Enlightenment Now その1


本書はスティーヴン・ピンカーの2018年2月の新刊だ.ピンカーはこのような主題を扱った前著「The Better Angels of Our Nature」で,世界に暴力の減少傾向が実在することを示し,その要因を実に詳しいデータとともに解説した.それは私の目から見ると圧倒的に説得的だったが,進歩嫌いのインテレクチュアルには,なお頑強に抵抗する人々が存在したらしい.ピンカーも「人々が悲観的に傾く原因として,ニュースビジネスの傾向と心理学的バイアスがあることは理解していたが,それでもデータとグラフで説得できると思っていた.しかし,人々は私が考えたよりはるかに頑迷だった」と語っている.そこでピンカーはよりテーマを広げ,暴力以外の観点においても世界はより良い場所に向かっていることをデータで示し,さらにそれは,理性に基づく科学とヒューマニズム的価値観,そして過去の人々の努力によるものであること,その理念を大切にして努力を継続すべきであること,それは21世紀版の「啓蒙運動」となるべきことを本に書くことにした.だから書名は「Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress(今こそ啓蒙運動:理性,科学,ヒューマニズム,そして進歩の正当化)」ということになっているのだ.


前著に大いに感銘を受けた私としては本書に期待するところ大だ.当初2018/2/27の出版が予告されていたが,前著の大ファンだったビル・ゲイツが本書を読んで猛プッシュ*1したことにより2/13に出版が繰り上がり,Kindle版は日本時間の午前0時過ぎに配信された.というわけで早速読み始めることにしよう.


目次の前に2つの引用がある.

  • 理性に導かれる人々は,他の人々のために望まないことを自らにも望まない. バールーフ・スピノザ
  • 正しい知識さえあれば,物理法則によって禁止されていないことはどんなことでも生起させられる. デイヴィッド・ドイッチュ

スピノザは17世紀オランダの近世合理主義を代表する哲学者だ.存在論,認識論の方が有名だが,ここではどちらかというとヒューマニズムの表出的な部分が引用されている.その後の18世紀の啓蒙運動につながる創始者の1人として位置づけているのであろうか.ドイッチュは存命の物理学者.量子計算理論の第一人者の1人であり,2009年の「The Beginning of Infinity: Explanations that Transform the World」は,ゲーデルやドーキンスにも目を配った世界の進歩について書かれた評判の高い本であり,ピンカーも大いに影響を受けているようだ.


続いて目次になる.大きく3部構成になっていて,第1部は啓蒙運動,第2部は進歩,第3部は理性(合理主義)・科学・ヒューマニズムを扱う.まず啓蒙運動とは何か,なぜ重要なのかを解説し,第2部で世界がそれによりどんなに良くなってきているかをみて,最後にその要因を吟味するという構成のようだ.全556ページ,本文だけで454ページの大著になる.

序言

続いて序言がおかれている.

まず2010年代後半が,「進歩」を扱う本を出すにはあまりいい時期ではないかもしれないとコメントしている.これはもちろんトランプ政権のことを言っているのだ.トランプ大統領によるいくつかの悲観的な世界観(多くの人が貧困の中にあり,教育システムは崩壊しつつあり,犯罪とドラッグが多くの人の命を奪っている.それはキリスト教の精神とモラルを侵食するグローバル権力構造によるのだ)を引用している.

そしてこの本はこれからその世界観がいかに間違っているかを評価していくと予告する.

  • それは単に間違っているだけではない.徹底的に間違いであり,フラットアースほど間違っていて,それ以上間違えようがないほど間違っている.
  • しかし本書は第45代米国大統領を批判するための本ではない.本書は彼が候補者として名乗りを上げるはるか前に構想された.そしてこのような悲観的世界観,現代的制度へのシニシズム,宗教以外の高い目的を見いだせないとする態度は,トランプ立候補以前から右派にも左派にもあったものだ.
  • 私は世界についてのそれらとは異なる理解を提示する.それは事実に基づき,啓蒙運動の理念に啓発されたものだ.その理念とは理性(合理主義),科学,ヒューマニズム,そして進歩だ.啓蒙運動の理念は時代を超越するものであり,そして今,最も意義のあるものなのだ.


関連書籍


ピンカーの世界における暴力の減少傾向を扱った前著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130109 読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111220から連載している.


訳書.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150127

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下


デイヴィッド・ドイチュによる進歩を扱った一冊.

*1:表紙にはビル・ゲイツによる「My New Favorite Book of All Time」という推薦コメントが載せられている.