Language, Cognition, and Human Nature 第1論文 「言語獲得の形式モデル」 その21

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IX 発達心理言語学へのインプリケーション その2


生得主義 vs 経験主義:2つの極端な主張>

  • 言語の学習可能性の研究からの正式な結果は,言語学習の必要十分条件についての2つの一般的な提案を否定する明確な根拠となる.2つの提案の1つは経験主義,もう一つは生得主義だ.
  • 極端な経験主義の提案は「ヒトが獲得可能なルールに関して,言語に特化したアプリオリな制限はない」というものだ.これによると「一旦十分な数の文が観察されると言語は『一般的多目的学習戦略』(パットナム 1971),『発見手続き』(ブレイン 1971),『学習アルゴリズム』(デューウィング 1973)によって学習可能になる」ということになる.これまで述べたようにゴールドの並べ上げ戦略は一般的な学習アルゴリズムとしてはもっとも強力なものだ.そしてそれでも有限サンプルから言語獲得するには十分ではない.学習の基準を緩めれば可能だが,いずれにしてもヒトの一生の時間制限内では不可能だ.
  • 逆方向に極端なもう一つの提案は「自然言語の特徴,特に深層構造についての生得的な知識が,サンプルからの言語学習を可能にする」というものだ.ハンバーガーたちのモデルは非現実的なほど制限がきついもの(すべての言語は同じ深層構造を持つなど)だった.しかしながらそれでもサンプル文からのみでは言語獲得が不可能であることが証明された.もちろん別の生得的制限によって獲得可能であることを示せるかもしれない.しかし誰かがそれを示すまではそれは推測に過ぎない.


<言語獲得の認知理論にとっての問題>

  • これらの過程によってサンプル文から言語獲得ができないということは,言語獲得においては意味論や実際的な情報が使われていることを強く示唆している.アンダーソンやハンバーガーたちの最終的な幾分かの成功はこれを支持する.
  • しかしながら,発達心理学者の間での認知理論の浸透にもかかわらず,理論の基礎についての議論はほとんどなされていない.つまり子供の内的表現(internal representation)の正確な性質についての議論がないのだ.
  • 認知理論によると,子供は,言語学習のためには,文法構造のフォーマットに十分似た内的表現構造のシステムをもつべきだし,同時にそれは非言語的な情報についての認知知覚能力によって計算可能なほど柔軟で一般的であるべきなのだ.これらの条件を満たす子供の心的表現理論を持つまでは,認知理論は支持されていない仮説にとどまらざるを得ない.そしてこのような表現システムをデザインするのは難しい仕事になる.


ここまではある意味おさらいだ.要するにここまでのピンカーの整理により,言語獲得は極端な経験主義でも極端な生得主義でもうまくいかないことが明らかになった.さらに言語獲得には意味論や文脈情報を使われていることも示された.ピンカーはこの後者の点について少し細かな議論をここでしている.それは「エンコード問題」と「フォーマット問題」になる.

  • 私が「エンコード問題」「フォーマット問題」と呼ぶ2つの問題が,言語獲得にかかる学習可能性条件と当潜在能力条件についての重大な問題になる.


(1)エンコード問題

  • この問題は言語はある状態を何通りものやり方で表現でき,ヒトはある状態を何通りものやり方で知覚できるということの帰結だ.ある状態について多くの異なる表現構造が当てはめ可能だが,そのときに聞いた文に当てはめ可能なのはひとつだけなのだ.子供はどうやってある状態をある文の基礎構造にエンコードすればいいかを知るのだろうか.
  • 子供が白いネコがネズミを食べているのを見ているとする.しかしそのときに当てはまる文は「白いネコがネズミを食べている」だけではない.「ネズミがネコに食べられている」「ネコが食べているのは2番目のネズミだ」「ネズミを食べないネコもいる」「あの白いネコはネズミに何をしているの?」など様々だ.また.『白いネコがネズミを食べている』という文が聞こえているときに子供が心的に描写するのは「ネズミはいなくなった」「ネコとネズミが遊んでいる」「ネズミはネコにとって食べやすそうだ」など様々だ.もしこのエンコードができないなら意味論的表現は手がかりを与えないかあるいは誤った手がかりになってしまうだろう.
  • 私は既に,アンダーソンが単純化を緩めればこの問題に行き着くことを指摘した.ハンバーガーたちにも同じ問題に突き当たった.彼等は能動態と受動態のようなものは同じ構造だとしてこの問題を取り扱おうとした.しかし結局子供が変形の有無をどう判断できるのかについては明らかではない.


(2)エンコード問題についての可能な解決法

  • ここでは3つの部分的解決を提示する.あわせると典型的な言語学習状況における不確実性を減少させ,子供が当該状況について大人が提示する文の唯一で適切な表現にエンコードすることができるようにするだろう.
  • 最初の解決策は,子供の表現システムは大人のものより能力や柔軟性に欠け,ある状況についての表現が少数のやり方に止まるだろうという仮説に従うものだ.先ほどの例でいうと,子供はこの状況を見て,「ネズミはネコを食べていない」とか「すべてのネコがネズミを食べる」などとはエンコードしないだろうと考えることができる.子供が育つにつれ表現力が増し文法的な構造の範囲も増す.よく示唆されるように,両親が子供の認知能力に合わせてしゃべる内容を調整しているとするなら,その時期の子供の表現能力に合わせて文法的構造を調整していることになる.そうすれば子供が認識する状況と文の構造のミスマッチは最初に考えていたより少ないと考えることができる.
  • 二番目の解決策は,子供の社会的な知覚は,異なる文に現れるそれぞれ統語的な方法によってシグナルされるプラグマティックあるいはコミュニケーション上の違いを感じるに十分だと考えることだ.つまり子供は会話の文脈から,大人が何を前提としているか,あるいは何に注意を払っているかなどを知ることができると考える.同じく先ほどの例でいうと,子供は単にネコとネズミを見ているのではなく,大人がネコの中に消えていくネズミに注目しているのではなくネズミを食べているネコに注目していることを知っているということだ.これが正しいなら言語と学習者に強い制限がかかっていることになる.言語の文法は厳格な意味での同義表現を持たないことになる.2つの基礎構造が統意味論的に同じであっても,プラグマティックには必ず異なっているはずだということになる.つまり子供のプラグマティックなことに関する知覚能力は異なる統語構造を用いる状況を区別できることになる.
  • 三番目の解決策は,子供は文の単純な特徴を用いて大人が何を言おうとしているのかについての解釈の幅を狭められるようにする戦術を持っていると考えることだ.例えば子供は最初に現れる名詞を主語だと考え,状況をそれにあわせた文にエンコードできる.
  • ここまで述べてきたことにより,言語学習の正式な理論の要求とインプリケーションに注意することにより,これまで発達言語学者が熱心に調べてきたいくつかの現象のより正確な役割が理解可能になることを示すことができていれば嬉しく思う.特に,認知発達における文法学習,大人が子供にしゃべりかけることの細かな調整,子供がどのようにエンコード問題を解決しているかについての知覚戦術などの役割についてそうなっていれば嬉しい.


(3)フォーマット問題

  • 一旦子供が状況を表現に当てはめるエンコード問題を解決すると,次に問題になるのは,表現が構造解析や学習過程で必要になる一般化のための適切なフォーマットでなされるかということだ.
  • 極端な例を示そう.ここで知覚や認知発達の研究の結果「子供の内的表現は単なる知覚できる特徴のリストである」という結論を得たと想像してみよう.すると例えば「意味論ベースの一般化ヒューリスティックスにより,学習者は問題なく『ネコ』と『ネズミ』を結合することができる.何故なら両方とも毛が生えた4足歩行の動物だから」ということになる.しかしそうすると学習者はこのクラスに「はためき」とか「ゴーン」とかのネコやネズミとの共通要素を持たない語を入れることができなくなる.そしてもちろん「誤謬」とか「現実化」などの抽象的な語も入れることはできない.抽象的な統語構造では,名詞句や関係節などに関する知覚的な連合が成立しないためにより難しくなる.
  • この表現フォーマットに関する問題は,要するに「知覚するために十分な特徴」は,文法学習にとっては適切ではないということだ.(知覚するために十分な特徴だけでは)文をどうユニットに分割するか,似たようなユニットについてどう一般化するかを決められないのだ.
  • つまり必要なのはその要素が文法要素に緊密に対応しているような表現理論なのだ.アンダーソンの理論では表現は主辞と賓辞で構成され,それは関係と対象から成り立っていた.これは文は名詞句と動詞句からなる(さらに動詞句は動詞と名詞句からなる)という文法規則とうまく対応していた.(さらに異なる状況にエンコードされた前置詞はどのような名詞句に対しても同じフォーマットで表現される)ハンバーガーたちはさらに学習に適合したフォーマットを持つ認知表現を用いていた.つまり変形可能な深層構造だ.これこそが彼等のモデルがLASよりもうまくいった理由でもある.要するにこれらの理論家は思考言語の文法は自然言語の文法に似ているはずだという前提を置いていたのだ.
  • しかしこれらの解決は固有の問題を引き起こす可能性がある.あまりに文法規則学習のために適合したフォーマットを持つ認知理論を作ろうとすると(別の証拠が示す)実際の知覚や認知に合わなくなってしまうかもしれないのだ.そしてアンダーソンの意味論構造モデルは彼の長期記憶理論から導き出されたものではあるが,ほかのどの理論家のモデルよりも深層構造に近いものになっているともいえる.またマクマスターのモデルでは文法構造と意味論構造がほとんど同じになってしまっている.


(4)フォーマット問題のインプリケーション

  • これに対しては2つの選択肢がある.
  • まず,その他のすべての事情を無視して,言語学習を可能にするためには「心的表現のフォーマットは統語的構造に似ているに違いない」と決めつける方法がある.フォーダー(1975)の議論はこれに沿ったものだ.
  • 2つ目のの方法は,少なくとの2つの表現フォーマットを考慮することだ.1つは知覚と認知に最適に適合しているもの,もう1つは言語学習に適合しているもので,さらにフォーマット間の転換過程を想定する.アンダーソンもハンバーガーたちもモデルにこの仮説の1つのバージョンを含めている.LASでは意味論構造を「プロトタイプ構造」に転換する過程があったし,ハンバーガーたちのモデルでは意味論構造から「深層構造」を導く過程があった.
  • 結局言語獲得のための認知理論では,一般的な認知と言語学習に適した表現フォーマット,そして複数フォーマット間の転換過程を考慮する必要があるのだ.


なかなか細かい.認知科学的には重要な部分なのだろう.