「恋するオスが進化する」

恋するオスが進化する (メディアファクトリー新書)

恋するオスが進化する (メディアファクトリー新書)


本書は昆虫の進化生態の研究者による一般向けの性淘汰・性的コンフリクトにかかる本である.性淘汰に関する行動生態学が急速に進展したのは1980年代以降,特に1990年代以降であり,その中で様々な性的コンフリクト状況も知られるようになってきたものだ.非常に興味深い内容が多く,一般向けにわかりやすくかつ一冊にまとめるのはなかなか難しいトピックだが,本書は一般読者が興味を持つような生物の具体例を紹介しつつなかなかコンパクトにまとまっている.


まず序章で,雄が交尾の際にメスを傷つけるという現象(ペニスに棘がついていて傷をつける,あるいは精子と一緒に毒を注入する)を紹介し,コンフリクトがあるということを読者に注目してもらってから叙述を開始するという構成になっている.


第1章では配偶子の異型性の進化と「有性生殖の2倍のコスト」の問題が扱われる.有性生殖については簡単に赤の女王仮説と修復仮説が並べられている.一般向けなので簡単に済ませたということだが,さすがに問題の難しいところをきちんと説明はできていない.やや赤の女王仮説についてのグループ淘汰的な説明ぶりも気になるし.修復説も有害遺伝子の除去が組み替えと淘汰により生じるとはっきり書かれて無く,あたかも積極的な修復のように勘違いされかねない記述になっている.
続けてオスの極端な戦略をいくつか紹介している.有名なチョウチンアンコウの矮化したオス,精子の詰まった蝕肢をメスに突っ込んで爆発させ「腹上死」するナガマルコガネグモのオス,メスに食べられるリスクのあるカマキリの生態などが解説されている.


第2章は性淘汰を扱う.性差ができる要因としては子育て投資量の差から説明されている.近時は投資量の差から実効性比を導いて説明するのが主流であるのだが,本書ではやや簡略化された説明になっている.そして異性間性淘汰形質(メスの選好による性淘汰形質)の説明については,フィッシャーのランナウェイ仮説だけを取り上げてハンディキャップ仮説をまったく取り上げていないが,理論的な重要性からいってここは疑問だ.丁寧な説明をする紙数がないとしても触れておくべきだろう.


第3章は同性内淘汰形質(オスオスの競争による性淘汰形質)を扱う.ここは具体例が面白い.蚊柱は種によってどの位置が有利かが異なっていて,種ごとに複雑な位置取り競争がある.カブトムシの小さめのオスの代替戦略にも種間に様々な差(場所をずらす,時間をずらすなど)がある.またここでは著者自身のヨツボシケシキスイ,オオツノコクヌストモドキの研究物語がやや詳しく語られていてリアルな記述が面白い.
なおオスのスニーカー戦略などの代替戦略について頻度依存的な形質と条件依存的な形質があることについて一応触れているが,具体的な記述の上では明確に区別しているようでもなく,わかりにくいように思う.*1


第4章は精子競争.ここは最近の知見に面白い紹介が多い.ある種のシカネズミでは複数個体の精子を混ぜ合わせた場合,精子が集団を作る傾向に血縁度が影響を与える.これはメスの体内で精子競争になったときに血縁淘汰的な協力が生じているということらしい.(単婚性の近縁種ではこの傾向がないそうだ)コオロギの一種では,精子競争のリスクに応じて精包内の生きている精子と死んだ精子の割合を変えるそうだ.


第5章は性的コンフリクト.1995年のキイロショウジョウバエのオスの精液中に毒物があるという衝撃の発見から始め,コンフリクト状況の説明を行っている.そして異性間性淘汰形質と同じようなアームレース状況があることを指摘する.(なおこのようなアームレースは特に「チェイスアウェイ」と呼ばれるそうだ)要するに,あるオスがほかのオスとの競争上有利になるメリットが,メスに負担をかけることによるそのオス自身へのコストより大きいとオスによるメスへの加害を伴う交尾戦略とメスによるそれへの対抗戦略が共進化する.するとメスには,個別の害を抑える方向のほか,交尾回数を減らす方向,オスの選り好みをより厳しくする方向に淘汰圧がかかることになる.
著者はこのような対立が別の遺伝子座で生じる場合と,同じ遺伝子座で生じる場合があり,同じ遺伝子座の場合には,遺伝子発現が性依存性になり性的二型が進化する傾向があると指摘している.そして自分自身のリサーチでそうなっていない例を見つけたとしてクワガタムシの卵数と顎の大きさが同じ遺伝子座の遺伝子によって多面発現している例を報告している.
ここでコンフリクトが種分化にも影響を与えうる例として,フンバエで,単婚集団と乱婚集団に実験的に隔離して継代飼育した結果,交尾に対する行動が大きく変わったことを紹介している.しかし種分化で最も重要なのはいかにして最初の交配隔離が成立するかであって,それを実験的に行ってしまっていては特に注目すべき説明にはなっていないのではないだろうか.単に「一旦隔離が生じて異なる生態に置かれると形質が分化し,その中には交尾確率に影響を与えるものがあるので種分化の可能性が生じる」という当たり前の結果に過ぎないように思われる.またフキバッタでは日本の東部と西部でオスの交尾への積極性とメスの拒否性が相関しつつ差異がある(東部ではオスが積極的でメスの拒否性が強く,西部ではその逆)ことをもってこれを補強するという議論をおこなっている.確かに東部のメスと西部のオスでは交尾が生じにくいだろうが,逆の組み合わせでは交尾が生じやすくなるのではないだろうか.
というわけで個別の説明にはややよくわからないものもあるのだが,全体としてはコンフリクトが様々な生物の様々な生態に影響を与えているという知見が次々と得られているという興味深い状況をよく示しているものになっている.


第6章はコンフリクトの周辺を扱っている.性役割逆転種の説明,交尾前防御と交尾後防御のメイトガード戦略などが解説されている.第7章は性転換種,雌雄同体種,ボルバキアなどによるホストの性別操作を扱っている.性に関連するトピックは全て触れておきたいという著者の意欲の表れだろう.最終章では生物が意識的に行動しているとは限らないこと,進化が進歩ではないことなどに触れ,有性生殖のリサーチの面白さにもコメントして本書を終えている.


本書は性的コンフリクトの一般向け書物という企画から,さらに有性生殖全般について間口を広げて,そしてできるだけやさしくコンパクトに解説してみましたという意欲的な本になっている.さすがにやや解説が薄くなってしまっている部分もあるが,全体として狙いは成功しているのではないかと思う.ところどころの昆虫の行動生態の具体例もぴりっと効いていて楽しく読める本だ.

*1:エンマコガネのオスの体重が二山形のピークを作ることからたまたま小さくしか育てなかったオスの戦術(条件付き戦略)であるという趣旨の記述があるが,むしろそれは頻度依存的な遺伝的な形質を示唆しているのではないだろうか?