- 作者: カールジンマー,矢野 真千子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/11/26
- メディア: 単行本
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カール・ジンマーはアメリカのサイエンスライター.脊椎動物の陸上進出を描いた「At the Water's Edge」(邦題;水辺で起きた大進化),寄生生物を描いた「Parasite Rex」(邦題:パラサイト・レックス)などの著作で知られる.最近はブログでも活躍中のようだ.本書はモデル生物としての E. coli を描いたもので原題は「Microcosm」.本書の中でも表記は「E. コリ」で統一されていて「大腸菌」という呼称は題名のみだ.
さて E. coli は原核生物であり,普通の動物や植物のような真核生物とはちょっと異なっている.ジンマーは様々な進化周りの話題を E. coli に当てはめていくという形で,非常に魅力的な本を作り出すことに成功している.
最初は生化学的な基本構造がすべての生物で同じことを強調し,モノーの「 E. coli に当てはまることはゾウにも当てはまる」という言葉を紹介している.*1ここで面白いのは E. coli のセックスを紹介しているところだ.真核生物の原生動物の接合はよく聞くが,原核動物の遺伝子交換の詳細はあまり紹介されることがなく,なかなか面白い.これに続いて,運動,感覚センサー,分裂,経年劣化,休眠などが解説されている.
ここで楽しいのは,遺伝子のスイッチの組み合わせの解説だ.工学的なフィードフォワード回路によるノイズ除去,フィードバック回路による自己制御,ネットワーク構造によるシステムのロバスト性なども実際の遺伝子スイッチによる具体例が説明され,遺伝子と生命活動がどのように深く結びついているかが語られている.
個体の個性の話もここで触れられる.原核生物たる E. coli は当然すべてクローンなのだが,遺伝的な突然変異以外にも偶然の結果による個性があり,それは一部の細胞組織のスイッチのネットワーク構造やメチル基の化学マーカーを通じて分裂した子細胞に受け継がれることがあるという.これまた興味深い.
次は何と E. coli の社会生活について.考えてみれば,原核生物はクローン生殖なのだから,いかにも血縁淘汰的な利他行為が進化しやすいだろう.そしてジンマーはバイオフィルムの形成はそうやって理解できるのだと示唆している.またO157や赤痢を引き起こすシゲラと呼ばれる E. coli について,その毒生産と放出は利他行為としても理解できるということになる.
ここでジンマーは進化と E. coli についての話題に移る.細菌の耐性獲得もダーウィン的に理解できることを示したルリアの実験(同じ薬剤に多くのコロニーを被爆し,耐性獲得状況の分散を見る),レダーバークの実験(耐性にかかる変異は薬剤被爆の前から確率的に存在すること示す),ドーキンスの最新刊でも紹介されているレンスキの実験(クローン株を12系列にして20年以上一定の食料不足環境にさらし続け,何が生じるかを記録する),アダムズの実験(単一コロニーから分業をする2つの系列が現れる様子を示したもの)などが紹介されている.これによりダーウィン的な自然淘汰がどのように働くかの具体的イメージがうまく描けている.
この後は行動生態学的な「戦略」の解説とそれが E. coli にも当てはまるという記述がある.ちょっとこじつけ気味の部分もあるが,細菌においても行動戦略が進化しうるという視点は面白い.ただ最後の損傷部分を一個所に集める「老化」戦略の説明は理解できない.ジンマーの記述の通りだとすると,これは戦略ではなく不可避的に生じる結果のようにしか思われないところだ.
ここからは原核生物に特有な「進化」を巡る話題になる.最初に取り上げられるのは,理論的に面白い「進化速度自体の進化」という話題だ.薬剤耐性菌の進化の話題からジンマーはこのトピックを取り上げている.もっともジンマーの取り上げ方は様々な主張を並べているだけで物足りない.もっとも興味があるのは,この進化スピードという性質自体の進化が自然淘汰で説明できるかという点であり,恐らくそれは説明できるということだと思われるが残念ながらその論点は明確化されていない.
次は遺伝子の水平伝播の話題だ.これは当初予想されていたよりははるかに頻繁に生じることがわかってきており,ここの記述は面白い.遺伝子の配列を読み,伝播に一役買っているウィルスも合わせて再構成すると,生物個体が作る網状のネットワークのなかを個別の遺伝子の系統樹が浮かび出てくるようで非常にエキサイティングだ.なおジンマーはこの状況を流行のオープンソースになぞらえているが,アナロジーとしてはあまりいいものではないように思う.
ジンマーはここでアメリカのIDを巡る最新の裁判の紹介を入れている.マイケル・ベーエがIDも学校で教えようと決めた教育委員会側の証人として「細菌の鞭毛は自然淘汰でできたはずがない」という主張をもって登場したという話だが,それがこてんぱんに論破される様子などを含め,傑作のノンフィクションに仕上がっている.あわせて鞭毛が実際にどのように進化したと考えられるかも解説されている.
最後はジンマーはやや自由に書いていて,生命の起源とRNAワールド,バイオテクノロジーと遺伝子操作を巡る政治的状況,「種」の壁,地球外生命と書いて本書を終えている.マイクロセファリン遺伝子がネアンデルタールからサピエンスに水平移動したという説を事実のように書いているところなどちょっと引っかかるが,面白い仮説をいろいろ紹介したいというサービス精神の現れなのだろう.
全体としては大変よく練られた面白い啓蒙書に仕上がっている.普段生物進化というときには真核生物の事情がまず念頭にあるのだが,それを原核生物に広げて見るとまたちょっと違った角度で物事が見えてくることがよくわかる.カバーデザインの上品さ*2も秀逸でとても良い本だ.
関連書籍
原書
Microcosm: E. coli and the New Science of Life
- 作者: Carl Zimmer
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カール・ジンマーの本
- 作者: Carl Zimmer
- 出版社/メーカー: Atria Books
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Parasite Rex (with a New Epilogue)
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Evolution: The Triumph of an Idea
- 作者: Carl Zimmer
- 出版社/メーカー: Harper Perennial
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The Tangled Bank: An Introduction to Evolution
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