「The Murderer Next Door」


The Murderer Next Door: Why the Mind Is Designed to Kill

The Murderer Next Door: Why the Mind Is Designed to Kill



バスによる殺人に絞った進化心理学啓蒙書.進化心理学者による殺人研究はDaly & Wilsonのものが有名だが,バスも独自に7年間のリサーチを行っており,その研究が本になったものである.
特徴的なのは,先行研究に比べ,より広い個別事例を収集して分析しているところだろう.具体的には5000以上の殺人ファンタジーミシガン州における375の実際の殺人のデータを扱っている.圧巻なのは殺人ファンタジー事例.これは著者が進化心理学の講座の中で学生に答えさせたインタビューで,これまでに殺人を心の中で考え,妄想したことはあるか,誰をどのように殺すことを考えたか,実行しなかった最大の理由は何かなどを答えさせているも.結構な数の教育程度の高い穏やかな学生が殺人ファンタジーの経験があると答えている.その具体例は本書の中で多く紹介されているが,結構な迫力である.


本書の構成自体は,実際の殺人はどのような場面で起こっているかを類型化し,それぞれについてどのようなデータがあり,どのような仮説が考えられるかを論じている.一般に論じられている犯罪要因論とそれでは説明できないことを説明し,具体例を挙げる形が多い.現代社会では先史時代より遙かに殺人が少ないと思われること,殺人犯は病理的なことは少なく,類型化した問題への処理として考えた方がフィットすることが繰り返し説かれている.いかにライバルより有利にたつかを考えると,進化的な環境下では殺人という解決方法はある意味強力であるが,しかしそれへの防衛も強くコストも高い,このためきわめて強い心理的な構造があると考えるべきであると強調している.現代は一般的には殺人のコストが高くなっていて殺人率が減少していると評価している.


具体的な類型としては父性の不確かさに伴う諸問題,男性のライバルの排除,戦略における性差,よりよい配偶相手を求めることを巡るコンフリクト(特に愛する女性に捨てられそうになった場合にその女性を殺す男性心理)が詳しく紹介されている.また男性の地位を巡る争いとその名声の重要性,配偶者を虐待してしまう状況とそれへの対抗,ストーカーの潜在的なリスク,不倫を巡る状況,継親と継子,親殺し,兄弟殺しのパターン,連続殺人,大量殺人のパターン(ここでは連続殺人が女性へのアピールにつながる可能性と大量殺人が地位を巡る闘争に絡んでいるという示唆がなされていて興味深い)などが次々と説明されている.


殺人が適応かどうかについてDaly & Wilsonのものは,これは心理的な傾向が暴発したもので,殺人自体は適応ではないとしているが,本書ではもう一歩踏み込んで,人類が先史時代に遭遇した問題解決方法として,殺人は場合によって適応と考えてよいとしている.特に適応と考えられるのは,若い男性による若い女性配偶者を失うぐらいなら殺してしまうというもの,継父による継子いじめなどが候補に挙がっている.また,若くして出産した女性によるいい配偶機会のじゃまになる場合の子殺し,若い男性同士の仲間内での名声に絡む殺人,男の配偶者によるドメスティックヴァイオレンスから逃れる唯一の手段としての女性による殺人もその可能性があるとしている.またこのような状況で被害者にたちうる女性の恐怖感は殺人からの防衛としての適応ではないかと示唆している.


もちろん殺人が適応だからといってそれが許されたり減刑されるべきものではなく,それをいかに減らすべきかを考えるためにも真実への探求は有効であると強く主張している.たとえば得られた証拠によると,特に殺人が生じやすい状況下における殺人についてはむしろ厳罰化して殺人を思いとどまらせる方がよいのではとしている.


Daly & Wilsonの本*1から久しぶりに出版された進化心理学の見地から書かれたまとまった殺人研究の本である.本書では新しい知見が得られたと強調しているが,実際の殺人の生じやすい状況,その適応的文脈の解釈についてはDaly & Wilsonのものとほぼ同じ知見だという印象.一般向けなので統計を駆使した説得力というより,個別事例を多用しており,実際に非常に迫力がある.そこはこの本の特徴であり,魅力でもあろう.Daly & Wilsonの本とあわせて犯罪心理学,刑事政策分野の方に読まれることを期待したい.


 

*1:訳本はこちら,長谷川眞理子・寿一先生の訳でお勧めです.

人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

原書はこちら
Homicide: Foundations of Human Behavior

Homicide: Foundations of Human Behavior