「Against Empathy」

Against Empathy: The Case for Rational Compassion

Against Empathy: The Case for Rational Compassion


本書の著者ポール・ブルームはピンカーと一緒に言語が適応であることを主張し,その後発達心理学者として道徳の獲得やヒトの心にある本質主義的傾向をリサーチしていることで知られる.
ブルームの新刊である本書は題名通りの「共感」への批判書,より正確には「共感こそが,道徳の向上,そして差別のない平和な世界を創るための鍵だ」という考え方を批判する本だ.
初めて聞くとこれはかなり奇異な主張に聞こえるだろう.人種差別や性差別,さらに戦争を含むアウトサイダーへの暴力は,相手の身になって差別の痛みを感じることによってその酷さが実感でき,それによってこそ抑制が可能になるように思われるからだ.しかしブルームは「共感は容易にバイアスし,邪悪な目的にも使用されうるし,対人関係でコストになることもあるのだ,そして道徳についてはより功利主義的に理性を働かせるべきだ」と主張するのだ.

プロローグ

冒頭で2012年のコネチカット州のサンディフック小学校銃乱射事件が取り上げられている.この痛ましい事件では小学生20人を含む26人が犠牲になり,事件を国民に伝えるオバマ大統領も思わず声を詰まらせた.これはブルームの身近で生じた事件であり,ブルーム自身この事件には大変衝撃を受け,犠牲者やその家族のことを思うと強い情動を感じていたたまれなかったと述懐する.これは共感の強い力を示している.しかしそれでもブルームは道徳のガイドとして共感はふさわしくないと議論したいと宣言する.
ここで議論のための用語の定義がある.ブルームが問題にする「共感」は他者の感情をそのまま感じること(情動的共感)を意味する.理性的に他者の状態を理解したり(認知的共感),他者に優しくすることは含まない*1
また前著「Just babies(邦題:ジャストベイビー)」の議論との関連にも触れている.確かに前著で示したように幼児にも善悪のセンスはあり,道徳はその基礎を感情に持つ.しかしこの道徳の基礎としての感情は過剰評価されている.そして感情が進化産物であるということは,それは血縁や互恵性集団に対するバイアスの影響を受けやすいはずなのだ.

第1章 他人の身になる

最初にブルームの立場をはっきりさせている.ブルームは道徳,思いやり,優しさ,愛,よき隣人であること,正しいことをなすことに反対しているわけではない.それを進めるために「共感」に頼ることに反対しているのだ.どうすべきかの判断基礎には理性を用いるべきだと主張する.

まずブルームが力説するのは,多くの人が「共感」を絶対的な善と見なし,すべての社会的な問題の解決の鍵が「共感にある」と考えているが,これは間違っているということだ.ブルームは以下のように議論を進める.

  • 善をなすために必ず共感が必要なわけではない.子供が困っているのが理解できれば,その困惑や恐怖を感じなくとも助けることができる.
  • 共感からの衝動はほかの道徳的な要求に反することがある.臓器移植の順番を持つ10歳の愛らしい少女に共感すると順番を早めてあげたくなるがそれは衡平とは言えない*2
  • 我々の行動の帰結はしばしば不確かだ.とはいえ,基本的にどうすべきかはその結果がどうなるかで判断すべきだろう.*3
  • では共感の結果はどうなるだろうか.情動的共感はスポットライトが当たった人々にのみ働き,通常それは非常に狭い.それは統計的な現実を無視する.世界にはサンディフックより痛ましい事象にあふれているが,目に入らなければそれはないも同然なのだ.これに対して認知的に他の人々の状況を理解すること(認知的共感)は遙かに有用だ.後者は統計的な現実も把握できる.困っている人の情感をそのまま感じなくとも理解できれば援助しようという動機になるのだ.
  • もちろん共感を戦略的に善のために活用することはできる.寄付を募るパンフレットが特定の少女の写真やその境遇を取り上げるのはその例だ.しかしそれはどんな強い感情にも当てはまる.真に共感を擁護するにはメリットとデメリットをすべてあわせて考察しなければならない.
  • 理性,一般的な優しさ,認知的共感もバイアスしうる.しかし比較するなら共感がもっともバイアスしやすいのだ.

第2章 共感の解剖学

そもそもこの共感はどういう仕組みで働くのか.ブルームは近時の脳科学が活性領域にとらわれすぎていると一言批判的なコメントをしてから,共感について知られている至近的メカニズムを整理して解説する.

  • 他者の行動を観察すると自己の行動時と同じニューロンが活性化する.これはミラーニューロンと呼ばれ一躍有名になった.一時はこれは心理学におけるDNAだともてはやされ,ありとあらゆる行動や心理の理論がこのニューロンの上に構築されたが,ほとんどは単なるくず理論だった.
  • とはいえいくつかの面白いリサーチもなされている.痛みや嫌悪については他人が感じているのを見ると自分が感じるときと同じ脳領域が活性化する.これは他人がどう感じているかを自分の脳を使ってシミュレーションしているのだと考えられ,社会的な能力を高めるための適応かもしれない.ただし活性化パターンは全く同じではなく,シミュレーションには限界があると考えられる.
  • 共感はオートマチックで素早く生じる.そしてそれは対象者をどう思っているかに大きく影響される.対象者がどのグループに属しているかにも影響される.要するに共感は偏見や好みに大きく左右されるのだ.共感が道徳的判断を形作るというより,すでにある道徳的判断に従って共感が形成されるという方が真実に近い.
  • 情動と理解は異なる.被害者を容易に操作するように見える犯罪的なサイコパスは,認知的共感に優れ,情動的共感に欠けていると考えると理解できる.

ブルームはこのような知見をもとに「共感が人々を善に導く」という見解についてこうまとめる.

  • 共感は私たちを善に導くとされる.困っている人について自己と同じように考えて助けたいと考えるというのだ.しかし非常に困っている人に強く共感し,自らも惨めな思いをした場合,よく見られる反応は,そこから逃れたいというものだ.
  • 共感から善に移行するにはすでにある優しさと連結できなければならないようだ.

ブルームは次にこのような共感が現実世界で人々の行動に与える影響を考える.

  • 実証は難しい.人々の善や共感を量的に測定することは難しい.アンケート調査は可能だが,参加者が真に共感的なのか,共感的だと見られたがっているのかを区別するのは難しい.また交絡要因があるかもしれない.すでに考案されている尺度*4はあるが,それぞれ固有の問題*5を持っている.そして既往のリサーチには出版バイアスがある.
  • しかしながら,そして驚くべきことに,これらすべての問題をいったん捨象してリサーチを見ても,共感と善き行動の関連を示すリサーチはあまりない.多くのリサーチは関連を否定し,あるとするリサーチでもそれは弱いとしているのだ.
  • では共感の低さと攻撃性には関連があるだろうか.メタアナリシスによると,攻撃性の分散のわずか1%が共感性の低さと関連づけられるにすぎない.

ブルームはこうまとめている:「これまで私たちは共感を重要視しすぎていたのだ.共感以外に考慮すべき要因が数多くあるのだ.」

第3章 善き行い

共感と攻撃性は関係ないとして,道徳とはどういう関係にあるのか.共感が善き行いに結びつくように見えるリサーチは数多くあるが,ブルームはこれらのリサーチデザインは共感の効果を単一の何か親切な行動傾向と関連づけようとしており,世界の複雑性を考慮できていないと批判する.

  • ベイトソンたちによる例外的によく練られたリサーチがある.それによると特定のスポットライトやバイアスに向くように共感を刺激することによりどのような道徳的な結論でも引き出せる.つまり共感は道徳的でも反道徳的でもない,それは無道徳(amoral)なのだ.

ブルームはこの共感の対象が特定の狭いスポットライトに限定され,全体が見えなくなること*6,更にバイアスに弱いことについて多くの例を挙げて補強している.
また共感が実際に世の中を悪くすることもあると議論している.

  • 子育てにおいて,子供への共感に流されれば子供の短期的な欲望に迎合することになり子供の幸福にとって長期的に重要なトレーニングやしつけはできない.チャリティですら,少額の寄付を共感の赴くままに手当たり次第に行うのは慈善事業にとってコスト倒れになりかねない.国際援助にも同じ問題がある.援助が対象地域の人々の自立へのインセンティブを毀損してしまうことはよくあるのだ.
  • さらに共感には悪意を持った人々に容易に利用されるという問題がある.
  • 要するに複雑な現実の中で善き結果を求めるのであれば,冷静な計算が必要なのだ.現実の世界で善を成すには効果的利他主義(Effective Altruism)をとるべきなのだ.確かに人々は自ら計算するのを好まない.でも計算結果に説得されることはあるのだ.

この後は著名な功利主義ピーター・シンガーの議論を紹介しながら,この功利主義的な主張とそれに対する批判とさらにそれに対する反論が扱われている.やや哲学的な部分だが,一心理学者として素直に扱っていてわかりやすい.本書の読みどころの一つだろう.

幕間1 共感の政治学

ブルームは共感を否定するのは保守主義なのかという問いをたてている.それはいかにも反リベラルに聞こえるからだろう.
ここではリベラルとは何かという整理を行い,アメリカにおいてはリベラルと保守というカテゴリーに実体があり,政党支持と相関していることをまず押さえ,リベラルはより共感的かを吟味する.そして実はそうではないと結論づける.リベラルの価値の中にも言論の自由などの抽象的なものもある.保守の価値にも共感で補強できるものがある.共感自体に派閥性はないのだ.

第4章 親密さ

ここまでブルームは,共感について主に社会全体にとってどうか,つまり政策ベースで考察してきた.では個人的関係ではどうなのだろうか.

  • 進化心理学は男女ともに配偶相手について「優しさ」つまり共感性を求めることを明らかにしている.では親密な関係において共感はあればあるほどいいのだろうか.私はかつてこれを肯定する趣旨の論文を書いたが,今は懐疑的だ.
  • 親密な関係においても共感はコストを持つことがある.相手に対して過保護的になること,さらに相手の痛みを感じすぎて自分も苦しむ(そして不安や鬱を感じやすい)ことなどがあげられる.
  • これは医師や精神分析セラピストにバーンアウト症候群を引き起こす場合がある.彼等にとっては(そして患者にとっても)認知的共感のみで患者に接する方がよいのだ.
  • さらに家族や友人でも共感が難しいこともあるし,コストにもなりうる.幸せな友人への共感については妬みが阻害するかもしれない.不幸な友人への共感はそれがばかげた理由だと思うと阻害されるし,単に不幸を感じたくないこともある.共感を感じすぎると麻痺することもある.親しい関係にとって重要なのは,相手の状況への理解と愛だろう.
  • 相手に自分の痛みを共感してほしいというのは,痛みの原因を作った人への報復感情とともにあることもある.それが謝罪を求める真の理由なのかもしれない.
  • そして親密な人への共感は社会全体の善とは背反しうるという問題もある.この場合の適切なバランスというのは倫理における難問だろう.(誰もがシンガーのような無私の功利主義を貫けるわけではない)

幕間2 道徳の基礎としての共感

2つ目の幕間においてブルームは共感が道徳の基礎なのかという問題を扱っている.
そもそもヒトは利己的なのか利他的なのかという古くからの哲学的な問題を,進化視点から簡単に解説(利他性が進化することは可能であり,その最終的な適応性について意識的に認識している必要はないし,利他的行為を行うと気持ちがよくなるということはその報酬として進化しうる)したあと,発達心理学者の立場からこう論じている.

  • ダーウィンは1〜2歳の幼児が他人が苦しむのを見て悲しむのを観察し,幼児における共感の発達の証拠だと考えた.私も前著を書いたときにはそう考えていたが,今はそれほど確信を持っていない.結局このような状況は幼児が共感なしで思いやりを持っていても観察されるだろう.
  • もう少し大きくなると子供は他人が苦しむのを見て動揺し慰めようとすることが観察できる.これは確かに共感によるものかもしれない.
  • ではこのような共感による反応は道徳的行動を作り出すのだろうか.結局苦しみを自分でも感じること自体に道徳的な活性はない.それをどう評価するかがポイントになるのだ.そしてリサーチは子供が他人の痛みを感じていることと救援行動を行うことの間に相関がないことを示している.自分自身が苦しく感じなくとも他人を助ける行動は生じるのだ.

第5章 暴力と残虐

ここでブルームは,ナチスダッハウ収容所の逸話(連合軍による収容所の解放後,ナチの所業に激怒した連合軍兵士により降伏したSS兵士への残虐行為が行われた)を語り,まず暴力の問題の複雑性を強調する.

  • よく指摘される暴力の単一要因論は「共感の欠如とそれによる相手の非人間化」説だ.しかしそれ以外にも.例えば自己コントロールの欠如など様々な要因が考えられる.
  • 暴力を論じる上では「純粋の悪の神話」に注意しなけらばならない.実際にそういうものはない.極度に激しい暴力はしばしばモラルギャップによる悪化スパイラルによってもたらされる.そしてヒトは自分が道徳的に正しいと信じているときにより残虐になれるようだ.
  • 私は暴力がすべて悪だとは考えていない.防衛は認められるべきだし,それにより巨大な残虐行為が止められるなら先制攻撃も正当化されうるだろう.


こういう形で複雑性を協調した後でブルームは「共感が暴力にブレーキをかけることもあるが,逆に暴力に導くこともある」と主張し,「共感の欠如」がサイコパス犯罪や非人間化につながるという主張に反論する.

  • グループ同士が対立した場合に,共感は相手よりもまず自分と同じメンバーに向けられる.それは世論を先制攻撃による戦争に向かわせることもあるのだ.そして共感性が高いほどより厳しい罰を求める傾向がある.
  • サイコパスの問題は情動的共感の欠如だとよく主張される.しかしサイコパスは共感だけでなくすべての情感について鈍感だと考えられるし,リサーチによると,情動的共感欠如も浅い情感性も暴力や犯罪と相関していないようだ.そして自閉症アスペルガー症候群の人々は認知的な共感に問題を抱えているが,暴力的ではない.
  • 人種差別,性差別には非人間化プロセスが関与している*7.これはデイヴィッド・リビングトン・スミスによる本質主義からの説明*8が当てはまるだろう.そして一部の人は「だから共感は重要だ」と主張する.しかし共感は非人間化を避けるための本質的な要素ではないと主張したい.そしてそもそも非人間化を起こさずとも残虐になることは可能だ,憎み合うグループはしばしば非難の応酬を行うが,これは相手も人間だと思うからこそそうなるのだ.

そしてブルームによる結論はこうなっている.

  • 共感はむしろ「怒り」のような情動と似ているのだ.両者とも社会的な要素を持ち,道徳と関連し,時に正義を推し進める.しかし両者ともオートマチックかつナローフォーカスに働き,私たちを非合理的な行動にも導くのだ.

第6章 理性の時代

ブルームは本書を通じて我々は理性を指針として進むべきだと主張している.これは啓蒙主義が花開いた19世紀では当然の主張だった.しかし現在こう主張することはナイーブだと考えられる風潮がある.ブルームはこのような理性への懐疑論に対してこう議論を進めている.

  • 確かにヒトは完全に合理的ではない*9.近時心の二重過程などの主張が極端に解釈されてヒトの合理的な推論能力を疑い,さらに道徳や政策について合理的な解決を疑う風潮がある.
  • 懐疑論には2種類ある.まず脳科学こそすべてであって,我々は脳のメカニズムの奴隷だから合理性に意味はないと考える人々が存在する.しかしすべてが脳活動によって決まっているから合理性がないということにはならない.脳が気まぐれなものか合理的な思考ができるものかは実証的な問題であり,リサーチは後者であることを示している,
  • もうひとつの懐疑論社会心理学が明らかにしてきた「ヒトには非合理的な特性がある」ことに基づくものだ.心が無意識の要因に左右され,意識が後付けの理屈を組み立てるものなら,ヒトには真に合理的な思考はできないという議論だ.
  • まず指摘しておきたいのは,多くのこのような心理学的な効果は有意であっても弱く,また発表されたリサーチがしばしば再現できないことが近時問題になっているということだ.とはいえ確かに強く頑健な効果*10もいくつか見つかっているのも事実だ.しかしこれらの事実が示すのは,このような特殊例外的な状況以外の多くの場合ヒトは合理的であり,さらにこれらのイレギュラーな効果を非合理的だと判断できるということだ.
  • またIQと人生における成功が相関しているということは,実際の場面での合理的な思考の重要性を示していると考えることができる,
  • もちろん合理的な思考は悪をなすためにも使用できる.だから理性は善の十分条件ではない.私の主張は,理性は認知的共感や優しさとともに善への必要条件だということだ.世界を導く道徳的,政治的指針には(情動的)共感ではなく理性を用いるべきなのだ.

本書は近時情動的な共感がもてはやされていることについて,「いや,ちょっと待って,共感はそんなに神聖視するようなものじゃない.」とストップをかけようとする本だ.道徳や政治的な指針にかかわる主張だから,ある意味科学というより価値観の表明に近い本でもある.とはいえそのベースには心理学者としての著者の見解が濃厚に流れている.主張のポイントは(情動的な)共感はナローフォーカスであって,しかも既にある偏見に左右されるというバイアスに弱いという弱点を持つもので,道徳や社会を構築する指針とするには危ないものだというところにある.著者ははっきり明示していないが,情動的共感は狩猟採集社会で包括適応度最大化のために進化したメカニズムにすぎず,現代社会で必ず善につながることは全く保証されないということだろう.進化的に考えれば当然だが,ここはなかなか理解されにくいところかもしれない.関連して,共感の個人的なコスト,暴力の本質,社会心理学の発見とヒトの合理性についてどう考えるべきかなどのトピックも深く論じられていて読み応えがある.
日本ではアメリカほど共感の重要性が叫ばれているというわけではないのかもしれないが,深く議論されていない故の素朴信仰もきっとあるだろう.訳出されて多くの人に読まれることを期待したい.


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Descartes' Baby: How Child Development Explains What Makes Us Human

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*1:ここでは「共感」というときには情動的好感のみを指すこととするが,特に認知的共感との対比などの文脈では「情動的共感」とも書くこととする.

*2:ここでは大学の講義におけるトリガーウォーニングも例として挙げられている.トリガーウォーニングとは講義で用いるスライド等ににショッキングなシーンが含まれているときには事前に受講生に通告し,欠席の自由を認めよというもの.ブルームはこれは長期的で抽象的な学問の充実という大学本来の価値を損なうものだとコメントしている.心理学を教える者としていろいろ思うところがあるのだろう.

*3:ブルームはここでその中でどう行動すべきかについては帰結主義功利主義)とカントのようなプリンシプル主義が対立することを認めている.とはいえ,実際の違いは考えられているほど大きくないし,功利主義に反対する立場も結果を全く無視するわけではないとしている.

*4:デイビスのもの,バロンコーエンのものがあるそうだ

*5:フィクションへの耽溺など共感とは関係のなさそうな項目が混在している,情動的な共感と認知的な共感が混在しているなど

*6:一例を挙げるとカリフォルニアの慈善団体が,難病のある子供に対してバットマンの成りきりをやらせるために大金を投じたことを取り上げている.同じ金でもっと多くの子供たちに善いことができるはずだというわけだ

*7:なお性差別についてについてフェミニストが「性的モノ化 objectification」とまで議論を進めているのには,ポルノなどに見られる女性像は性的に興奮して従順に描かれているだけだとして反対している.

*8:ヒトは自分や周りのヒトについて「特別のヒトの本質 special human essence」を持つものと認識し,それをすべて持たないように感じるヒトやグループについて非人間化を起こすというもの

*9:冒頭ではサードパウンダーの失敗が取り上げられていて面白い.1980年代にA&Wマクドナルドのクオーターパウンダーに対抗してサードパウンダーを商品化した.これはクオーター(1/4)パウンドより多いサード(1/3)パウンドの肉を使っているというお得感を出したハンバーガーだったが,消費者にはサードの方がクオーターより大きいということが理解されずに失敗したそうだ.

*10:例としては確率的な思考におけるベースレートの無視,すぐ心に浮かぶかどうかをエビデンスとして捉える傾向などが挙げられている.