「すごい進化」


本書は若手昆虫学者鈴木紀之の手になる進化生態の一般向けの本だ.新書であることや「すごい進化」というややベタな書名から,お手軽面白進化現象紹介本かと思っていたら,実は理論にも踏み込み,かなり力のこもった面白い本だ.


本書はいきなりカラー口絵から工夫がこらされている.最初はスジグロカバマダラカバマダラ,スジグロヒョウモンの写真が掲載され,いかにものベイツ擬態の紹介かと思うと,キャプションで「・・・模様がそっくりであるわけではない.その不完全さをもたらされている理由は何か.」と不完全擬態というかなり高度な問題が取り扱われることが予告されているのだ.さらにゼフィルス類の食草選択,ナミテントウの斑紋多型と,いかにも面白そうな話題が並んでいる.カラー図版が本文の脇になく口絵になっているのは製本コストの問題なのだろうが,私はこの口絵のもたらす予告編的な印象だけでわくわくしてしまった.


「序章にかえて」という前書きで,鈴木は適応主義宣言を行っている.もちろん進化は適応とそれにかかる制約のバランスで決まるのだが,何か適応からみると不合理な現象に出会っても,それが制約のためにそうなっているのだろうと考えてあきらめずに,できるだけ適応的に解釈できないかがんばりたいと.そして主流派からはそれてもそのスタンスで解説していきたいと.意気込みやよしというところだろう.

第1章 進化の考え方


ここでは進化について概説があり,適応とその制約が整理されている.(個体群が)分布の縁にあり,遺伝的変異が限られてしまう場合,個体群が隔離されて小さく遺伝的浮動の影響が大きいという場合,個体群間の遺伝流入に方向性がある場合(上流個体群から局所環境に適応していない遺伝子流入が多い場合)などが制約の例としてあげられている.
ここで適応主義の学説史が紹介され,行動生態学の最適化アプローチ,それに対するグールドの批判,その克服(確かに制約はあり得るが,最適化アプローチ自体は新たな仮説を生むための建設的なアプローチ,実り多い研究プログラムとして価値がある)が解説される.
ここでは日本の進化生態学の現場における適応主義の現実もちょっと紹介されていて面白い.基本的には各研究者のスタンスには,どこまで制約を重視するかのグラデーションがあり,同じスタンスをとらない研究者同士の会話はぎくしゃくしてしまう場合があること,過去のグールドの批判の亡霊はなお残っていて,あまり「適応主義」という言葉は現場では使われていないことが紹介されている.
なお著者は,適応主義は一つの研究のアプローチ法であり,最終的には将来様々な生物現象のどこまでが適応でどこまでが制約の影響下にあったのかが検証されていって評価可能になるのだろうとしている.生物現象の仮定にかかることと捉えればそういうことになるのだろう.ただ研究アプローチ法であるなら,どちらのアプローチをとったときの方がより豊かな結果を得られたのかという検証もあっていいようにも思うところだ(そして実際鈴木は「あきらめずに適応的に考えたときの方がより生産的だ」と主張しているのだから).

第2章 見せかけの制約


ここからは各論になる.
最初に採り上げられるのはウラナミジャノメの生活史だ.ウラナミジャノメは西日本に分布し,年2化と年1化の個体群がある*1.この中で兵庫県姫路沖に分布するものはわずか2キロしか離れていない2島で片方は年2化個体群,片方は年1化個体群と分かれている.制約を重視するとこれは祖先個体群がそもそも異なる生活史を持っており,異なる渡来イベントによる歴史的経緯を反映しているのではないかと考えやすく,適応主義をとれば何らかの環境の差によって別の形質が進化したと考えやすくなる.実際に調べたところ,分子系統的にはこの2個体群はきわめて近縁であり,環境的には食草の季節分布が異なっており,環境条件によって素早く生活史を変化させたと考えられる.適応主義の勝利エピソードのひとつと言っていいだろう.

 
次はテントウムシの栄養卵の謎だ.なぜテントウムシは最初から大きな卵を産まずに,卵の一部を栄養卵にする(そして孵化した幼虫はこれを最初の餌にする)のか.制約主義からは,卵を大きくすることに制約があるのではないかと考えがちになる.
ここで著者は以前に先ほどのウラナミジャノメの年2化個体群(春成虫の方が秋成虫より一回り大きい)において個体サイズと卵サイズの関係を調べると,成虫サイズが卵サイズの制約になっていないことが明らかになった(小さな成虫が大きな卵を産みたければ,産卵管の太さに制約があっても細長い卵を産めばいい)というエピソードを紹介し,そんな制約は考えにくいとする.実際にナミテントウとほぼ同じ大きさの近縁種クリサキテントウは大きな卵を産めるのだ.
そして著者は適応主義的仮説を提唱する.環境条件に変動があるとするなら,小卵を産むようにしておけば,環境がいいときは小さな受精卵のみ,環境が悪いときには小さな受精卵と小さな栄養卵という条件付き戦略を柔軟にとれるが,大卵を産むようになっていればそういう対処がとりにくいというものだ*2.そして鈴木はこの仮説を実験的に検証することに成功する.


 
次はカラー口絵で予告されていた食草選択の問題だ.多くの植物食の昆虫が特定の食草を選ぶことは,植物側の毒物防御と昆虫側の解毒対抗の共進化としてこれまで説明されており,この共進化仮説は広く受け入れられてきた.しかし近年それでは説明できない現象がいくつか見つかり,この仮説の是非は激しい議論の的になっている.

  • まず毒物生成と解毒方法の共進化によるトレードオフは確かに大きな系統間ではみられるが,近縁種間では必ずしも成り立っていない.
  • またゼフィルスでは(羽根の破損のない美しい標本を得るための昆虫マニアの幼虫飼育への執念から)野外で食草とされている植物以外の餌(代用食)でも幼虫の飼育が可能なことが古くから知られている.

ではなぜ母チョウは特定の食草に産卵することにこだわるのか.母チョウの認知能力制約,幼虫にとっての最適を突き止められない実験者側の制約という説明は可能だが,いかにも苦しい.そして近年分子系統的に解析できるようになると,系統内で食草転換が生じている例がいくつも見つかるようになった.絶対共生系とされているコミカンソウとハナガにおいても海洋島での転換例が見つかっているのだ.

つまり制約ではうまく説明できない.こうなると適応主義の出番だ.食草転換は可能だが,しかし何らかの適応的な理由により母チョウは特定の食草を選択していると解釈できれば美しい.この謎解きは次章に繰り越される.

第3章 合理的な不合理



ここで鈴木は自身のテントウムシのリサーチを紹介する.この背景説明はなかなかドラマティックだ.

  • ナミテントウは日本全国に分布する普通種だが,斑紋模様に多型があり,さらにその多型の現れ方に緯度に応じた勾配があることで知られる.しかし愛知県のある松林においてそのアノマリーが見つかる.それは永らく謎だったが,実はナミテントウではない非常によく似た別のテントウムシが同所的に(そして松林のみに)分布していることが明らかになる.そしてそれは50年以上前に記載されていたクリサキテントウだった.
  • ナミテントウは多くの植物につく様々なアブラムシを食べるジェネラリストだが,クリサキテントウは松林のみに分布し,マツに付くマツオオアブラムシを食べるスペシャリストだ.しかし飼育下ではどんなアブラムシでも問題なく食べられる.しかもマツオオアブラムシは素速く動き捕まえにくく,幼虫が大型である必要がある.このためクリサキテントウは栄養卵の比率を高めて幼虫の数を犠牲にしている(このほか捕獲用形態のためのコストもかかっている).また調べてみるとマツオオアブラムシはコロニーが小さく,特に栄養面で優れているわけでもない.ではなぜクリサキテントウはマツにこだわるのか.

近縁種が餌や生息場所を分けている現象は,通常競争によるニッチの分割として説明されることが多い.しかしこのナミテントウとクリサキテントウのケースはこれでは説明しにくい.ナミテントウと問題なく同所的に分布している近縁ジェネラリスト種には事欠かないし,クリサキテントウのマツ以外での場所の競争上の不利が見当たらないのだ.ここから鈴木はオスの求愛エラーの閾値の決まり方(タイプ1エラーとタイプ2エラーのトレードオフで決まるので,異種への求愛エラーの最適値は0にならない)を解説した上で,クリサキテントウのマツへの逃避は交雑による不利益を避けるための適応であるという仮説を提示する.そして実験して調べると,ナミテントウとクリサキテントウの交雑状況があるとクリサキ側のコストが大きいことがわかる(ナミのオスはある程度メスを見分けられるが,クリサキは見分けられず,クリサキの方が子孫を残せないリスクが高い*3).この非対称によりクリサキにとって(採餌コストが高いという意味で)質の悪い餌しかないマツに逃げ込むことが適応的になるというわけだ.そしてナミのいない分布域(南西諸島)にいるクリサキはジェネラリストになっている.
なかなか面白い.なおなぜナミのオスにはメスを見分けることができてクリサキのオスにはできないか(そういう方向に進化できなかったのか)は謎として残っている.ここも制約ではなく適応的に説明できればさらに美しい仮説になるだろう.

またこのクリサキテントウのスペシャリスト転向はオス殺し細胞質寄生体(ここではウォルバキアではなくスピロプラズマ)の感染率(ナミテントウに対してクリサキの感染率が高い)と関連している.鈴木は,オス殺し寄生体に感染すると,オス卵の一部が実質栄養卵になって幼虫のマツオオアブラムシの捕食に有利になるために,オスが産めなくなるデメリットと栄養卵が生じるメリットが釣り合って感染率が決まっているのではないかと解説している.鈴木はこれ以上詳しく説明していないので,集団の性質である感染率をグループ淘汰的に扱っているかのような印象だが,おそらく対抗進化形質個体と感染受け入れ個体が性比を通じて負の頻度依存淘汰関係にあるという趣旨だろう*4.しかしオス殺しには対抗し卵の一部を受精させずに栄養卵を産む方が明らかに有利になるので,これは別の制約的な議論ということになるだろう.とはいえそれも含めてなかなか興味深いところだ.

第4章 適応の真価

ここで鈴木は,進化の結果「無駄」のようなものが生じることを説明したいという趣旨で,まずメスの選り好み性淘汰形質のハンディキャップ的な理解を解説する*5.ここでは複数性淘汰形質の説明として,ある形質がメスの選択評価基準に対して飽和してしまい*6,別の形質が追加的に要求されるという状況を提示していて面白い.

次に生物学的に見たときの究極の無駄「オスの存在」に進む.鈴木は,「なぜ有性生殖が維持されるのか」という謎の2倍のコストの問題を丁寧に解説した後に,マラーのラチェット説を短期的な単為生殖形質の侵入の阻止の説明になり得ないとして否定し,ハミルトンの赤の女王説についても有力だが2倍のコストを説明しきれないし,その他多くの説明も2倍のコストは説明できないとする.
そして主流からは全く無視されているが,鈴木としては真打ちだと考える川津一隆による「本来単為生殖の方が有利なのだが,オスが既にいる以上仕方なく維持される仮説」を説明する.これは,メスにとっては単為生殖が有利だが,そういう個体の頻度が高くなって性比がメスに偏ると,強制交尾可能なオスの適応度が非常に高くなって,交尾が生じる集団が維持されるという説明になる.鈴木はこの仮説は2倍のコストを超えなくてもいいところが優れているとし,オーストラリアのユウレイヒレアシナナフシでオスからの交尾を嫌がっているという予測に合致する行動パターンが観測されることを傍証としてあげている.
この有性生殖についての記述は力が入っている.川津仮説も他では紹介されてなくて面白いものだ.ただハミルトン説が2倍のコストを説明できないと簡単に否定しているのには納得できない.(確かにすべての有性生殖種で2倍のコストをカバーできているかどうかについて完全に解決できているわけではないだろうが,)ハミルトンはシミュレーションを繰り返し,ある程度現実的なパラメータの中で赤の女王仮説を検証している.またハミルトン説と並んで有力なコンドラショフの修正説についてほとんど紙面を割いていないのも少し残念なところだ.なお川津説については,(仮説から予測されるような)多様にメスに傾いている様々な性比が観測されていないこと,メスがオスの強制交尾を不可能にするように進化するのはそれほど難しいとは思えないがそういう適応がほとんど生じていないこと*7から見てあまり多くは期待できないのではないかと思う.

鈴木はここでカラー口絵で予告されていた不完全な擬態の問題に進む.そして制約からの説明,モデルが不存在になったことを理由にする説明,複数モデルへの擬態という説明,そこそこで十分という説明,モデルミミック間交雑を避けるために一定の差異が残るという説明などを解説している.ここもなかなか面白い.

終章 不合理だから,おもしろい

鈴木は最終章で,つわり(という一見不都合な現象)の胎児への毒物流入防御適応仮説を紹介し,(第3章の求愛エラーの議論をより一般化して)ある形質に対して適応度が左右対称でない場合に形質の平均値が最適値からずれることを解説し,またこれまで調べることが困難だった「制約」自体について分子レベルから調べられるようになる可能性を指摘する.そしてなお「進化のすごさ」を感じる余地が大きいことを強調して本書を終えている.

冒頭でも述べたように本書は新書でありながら非常に内容が深く,しかも著者独自の視点で考え抜いた内容を分かり易く解説する素晴らしい本だ.ナミテントウとクリサキテントウのリサーチは大変興味深いものだし,有性生殖に関する川津説への肩入れも「そうなのか」ということで読者に問題を自分で考えるように促す効果を持つだろう.一般向けの充実した本としても,進化生物学を学ぶ際の適切な副読本としても強く推薦できる.


 

*1:ごく一部に年3化個体群もあるそうだ

*2:とはいえ先ほどのウラナミジャノメの話からすると,同じような産卵管でも柔軟にいろいろな大きさの卵を生めればそれでいいことになるのではという気もする.その場合には,卵サイズを調節するよりも栄養卵を混ぜる方が何らかの意味でコストが低いという前提が必要になるだろう.なおここではこれ以外の適応仮説「幼虫同士の競合を緩和する」も紹介されている

*3:交雑では子が生まれない.テントウムシのメスは一度でも自種のオスと交尾できれば,前後に他種オスとの交尾があっても自種オスの精子を選択的に受精に使える.このため一度も自種オスと交尾できないという状況が生じるリスクが問題になる.これがオスが自種メスを見分けられないクリサキ側の不利として現れる.

*4:大変面白い部分なのでもう少し丁寧に説明した方が良かったように思う.ただ頻度依存淘汰まで説明しはじめるととても予定紙数に収まらず,あきらめたということかもしれない

*5:人間社会のハンディキャップの例として婚約指輪を採り上げているが,(既に婚約した後に渡される)婚約指輪よりも(まさにこれから配偶者選択をしようという場面で見せびらかされる)高級車や高級スーツの方がより典型的で良かったように思う.

*6:クジャクのオスの目玉模様は,145個を超えるとメスからの選択に影響を与えなくなるそうだ

*7:そういう意味ではこの川津説は「ほとんどすべての有性生殖生物種でメスがオスのレイプを完全に防御することに対する何らかの制約がある」というとてつもなく強い制約を前提にしているようでもあり,本書全体のトーンとも合わない気がするところだ.