「生物系統学」


生物系統学 (Natural History)

生物系統学 (Natural History)


系統樹思考の世界」を読了すると,やはりこの大著をもう一度読んでみたくなってしまった.すでに出版以来8年半ほど経過しているが,「系統樹思考の世界」を読んだあとにはいると結構無理なく世界がつながっている.新書ではさらっと流してある深い深い系統樹離散数学の沼にずぶずぶはまりこんでいくのが快感だ.


構成としてはまず分類と系統が異なる知的営みであることについて.いきなり武満徹で入ったりしながらも,当時系統と分類がまぜこぜで理解されていたことへの憤りが窺える切り込みになっている.系統樹などコンピューターで簡単に作れるのだからアートのある分類こそ美しいという分類学者からの攻撃や,哲学的な「醜い家鴨の定理」への反撃の鋭さに当時の系統学の立場が見え隠れする.すでに分類は人が自分がカテゴリーと考えるものに基づいた認知科学に基礎があり,系統は歴史の推定に基礎があるという著者の強い主張が堅固にあったことがわかる.
つづいて系統とは何か.歴史の推定と系統樹思考に行くのかと思うと,数学的な由来関係の構造の定義にずしっと入り込む.本文中に数式は使わないという著者の決意にもかかわらずトポロジーからブール代数にまで流れ込むそのハイレベルなぶちかましに読者はほとんどノックアウト寸前だ.しかしここは踏ん張って,分岐図と系統樹と進化樹の違いがわかる程度まではがん張っておかないとあとで遭難するおそれがある.


ここまでがんばるとインテルメッツォ.歴史の彼方に消えた記号論理学を基礎にした分類学,認知分類と本質主義が語られ,系統樹思考へのプロローグとなる.


つづく第3章で歴史の推定を行う古因学が紹介され,系統学の学説史が詳しく語られる.この章は随所に挟み込んである系統樹の図版が楽しい.Hennigによる系統体系学の始まり,時間と空間を入れ替えて歴史生物地理学へのつながり,そして体系学大論争へ.この論争はHennigの論文が不十分に英訳された経緯から始まり詳しく語られて読者を飽きさせない.そして論争を経て,系統学はHennigが公理としたいくつかの進化モデルの前提を洗練させ始める.これを明確に論じるために系統学は数学を深く結びつくのだ.系統推定のためのアルゴリズムとしてのHennigの論証方針から大域的最節約性基準への道筋が示される.最後にパターンとプロセスを巡る論争を紹介しているが,ここに出てくる体系学者の分岐図は爆笑ものだ.他の分野での論争にも是非応用されてほしい.


第4章は理論編だ.ここはひたすら理論編なのだが,著者の裁きと本質を突いた説明により,読んでいて非常に快感だ.無根と有根の樹形図から始まり,中間祖先の形質推定,形質間の距離,最短距離,NP問題,最節約性とオッカムの剃刀,最節約復元とACCTRAN, DELTRAN,樹形の探索,分岐図空間の適応地形,誤差評価とブーツストラップ法・ジャックナイフ法,樹長分布の分析,と息もつかせない.その後現代の系統推定の主戦場である分子系統学について.最節約法と距離法と最尤法,塩基置換の重み付けによる一般化最節約基準とベイズ推定,離散フーリエ解析と興味深い話題がつづく.(ここで最尤法について解説が少ないのが私的には少し残念だ.)ここから話題は一転しネットワーク型の系統推定に飛ぶ.分岐図ならぬ網状図の複雑怪奇な世界に読者はめまいを覚えるしかないだろう.こうまで複雑怪奇になってくると,人に認知され興味を持ってもらうためにどのように説明・図を提示するかも難しくなってくるのではないだろうか.すると系統学も認知科学へ歩み寄るのか?!

最後はこうやって手にした系統樹の周りの世界について.まず進化生物学との接点.形質進化の仮説を系統解析を行って実証しようとする方向とその課題.つづいて生物地理学との関わり.ここでは系統ジャングルの話題が(そういう単語は使われていないが)登場する.つづいて系統と分類との関わり.最後に形態測定の深い世界をちらりと眺める.


とにかく深い深い本だ.おとぎ話の不思議の森に踏み込むような雰囲気,繰り広げられる知的絵巻に目もくらむような知的興奮が味わえる.著者の渾身の気迫も伝わり満足度は高い.あと5年後か10年後にその後の系統学と離散数学の進展をふまえて大幅に加筆され,詳細な注のついた第2版が出版されることを心から期待したい.



最新刊「系統樹思考の世界」の書評はこちらにどうぞ

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

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