「オタクの行動経済学者,スポーツの裏側を読み解く」

オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く

オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く


本書は実証研究を行っている行動経済学者とスポーツジャーナリストが,行動経済学の知見を利用してアメリカのメジャースポーツの一見理解できない状況の謎解きを行い,それを実証してみようという趣向の本だ.原題は「Scorecasting: The Hidden Influences behind How Sports Are Played and Games Are Won」.


そういうわけで特に目新しい行動経済学的な知見が展開されているわけではない.本書の面白さは,その「行動経済学のよくある知見を用いたいかにもありそうな仮説」をどうデータを取って実証するかというところにあると言えるだろう.おおむね以下のようなことが議論されている.


<審判のジャッジに何らかの傾向はあるか>
彼等はゲームの帰趨に影響を与えないように振る舞う傾向がある.彼等は,バッターにバットを振って決着をつけて欲しい.だからノーツーからはストライクゾーンを小さくするし,スリーナッシングからはストライクゾーンが広がる.ここで衝撃的なのはアメリカのメジャーリーグでは実際にボールがどこを通過したかがネット上で公表されているということだ.これによりこの傾向が見事に実証されている.ここではこれで説明できるいくつかのエピソードも紹介されていて面白い.(2008年第42回のスーパーボウルで4Q終盤のマニング奇跡の逆転パスの際に主審が認定サックを取らなかったこと,2009年の全米オープンでフットフォールトを取られてマッチポイントに追い込まれたセリーナ・ウィリアムズの逆上・暴言騒ぎなど)


<何故コーチは本来取るべき作戦より保守的な作戦を採用しがちなのか>
ここでは特にNFLにおける4th downでのギャンブルの少なさが話題になっている.統計的にはほとんどの場合ギャンブルした方が有利なのだが,実際のゲームではほとんどパントになる.本書では「損失回避バイアス」と「コーチのインセンティブ」が議論されている.もっとも損失回避バイアスという理由付けはデータ的に実証されているとは言い難い.コーチのインセンティブはより名声の高い(つまり首になる心配のない)コーチほどギャンブルの確率が高いというデータが添えられている.(正しいギャンブルのコールが裏目に出たペイトリオッツのヘッドコーチ,ベリチック*1がマスメディアからぼこぼこに叩かれた逸話も紹介されている)
このあたりは日本のプロ野球のノーツーから一球遊ぶ傾向やバントを多用する傾向などの説明にもあてはまるだろう.


<損失回避は他にもプレーに影響を与えているか>
ゴルフプレーヤーは同じパットでもバーディパットかパーパットかで積極性を変える(パーパットの方が積極的で成績もいい).ピッチャーはノーツーからフルカウントになったか,スリーナッシングからフルカウントになったかで球種が変わる(後者の方がより変化球が多く積極的)バッターは逆になる.このあたりはきれいなデータになっている.


NFLのコーチ就任に対するアフリカ系に基づく人種差別はあるのか>
ルーニールール(新しくヘッドコーチを雇う場合には必ずマイノリティ最低1人と面接しなければならない.2003年導入)導入前まではあった.その後ほとんどなくなっていると思われる.これにはルーニールール導入まではアフリカ系コーチのチームの成績が有意に高いが,ルール導入以降その差はなくなったというデータが添えられている.
もっともここはルールの影響というよりは,世間に騒がれたのでオーナーサイドがよりセンシティブになった結果ではないかという印象を禁じ得ない.


ホームチームが有利なのは何故か>
選手のプレー振りは変わらない(フリースローペナルティーキックなどはホームとアウェイで差がない.観客の応援は選手にはほとんど影響を与えない*2).一部は日程(NBANCAAフットボールなど),球場への慣れ(野球のみ,NFLでよくいわれる冬場の気温の影響はない)で説明できるが,大半は審判のジャッジの偏向による.これは社会心理学の同調傾向で説明できる.またこの説明は,ホームアドバンテージが競技種目によって異なり,同じ種目であれば一定であることをよく説明する.
審判の偏向については多くのデータがある.(ここでもメジャーリーグのボール通過位置データは見事にその傾向を捉えている.またサッカーではホームチームが勝っているかどうかでロスタイムの長さが有意に異なっていることが示されている)同調傾向のデータとしては,大きなホームアドバンテージがあるはずのサッカーで,観客入場禁止されたときにそのホームアドバンテージが消えたというものがある.


このほかには「ディフェンスを制するものが○○を制する」「チームには I (俺)の文字はない」というのは本当か(そのような効果を支持するデータはない.プレーヤーに対する心理的な戒め以上の意味はないだろう),よくあるランキングは真の評価とずれているか(ずれている),切りのいい数字へのこだわりはあるか(データでもはっきり見える),NFLにおけるドラフト順位のトレードは合理的に行われているか(1991年にカウボーイズが作った価格表はチームの行動に基づいてその評価を数値化したものであり,真の意味のドラフト順位の付加価値とは異なっている.パフォーマンスの予測の不確実性,高順位者の報酬の高騰から考えて,高順位は明らかに不当に高く評価されていると思われる),何故ステロイドに手を出すのか(データは貧しい国の出身者ほど手を出しやすいことを示している,これは経済的にリスクリワードを考えた合理的な行動である可能性がある.この問題は選手の倫理観を責めるだけは解決しない),NFLの相手チームのフィールドゴールキックの直前にタイムをかけてプレッシャーをかけるという作戦は有効か(全く効果はない*3),好調,不調,ゾーンというのはあるか(ランダム以上のことがあるというデータはない.ヒトはランダムさを理解できない),カブスは不運なのか(不運ではなく,実際に弱い.負けても応援に行くファンがリーグで最も多く,オーナーサイドにはチームを強くする経済的インセンティブが弱い.訳者も書いているが日本のファンには阪神タイガースがダブって見えるだろう)などが扱われている.


というわけで,本書は,行動経済学の本としてはごく初歩のつまみ食いという内容であるが,アメリカのメジャースポーツが好きな読者にはなかなか面白い本になっている.私はNFLの30年以上にわたってのファンであり,いろいろと面白かった.この本は2011年出版であるが,この影響でよりギャンブルを多用するコーチがNFLに現れることを密かに願っている.



関連書籍


原書

Scorecasting: The Hidden Influences Behind How Sports Are Played and Games Are Won

Scorecasting: The Hidden Influences Behind How Sports Are Played and Games Are Won



 

*1:現在NFLでも最も名声が高く,最も首になる心配が少ないヘッドコーチであり,だからこそギャンブルを多用できるのだが,それでも裏目に出ると叩かれる

*2:この議論の基礎になっているのはフリースローペナルティーキックフィールドゴールの成績がホームとアウェイで変わらないというデータだ.NBAなどでよく見られる相手チームの選手のフリースローへの嫌がらせはどうもほとんど無意味のようだ.しかしNFLで最もよく言われるホームアドバンテージ「相手チームのオフェンス時に騒いでコールを聞こえにくくさせ,フォルススタートを誘発させたりオーディブルを困難にする」効果は考察されていない.実証データが取りにくいということかもしれないが,この影響はあるのではないだろうか?

*3:キッカーの「そんなことが影響するようならここには立っていないんだよ」という言葉が紹介されていて印象的だ.相手チームのヘッドコーチは,「何かできるのに何もしなかった」という批判を恐れているのではないかということが示唆されている.