「生命,エネルギー,進化」

生命、エネルギー、進化

生命、エネルギー、進化


本書は生物の基本的な問題を生化学的な視点から掘り下げるニック・レーンによる生命の起源,及び真核生物の起源の謎を扱った書物である.レーンは前著「生命の跳躍」では生命史における10の問題を取り上げ,本書の2つの問題も扱っている.この2つについて更に掘り下げて議論した本ということになるだろう.原題は「The Vital Question」

序章 なぜ生命は今こうなっているのか?

序章では微生物学説史を踏まえた問題の見取り図が描かれる.微生物学はレーウェンフックに始まるが,レーンによると3つの革命があるという.
第1はリン・マーギュリスによる内部共生説.真核生物の細胞内器官はそれぞれ様々なバクテリア古細菌との共生に起源するというこの考え方はセンセーショナルに登場した.しかし現在ミトコンドリア葉緑体は確かに共生起源であるがほかは疑わしいという状況にあるそうだ*1.第2はカール・ウーズによるバクテリア古細菌と真核生物の系統図の確定.そして第3はビル・マーティンによる水素仮説だ.マーティンはプロトン勾配による生化学的なプロセスを基本に,ただ一度の古細菌ミトコンドリアの祖先細菌との共生が真核生物を形成したという考えを整理した.
そして本書では水素仮説を更に発展させて解説がなされる.レーンによるとこれまでの進化生物学は淘汰のとゲノム情報しかみていなかったが,これからはエネルギーの観点が重要だということになる


第1部 問題

問題の所在を説明するに当たり,レーンは真核生物の起源から話を振っている.
かつては,「まず30億年前にエネルギーを得るために原核生物において光合成が進化し,大気が毒性を持つようになった.真核生物は数億年かけて内部共生により酸素耐性を獲得し,その後カンリブア爆発が生じた」と理解されていた.レーンはもしこれが正しいなら環境に対して長期間かけて適応が生じたのだから真核生物は多系統的でなければならないはずだが,実際には単系統で,構造的な制約があるために進化しにくかったが,いったん内部共生が成功した後に爆発的に放散したように見えるとする*2

では何が原核生物の制約そしてその特徴だったのだろうか.レーンによると原核生物はすべて酸化還元反応に基礎を置き(化学反応の速度論的障壁を利用する),膜を隔てたプロトン勾配をエネルギーの制御に用いるという共通点を持つ.

第2部 生命の起源

ここからレーンは生命の起源に踏み込む.淘汰とゲノム情報のみを考える進化生物学者RNAワールド仮説で満足している.しかしここをエネルギー的に考えるとどうなるのか.
エントロピーを保つための最初のエネルギー障壁を乗り越えるには稲妻のエネルギーでは足りない.紫外線を利用するには溶液の濃縮が必要だ.エネルギーに加えて細胞形成に必要な様々な物理的化学的条件をすべてクリアできるのは海底のアルカリ熱水噴出孔しかないとレーンは力説する.これは前著でも主張されていたところだが,本書では非常に詳細に議論されていて圧倒される.エネルギー源はカンラン石と水の反応により水素を得ることによる.そして噴出孔にある細孔が触媒となって反応が進み,その過程で膜をはさんだプロトン勾配構造が出現する.


ここでレーンは,すべての系統樹のルートには何があるのかと問いかける.ウーズの系統樹リボソームの遺伝子を元に描かれているが,根本のあたりの系統樹は遺伝子によって相当異なる.これは水平移動の頻度が高かったことを示している.しかしそれでも古細菌バクテリアの生化学的なメカニズムは非常に異なっている.この中から共通要素を抜き出すと始原細胞LUCAが持つべき特質は,「化学浸透共役」「呼吸鎖複合体」「DNA」「暗号コード」「リボソーム」となるとレーンは整理している.そしてこれらはすべて熱水孔で進化可能だとまとめている.

では生命はどのように熱水孔から外に出たのか.プロトン勾配はそのままではあっという間になくなってしまう.ここからのレーンの議論は込み入っていてなかなか難しいが,まず化学反応によりエネルギーを取り出すにはある程度プロトンをリークしやすい膜の方が有利になる.そしてプロトンは通せてもナトリウムイオンは通せない膜とナトリウムイオンポンプがあれば細胞内でプロトン勾配を維持し,炭素とエネルギーの両方の代謝が効率的に行えるようになる.これが前適応になり生命は熱水孔の外側に出られるようになった.そしてバクテリア古細菌は様々な代謝回路を独立に進化させていったのだ.

第3部 複雑さ

第1章で議論したように「原核から真核への進化には大きな構造的な制約があったはずだ」というのがレーンの主張だ.ではそれは何か.これまでは細胞壁だとか線状の染色体だという議論はあるが,それは全く説得的ではない.ゲノムをみると真核生物成立時期には大量のゲノムがバクテリア古細菌から入り込んでいるが,しばらくしてこの流入は止まっている.これらも併せてどう説明されるべきか.

(発酵というわずかな例外をのぞくと)すべての生物のエネルギー制御は化学浸透方式によっている.これは膜をはさんで連続的な勾配を作れるので化学反応の分子比率に拘束されない.また勾配が保たれなくなるとプログラム死を引き起こすこともできる.
ではなぜ原核生物のまま大きくなれないのか.レーンはすべての問題の鍵は「1遺伝子あたりのエネルギー」にあるという.そして原核細胞と真核細胞の様々な比較を行う.ここは大変わかりにくい記述になっている*3が,私の理解では,細胞が大型化すると体積の増大に対して化学反応が生じる表面積が追いつかないので,うまく膜を折り畳む構造がないと代謝が体積に対して不足するという問題が議論されている.そして原核細胞のまま内膜を折り畳む構造は細胞内の物質輸送やDNAの複製に問題を生じさせる.これを解決できる唯一の方法がミトコンドリアとの内部共生だったということになる.
なおここのDNAの複製が難しくなるという議論はなかなか面白い.大型化するとゲノムが細胞のいたるところで複製されざるを得ず,すると機能面で劣っていても複製効率が高い遺伝要素が細胞内で有利になってしまうという問題が生じるというのだ.
ミトコンドリアがいったん内部共生を始めると,外部環境が安定するので遺伝子の水平交換がなくなり,また複製効率にかかる淘汰は遺伝子を最小限にし,不要不急の遺伝子を核に移動させる(またオスの生殖系列に入ったミトコンドリアにとっては核に移動することが唯一の生き残り機会になる).これによりエネルギー効率が更に上がることになる.(最後までミトコンドリアに残る遺伝子は,膜のそばで代謝調整に必要な遺伝子だろうとレーンは推測している)


レーンは真核生物の大きな特徴として有性生殖を行って遺伝子プールをある程度均一に保つことを挙げている.*4
これはなぜか.ここで真核生物のみがイントロンを持つことの意味が重要になる.レーンはこれは真核生物成立時に大量に持ち込まれた寄生性の遺伝要素だと指摘する.レーンの解釈では,内部共生は,大量のゲノム持ち込みによりゲノム情報的には不利だが,エネルギー的には代謝利用可能性が増してメリットになる.だからうまく切り出して複製エラーを抑えられれば有利になる.このため精密なスプライシングが進化し,また複製エラーを減らすためには途中に障壁があることが有利になり,核が進化した.
そしてこのようなイントロンによる爆撃からゲノム修復をするためには有性生殖が有利になる.これはコンドラショフたちの修復説と基本的に同じ考え方だ*5
次に有性生殖配偶子の異型性の問題が扱われる.これにはいろいろな説明があるが,有力な考え方の一つにミトコンドリアなどの細胞内オルガネラの破壊的な競合を抑えるためだというのがある.しかしレーンは,同型配偶子の生物でも何ら問題が生じていないように見えること,複製の効率競争が生じても問題ないように思えることからミトコンドリア競合抑制説に疑問を呈し,これはミトコンドリアが核内遺伝子と協力するためにはミトコンドリア間の性質が均質な方がよく,片親遺伝の方が都合がよかったためだろうとしている.ここはやや疑問だ.ミトコンドリア同士の争いは複製効率だけとは限らず相手を殺すような性質も進化しうるだろう.またレーンの説明は競合抑制説と排他的ではないだろう.
レーンはここで生殖系列と体細胞系列の分化もミトコンドリアの細胞内均質性から説明している.有性生殖時にはミトコンドリアは均質な方がいい.しかし代謝を考えるとよりばらつきがある方が望ましい.だからこの2系列に分化したという説明になる.なかなか複雑だが,レーンは有性生殖,配偶子の異型性,生殖系列の分離についてモデル化してシミュレーションに成功したと主張している.

第4部 予言*6

ミトコンドリアの遺伝子の多くは核に移動している.だから真核生物がうまくいくためには,核のゲノムとミトコンドリアが協調できなければならない.レーンはこの制約が雑種崩壊そして種分岐の主要な原因であると指摘する*7.そしてこう考えるとホールデンの法則もうまく説明できると主張する.ホールデンの法則とは「2種の雑種において,一方の性が不存在,まれ,不妊となる場合にそれは異型配偶子を持つ性である」というものだ *8.これは代謝率の速い方の性が,ミトコンドリアの不具合が表に現れやすく,致死や不妊になる傾向があると説明できる.レーンは二つの性と代謝率の違いについて力説しているが,ここはやや難解だ.哺乳類ではたまたまオスの代謝率が高く,鳥類で逆になっているということはあるかもしれないが,「異型配偶子を持つ性が代謝が高くなるべき理由」は私には理解できなかった.
ここからレーンはなぜ飛翔性の鳥類とコウモリは寿命が(非飛翔性の哺乳類に比べて)長いのかという問題を取り上げる.これは前々著でも取り上げられていて,そこではミトコンドリアの効率上昇と何らかの繁殖アドバンテージがトレードオフになっているのだろうと推測されていた.本書では更に一歩踏み込み,このトレードオフミトコンドリアの細胞内均質性にあるのではないかとしている.細胞内にばらつきがあればエネルギー効率は落ちるが,フリーラジカルのシグナルからアポトーシスに移行する閾値を下げられる.これが生殖能力と有酸素運動能力のトレードオフであろうとしている.
最後に一時流行したフリーラジカル老化説についてコメントしている.フリーラジカルを悪玉,抗酸化物質を善玉とみる単純な見解は間違いであり,この二つの物質の健康に与える影響はもっと微妙なものになる.フリーラジカルは呼吸需要が能力を超えていることを示すもので,機能不全になって能力に問題がある細胞のアポトーシスを引き起こすシグナルになっている.だからフリーラジカルを単純に抗酸化物質で抑制するとシステム全体がうまく働かなくなる可能性がありかえって危険なのだと解説する.
寿命は有酸素運動能と生殖能力のトレードオフの副産物として決まっている.とはいえヒトは持久走ハンティングによりチンパンジーより高い有酸素能力への淘汰がかかって寿命が延びているだろう.要するに進化において寿命は最適化されているとレーンは結論づけている.前々著では寿命を延ばす可能性について楽観的だったが,至近的メカニズムだけでなく進化の論理を深く理解したレーンによる見解の修正ということだろう.
レーンは本書の最後をこう記している.なかなか味わい深い.
“May the proton-motive force be with you”*9

全体としてとにかく濃密な書物だ.生化学的な知識に乏しい私としては圧倒されるところが多い.生命の起源についてのアルカリ熱水孔起源仮説は説得的だし,真核生物についての内膜折りたたみとDNA複製の両立には内部共生が唯一の解だったという解釈も同じく説得的だ.行動生態的な適応と淘汰の議論に慣れると様々な形質の進化についての構造的制約はあまり考えなくなるが,生命の起源や起源に近い部分では特にメカニカルな制約が重要になるのだと改めて感じさせてくれた.
有性生殖や配偶子の異型性については,強引なところもあってなおよく考えてみなければという感想だが,いずれにせよ啓発的な議論だと思う.有酸素運動能と生殖能力のトレードオフについては前著の説得的な議論が更に前進していて見事だ.
なかなか読み進むのに気合いと根気がいる書物だが,生命の起源,真核生物のあり方の根源的な部分に興味のある人には必読文献ともいえるだろう.


関連書籍


原書

The Vital Question: Why is life the way it is?

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レーンの前著.進化における10大トピックを扱った書物になる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110608

生命の跳躍――進化の10大発明

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ミトコンドリア視点から冪乗則,細胞間コンフリクト,性の二型性などが扱われている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080405

ミトコンドリアが進化を決めた

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酸素という切り口から見た生命史.後半は老化の議論を扱っている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061104

生と死の自然史―進化を統べる酸素

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*1:マーギュリスは最後まで自説にこだわり,十字軍的な熱意を持ってダーウィン型の競合的な進化を否定し,陰謀説を信じる傾向があったため死後には二面的な評価を残したとレーンは述べている

*2:ここでかつて真核生物への進化の中間段階と考えられていたアーケゾアが,実は一部組織が退化したれっきとした真核生物であることがわかったことにも触れている

*3:1遺伝子が細胞の中にあるDNA分子の数を言っているのか,情報的な意味なのかについて明示的に指し示していないし,原核と真核で体積が1.5万倍,代謝が5000倍,あたりまではいいのだが,1遺伝子あたりの代謝について1200倍,5000倍の二つの数字が出ていたりする.そもそもなぜ1遺伝子あたりのエネルギーが問題になるのかについてわかりやすい解説もない

*4:これにより真核生物は1個体内に必要なゲノムをすべて有している生命形態ということになる.これに対して原核生物は複製効率についての淘汰が強いので1個体内には必要最小限のゲノムのみを持ち,様々な環境変化については他個体からのゲノム交換で間に合わせる形になっている(つまり個体群全体で多様な遺伝子を保持する生命形態になっている)と指摘している.面白い視点だと思う.

*5:イントロンが寄生性であるのでパラサイト説にも関連するかのような記述もあるが,この寄生性遺伝要素への耐性には多様性の持つ頻度依存効果はないだろうから,基本的に修復説の考え方ということになるだろう.

*6:なぜ第4部の題が「予言」とされているのかはよくわからない.基本的にはミトコンドリアのエネルギー効率とそれにかかるトレードオフが扱われている.

*7:もっとも染色体数の不一致で減数分裂がうまくできないようなケースもあるのでこれがすべてというわけではないだろう

*8:レーンによるとこの規則の例外は驚くほど少ないが,なぜそうなるのかについてこれまでまともに説明できる仮説はなかったそうだ

*9:もちろんスターウォーズシリーズの有名な台詞がもとになっている.本書では「汝,プロトン駆動力(フォース)とともにあらんことを」と訳されている