「擬態の進化」

擬態の進化―ダーウィンも誤解した150年の謎を解く

擬態の進化―ダーウィンも誤解した150年の謎を解く


昆虫生態学者大崎直太先生のベーツ型擬態についての本である.本書は,チョウの専門家である著者による自身の研究も踏まえ,「なぜ多くのベーツ型擬態チョウ類はメスのみが擬態するのか」を中心にベーツ型擬態にかかる謎に絞った本で,非常に読み応えがある.


まず前半ではダーウィン,ウォーレス,ベーツまでさかのぼり,ベーツ型擬態について,そしてこの謎についてのこれまでの発見物語,そして学説の流れを振り返っている.そしてこの部分は多くの資料を読み込んだ上で著者が独自の観点から要約していて,なかなか面白い.


ダーウィンからベーツまでの歴史物語には面白いのから怪しいものまで様々なトリビア*1が混じっていて,読んでいると膝を打ったり頭をひねったりできて,退屈しないまとめ振りだ.またウォーレスのサラワク論文とテルナテ論文の主張,evolutionという単語の使われ方の経緯,ミュラー型擬態で有名なミュラーの半生などについても触れられている.
ともあれ,ダーウィンはウォーレスのテルナテ論文のきっかけに『種の起源』を著し,そしてベーツによるベーツ型擬態の報告は,自然淘汰説を補強するものとしてダーウィンに喜んで受け入れられたのだ.


ではこの「なぜ多くのベーツ型擬態チョウ類はメスのみが擬態するのか」という謎はどのように考えられていたのか.
著者はここで,これまでの学説を紹介し,その背景になる理論的な問題を解説していく.
まずベルトの性淘汰説を紹介,それから性淘汰についての,メスの選り好みの実証,ランナウェイ仮説,ハンディキャップ仮説を概説する.次にシルバーグリードによるオス同士の闘争にかかる同性内性淘汰説を紹介している.
また「なぜメスのうち一部個体だけが擬態するのか」という問題について,ミュラー型擬態にかかる正の頻度依存淘汰を概説し,それとの比較で,負の頻度依存淘汰説を説明している.このあとメイナード=スミスの進化ゲーム理論を紹介し,シルバーグリード説の背景にあるブルジョワ戦略とともに負の頻度依存淘汰の解説がなされている.
なおこのような考え方のフレームではベーツ型擬態は負の頻度依存淘汰現象であり,被擬態モデル種にとっては寄生と言うことになる.しかし著者は2007年のローランド,2008年の本間の研究を引用して寄生とは言えないのではないかと示唆している.この部分はあまり詳しく語られていないがちょっと疑問が残る部分だ.


次に被擬態モデル種の警告色の進化について,これをどう説明するかという問題を扱っている.警告色を捕食者が忌避するのが学習効果によるものなら,なぜ一見利他的なこの特徴が進化するのかが説明できなければならない.著者は血縁淘汰,包括適応度を解説したあと,緑髭効果についても紹介している.
ドーキンスが「利己的遺伝子」で紹介していることで知られる緑髭効果は,遺伝子を共有する個体が,同一遺伝子の何らかの目印によって利他行為を与え合えば血縁度を越えて包括適応度が高くなる理論的な可能性としてハミルトンにより提唱されたものだ.実際に擬態現象は,その形質自体が遺伝的な同質性を前提とするとともにそのような遺伝的同質性を持つ個体のみに利他効果を与えることができるまれな場合だと考えられていて,ここで紹介されるにふさわしいと言えるだろう.


後半は著者自身の研究を踏まえたこの謎の解明物語になる.
まず1995年にネイチャーに受け入れられた論文の解説がある.これはなかなか面白い.著者は独自の視点から,ビークマークから捕食圧を推定するという手法を開発し,論文は,この手法を用いて擬態種のチョウについてメスに対する捕食圧の方が高いことを示したものだ.著者はこれはベーツ型擬態のこれまでの議論を知らなかったために独自の視点からものを考えられて成功した例だと謙遜しているが,その推定方法はなかなかエレガントだ.
そしてメスの方が捕食圧が高く,擬態にはコストがあるならば,コストベネフィットはメスのみ擬態することが引き合う状況になりうるだろう.さらに一部のメスのみ擬態するのは,それが負の頻度依存淘汰の結果であるとして説明できよう.


ではベルトのメスの選り好みにかかる性淘汰説,シルバーグリードのオス同士の闘争にかかる同性内性淘汰説はどうなるのであろうか.実際にメスは選り好みできる状況ではないことからベルトは否定され*2,擬態型に羽根をペイントされたオスはなわばりを保てないという実証データからシルバーグリード説は受け入れられていた.しかし著者はベーツ型擬態を示すチョウ類の多くはなわばり形成しないことから疑問を呈している.このあたりには論文の受理を巡るやりとりも記されていてなかなか興味深い.


さて著者の主張が正しいとするなら,なぜメスの方が捕食圧が高いのか,そして擬態にはどのようなコストがあるのかが問題になる.コストについては伊丹市昆虫館で得られたデータが紹介されている.確かに擬態型の方が生理的な寿命が短いようだ.著者はカロチノイド色素による免疫コストだろうと推測している.
残念ながらここではそのモデルになる警告色自体がハンディキャップコストを持つはずだという議論はなされていない.私にはここは重要な理論的なポイントのように思われる.信号の信頼性を考えると,警告色にコストがなければ,それは種内擬態を含めた多くのただ乗り警告色個体をうみ,すぐにその効果がなくなってしまうように思われる.(もっとも警告色にはコストを払い,毒生産コストを節約するという種内擬態ただ乗り方法を防ぐことが可能なコスト構造というのは難しそうに思われ,ここはなかなか単純ではないのかもしれない)警告色にはハンディキャップコストがなければならないとするなら,そのコストを払ってもなおペイするような生態的なリスクを持つものだけがベーツ型擬態を行うのだろう.


なぜメスの方が捕食圧が高いのか.著者はまずメスの方が卵を持っているためにカロリーが高いのだろうと推定している.そして最適採餌理論から,一定の処理コストがかかるとするなら,あるパラメーター内では捕食者はより効率のよい餌タイプのみを狙うはずだと議論している.そして様々なデータから,大きくて速度の速いチョウは日中の気温が高くなるまで飛び立てず,休んでいるときに鳥に狙われやすく,そのような捕食圧の高いチョウほど擬態種である頻度が高いことを示している.ここは十分説得的だ.


全体的に私は著者の主張に十分説得された.ベーツ型擬態を示すチョウ類にメスのみ擬態するものが多いのは,基本的に擬態コストと捕食圧とのトレードオフによるものだ(そしてメスの一部のみ擬態するという多型は頻度依存淘汰によるものだ)ということは十分あり得ることだろうと思う.特にメスが鮮やかな警告色で,オスが地味な隠蔽色の場合にはそう考えるのが自然だろう.


本書のような優れた啓蒙書は,1つの謎の解決を通じて,読者をさらなる謎へ次々に招待してくれる.それはこのような本を読むときの醍醐味の1つだと言えるだろう.ちなみに私が感じた疑問は次の様なものだ.

  • 擬態の本筋からは離れるが,なぜシルバーグリードを検証したような実験で示されるようにオスオス同士のチョウのなわばり争いで隠蔽色のオスが有利になるのだろう.著者はブルジョワ戦略だと解釈しているが,ブルジョワ戦略はオス同士が対称でなければ安定しないのではないだろうか.何らかのシグナルで勝者が決まるならそれはハンディキャップ型の信号でなければならないのではないだろうか.もちろん実際には隠蔽色のオスしか存在しないからこの実験結果にあまり意味はないのかもしれない.だとするとオスの一部も擬態するチョウ類でどうなっているのかにも興味が持たれるところだろう.
  • 擬態については,本書では毒性の進化について取り上げていないが興味深い問題だ.毒生産にもコストがかかるはずだから基本的には擬態利益があれば毒性は下がる方向に淘汰圧がかかると思われる.するとミュラー型擬態は常にベーツ型へ縮退するリスクがあるのだろうか.また先ほどにも触れたが,モデル種内で種内擬態が生じて警告色システムが崩壊しないのはなぜだろうかということも興味深い.毒生産をやめて警告色システムにただ乗りしようとする変異が現れれば有利になるので,これは広がるだろう.ということは,このような種内寄生を防ぐなんらかの仕組みがなければシステムが崩壊してしまうだろう.十分な毒生産能力を持つものだけが警告色コストに耐えられるというハンディキャップシグナルとして説明可能なのだろうか.これは大変興味深い問題だ.
  • さらに擬態種内における多型の存在は頻度依存で説明できるが,擬態種とモデル種がなぜ共存できるのか(擬態種がモデル種に比して大幅に増加して警告色システムが崩壊してしまわないか)はどのように説明されるのかということも今後の興味深い論点として残されているのだろう.恐らくそれを理解するは,擬態種内の頻度依存,毒性の進化,モデル種と擬態種の警告色変化のアームレース動態などを両種のポピュレーション動態モデルに統合した考察が必要になるのだろう.


なお本書では最後に「よい研究とは何か」(仮説の提示とその検証,疑似相関への警戒,独自の発想など)を自らの体験とともに議論していて,ここもなかなか深みを感じさせる.



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大崎先生の編集.大崎先生ご自身は産卵植物の決定について寄稿されている.擬態については上杉兼司による記事があり大崎説も簡単に紹介がある.

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ここでは大崎先生自身による「なぜ多くのベーツ型擬態チョウ類はメスのみが擬態するのか」についての記事がある.メスの選り好み,オス間競争の両性淘汰説を説明後,大崎先生の議論の骨格も示されている.

*1:ちょっと紹介すると「ズーノミアには自然淘汰や性淘汰の考え方が既にある」(そうなのか?)「ライエルの地質学原理はフィッツロイがダーウィンに紹介した」(そうなのか?)「リンネ協会は,リンネの死後リンネの標本を含む学問的遺産をイギリスの植物学者バンクスが買い取り,その友人の植物学者スミスが譲り受け,バーリントンハウスに収蔵した際にその名にちなんで設立された」「ハクスレーらは教会をはばかり,公的機関でなくセント・ジョージホテルの一室で進化について議論した.それは『Xクラブ』と呼ばれ,それが現在の雑誌『ネイチャー』の起源である」

*2:ベルトの性淘汰説は,メスは種識別のためにより自種オスであることが明確な隠蔽型のオスを選り好むだろうというもので,明らかにハンディキャップシグナルではないし,ランナウェイ的とも言い難い.典型的な派手な飾りを選り好むという性淘汰状況とはかなり異なっている.