世界遺産をシカが喰う

世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学

世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学

なかなかどきっとする題名であり,あまり知られていない深刻な問題が日本の山で今進行していることをずばっと現している.そしてそれはこの本の表カバーの2枚の写真で明らかである.1963年には鬱蒼と茂る森が,1997年には草原の上に立ち枯れた樹木が残る明るい姿に変貌してしまっている.


要するに昭和40年代ぐらいからいろいろな要因が重なり,日本ではシカが増え始めており,そしてそれは生態系のバランスを崩しているということのようである.本書はこの問題について一般的な生態分析,北海道での先行研究の例,奈良県大台ヶ原屋久島の例などを取り上げ,多面的にとらえた論考となっている.中には大台ヶ原の古老の話もあり非常に具体的な情景描写が迫力を添えている.
それまでは単純にオオカミの絶滅が引き起こした問題かと思っていたが(それなら明治時代に問題が起こっていたはず)そういうことでは全然ないらしい.基本は狩猟圧の減少と針葉樹林の大規模な植樹,林道の整備,そしてイヌの放し飼いの減少などの複合的な問題らしい.
またシカはキーストーン種であるので,単純に減らせばいいというものでもない.シカを増減させるモデルをみると,ササ藪や立ち枯れ樹木にまず効いてきて,それぞれを好む生物にいろいろな影響を与えるようだ.しかし一定密度を超えると幼樹が育たなくなり森が草原に変わってしまうリスクがあるらしい.
解決法は基本的には管理された個体管理,つまり調査を継続して結果にフィードバックをかけつつシカを駆除していくというものと,緊急性のある植物群落にはフェンスを張ることとの組み合わせになるようだ.対案作成や実行に当たっては当然ながら,費用の問題,環境保護者内のイデオロギー的な問題(シカは在来種なのだから,放置しても本来バランスするはず,あるいは野生動物を駆除すべきでないなど)など,解決の難しい問題がたくさんあるようである.


最終的には日本人はどういう環境を望むのかという価値観の問題となるが,何とか関係者の同意により,豊かな動植物層を保つ解決にいたってほしいと思わずにはいられない.