「人及び動物の表情について」

人及び動物の表情について (岩波文庫)

人及び動物の表情について (岩波文庫)



ダーウィンのThe Expression of the Emotions in Man and Animalsの訳書である.これは私がダーウィンの未邦訳書だと本ブログに書いたところ,shax2081さんとdeepbluedragon さんにすでに邦訳があるとお教えいただいたものだ.そしてアマゾンのマーケットプレイス経由で今私の手元にある岩波文庫版は1931年第1刷で1991年の第11刷となっている.絶版というわけではなく,品切れというステイタスだ.06/12/16現在ではアマゾンのマーケットプレイスに2冊出品されている.なお岩波書店のページで確認すると2007/2月に重版予定のようだ.今から書店で予約すると数ヶ月後には1050円で入手可能になると思われる.実際の中身は古色蒼然たる旧字体で,何ともいえない趣がある.


岩波のページはここ.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/6/3391270.html


本書の構成は大きく言って3部構成で,まず感情の表出についての三つの原則を説明し,第2部で動物について,第3部で人間について論じている.


まず3つの原則
1.連合的習慣の原理「The principle of serviceable associated habits」
2.反対の原理「The principle of antithesis」
3.意思から独立な,かつ習慣から独立な,神経系の構造による動作の原理「The principle of actions due to the constitution of the nervous system, independently from the first of the will, and independently to a certain extent of habit」


第1の原理についてはイヌのポインターやセッターの特徴や,人において身振りが遺伝することなどが取り上げられている.第2の原理についてはイヌの攻撃的なときの姿勢と飼い主にじゃれつくときの姿勢が正反対なことが図入りで示されている.第3の原理については筋肉がふるえることや強い痛みの時に汗が出ることなどが説明されている.
第2の反対の原理はなかなか面白い.現代的に言うとこれらは何かを伝えるシグナルであることからくる特徴であるように思われる.例としては攻撃的なイヌの姿勢と主人に甘えるイヌの姿勢の図が添えられていて非常によくわかる.
第3の神経系の構造からくる原理については痛みに伴い汗が出ることなどが説明としてあげられている.第1の連合の原理とも深い関連があるとダーウィンは言っており,ちょっとわかりにくい.現代的に言うと適応としては説明しにくい,何か別の適応による副産物のような現象をあげているのだと思われる.


この原理の説明のところでは連合の説明について習慣がついに遺伝するようになるというラマルク的な説明がされていて少し残念なところだ.


続いて第2部は動物の表情について
(ここは動物に内的な感情があることを前提にした議論で,いわゆる行動主義的な立場からは懐疑的に見られたであろうところだ.ここはまだ議論が残されている様だが,主流は動物にも内的な感情のような状態があるという理解に達しているらしい.ダーウィンはここでも結局正しかったようだ)


まず音声についての話が続く.鳥などのつがいが相手を呼ぶ音声や子が母親を呼ぶ音声,そして敵を畏怖せしめるための音声と取り上げて,それぞれの状況と音声が連合の原理で説明できるとしている.そしてヒトの声も感情と深く結びついていると説明している.またヒトの音楽は求愛行動と深く連合しているのではと推測している.ここはなかなか鋭い指摘のような気がする.ミズンの最近の説の萌芽ともいえるだろう.

音を出すようになる進化の説明としてガラガラヘビの警戒音の仕組みを細かく説明しているところはいかにもダーウィンらしい考察の細やかさだ.

続いて動物の姿勢に関して,敵への対応として姿勢を大きく見せる効果のある姿勢をとること,またかみつき攻撃を行う相手と闘争するときには耳を咬まれないように耳を寝かせると説明している.これも観察が細かい.

その後,個別の動物の説明.イヌについては主人になつくときに接触を好むのは子犬の時の連合だろう,そしてそれは服従の姿勢とも連合している等の説明が続く.動物としてはイヌに続いてネコ,鳥,サルなどが取り上げられる.サルの表情についても細かく観察している.


第3部はヒトについて


個別の感情とその表出について考察が続く.これを読むと普段当たり前と思っていることも改めて疑問を提示されてみるとなかなか深い問題が多いことに気づく.
まず最初の感情は苦悩だ.ダーウィンの最初の疑問はそもそもなぜヒトは悲しいと涙を出すのだろうということだ.考えてみるとこれは難しい.ダーウィンは悲しいと大声を出す,そしてそれは血流を変え,その充血等の作用から眼を保護するために目を閉じようとする,そしてその眼の筋肉の作用と連合して涙が出るように習慣づけられ,最終的には悲しみと涙の間に連合が生じたのだと説く.なかなか苦しいところもある説明だが,ではこれより良い説明があるのかと考えると難しいように思う.


続いて悲しいときに眉を上げることと口角を引くことについて.ダーウィンはこれは泣くのをやめようとしてがんばることのよる連合だと説明している.口角はともかく眉はなかなか苦しい説明のようだ.悲しみを表す眉の上げ方は内側のみあがる形で非常に特徴的だ.ダーウィンはこれも細かく観察している.


少し本書から離れるが,このような眉の内側のみあげるような悲しみの表情は意図的には作れない.このようなフェイクしにくい表情がどのようにして進化したのかというのは難しい問題で,私はまだよい説明に出会ったことはない.(これの適応的な意義についてはフランク他のコミットメント説が大変説得的だと思う)問題になるのは,もしこのシグナルが意図的に出せる正直な信号だとするとそれはハンディキャップコストが必要になってしまう.だから意図的に動かせないことが何らかの制約により保たれればはシステム全体から見ると安定しているが,その制約とは何か?あるいはなぜ意図的に動かせるように進化しないのか?特に中には意図的にこれを動かせるヒトもいるのでさらに説明は難しいように思う.
とりあえず本書においてのダーウィンの問題意識はそこにはなく,ある感情とある表情がなぜ結びついているのかというところに集中している.


次は喜びと笑い.口を開き口角を後ろに引き,上唇はあがる,眉が下がる,目が輝く,笑いとして声を出すことを観察している.声を上げて笑うこと,口の形については説明できないとダーウィンは認めている.


顰蹙(眉間に縦皺を寄せて眉をひそめる)について.ダーウィンはこの表情は幼児が泣くときに眼を保護するための動きが不快な感情と連合した,また何かに襲われる恐怖から遠方の物体を目をこらしてみるときにまぶしさから眉をひそめることとの連合したのではないかと説明している.
不平があるときに口をとがらせることについてはチンパンジーやオランウータンにも見られると指摘している.


激怒の表情.血流が速くなり,呼吸も荒くなるのは筋肉運動の準備との連合,歯をむき出すのは動物祖先からの受け継ぎと説明している.


嫌悪については味覚・嗅覚との連合が強いことを指摘している.まずい食べ物に対しての感情がその他のものに拡張したのだとして,口の周りの動きにその吐こうとするときの動きの特徴がよく出ているとする.またこれが軽蔑と連合していると指摘している.


肩をすくめる仕草について.ダーウィンは最初これが(現代で言うところの)ヒューマンユニバーサルではないのではないかと疑ったが,世界各地からの報告の手紙から本書ではユニバーサルと扱っている.そしてここからは何もできないという姿勢だと説明している.最近の日本人は肩をすくめる人もいるが,おそらく昭和40年代以前にはまれだったのではないかと思われる.ユニバーサルとまではいえないが,いったんこの仕草を見ると言わんとするところはよく伝わる.実はそれほど簡単でない問題なのかもしれない.それは次のyesで首を縦に振り,noで首を横に振る仕草も同様のような気がする.ダーウィンは首を縦に振るのは食べ物を食べることから受容する信号,そして横に振るのは食べ物を拒否する信号だと説明している.


驚愕.ダーウィンはより早くものを見ようとして眉があがる.呼吸を効率的にしようと口を開くと説明している.これと似た恐怖については,眉と口(恐怖の場合には口角が後ろに引かれる)にくわえ,暗がりを見ようとして目が開かれるのだと説明している.


赤面.これは意図的になるわけではなく,本人は隠そうとしているのに信号が出されることから,ダーウィンは詳しく考察している.そしてこれは自分の外見がどう人に見られているかということからくる感情を表す信号だとする.もともとは容姿への注目であり,性淘汰的な外観が関連しているのだろうと推測している.このあたりは鋭い考えかもしれない.そして相手から注目されると赤面するのだと現象を説明する.
心があるところに集中するとそこが収縮し,皮膚が動脈血で満たされて赤くなる.そしてそれが連合して赤面するようになったのではと言うのがダーウィンの説明だ.性淘汰まで言及しているのだが,そこからの究極因的な説明に到達していないのは読んでいてもどかしい.赤面の問題は現代的に考えてもなかなか面白いように思う.


最後に結論としてまとめがある.
まず表情が学習や文化によるものではなく,基本的に遺伝するものであることが強調される.そしてそれは連合等の3原理に基づくと説明される.その証拠として,意図的にコントロールできないものがあること,盲人でも同じような表情を浮かべることをあげている.実際にこのような表情がヒューマンユニバーサルだと広く認められるようになるのは1970年代以降なのだがダーウィンは遙かに時代を先んじていたことがわかる.今から考えるとダーウィンの提示したこの2点は非常に強力な議論でなぜこれが否定されていたのかは不思議な気がする.


(これについてはポール・エクマンが,この原書のdefinitive edition 1998のAfterwordで解説している.ダーウィンの挙げている直接証拠が大英帝国植民地からの手紙によるバイアスがあるかもしれないサンプルでしかなかったこともひとつの要因であり,背後には社会ダーウィニズム,ナチズム,マーガレット・ミードが登場する歴史物語があるのだ.ミードは自伝の中で,ロシアの双子研究が意味している生得的傾向の事実は政治的にきわめて危険であるため研究を当分凍結すべきだと考えたことを記しているという.つまり事実を知りながらも政治的信条として生得説を攻撃し続けたということだ.その後しばらくは生得説を主張すると人種差別主義者のレッテルを張られてしまう状況が続いた.エクマンは1950年代に文化相対主義者かつ行動主義心理学者として出発し,量的なデータを通して事実を調べるうちに表情のヒューマンユニバーサルに気づくようになる.この背教者ポール・エクマンの物語は劇的でかつ率直で大変面白い.「表情が生得的だということ」と,「まったく環境学習の影響を受けないということ」は全然異なる主張であるにもかかわらず,ミードに酷評されたりするくだりもあって迫力がある.ドナルド・ブラウンの「ヒューマンユニバーサル」も同じようなトーンで大変面白かったことを思い出す)


またダーウィンは仕草や表情には学習によるものあることを認めている.中には模倣によるものもあるだろうとし,現代的なミーム概念に近い考えまで示している.(ミーム自然淘汰までは述べていないが,なかなかの先見性だ)

続いて表情を見分ける能力が先験的かどうかについては,これは別の議論だとして断定的な結論を留保している.ただし一般的には能力ありと認めて良いとし.意識的な分析をしなくとも相手の感情が理解できること,発達心理的な分析からほぼ生得的と考えてよいことを述べている.ここのダーウィンの考えは深い.


そしてこのような表情の多くがヒューマンユニバーサルであることから人類・人種の単一起源論を主張している.また動物と人類の連続性も主張している.そして人類進化の過程で,類人猿に見られないことから泣くことは比較的新しい進化特徴で,これをこらえようとした悲しみの表情も進化的に新しいだろうと述べている.また眉の動き(特にまぶしいものを見るために眉を上げること)や肩の動きは直立したことと関連しているので,進化的に比較的新しいだろう,赤面は他人が自分をどう思っているかという複雑な認知に関するものなのでこれも進化的に新しいだろうと述べている.このあたりは130年以上前に書かれたとは思われないほど現代的な推論だ.

適応的な視点としては表情が豊かであれば母と子等においてコミュニケーションが容易になり,有利だっただろう,また状況によってその抑制も重要だっただろうと推測している.このコミュニケーションにかかる感情表出の適応的な議論は実は個別の感情表現を論じた本文ではあまり明確に展開されていない.決してそのような考えがなかったわけではないことはこのまとめからもわかるだけに,少し残念なところだ.(エクマンは原書のdefinitive editionで,そのような適応的な議論をすることは創造論者に逆に利用されるのではないかと恐れた結果ではないかと推測している)


読み終わってみて,やはりダーウィンは深いというのが感想である.観察も深いし,思索も深い.非常に興味深い示唆にあふれている.そして未だに解決されていない多くの問題が感情表現には残されていることがわかる.なぜ我々は悲しいときに涙を流すのだろう.そしてなぜ,どのようにして意図的に制御できない感情表現は進化したのだろう.なぜ一部の人は一部の感情表現についてそれができるのだろう.どのようにこの多型は保たれているのだろうか.



関連書籍


原書のdefinitive edition

The Expression of the Emotions in Man and Animals

The Expression of the Emotions in Man and Animals


ブラウンによる同じく背教の書.これも筋金入りの文化相対主義者が真実に目覚める物語だ.

ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ

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感情と音楽を扱ったミズンの本


歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

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