「The Ancestor's Tale」

「系統樹思考の世界」を読み終わってなんかひとつコメントし忘れていたという気がしていたが,それは昨年初めに読んだこの本だった.系統樹思考というわけではないが,系統樹を主題にした大変いい本だと思う.
去年書いた書評を一部手直しして載せることにしたい.

 

書評 「The Ancestor's Tale」

 

The Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution

The Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution



ドーキンスによる書き下ろし大著.なんと600ページを越えていて和訳が出れば3巻セットに以上なるのではないかというヴォリューム感である.しかし話は流れるように進み,約1ヶ月で読み通せた.


中身は人類からはじめて進化を順番に過去にさかのぼっていき,どのぐらい前にどのような生物と分岐したかを分岐して分かれていった生物のグループとの合流の物語として語る.これをショーサーのカンタベリー物語に見立てて巡礼の旅とそれぞれの巡礼が語る物語を交互に綴っていくという趣向.


具体的にはチンパンジーから原核生物まで39の分岐をたどり39の巡礼とめぐり合っていくことになる.分子の証拠により最近のマクロ進化の系統解析は日進月歩の分野でありそこの紹介がこの本の縦糸,横糸としてそれぞれ分岐のところで,そこから分かれた現生生物にちなむ最近のトピックを楽しく語って聞かせるかたちをとっている.それぞれの巡礼の話として語られる各論は楽しい話が満載で,テナガザルの系統解析の話では系統分類と分子時計の基礎が語られる一方,テナガザルの系統分類というオタク的な詳細がまた楽しい.鳴き声(擦り音?)により異種交配が防がれているバッタの話から「種」とは何か,そして「人種」とは何かに話が進む.ドーキンスは人種は実に些細な表面的な差異に過ぎないのにヒトの認知という点からは実在すると考えるほかないという立場で非常に真摯な議論を展開する.人類の進化における性選択の影響についてもかなり入れ込んで説明がなされており,(人種を性淘汰の産物と考えた)ダーウィンの直感の深さをまた深く感じ入る.


ミトコンドリアイブに関しても説明が特に深くて以下の議論がなされる.人の共通祖先(つまり母親でも父親でもいいとすると)として考えてみた場合にある集団に一人流入するとかなり高い確率で一番若い共通祖先になれる.つまり一定の交流があると共通祖先まではかなり短い時間しかない可能性が高い.イブもアダムも特殊な共通祖先に過ぎない.ミトコンドリアの共通祖先はミトコンドリアイブになるがたとえばABOの血液型の遺伝子の共通祖先はチンパンジーとの分岐以前にさかのぼる.


この議論は改めて整理されると結構目から鱗が落ちる的な感動がある.2002年のテンプルトンの研究では一部の遺伝子は170万年前に現アフリカ集団と現生アジア集団で分岐している.また42万年前から84万年前に第2波,8万年前から15万年前に第3波があるということらしい.これはホモエレクトゥスからホンの少しかもしれないが遺伝子フローがあったかもしれないという解釈もできるわけで結構衝撃的.まだ固まっているわけでもなさそうだがホモサピエンスの起源の問題は結構複雑らしいというのも収穫.


進化史の詳細は改めてあまり勉強する機会もなく新鮮.本書では各大陸の分裂と深く絡み合った展開が多く取り上げられており,ドーキンスの好みらしい.たとえば走鳥類について大陸分裂による分岐説を採って説明している.しかしもっとも驚いたのはいまや哺乳類の大分類は起源大陸と深く結びついているという事実である.このほかにも腔腸動物というのは真のクレードではなくクシクラゲを除いて刺胞動物というのだとか,原猿類に近縁のヒヨケザル,軟体動物のフナクイムシ,クマムシとはそれぞれどんな動物かとか,なかなかついでにいろいろ知識も深くなった.


これまでのドーキンスの本とずいぶん趣を変えていて,ずいぶん前から暖めていた包括的な生物進化の本のアイデアが十分な時間をかけて結実したという感じを抱かせる.毎日少しづつ読むとほんとに楽しいひとときを過ごせると思う.