm\Delta という式になるというのはちょっとわかりにくいが,平均からの差分に注目してそのどちらかを選ぶという解釈なのだろう.
 

  • \bar{x}\pm\Delta には,x_{1}x_{2}と同じ情報しかないが,ものの関係を告げられた場合には,何がそこにかかっているのかが明らかになる.私たちは同じもの(\bar{x})の文脈から違い(\pm\Delta)を選び出すのだ.
  • 選択の瞬間,\bar{x}はそこまでの到着点であり,\pm\Deltaは可能な未来(そして生きるか死ぬか)への分岐なのだ.いったん選択がなされたなら,選ばれた「未来」は直前に選ばれた「過去」になり,選ばれなかった「未来」はそうであったかもしれない「仮定上の過去」になる.「どのようにしてきたのか?(How come?)」はとられた選択肢であり,それはとられなかった理由(理由があるとして)である「どうして別のありようではなかったのか?(Why not?)」の軌跡を保存している.

 
なかなか難解な言い回しだが,選択するまではx_{1}x_{2}ともにその潜在可能性があるから状態としてはその平均 \bar{x} になり,選択がなされたら,どちらかに定まり,過去とは \Delta だけ異なるということになる.そして(ここで, x_{1} = \bar{x}+\Delta であり,このときx_{1}を選択したとして)選択してきた軌跡には \bar{x}\bar{x}+\Delta = x_{1} が残され,その情報から \bar{x}-\Delta = x_{2} を得ることができることになる.