書評 「シカの顔、わかります」

  
本書は南正人による宮城県金華山のシカ*1の30年以上に渡る長期研究を語る本だ.その膨大な努力と苦労が詰まった成果が極めて丁寧に,かつ誠実に記されている.副題は「個性の生態学」となっているが,個性そのものをテーマにしているというより,個体識別と血縁関係のトレースにより明らかになった長期リサーチの紹介という性格の方が強い本になっている.
 

第1章 そんなに違う? シカの顔:個性に迫る

 
第1章ではまずリサーチ対象のシカ集団が紹介されている.宮城県牡鹿半島の先の小さな島に住む600頭前後の集団になる.内150頭前後が黄金山神社*2を,残りが北側に広がる鹿山草原を主な行動範囲にしている.
ここで調査手法としての個体識別と血縁記録が語られる.当初は白髪染めでマークをしていたが,顔で識別できるようになったあたりの描写は楽しい.顔以外にも体型,模様,角などの個体差もいろいろ解説されている.そして出産の把握と個体識別により女系の家系図が作成可能になる*3.続いて行動観察と測定が解説される.ここでも特定のシカを1日追いかける調査の苦労話が楽しい.
最後に長期観察の意義が語られる.海外で多くの大型哺乳類の生涯繁殖成功度リサーチがなされていることに刺激を受けてはじめたリサーチで,繁殖成功を記録し,淘汰圧の実際,環境が与える影響を解明していくものということになる.
 

第2章 雌のためならなんでもします:雄の闘い

 
第2章では配偶戦略がテーマ.
まずオスの戦略としてのナワバリ行動について解説があるが,いろいろ微妙な問題があるのがわかり興味深い.シカの場合,オスは発情期だけナワバリを持ち,それをオス間闘争で防衛し,ナワバリ内のメスと優先的に交尾ができる.このナワバリはメスを視認できないとあまり意味がない(隠れて他のオスに交尾されてしまう)ので,メスの多く集まる見晴らしのよい場所(金華山の場合には餌付けのある神社境内)にのみできる.圧倒的に強いオス(スーパードミナント)がいるとナワバリ性は崩壊する*4.特に興味深いのは(神社で)角切りされたオスは(一時的に収容所に収容されている間に)よそから来た角のあるオスにナワバリを奪われるが,収容所から出てくると容易にそれを取り戻せるというところだ.角の存在にどの程度重要性があるのかはそのコストとあわせて面白い問題に感じられる.
劣位オスの戦略も詳しく解説されている.優位オスはナワバリ防衛に疲れてくるので発情期の後半にはチャンスが巡ってくる.できるだけ優位オスを疲れさせるような行動を取りチャンスを待つのが基本だが,発情メスをめぐる騒動を引き起こしチャンスを高める行動やスニーカー行動も観察されているそうだ.この様々な代替戦略の解説は楽しい.
 
メスについては,メスは選り好みを行うと理論的に考えられるが実証はなかなか難しいこと,交尾時期については早い時期の方がより強いオスと交尾しやすいこととその結果早く生まれる小ジカの冬越しが容易なことから有利と考えられることが説明されている(この早期の交尾で受精できなかったメスは発情を繰り返し,結果不利な遅い時期の交尾,受精になると考えられているそうだ).
続いて交尾行動の詳細が説明される.できるだけメスにナワバリにいてもらうためのオスの行動や2頭以上のメスが同時発情した場合のオスの行動などが解説されている.
 
この他本章では鳴き声(13種類の鳴き声があり詳細はわかっていないが,勝利オスの雄叫び*5,ナワバリオスが繰り返す遠くまで届く大きな鳴き声*6などが解説されている),オス間闘争のコスト,非発情期の争い(基本的には冬越しのための栄養をいかにとるかという競争),子どもを残せるオスの条件(基本的には体重が大きいが,同時期にどれだけ強いオスがいるか,同時にどれだけのメスが発情しているかという偶然の要素もある)などが解説されている.
 

第3章 お母さんと一緒がよいけれど:誕生と成長

 
第3章はシカの生活史がテーマ.出産,子ジカ期,子育てと成長が語られる.成長と生存がどのように決まるかが丁寧に説明されている.行動生態学的な親子コンフリクトや血縁認識などについても解説がある.
 

第4章 婆ちゃん,母ちゃん,姉ちゃん,女系家族のいろいろ:家族関係

 
第4章は家族関係がテーマ.
シカのオスは子育てに全く関与せず,交尾後はメスから去っていく.子育てはメスのみで行う.オスの子ジカは成長すると母親の元を去るが,メスの子ジカは母親とともに暮らし続ける.つまりシカは基本的に女系の血縁集団を作ることになる.ここではこの女系集団がどのようなものかが詳しく語られている.具体的な物語仕立てになっている部分もあってなかなか面白い.またオスたちは社会的な関係性希薄なまま集まることもあるそうで,そのあたりも詳しく語られている.またここでは繁殖関連以外の鳴き声についても説明がある.
 

第5章 子どもを残すのはたいへん:雌の生涯・雄の生涯

 
第5章は生活史戦略がテーマ.
冒頭で歯が磨り減ったときがシカが死ぬときだという解説があり,そこで様々なシカの死に様が語られる.そこから生活史戦略の話になる.
メスの生活史戦略について,いつどのように子どもを作るかという視点から様々なトレードオフが丁寧に解説され,残された謎についてもコメントされている.オスの生活史戦略は,どのようにオス間闘争に臨むかという視点で語られる.やはりここでも様々なトレードオフが丁寧に解説されている.本書ではこの生活史戦略の解説の後,個別のシカの生き様が物語的に紹介されていてなかなか面白く読めるようになっている.また最後にはトリヴァース=ウィラード仮説がシカにおいて成り立つかについても解説がある.(アカシカでは産み分けがあるとされているが)少なくとも金華山ではそのようなオスメスの産み分けを支持するデータは得られていないそうだ.
 

第6章 人との長いおつきあい:シカと人間の関係

第6章では研究対象の金華山のシカの人との関わりが語られる.危害を加えられず,時に餌を得ることができるとシカは人を恐れなくなる.この人への慣れには個体差がある.最初は様々なシカの慣れの様子が語られる.
続いて人への慣れの歴史的な経緯*7,このような人に慣れたシカの観察は野生動物の観察といえるかという問題,研究者はどこまで介入してよいのかなどが語られている.
 

第7章 ひとりでは生きられない:個体から個体群,そして環境との関係

 
第7章では個体群,血縁系列という視点から何がわかってきたかが語られる.
最初に30年前のシカの集団のうち子孫を残せたメスの割合が示され(12/47),しかし具体的にどのような淘汰圧がかかったかについては示せないことが語られる.次に30年間でどのような変化があったか(オスの小型化.短命化)を示し,その原因として考えられること(シカ人口の増加,それによりオスのナワバリ戦略の重要性が低下したこと,また餌としてより劣悪な植物にも手を出さざるを得ず,そのような植物に多い珪酸により歯が摩耗しやすくなったことが考えられる)が示されている.
 

第8章 シカに教えてもらったこと:野生動物の研究とはなにか

 
最後に本研究の意義がまとめられている.野生下の観察であること,個体をベースとした研究であること(保全や個体群管理の面から有用,行動生態学的には必須),直接観察にこだわったこと,チームでの調査,長期研究であること,記載型であること(仮説を構築するベースがまず必要)の意義が説明されている.
最後に現在シカの研究は(特に地方公共団体レベルで)どのように個体数を抑制するかが中心になっていて,その現場では従来の栄養状態と出産率や齢別死亡率などのパラメータを推定する手法ではなく,目撃数や過去の捕獲数から確率論的に推定する階層ベイズ法が主流になっており,そこでは出産率や死亡率のデータが不要と判断される傾向にあるが,それでいいのか(駆除による人為的淘汰の影響を把握しにくい)という疑問,そしてシカを長年観察研究して来た身として駆除が目的になっていることへの悲しさ,それをどう受け止めるかが語られ,最後に研究の意義は詰まるところ生命観に関係しているのではないかという思いが吐露されている.
 
以上が本書の内容になる.金華山のシカの長期研究でわかったことが淡々とかつ初心者にもわかりやすく丁寧に描かれ,穏やかな気持ちでじっくり読める格調の高い本に仕上がっている.そして(博士号取得後民間企業に勤めながらこの長期研究に関わり続けてきたという経歴を持つ)著者の熱い思いが最後にちょっと吐露されるという構成も奥ゆかしい.哺乳類の行動生態に興味を持つ人にとっては一服の清涼剤のような良書だと思う.

*1:本書ではニホンジカについて一貫して単にシカと呼んでいる.本書評でもその用語法に従う

*2:以前は豆腐屋さんの奉納したおからが給餌されていたり,その後観光客からの餌やりを受けたりしたが,東日本大震災以降は観光客が激減して行動にも若干の変化があるようだ

*3:父性の確認はDNAから可能だが,費用的な面から断念しているそうだ

*4:いつもなら数頭でナワバリ分割される神社境内でスーパードミナントオスが全ての交尾を独占できる状態になることがあるそうだ.なぜ広いナワバリと考えるよりナワバリ崩壊と考えた方がよいのかについては,もはや土地を守っているという概念では説明できないからとされている

*5:発情したメスに自分の位置を知らせる効果がある可能性が指摘されている

*6:強さを表すシグナルであり,オスに対する牽制だけでなくメスヘのアピール効果があると考えられ,ハンディキャップシグナルである可能性が指摘されている.

*7:昭和30年ごろまでは狩猟の対象となっていた,その後狩猟されなくなり餌が与えられるようになって神社のシカが慣れてきた,それ以外の地域のシカはシカを全く無視するサルの研究者が島中を歩くようになって人を警戒しなくなってきたということだそうだ

From Darwin to Derrida その178

 

第13章 意味の起源について その16

 
意味についてのヘイグの考察.「淘汰が意味を作る」ということについてアプタマーの系統樹を例に説明し,ハーマン・マラーを引用し,自然淘汰こそが詩を意味あるものにする詩人なのだと説いた.ここで引用はダーウィンに戻る.

 

自然淘汰の創造性

 
冒頭はダーウィンの「家畜と栽培植物の変異」からの引用となっている.

  • 淘汰の力は,それが人為によるものか,自然の元での生存競争や最適者生存にかかるものかによらず,生物個体間の多様性に完全に依存している.この多様性なしには何も生じない.

Charles Darwin(1883)

 

 
この文章自体は変異(それが生み出す多様性)の重要性を指摘している部分だ.だからここまでのヘイグの力点とは少しずれていてなかなか興味深い議論の進め方になっている.ここからこの多様性の中から意味を見いだす部分に議論が進む.そしてこれについてマラーとフィッシャーがどういっているかが紹介される.
 

  • 意味の起源は,意味のない突然変異の中から意味を選別する自然淘汰にある.コピー頻度の差は価値ある変異を残し,進化的に成功してきた突然変異の系列に方向性を与える.これは鉱滓から金を分離するプロセスなのだ.マラーは「ありえなさ」による標準的な議論を行っている.

 

  • 変異の大増殖(multiplication)という特徴がなければ,そしてその必然の結果である自然淘汰なしでは,私たちにおけるようなあり得ないほどの組み合わせが生じることは事実上どのような宇宙においても不可能だろう.これにより「私たちは生物のいない自然において偶然生じたものではない」という感覚が真に正当化される.
  • しかし,遺伝子からもたらされる「生物」に見られる変異の大増殖の力があれば,全てが変わる.そして私たちはその果実を享受することができる.それは,偶然により得られたものではなく,選択の上に選択を重ねられ,膨大な可能世界の中から選ばれたものなのだ.

ハーマン・マラー

 
これは前回と同じ「The Method of Evolution」という論文からの引用だ.
 
https://www.jstor.org/stable/14848
 

  • ロナルド・フィッシャーは同様に「進化の効果的なガイドを突然変異を引き起こすエージェントに帰する」議論を批判している.彼は突然変異の存在が「進化を可能にする条件」であることは認めている.しかし彼は「特に重要な効果が帰属する創造的な因果の時と場所」を特定しようとするなら,「無数の生物の経歴における生物と環境の相互作用こそ進化的変化の効果的要因と位置づけられなければならない」と主張した.突然変異可能な複製システムは環境に対する淘汰的反応により「自発的な創造性」を示すのだ.

 
ここでの引用は「Indeterminism and Natural Selection」という1934年の論文から
 
https://digital.library.adelaide.edu.au/dspace/bitstream/2440/15119/1/121.pdf

 

  • 彼はのちにこのテーマに戻ってこう語っている.

 

  • 自然淘汰の理論は進化的変化を形作る創造的要因をどこに位置づけるだろうか.生物の実際においては,それは,環境とコンフリクト,外世界,成長ヘの無意識的努力,意識的的な行動にある.そして特に,彼等の活動のその成功と失敗の生々しいドラマにある.

ロナルド・フィッシャー 1950

 
この引用は「Creative Aspects of Natural Law」という1950年の著作から.いかにもフィッシャーらしい持って回った言い方という印象だ.
 
www.cambridge.org

 

  • 彼はさらにこう書いている:「生物自身が創造的活動の主要な設計者なのだ」 それは「意思と闘い(意図)と活動と死(行動)」を通じて設計する.「それは単なる意思ではなく,現実世界におけるその活動履歴,そしてその成功と失敗のみが効果を持つのだ」
  • それは生物とその環境のエンゲージメントだ.それは死と生存という現実的な結果による仲介され,それが生物を形作るのだ.

 
そしてこの章の最後には詩が引用されている.
 

 世界が変化することを嘆くな
 もし世界が安定して変化がないのなら
 それこそ嘆くべきことだ

from “Mutation” by William Cullen Bryant (1794–1878)

 
これは19世紀の米国の詩人ウィリアム・カレン・ブライアントによる「Mutation」という詩からの引用だ.
 

From Darwin to Derrida その177

 

第13章 意味の起源について その15

 
意味についてのヘイグの考察.「淘汰が意味を作る」ということをアプタマーの進化系統樹を例にとって説明される.

意味論的刈り込み その2

 

  • 基幹トークンから原初トークンまでのパスで生じた突然変異はTPP親和性に向けての増加傾向を示している.より高い親和性に向けての方向性のある突然変異はどのように説明できるだろうか.
  • 答えは単純だ.突然変異は親和性に関して局所的にランダムなプロセスだが,成功するパスにおける突然変異シリーズはより高い親和性に向かう.この方向性は淘汰を行う環境からもたらされるのであって,様々な親和性を持つ枝を作る突然変異生成プロセスからもたらされるのではない.

 
系統樹における成功して存続を続ける系統はランダムな変異が選別された結果生じる.成功が連続する鍵は選別にあるのだ.もはや自明なことを何度も何度も手を変え品を替え冗長に説明しているような雰囲気だが,こうまでやらないと批判者には響かない(あるいはやっても無駄かもしれないが最善を尽くせばこうなる)というところなのだろう
 

  • ハーマン・マラーはX線誘導突然変異の発見において1946年のノーベル生理医学賞を受賞したが,そのインプリケーションについてこうコメントしている.「それは突然変異形態を増殖させる特殊な力だ.そしてその多くの突然変異形態が偶然から秩序を生じさせるトリックを可能にする.そのトリックとはそれ以外ではあり得ないほどの多くの組み合わせをを可能にするというものだ」

 
このマラーの引用は冒頭の「The Darwinian and Modern Conceptions of Natural Selection」(1949)ではなくそれより20年前の「The Method of Evolution」(1929)という論文からになる.
 
https://www.jstor.org/stable/14848

 

  • 枝を刈り込むときには様々な考慮が必要になる.アプタマーは何が残されたかと何が排除されたかによって形作られる.淘汰的プロセスはうまく働かない似たようなリガンドとの連合を排除する.進化したTPPアプタマーのリガンドとの適合においては,(そのアプタマーの)多くの部位がリガンドの形態にはまるように協調して働く.
  • アプタマーのテキストはその様々な全ての効果が淘汰の対象となる.ある部位においてはそれは.リガンドの形の鋳型を作る,アプタマーを発現プラットフォームにカプリングする,他のアプタマーと相互作用するという3つの機能を持つ.
  • 自然淘汰はうまい文言を探して突然変異を試す詩人だ.そしてリボスイッチ,遺伝子,そして生物個体は生命の詩なのだ.それらは同時に多くのことを意味する.おそらくこれは進化理論における意見の相違の究極因だ.詩の解釈には多くのやり方があるのだ.

 
最後の文章はなかなか味わい深い.突然変異はでたらめに多くの語彙(超天文数的可能性)を作るが,そこから選び出す詩人の技(自然淘汰)によって素晴らしい詩(環境に見事に適応した生命体)がもたらされる.生物学者は様々にそれを解釈し,その豊かさと多様性が生物学自体を(論争とともに)豊かにするのだ.

From Darwin to Derrida その176

 

第13章 意味の起源について その14

 
意味についてのヘイグの考察.意味を作るのは突然変異ではなく,淘汰なのだということを,サルのタイプライターの逸話で解説し,そこを理解できない批判者のポンコツぶりを見た.ここから「淘汰が意味を作る」というところがさらに深堀りされる.

意味論的刈り込み

 
冒頭ではショウジョウバエの人為突然変異実験で有名なハーマン・マラーによる「The Darwinian and Modern Conceptions of Natural Selection」という論文の文章が引用されている.

  • (自然淘汰)は,それがしばしば比較される樹木の剪定より遥かに「創造的」だ.またそれは,木のブロックの中に潜在的にありうる無限のイメージから1つのイメージを選び出し,それに沿って木のブロックを削り出すよりも「創造的」だ.もしこれが創造的でないというなら,彫刻をおこすどんな彫刻家も,無限の組み合わせから言葉を選ぶどんな詩人も創造を行っていないということになる.

Hermann Muller(1949)

 
意味の創造にとっては「選び篩い落とす」ことが重要だということを彫刻家の技から説明するのはわかりやすい.
https://www.jstor.org/stable/3143335

 

  • 全ての実在するTPPアプタマーのトークンツリー(token tree)を想像し,その分岐の収斂パスに従って,それら全ての共通祖先RNA,つまり原初トークン(urtoken)まで遡ってみよう.現存するあるアプタマーの直接の祖先は1つのDNA配列だ.そのDNA配列の祖先系列はDNA配列が続き,そしてどこかでRNA配列になり,そこからは排他的にRNA配列となる.
  • このRNA原初トークンは間違いなくTPPと高い親和性を持っていただろう.しかし私たちがさらに祖先を遡るとTPPとの親和性は下がっていくだろう,そして最後には親和性のない基幹トークン(stem-token)に達する.(これを示す系統樹が図示されている)

 
ここで系統樹を用いた説明になる.なぜphylogenetic treeとせずにtoken treeとするのかはよく分からない.描かれた系統樹は基幹トークンが一番下にあり,樹上に広がった先端の1つが原初トークンとされ,この1つの原初トークンからまた樹上に広がるように書かれている.この下側の基幹トークンから原初トークンにいたる系統樹における道筋でTPPとの親和性が選択されたということになる.
 

  • つぎにこの基幹トークンからはじめてその子孫を追って見よう.この枝は自然淘汰により激しく刈り込まれている.ほとんどの突然変異はTPPとの親和性に影響を与えないか,親和性を下げるものだが,しかし親和性を下げる突然変異はその後で刈り込みを受けているだろう.
  • そこには基幹トークンから原初トークンへと続く唯一の経路がある.それは遡って録画された「祖先へのヴィデオテープ」を前向きに再生して得られた道だ.
  • TPP親和性を増すような稀な突然変異は,この経路に特に多く見つかる.もしこのトークンツリーがランダムに刈り込まれていたたなら,このような原初トークンへの突然変異パスは得られないだろう.なぜならこの配列空間は超天文数スケールだからだ.しかし枝が環境によって刈り込まれるならこれが可能になる.なぜなら新しい突然変異は,すでに(より親和性がある突然変異を持つものとして)ノンランダムに淘汰された枝でのみ生じるからだ.

 
原初トークンに向かうありうる潜在配列は超天文学数スケールであり,淘汰圧にしたがった刈り込みがなければ実際上TPP親和性にたどり着くことはできない.しかし刈り込みがあれば,親和性に近づく道が得られる.TPP親和性を生み出すのは変異ではなく刈り込みだということだ.

From Darwin to Derrida その175

 

第13章 意味の起源について その13

 
ヘイグの意味についての論考.意味を作り出すのはランダムな変異ではなく淘汰だということをサルのたたくタイプライターの逸話で示そうとする.ここでは単純なサルのたたくタイプライターではなく,ボルヘスの「Total Library」の印刷機が登場し,ボルヘス自身その出力自体には意味がないことを指摘していることが解説された.
このことが理解できない自然淘汰の批判者たちの陥りがちな認知プロセスについての考察が続く.
 

サルとタイプライター その2

 

  • 自然淘汰が創造力を持つことを拒絶する別の理由(あるいは別に見える同じ理由)は,淘汰を純粋に否定的なプロセスとして見てしまうことにあるのだろう.それはほかの方法(これこそが真の創造力の源泉)で作られた変異を排除するだけのプロセスだと考えてしまうのだ.それを示唆するコメントをいくつか引用しておこう

 

  • 自然淘汰の機能は淘汰であって創造ではない.それは新しい変異の形成に関与しない.それはどれを残してどれを排除するかを決めるだけだ(レジナルド・パネット)

  • (自然淘汰)は神学の否定的な代用品だ.それは何らかの消滅のみを説明し,形態の出現を説明しない.それは抑えつけるだけで創造しない.(ハンス・ヨナス)

  • 一部のダーウィン主義者が彼等の呼ぶ自然淘汰に創造的な力を認めているのは,私の頭痛の種だ.・・・進化における唯一の創造的な要素は生きている生物の活動なのだ.(カール・ポパー)
  • 適応的な変化はどこから来るのか? 微妙でしばしば見過ごされている点は,それは自然淘汰からはもたらされないということだ.・・・自然淘汰が何かを創造することはない.(ジャン・デュプレ)

 

  • ほとんどのこのような批判は,イノベーションを変異をもたらす突然変異プロセスに帰し,自然淘汰は非創造的にそれらを受け入れたり排除するだけだとみなしている.
  • 彼等は,いわば,創造性をボルヘスの「Total Library」の著者に帰しているのだ.突然変異が創造性の源だというこの見方は,「意味」を誤解している.突然変異に意味はない.はじまりの時点で,違いの起源は,無意味なのだ.

 
この認知的なバイアスはそれほど普遍的なのだろうか.「意味があるものを残し,そうでないものを排除する」という プロセスを単に「何かを排除するマイナスな過程」として見てしまうというのは,あまりに近視眼的というか,あまりに自然淘汰を嫌いすぎという感じで個人的には理解しがたい.
 
批判者についてわかったことは以下の通りだ.

レジナルド・パネットは英国の遺伝学者.この引用は彼の著書「メンデリズム」(1913)からのもの.

Mendelism

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ハンス・ヨナスはドイツの実存主義哲学者.この引用は著書「生命現象:哲学的生物学に向けて」(1966)からのもの 
カール・ポパーはいわずとしれた大御所科学哲学者.この引用は1986年のメダワー講演の講演録かららしい. 
ジャン・デュプレは英国の科学哲学者 この引用はInterface Focus誌に掲載された「The metaphysics of evolution」という論文から
philpapers.org

 
カール・ポパーのこの言葉はかなり衝撃的かつ幻滅だ.私の中の彼の評価はかなり下がってしまった.