「Spent」

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


本書はヒトにおける性淘汰についてリサーチを続けている進化心理学者ジェフリー・ミラーによるヒトの消費行動,特に誇示的消費とされる部分にかかる本である.
普段私達は様々な買い物を楽しんでいるが,それは進化的にはどう説明されるべきものだろうか.考えてみると,高価な買い物が直接に生存価や繁殖価を上げるわけではなさそうだ.ミラーによると,その説明の1つは「私達が潜在的配偶相手や潜在的友人や同じグループの属する人々に対して,自分がいかに配偶相手としてふさわしいか,あるいはいかに互恵的なやりとりの相手としてふさわしいかをディスプレーする心理の表れ」だということになる.つまり消費者が商品を買うのは自分が楽しむためだけではなく,他人に見せびらかすためのだということになる.そしてそのように考えると,様々なヒトの消費行動の特徴が理解できるようになるのだ.


本書は大きく3部構成になっていて,第一部が消費者中心主義の本質,第2部がディスプレーしている特質,第3部がより良い生活のためのハウツウという構成だ.


第1部は消費者主義の本質.
まず,私達の消費生活が,人間関係を巡る幸福感につながっていないことを示し(この部分のクロマニヨン人との仮想対話は笑える),また現代の消費者中心資本主義については保守派もリベラルもマーケティング業界もきちんと理解していないのだという議論をしている.ミラーはマーケティングに関する経営学についても,認知科学の最近の知見について行けてないと手厳しい.彼等の心理学は時代遅れの実験心理学の段階に止まっているし,よく使われる(マズローの5段階説などが取り上げられている)心理・行動モデルには何の根拠もないものだというのだ.確かに普段私が目にするマーケティングにかかる様々な言説や実際のプレゼンは,まったくデータなしにある理論を正しいと主張し,二次元グラフで手法解説したり,顧客セグメンテーションを提案したりするものが多く,特に人間の進化心理やパーソナリティの多型について注意を払っているようには思えない.このあたりに関心のある人には本書は大変啓発的な本になっているだろう.


では私達の消費行動は進化心理的に何を意味しているのか.ミラーはそれを知るにはマーケティングを見るのがよいといっている.マーケティング業界の人々は真実を理解していないが,しかしマーケティング現代社会の消費行動に大きな影響を与えている.つまりマーケティングを通じて消費者の欲望が世界の現実となって現れているのだ.
そこから浮かび上がるヒトの消費傾向にはナルシシズム的であり,ひたすら快楽を追求するものと,誰かに自分のことを印象づけようとするものという大きな2つの流れがある.後者は誇示的消費と呼ばれるもので,ミラーは本書ではこれを取り上げて進化心理的に解説していく.


では私達は誇示的消費で何を印象づけようとしているのか.ミラーによればそれは単に「富」や「地位」や「趣味の良さ」ではない.それらは代理変数に過ぎなくて,本来は配偶者や友人や取引相手としてのふさわしさであり,それは身体や精神の健全性なのだ.そのような信号に信頼性を持たせるには商品にハンディキャップコストが必要で,しかも本来の目的が前面に出るとうまくいかない.だから商品には誇示的無駄,誇示的精密性,フェイクへの制裁などのコスト構造が必要になり,それは(単に高額というより何らかの精神的な価値が望ましい)プレミアムとして表現される.そしてそれは婉曲的に(そして多くの場合無意識に)表現される.
そしてトライアスロンを行うことや化粧というディスプレーを具体的に考察して見せ,実際のディスプレーは「自分がいかに一般的に「質」が高いか」というディスプレーだけでなく,「自分がどのようなタイプの人間か」のディスプレーになっているのだと指摘している.そして第2部はこのパーソナリティディスプレーに集中して議論を行う.


通常選り好みにかかる性淘汰形質は1次元的な「質」のディスプレーとされているから,このパーソナリティディスプレーの指摘は非常に斬新な議論で,読んでいて突然の展開にびっくりさせられる.しかし確かに私達の誇示的消費パターンは個人個人で随分異なっている.それを考えるには,それぞれ異なったものをディスプレーしていると考えることが必要なのだろう.


第2部は誇示的消費でヒトがディスプレーしているものについて.
誇示的消費でヒトがディスプレーしているのは,一般知性とパーソナリティ特性だというのがミラーの議論だ.ここでIQとビッグ5について簡単な解説がなされている.ここではバンパーステッカーの例がわかりやすい例としてあげられていて面白い.
知性は高い方が好まれるので一般的に高さをディスプレーすることになるが,パーソナリティは状況や相手によって好まれ方が異なるためにそれぞれディスプレーしたいものが異なってくることになる.
そしてこれが自分の性質にかかるディスプレーだとするなら信号理論で要求されるハンディキャップコストがなければならない.ミラーは様々なブランド品や高額商品のマーケティングをよく見ると,単に高額というだけではなく,本来そのようなパーソナリティを持っていない人にはコストがかかるようになっているものが多いと主張し,様々な例をあげて解説している.ここは本書の白眉のところで大変啓発的で面白い.いくつか例をあげると以下のようなものだ.

  • 有名大学の学位は高額なコストがかかるIQのディスプレーだ.特に歴史,ラテン語などの今後の進路と関係ない内容の学位はそうだ.
  • 株式トレードで儲けたという自慢話は高IQのディスプレーの可能性がある.
  • 開放性は伝染病の感染リスクを高めるので,そのディスプレー(つまり政治的態度)も感染負荷と深い関係がある.
  • 娯楽産業が提供する精神病誘発的な一群の商品(タランティーニの映画など)はメンタルヘルスの健全性のディスプレーの可能性がある.逆に強い開放性嫌悪はミーム感染へのリスク(およびその恐怖)と相関しているのかもしれない.
  • ペットを典型とする「手のかかる」商品は誠実性ディスプレーと考えると理解できる.髪の毛を手入れするヘアトリートメント商品や体型を保つフィットネス商品もこれに関連する.
  • アメリカにおいてはクレジットレイティングは(高い数値を保つには非常に手間がかかるため)誠実性ディスプレーとして機能している.
  • 政治的なイデオロギーへの支持は開放性および調和性ディスプレーになっている可能性がある.であれば,政党支持にはマーケティングが重要になるし,特定の政策については結果の合理性よりそれを支持することがどのような印象をまわりに与えるかが重要だということになる.
  • 宗教を(親から受け継ぐのではなく)自分で選ぶようになると,それは調和性ディスプレーとしての性格を強めるだろう.


ミラーはこのような議論のなかに様々な皮肉をちりばめていてぴりっと効いている.それも本書の魅力の1つを作っている.

  • マーケティング業界は「ディスプレーは知性とパーソナリティにかかるものだ」ということに気づいていないか無視している.業界人にとってはこれらを認めるとマーケティングが政治的に微妙で退屈なものになってしまうので嫌なのだろう
  • インテリの間にあるIQ侮蔑はその人の調和性や開放性のファッショナブルなディスプレーとしてあるのだろう


第3部はこのような知見を生かして人生をどう豊かにするかというハウツーを扱っている.
ミラーは,このような誇示的消費は人生をあまり豊かにしないのでできるだけ減らすべきだという(誇示的消費はちょうど飽食社会で進化的に形成された行動が肥満をもたらすようなものだという理解に基づく)価値観に立って,個人でできること,社会を変えていくこと,政策提言を行っている.このうち個人でできることの部分は,よりディスプレー効率を上げるという視点に立っていてちょっと面白いものもあるが,社会や政策の部分については無理筋な議論(誇示的消費がくだらないという社会規範を作るように働きかける,累進的消費税や品目別消費税を支持)が多くあまりいい議論ではない.一般向けの本ということであえて価値観にかかる部分についても書いているということだろうか.というわけで第3部は現在の高額商品を買う生活・人生に疑問を持っているような読者以外にはあまり面白いものではないかもしれない.あくまで「付け足し」のような部分と見るべきものだろう.


本書は(特に第2部までは)大変啓発的な議論がなされていて,知的好奇心を強く刺激してくれる本になっている.社会性動物としてのヒトは相互作用する同種個体に対して自分はどんな特徴を持つのかをひたすらディスプレーし続ける傾向を強く持っているのだ.それはあまりにヒトの心理に深く根ざしているので通常は気づかれないが,しかし行動や態度のすべてにそれは現れる.そして現代の消費社会ではその傾向は買い物に顕著に表れるのだ.それは知性やパーソナリティを様々な代理変数を通してディスプレーしようとする試みであり,マーケティングとブランド価値の世界だ.
一旦本書を読むと,すべての商品,すべての広告,そして政治的態度や自慢話にまで,これまで気づくことがなかった側面があることがわかり,街の風景が異なって見える.そんな破壊力のある本である.


関連書籍


ミラーの本.

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature

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広範囲なヒトの心について,それは性淘汰の産物であると論じてある本.非常に説得的であり,一旦この議論に納得すると,すべてのことに性淘汰が絡むような気がしてくる.今でも一般向けの性淘汰に関する本ではもっとも面白い本だと思う.

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

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恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

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同邦訳



Mating Intelligence: Sex, Relationships, and the Mind's Reproductive System

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ヴェブレンの誇示的消費の指摘

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

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ロバート・H・フランクの誇示的消費にかかる本

Luxury Fever: Why Money Fails to Satisfy In An Era of Excess

Luxury Fever: Why Money Fails to Satisfy In An Era of Excess


進化心理学的知見をふまえて,誇示的な消費性向がヒトの心理からくるものであり,ちょうど共有地の悲劇と同じ構造を持つ公共財問題であることを論じている.解決策として直接税としての累進型消費税を提唱しているところが本書の特徴だ.


What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments

What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments


これもなかなか面白い本だった.ヒトにおいて有効な感情コミットメントは心理的な満足だけでなく,繁殖的なそして物質的な利益が生じうるものであり,経済行為を行う企業においても妥当するというところに話が拡張されている.このことから企業戦略としては,狭い合理的選好モデルだけではなく,進化心理をふまえた適応的合理性を取り入れるべきであるという主張を行っている.消費者相手のビジネスでは特にそういうことになるだろう.
行動経済学の本の多くが,単に伝統的なモデルでは解決できないことを指摘するだけでそれ以上の話にならないのに比べて,進化心理的な知見を生かした実践的な示唆があるのがこの本の素敵なところだ.
賃金がモラルによっても決まることを実証的に示した部分もあったりして読んでいても大変面白かった.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060325