「なぜ蝶は美しいのか」

なぜ蝶は美しいのか

なぜ蝶は美しいのか


本書は英国の昆虫学者によるもので,チョウの翅の模様についての考え抜かれた考察が美しい写真とともに説得的に語られている.原題は「Seeing Butterflies: New Perspectives on Colour, Patterns & Mimicry」

考えてみるとチョウの翅の模様は不思議だ.うまく背景に溶け込んでいる隠蔽色のもの,毒を持つチョウの警告色,それにベイツ型擬態,ミュラー型擬態で説明できるものは,一般的な進化生物学や行動生態学の議論の上にうまく収まる.しかしそれ以外の鮮やかな模様はどう考えたらいいのだろうか.雌雄で異なっているなら性淘汰にかかるハンディキャップ型のディスプレーの可能性もあるが,特に性差が無い鮮やかな模様はなぜあるのだろうか.それは捕食者の目を引き付けるだけではないのだろうか.目玉模様は捕食者を驚かせることができるとか分断色になっているとかえって見つけにくいという説明を時に目にするが,自然淘汰を経た捕食者がそんなちゃちなトリックに引っかかり続けるのだろうかという素朴な疑問も生じる.そしてそれらでは説明できそうもない鮮やかな模様も多い.
伝統的にはこれらは種識別のためのシグナルだとよく説明されてきた.しかし信号理論から考えれば,それは最小限見分けられる以上に鮮やかであるはずはないのだ*1.本書はその謎に正面から挑んだ意欲的な仮説を扱っている.

ハウスは最初に「チョウやガの翅には虹色や乳白色に輝く模様だけでなく,種々の動物にも見える(模様がある)」と指摘し,これが謎を解く大きな鍵なのだと主張する.ハウスの「サテュロス型擬態」仮説*2は大まかにいうと以下のようなものだ.

  1. チョウは空中で飛翔しているときは不規則に方向を変え,鳥などの捕食者による空中捕獲は難しい.だから最大のリスクは植物などに止まっているときに受ける襲撃だ.
  2. そしてチョウは(ウォームアップしている場合には)非常に素速く飛び立つことができる(3〜17ミリ秒!)ので,ごくわずかな時間でも捕食者を迷わすことができるならそれは十分に防衛としてワークする.
  3. 鳥の視覚からの認知はヒトとは大きく異なり,全体像よりも部分部分の一致から対象を判断する傾向が大きい.だから翅の模様の一部に鳥が注意すべき何らかの対象の一部に見えるものがあれば,それは鳥の注意を一瞬そらすのに十分だ.
  4. また鮮烈な模様でも注意を一瞬そらすことができると考えられる.

ハウスはこの4番目の説明で玉虫色の金属光沢や(鳥の色覚から見ての)補色の組み合わせ模様が説明できるとする.そして何より興味深いのは3番目の説明だ.それはよくある目玉模様をうまく説明できるだけでなく,それまで単なる偶然と思われていた様々なチョウの翅の模様を説明可能にするのだ.


ここからの本書の記述は,「え,まさか」の連続になる.そして美しく,かつ説得的な写真が添えられているために読者はひたすらうならざるをえない.そのよい例が第2章の冒頭にあるヒトリガの写真だ.最初に見ると単に黄色と茶色の模様にしか見えないが,指摘されてよく見るとその模様は鳥の頭部にしか見えなく(眼とクチバシのリアルなこと!)なるのだ.そして次から次に,ヘビの頭部,鉤爪,ネズミの頭部,カエルなどの隠れた模様がチョウの翅の上に浮かび上がる.
また「両義性」も1つのキーになる.樹皮にも見えるがネズミの頭部のようでもあるものは鳥を一瞬迷わせるには効果的なのだ.これによりアリのようにもクモのようにも見える(ある意味不完全な)擬態がうまく説明できる.
またチョウの翅には自種の幼虫に似た模様があるものがある.ハウスは幼虫に毒があればこれはベイツ型擬態(親にも毒があればミュラー型擬態)になるのだと説明している.


続いてハウスは主な分類群ごとに翅の模様を説明していく.
タテハチョウ類の普通種によく見られるオレンジ地に黒の斑点のパターンは,ハウスにいわせるとチョウゲンボウの翼の模様のサテュロス型擬態ということになる.クジャクチョウ類の目玉模様はもちろん捕食者の眼で,オオフクロチョウの目玉模様は有毒のオオヒキガエルの頭部にそっくりだ.ヒメアカタテハの胴体はクモに見える.ヨーロッパアカタテハの模様はゴシキヒワの頭部,トリバネチョウの鮮やかな模様はゴクラクチョウ,オオルリアゲハの美しい青い模様はブッポウソウ,イチモンジチョウやアゲハチョウの黒地に白の筋模様はツバメの翅のそれぞれサチュロス型擬態であり,メルボメネドクチョウの赤と黒の模様はテキサスサンゴヘビとの,オオカバマダラの翅の端にある黒地に白の斑点模様は有毒のヌマサンショウウオとのそれぞれミュラー型擬態だと主張される.


色別の解説もある.
青いチョウについて.モルフォチョウの青い金属光沢については,鳥が敏感な紫外線反射域にスペクトルのピークがあり,その部分で95%の反射率を持つことから,翅をはためかせて生じさせる「青い雷のような閃光」の一瞬の輝きで鳥を幻惑しているのではないかと示唆し,同じく青いシジミチョウについてはヤグルマギクのような青い花に擬態しているのだとする.コムラサキの青はオスのみに見られることから性淘汰形質だと解説している.
シロチョウやモンキチョウの翅の模様も紫外線領域まで見ると性差がある.ハウスはこれらのシロチョウ類の翅について性淘汰の可能性があるとしつつ,草原の花のいい擬態になっているとも指摘している.


ハウスは最後にガの翅も扱っている.スズメガヤママユガサテュロス型擬態の宝庫なのだ.
これらのガはしばしば大きな目玉模様を持つ.ウチスズメ亜科のある種のガの翅模様はアライグマの顔に見える.ヨーロッパメンガタスズメはその胴体の模様がスズメバチの擬態であり,キョウチクトウスズメには口を開けたトカゲの模様がある.中南米のあるヤママユガの翅模様は鳥の色覚から見るとホバリングする猛禽類の姿に見える.メダマヤママユの眼状紋は特に大きく(頭部がクチバシになって)鳥の頭部が浮かび上がる.そしてチリのヤママユガの一種では翅にフィンチの横顔の模様が,ヒメクジャクヤママユにはノウサギの顔の模様があるのだ.最後に持ってくるだけあってこのノウサギの横顔の模様は感動的だ.この本を読んでいなければそれは大きな眼状紋を持つガにしか見えない.しかし一旦ウサギを見つけてしまうと,もはやウサギ抜きにこのガを観ることはできなくなる.


これらの説明はなお仮説の段階だし,メインストリームで受け入れられているわけでもない.そしてなお「まさか」という印象を抜け出せない説明もある.(アゲハチョウの翅の模様がツバメの翼模様の擬態だなんて本当だろうか!)しかし,鳥の視覚の認知心理がヒトと異なっているということは十分あり得るだろうし,それを考えに入れるとこのサテュロス型擬態の説明の多くは興味深いものだ.そして何よりそれ以外に代替説明のない多くの翅模様を説明できることが魅力的だ.今後検証されていけば大変エキサイティングだろう.
そういうわけで本書は本当に楽しい読み物だ.英国の博物学の奥深さ,行動生態の伝統を感じさせてくれるし,何よりチョウの写真が美しい.チョウに興味のある人のみならず,行動生態に興味のある人すべてに強く推薦できる.


関連書籍


原書

Seeing Butterflies: New Perspectives on Colour, Patterns & Mimicry

Seeing Butterflies: New Perspectives on Colour, Patterns & Mimicry


ハウスの前著.是非読みたくなってきたが,残念ながら電子化されていない.

Butterflies - Messages from Psyche

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擬態についてはこの本が面白い.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090531

擬態の進化―ダーウィンも誤解した150年の謎を解く

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*1:ハウスは(信号理論からではなく)隠蔽種の存在からその説明は成り立たないだろうと指摘している

*2:ハウスは,自分の仮説は,ベイツ型・ミュラー型の擬態と隠蔽色の間を埋めるものだとし,翅の模様の一部に様々な怪物のイメージがあるという意味で「サテュロス型擬態」と呼ぶことを提案している