EVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」参加日誌 その1


8月1日から9日にかけて,新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」主催による連続講演会「EVOLINGUISTICS 2018:言語とコミュニケーションの進化」が東京,京都の各所で開かれた.すべて聴講することはできなかったが,都合がついたものには参加してきたので,ここで紹介したい.


8月1日 キーノートレクチャー1 東京大学駒場キャンパス 900番教室




最初に主催者の岡ノ谷一夫から趣旨説明があり,その後トマセロ教授の講演となる.

Introduction to Evolinguistics 岡ノ谷一夫

  • 露払いとして趣旨説明をしたい.まずこの新学術領域の「共創的コミュニケーションのための言語進化」だが,「共創」と「言語進化」がキーワードになる.
  • 「共創」は人間が合意の中で振るまうことにより互恵的な社会を作り,その中で累積的な文化を創造していくということを表す言葉だ.「言語進化」においては階層性と意図共有を二つの柱として考えていきたい.そしてこの領域研究ではさらにコミュニケーションの未来を考察していきたい.
  • 現代社会ではグローバル化や格差の拡大が指摘されており,コミュニケーションがうまく機能していない部分も出てきている.その中で我々は「共感から共創へ」を提案したい.言語の起源を理解してコミュニケーションのあり方を考えるべきだ.
  • そして言語を考えるときには階層性が問題になる.多義的な階層性の解釈に当たっては意図の共有が重要になるはずだ.動物では2項関係までしか見られないが,ヒトには3項関係が見られる.その3項関係の要素として意図が重要なのだ.
  • 本日お呼びしたトマセロ教授は言語を考えるに当たって意図の共有を重視されている,チョムスキーをはじめとする生成文法家たちは階層性を重視している.我々はどちらも重視したいと考えている.
  • 考察するに当たっては,まず系統発生→人類における進化→個体発達という時間軸があり,片方でモデル:現象:理論という軸もある.この領域研究ではそれぞれについて専門家の参加を得られている.


ひょうひょうとして説明だったが,「共創」というコンセプトにかなりこだわりがある様子が印象的だった.

ヒトのコミュニケーションの起源(Origins of Human Communication) マイケル・トマセロ Michael Tomasello

  • 一口に言語といっても言語にはいろいろな側面があり,非常に複雑なものだ.言語進化について昔はある日突然すべてそろった言語が現れたと考えられていたこともあるが,それはまずあり得ないだろう.だからいろいろな側面をそれぞれ考えていくことになる.
  • 私は心理学者なので,その視点から見た言語の側面をいくつか調べている.
  • 進化学から見ると言語の重要な側面は次の3つになる.
  1. ヒトに特有であるジェスチャー
  2. 言語的サインの慣習化
  3. 文法構造の慣習化
  • 今日はこの最初のジェスチャー(特に指さし)について話したい.
  • チンパンジーと比べてヒトに特有なものとして豊富なジェスチャー,特に指さし動作がある.そしてこれは重要だと考えている.それには3つの理由がある.
  • まず霊長類もジェスチャーを学習し,意図的に用いることがあるが,音声化には進まない.音声はチンパンジーにおいてはかなりハードワイヤードに決まっているようだ(他種と養子化実験をしても音声は変わらない).またジェスチャーの模倣もない.
  • 2番目にヒトの発達において指さしは言語発達より前に現れるということがある.これは言語進化の中間段階を示しているのかもしれない.
  • 3番目はジェスチャーの「自然さ」だ.私は現在言葉の通じない日本にいるが,日常場面ではほとんど手振りだけで何とかなる.ここで一つ思考実験をしてみよう.2つの無人島で言語発達前の子供の集団を設置する(成長に必要な栄養その他は問題ないとする).片方は声を出せなくし,片方は身振りができなくする.何年か経ったときにどうなるだろうか.声を出せない集団はおそらく手話のような身振り言語を手に入れているだろう.しかし身振りができない集団が音声言語を手に入れられるだろうか.ある音がある意味を持つことを示すのは指さしなしでは非常に難しいだろう.ジェスチャーはそのような対応を示すために非常に優れたモダリティを持っているのだ.実際に聴覚障害者間で自然に身振り言語が生じた自然実験はいくつか報告されている.
  • チンパンジーではどうなっているだろうか.(動画再生しながら)子どものチンパンジーが母親に動いてほしいときや起きてほしいときに,手を伸ばしたり,ものを放ったりすることは観察されている.しかしこれらはこのチンパンジーだけが編み出した動きで他の子たちは使わない.
  • チンパンジーのジェスチャーは柔軟で学習される.しかし二つの大きな制約がある.1つは2項的だということ.もう1つはそれが直接的だということ.つまり1:1の関係で,それが自分の利益につながるときだけに使われるのだ.これがヒトの場合とは大きく異なる.ヒトは相手の利益のためにもジェスチャーを使う.「ほらあれを見て」それは相手と情報をシェアしたいということだ.
  • 自然なヒトのジェスチャーは指さしとパントマイミングだ.これは種特有で,種ユニバーサルで「自然」だ.「自然」というのはまず視線追従があり,それが指さしにつながっている.そして意図を示すときにアイコニックに使う.また3項的で協力的だ.
  • 指さし:これには2つ機能があって,1つは対象を指し示すこと,もう1つはあなたにこうしてほしいということを示すことだ.しかし指さしだけでは「そこを見ろ」というだけで,その意味は伝わらない.意味が分かるには文脈が必要になる.文脈によって意味は変わる.この文脈はコミュニケーションと関連する.そして意図の推測につながる「なぜ彼はあれが私に関連すると考えているのだろう」社会的な意味があり,協力的な動機があり,協力的な認知につながるのだ.これは言語への橋渡しになる.
  • ここでヒトの子供の発達を見てみよう(動画を映しながら解説)13ヶ月の幼児(言語発達前)でも,母親に対して,かごの中にある(隠れている)とってほしいおもちゃを指さす.これは母親が自分の指さしの意図を推測するということを知っていることになる.また大きな音がした後で部屋に入ってきた母親に対して音を立てたものを指さす.これは母親が何を知りたいかを推測できているからだ.そして意図を共有しているということになる.
  • つまり動作主はコミュニケートの意図を持ち,受け手は動作主がどのような意図でコミュニケートしようとしているのか推測している.
  • これらのことは言語を「コード」だけから考えるのは狭すぎることを示している.
  • 推測をチンパンジーと比較してみよう.ヒトの幼児の場合,幼児が興味を持っているおもちゃを2つの袋のどちらかに入れ,(幼児はおもちゃがどちらかの袋に隠されたことはわかるが,どちらなのかはわからない状況を作る)その後,被験者が片方の袋を指さすと,幼児はその袋をとる.
  • しかし(食べ物を使って)チンパンジーで同じ実験をするとチンパンジーは指さしと食べ物の在処を関連づけない(ランダムに袋を選ぶ).指さしによる視線追従はできるが,動作主の意図を協力的な状況では推測できないのだ.これは多くのチンパンジー研究者の予想を裏切るものだった.チンパンジー研究者はチンパンジーが賢いことをよく知っているので,それは非常に簡単なタスクだと思ったようだ.そして競争的な状況ならチンパンジーは容易に動作の意図を推測できる(互いに食べ物を取り合っているときに,相手が手を伸ばそうとするとそこに食べ物があることを理解できる).しかし協力的な状況ではできないのだ.
  • ヒトの子供のゴールは探し物ゲームで,登場人物は探すものとそれを助けるものとして認知されている.しかしチンパンジーではそれができない.
  • では何がチンパンジーの認知を妨げているのか.これには3つの候補がある.(1)協力的動機(2)再帰的な推測(3)共通の背景だ.おそらくそれぞれ原因となっているのだろう.チンパンジーは相手が協力的な動機を持つことを理解できない.また再帰的な推論にも限界があるようだ.さらにコミュニケーションのパートナーとの共通の背景も理解が難しいようだ.
  • ヒトの子供は容易に共通の背景を理解できる.おもちゃを片づける場面でも,大人と一緒に片づけていたならば,最後に一つ残ったおもちゃをその大人に指さしされるとそれを玩具箱に片づける.しかし全く同じ場面でも新しく部屋に入ってきた大人に指さしされると,大人の顔をじっと見たり,そのおもちゃをとってきて大人に渡そうとしたりする.私が最近見た印象的なエピソードを紹介しよう.空港のボディチェックのところで,検査官が「回れ」という意味で指を回すことがある.しかしこの背景が理解できなかった5歳ぐらいの子供はうれしそうに指をあげて回し返していた.
  • これに関連する推論として「既知のものと新規のものの区別」がある.子供は相手が「ワオ」と驚くと,それは何か新規なものだと推測する.そしてそれが既知のものであれば,何か未知な部分か側面が見つかったと考えるのだ.14ヶ月の幼児に対して知っているはずの太鼓に大人が驚いてみせると,幼児は大人が見ていた太鼓の側面をみようとして身をよじる.
  • この協力的動機とはどのようなものだろうか.それは経験を共有したい,教えたいというものだ.「見て見て,あれはすごいよね」そしてそれを肯定してほしいのだ.そして共有の背景があれば,様々な物事を参照できる.
  • ではこれはどのような進化仮説に結びつくのか.まずそのプロセスとしては指さしとパントマイムが言語へ向かう鍵になるトランジットだと考える.それは共有意図と言語のインフラを提供するのだ.
  • では何のために進化したのか.それはコラボレーション行動のために進化したのだろう.協力的動機と協力的認知はそれを示している.
  • そして言語の慣習化(文化)はこのインフラの上に作られたのだ.
  • 結論:ヒト特有の言語はジェスチャーを通じて作られた.そしてその慣習化である個々の言語は共有意図のインフラの上に作られたのだ.


指さしと共有の背景と意図の推測を強調した楽しい講演だった.ここからは質疑応答.

質疑応答

Q:ミツバチのダンスも指さしのようなものだが,それについてのコメントは?

A:ミツバチのダンスはコーディングの進化.柔軟性はないし,学習されるものでもない.「あの方向で何メートル」を記号化しているだけで,指さしのようなポインティングではないと考えている.


Q:チンパンジーが協力的意図を推測できない要因として3つあげられていたが,全部一緒に働くのか.

A:それぞれ協力的意図を推測できない阻害要因だと思う.できない理由が3つあるということだ.


Q:子供はいったん推測した相手の意図を変更することがあるか

A:いろいろなことでリバイズは生じる.


Q:なぜ身振りによるプロト言語から音声言語へのジャンプが生じたと考えるのか.

A:これにはハンズフリーになるので有利だとかのいろいろな説明がある.私は何か新しい説明を持っているわけではない.ただチンパンジーは音声(シグナル)を自発的に用いることはないようだ.しかしヒトの音声コントロールが言語になって初めて可能になったとは思っていない.何らかのコミュニケーションツールとしてコントロールされた音声があったのではないかと考えている.


Q:情報をシェアするという(個体メリットのなさそうな)性質がなぜ進化したのか.

A:とても興味深い質問だ.こう考えてみよう.では今の言語の機能は何か.社会的絆というのはありそうなところだ.自分の犬が死んでとても悲しいということを親友とはシェアしたいと思うだろう.シェアしてもらえなかったら友人と認められていると感じられないのではないか.オンラインでのつきあいの大半は共通の関心事を話し合っているという報告もある.言語には類人猿のグルーミングのような機能があるのだろう.


Q:共同行動のうち(相利的状況である)スタグハント的な場合にはゴールがあるが,情報のシェアにはゴールがなく質的に異なるのではないか

A:前者は後者のファーストステップと考えてよいのではないか.そして情報のシェア自体が新しい社会的なゴールとなっているとも考えられる.


Q:(プロト言語だと主張されることもある)音楽やダンスについてはどう考えているのか

A:子供が外のリズムに合わせて体を動かすようになるのは(指さしやジェスチャーより遙かに遅い)3〜4歳頃からだ.そしてそれはシステマティックなものではない.音楽は多くの文化で見られるが,それが使われるのは祝福や葬儀などの儀式の場面,そして戦争の場面だ.あるいはグループ行動の際に共通の背景を作るのに用いられているのかもしれない.それは社会的絆の新しい追加コンポーネントなのかもしれない.協力と関連する新しいプロセスではないかと推測している.


Q:言語機能のうち,抽象的な思考伝達ということについてはどう考えているのか.

A:抽象的な内容を伝えるには文法の構築が必要になる.(だからある程度言語が成立した後になって生まれた機能ではないか)


以上でキーノートレクチャーは終了だ.トマセロの言語進化の考え方については,私は生得的なユニバーサル文法の主張を認めない論者だと理解して,これまであまり真剣にその主張を吟味してこなかったが,今日聞いた印象では,生得文法を否定しているというより,そのようなコーディングよりも意図共有の方が重要だというスタンスのようだ.ちゃんと勉強しなければという思いを抱いた講演会だった.


この辺がトマセロの言語進化がらみの本の邦訳になる.

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トマセロの協力についての本,私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130827

ヒトはなぜ協力するのか

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