「The Better Angels of Our Nature」 第6章 新しい平和 その6  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは,現代の悲観論者に対して,内戦,ジェノサイド,テロともに暴力の減少傾向の例外ではないことを示してきた.しかし現代の悲観論者の議論はまだある.ここでは代表的な4つについて議論を行っている

  1. イスラム世界との衝突
  2. 核テロ
  3. イランによる核の使用
  4. 気候変動


IV イスラム世界との衝突


まずピンカーは,マスメディアの報道を見ているとイスラム世界の現状は暴力の減少傾向の外側にあるように見えるかも知れないと認め,最近の新聞のヘッドラインになった事件を列挙している.(本書は2011年の出版であるので最近の米国製映画に対する暴動騒ぎは取り上げられていないが,当然同じ扱いということになるだろう.)

  • ラシディーへの死刑宣告
  • ナイジェリアの妊婦への石打刑
  • デンマークの新聞挿絵騒ぎ
  • テディベアにムハンマドと名をつけた女性教師への拘束,脅迫


さらに以下のような事実もある.

  • イスラムは人口で1/5,国家数で1/4にすぎないが,紛争の半分に関わっている.
  • 軍の人口比率が高い
  • アメリカのテロリストのリストの2/3はムスリム
  • 2008年のテロの 2/3はスンニ派によるもの
  • 民主制を取る国はわずかに1/4で,それも怪しい.
  • 専制性,大きさ,貧しさ,資源などの要因を調整してもムスリムが多いと政治的な自由は減少している.


法や政治体制や文化を見ると以下のような特徴がある.

  • 人道主義を嫌っているように見える.残虐刑の継続,女性割礼,女性への暴力の肯定,奴隷制を最後まで残していたのもイスラム世界(1962サウジ,1980モーリタニア
  • 人身売買も残っている.魔法に対する刑罰が残っている.
  • 極端な名誉の文化によってそれが増幅されている.
  • 「侮辱」の概念が広く,過去の十字軍から米軍のアラブ駐留まですべて侮辱であり報復が正当化される.
  • ラディカルなイスラムはジェノサイド的なイデオロギーに近い.アル・カイーダ.ハマス,へズボラはそれぞれ敵を悪魔と扱う.


ピンカーはまず何故こうなっているのかを議論している.
伝統的には以下の要因があるとされている.

  • 政治的抑圧
  • 経済の停滞
  • 女性の抑圧
  • 識字率の低さ
  • 情報隔絶(インターネットトラフィックも低い,翻訳書が少ない)
  • 工業製品の輸出が少ない


しかしピンカーはこれらの説明だけでは,中世には先進地域だったイスラムが何故現在こうなっているのかの説明はできないだろうと指摘する.では何故イスラムは,理性の時代,啓蒙主義人道主義を取り入れられなかったのだろうか.


ピンカーは,またこれらをコーランなどのイスラムの教義のせいにもできないだろうと指摘する.キリスト教の聖書も似たようなものだからだ.


ピンカーはこれに関してルイスの説を紹介している.それは「政教分離がなされなかった」からだというものだ.

  • モハメッドは精神的リーダーであり,かつ政治的軍事的リーダーでもあった.
  • 古代ギリシアから哲学と数学は入ったが,文学や歴史は入らなかった.他の世界があり,自分たちにも歴史があることに無関心になった.
  • オスマントルコのスルタンたちは,機械式時計,度量衡,物語の翻訳,資本主義,印刷機を拒否した.


ポイントはごく最近まで政教分離の概念がなかったため新しいアイデアが入りにくかったというところだ.ヨーロッパが人道主義を受け入れたのは,コスモポリタン的心情,他社への共感が要因だった.アイデアの市場があったのだ.


では現状はもう取り返しがつかないのだろうか.ハンチントンの「文明の衝突」の議論は正しいのか.しかしピンカーはハンチントンの議論を批判的に検討する.


(1)まず同僚の歴史学者からの批判

  • 世界の中では,なお非イスラム世界同士の争いの方が多い.
  • イスラムに絡む紛争が増えているのではなく,その他の紛争が減っている.
  • 多くのイスラムの人はイスラムとして一緒に扱われるのに困惑するだろう.西洋のイスラム理解は「ファタワとジハードを叫ぶ狂信者と石油成金」のイメージだ.しかし実際は多様なイスラム世界がある.


(2)イスラムキリスト教より原理主義的か
イスラム諸国における調査では多くの人が「シャリアが唯一,または一つの法源であるべきだ」と答える.しかしアメリカ人でも「聖書が法源のひとつであるべきか」と答えれば,多くの人がそうだと答えるだろう,でもそれは日曜日に働いた人を殺そうと言っているわけではない.これらはシンボルであり,多くのムスリム政教分離を拒否するわけではないだろう.


(3)イスラムは西洋世界を嫌っているか
彼等の多くは確かにアメリカを嫌っている.しかしこれは西洋全体を嫌っていたり民主制を嫌っていたりするのとは別の話だ.彼等はむしろアメリカが(独裁リーダーを支持して)民主制を邪魔していると考えているのだ.そしてその認識のなかには真実がある.
彼等はフランスやドイツにはもっと高い好感度を示すし,20〜40%は西洋風のフェアでリベラルな民主制を支持し,90%が言論集会宗教の自由を支持する.


ピンカーはここでイスラム圏で他文化への無関心,孤立が緩和しつつある兆しがあることを指摘している.イスラム世界も変わりつつあるのだ.


そして最後に2011年の春のチェニジアのジャスミン革命に始まるアラブ世界の民主化運動を取り上げ,保守派による中世世界への封じ込めの試みが上手くいかない可能性があることを強調している.


ピンカーの議論は要するに,「イスラムは,その政教分離が難しい体制のために人道主義の浸透に関しては確かに西洋より遅れている.しかし現代のグローバル化,情報社会の進展に従って状況は変わりつつあるのだ」ということだ.ハンチントンはあおりすぎなのだ.このあたりの「文明の衝突」にかかる悲観論というのは日本ではあまり議論されていないのでぴんとこないところだが,あちらではインテリの間でも結構議論されているということなのだろう.



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なんだかあざとい印象があったので恥ずかしながら未読.出版は9.11より前だ.

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