"Biological Signals as Handicaps" by Alan Grafen その4
さてハンディキャップシグナルがESS戦略として存在するという証明ができたところでグラフェンは面白い議論を行う.
もしESSである戦略ペアが存在し,オスが正直に広告し,メスがそれを評価しているなら,(つまり野外でコストのかかる信号を持つオスがメスに選ばれているということが観察できたなら)その戦略にはどのような性質があるかを議論しているのだ.実際のフィールドで生じていることを説明するために議論しているのだろうか.ここは最後の口頭で説明すればこうなるという説明があって面白い.
まずここでの議論の前提
- はESS
- は に対して増加関数
すると以下の結論が得られる.
- の近辺で が に対して増加関数となる.
これはそれぞれ,信号が正直,信号にはコストがかかる,より質の悪いオスにとって同じ信号はよりコストがかかることを意味している(私の解釈では3番目は微妙な限定がつくことになる)
これについてグラフェンの数学的な議論を厳密に説明できる自信はないがおおむね次のことをいっているようだ.
まず, は に対して増加関数なのだから,逆関数の も増加関数になる.メスにとっては を常に最小(つまりゼロ)にできる戦略があれば,それはそれに対して侵入できる戦略があり得ないことになり,すなわちそれがESSになる. は のときに常にゼロになる.これは が であることを意味する.つまり である.
次にオスのESS戦略 を考える.
今あるオスの質 に対して であるESS広告量が定まっているとすると.少なくともこの の近辺では が極大であるはずである.つまり となっている.
これは となる.
ここで が であるので は常に正の値を持つ.また前提より なので,上式が成り立つには でなければならない.
そして最後にオスの戦略 が メスが戦略 をとっているときにESSであるのだから, の近辺で極大になっている必要がある.これは前回示したESS導入のロジックを逆に回すと,このときに が に対して増加関数となることが必要になることがわかる.
最後のところはやや強引で私の能力では微妙だが,おおむねこういう理解でよいと思う.
ここからグラフェンはこれを直感的な説明を試みている.(a rough verbal version of the mathematical argument)これも私の解釈では次のようになる.
まず,ESS信号は正直でなければならない.正直というのはオスの質を反映しているということだ,もしそうでなければメスはその信号を評価に使わないはずだからだ.
次に信号が正直であれば,メスは正しくオスの質を評価する評価関数を持つ.これはオスの広告からオスの質を推定するのであるから,正しい推定関数は広告戦略の逆関数になる.
オスは広告をどのように行うかについて自由に選択できる.より広告をするとメスからより評価をしてもらえ,より利益を得る.ここである広告量の広告を行っているオスが存在しているならば,そのオスはそれ以上広告することでメスの評価にかかる追加の利益が得られることになる.しかしその広告量がESSであればトータルの利益変化はその近辺でゼロのはずだ.つまりあるところで広告を止めることがESSであるなら,この追加広告にかかるメスの評価からの利益を打ち消すべき追加広告のコストがかかっているはずだということになる.つまり広告にはコストがかかる.そしてそれを越えて広告を増やせばネットの利益はマイナスになっているはずだ.
さらに広告は正直なので,より質の高いオスはより広告を行っている.これはより質の高いオスにとって広告のコストがより低いことを意味している.
ここの議論は面白い.結局野外で見られる性淘汰にかかる信号をどう説明するかが,当時の議論の焦点だったのだから,単に「信号にコストがかかり,より質の高いオスにとって広告のコストがより低い場合に,ESSたる信号戦略が存在しうる.」というより,「今あるESSと考えられる信号システムがあれば,そのときには,信号は正直でコストがかかり,より質の高いオスにとって広告のコストがより低い.」という主張の方が議論の焦点であった現象の説明にフィットしているということだったのだろう.
またこのように直感的に説明されると,結局信号が正直であるためにはハンディキャップでなければならないことは自明である気がしてくる.おそらくそのように感じたザハヴィが,当初学会の大勢がハンディキャップ説に対して懐疑的であった頃のことを「このような自分たちに自明なことが何故議論になるのか理解できなかった」と述懐しているのも頷ける.「自明である」というのはとても不思議な認知システムの働きのような気がしてくる.
この項続く