「テングザル」

テングザル―河と生きるサル (フィールドの生物学)

テングザル―河と生きるサル (フィールドの生物学)


本書は東海大学出版部の「フィールドの生物学」シリーズの一冊.東南アジアシリーズがなかなか面白いのでどんどんさかのぼって読んでいるところだ.少し前の2012年に刊行されたもので,シリーズの王道どおりフィールドでリサーチする若手研究者の研究物語になっている.今回はボルネオ島にすむテングザルがリサーチ対象になる.

まず最初の研究者になるまでの経緯が大変面白い.著者は同志社大学の工学部に合格したものの(本人曰く)毎日遊びほうけるおバカ学生そのものであり,4回生になって研究室配属時期になると成績の悪さから(最も厳しいとされ人気のなかった)無機化学研究室に配属となる.しかしその厳しい環境で毎日無心にセラミックスを焼いているうちになんだかまじめに勉強してみるのも悪くないという気持ちになり研究者になることを志すのだ.そして元々化学より生物が好きだったことに思い至り,いろいろ話を聞くうちにアマゾンのサルの話に引き込まれ,紆余曲折の末に北海道大学の大学院の博士課程に進み,ほとんど研究費もないままボルネオ島でテングザルを研究することになる.
ここからは2005年当時のボルネオ島の日本とは隔絶した環境下でのリサーチライフの詳細が書かれている.英語がほとんどできないまま交渉し延々と役所仕事の遅さにつきあう日々,近くの街への行くためにミニバスで未舗装道路を延々と行く旅のすさまじさ,現地の人たちとのどたばた,ワニやアナコンダのいる川に運を信じて入り込んだり,ハチに襲われたり(刺されて顔が腫れている写真が掲載されている),ゾウに追い回されたりという壮絶なフィールド話が飄々と語られていてなかなか読ませる.

さて本題のテングザルだが,ニホンザルカニクイザルなどのマカク類ではなくコロブス類になり,葉食者として知られていた.しかしマングローブ林に住み,川辺にいるとき以外には容易に近づいて観察することができないため,それまで食性を実証した長期観察例はなかった.著者はマングローブ林より少し上流の川沿いに歩いて入り込める川辺林を見つけ,トレイルを切り開き,助手を雇い,そこで執念の長期観察を行う.
その結果彼らは消化のために多くの時間を休んでいること,葉食一辺倒ではなく果実も食べること(ただし,胃の中に葉食のためのバクテリアを大量に持っているために,熟れた果肉は毒になり,未成熟果肉と種子目当てに食べることになる),採食内容には季節的な変化があること,川辺の樹上で寝るのは捕食者(天敵はウンピョウとワニになる)への対応とみてよく,地面が水に浸かる洪水時には内陸に入り込んだ樹上でも就寝すること,葉食の際に反芻することなどを見つけだす.このあたりはさすがにリサーチャー本人によるものだけあって臨場感たっぷりで研究物語として面白い.

この研究物語はとにもかくにも著者の観察への執念が読みどころだ.本人は(謙遜して)自分は「動物運」があるのだと書いている*1が,それは努力と執念のたまものというものだろう.片道切符でボルネオにわたりポケットマネーをつぎ込み幾多の危険をかえりみずに観察する著者の心意気を買いたいと思わせるに十分だ.最後にちょっとポスドクの立場の弱さについての泣き言も書かれているが,著者のこれからの研究者人生の幸運をお祈りいたしたい.


 

*1:ジャガーがクモザルを襲う瞬間,ウンピョウがテングザルを襲う瞬間をそれぞれ目撃したことがあるそうだ.このちょっぴり自慢げな記述がなかなかいい雰囲気を出している.