「迷惑な進化」

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか



思いっきりチープなカバーデザインが購入意欲をそぐ作りだが,ダーウィニアン医学関連書籍の邦訳書は久々であり,読んでみることにした.著者は神経遺伝学,進化医学,人間生理学の研究者であるらしい.(邦題の「迷惑な進化」というのもいかにも出版者側の意図が強く出ている感じがしていただけない.)


さてこの本は導入部がいきなり面白い.著者は子供の頃,祖父が献血のあと生理的に気分がよくなるという話を聞き,医学図書館に連れて行ってもらって調べまくり,体内の鉄分が過剰になるへマクロマトーシスであると突き止める.さらに数年後大学に進学したあと,祖父が後年アルツハイマー病と診断された時に,これはへマクロマトーシスと関連があるのではと疑いを抱き,医学課程から神経遺伝学にコースを変えてこれに取り組み,この関連性を見つけ出す.さらに著者は自分もへマクロマトーシスを遺伝で受け継いでいることを知るのだ.何故このような疾病に関連する遺伝子が淘汰されずに人間の遺伝子プールに残っているのか?本書はこの疑問に対する著者の回答ということになる.


第1章はこのへマクロマトーシスについてだ.まず細菌のほとんどは鉄分を求める.へマクロマトーシスになると体内に鉄分を過剰にため込むが,逆に体内で鉄を封じる反応を強く持つために細菌性の病原菌に耐性を持つのだ.そして著者はこの遺伝子は中世のヨーロッパのペストの流行の結果遺伝子プールに残されたのだろうと解説している.さらに細菌と鉄分の関係から,20世紀にいったん否定された瀉血療法が現在見直されつつあることを記している.


第2章では糖尿病遺伝子が,最終氷期の寒冷化に対する淘汰圧に関して残ったのだろう(体液を一種の不凍液にする)ということへの解説,第3章では紫外線とビタミンDコレステロールの関連,アジアにアルコール分解酵素の弱い方の遺伝型が多いのは,水の消毒にアルコールを使ったか煮沸を使ったか(お茶)の違いだろう,アメリカにいるアフリカ系のヒトのみ高血圧型の遺伝子を多く持つのは,奴隷貿易船での水分不足という強い淘汰圧の結果だろうなどの最新のダーウィニアン医学の知見,仮説が次々と紹介されている.


第4章では様々な植物の対捕食者戦略としての毒物が取り上げられる.ソラマメの毒物による耐マラリア耐性,さらにソラマメ中毒遺伝子の謎も解説される.


第5章からは伝染病の病原体の進化に関する話題になる.病原体によるホストの操作に絡み,トキソプラズマがネコを神経的に操作している可能性,コレラマラリアなどの病気の「症状」が操作であるという見方を紹介する.連鎖球菌による分子擬態と自己免疫疾患の関連性,トキソブラズマがネコのみでなく,ヒトにも統合失調性を含む何らかの影響を与える可能性,ヘルペスなどの性病の病原体が,ホストの性行動を変える可能性に言及したあとに,イーワルドによる進化疫学の考え方が解説されている.



本書はここまでは大変面白いし,新たな知見,興味深い仮説の塊だ.しかし実は第6章からはだんだん微妙になってくる.著者は進化一般について語り始めるのだ.そしてこれまでの確かな知識ベースの話と一転して実にスロッピーになる.さらに驚愕することに著者は実はハミルトン革命についてまったく理解しておらず,実に素朴な「種のため」の進化議論(熟考の上でハミルトン,ドーキンスを否定しているのではなく,全くの素朴信仰のようだ)がそこここに顔を出し,グールドの影響もちらつくのだ.


まず第6章で進化について,点突然変異を基本にするダーウィン流の「自然淘汰」理論はトランスポゾンやレトロウィルスの発見によって大本からぐらついているという叙述があり,がっかりさせることこの上ない.


第7章はエピジェネティックスについての簡単な概説であり,これは入門用のまとめとしてはわかりやすく書かれていてよいのだが,ちょっとセンセーショナルに取り上げすぎている.結局遺伝子と環境の相互作用の1つとしてもう少し冷静に取り上げる方がよいと思う.第8章は老化について.ここではプログラム説から解説しようとしているが,ハミルトン革命がよく理解できていない以上解説がきわめて浅い上に,結論は「老化プログラムは『種にとって』有益だ」というからがっくりくる.最後はモーガンのアクア説を擁護して本書は終わっている.



結論としてはチープなカバーに似合わずに第5章までは興味深いダーウィニアン医学の紹介本だと評価できるが,第6章以下は評価できない.前半の叙述内容の高さから見て,ハミルトン革命に対する単純な無知によるもののように思われ,大変残念である.



関連書籍

Survival of the Sickest: A Medical Maverick Discovers Why We Need Disease

Survival of the Sickest: A Medical Maverick Discovers Why We Need Disease

原書.カバーは断然こっちがいいと思う.