読書中 「Genes in Conflict」 第10章 その6

Genes in Conflict: The Biology of Selfish Genetic Elements

Genes in Conflict: The Biology of Selfish Genetic Elements


今日はキノコバエの染色体システムのつづき.

おもしろそうなので
http://www.oeb.harvard.edu/faculty/haig/pdfs/93Sciarids.pdf 
にあるHaigの論文を読んでみる.
The evolution of unusual chromosomal systems in sciarid flies: intragenomic conflict and the sex ratio .

なかなか面白い論文だ.内容は本書で紹介されているとおりだが,Haigらしく考え抜かれた仮説が詳しく説明されている.あくまで仮説を提示するという論文であり,提示するのにすべての可能性を網羅すると理解が困難になるので,あえて物語的に説明したいと断り書きがあるのもユニークだ.


まず前回のブログで「トリヴァースとバートは最初に精子形成の際,母由来X染色体がnondisjunctionでドライブをかけることが説明しきれないとしている.確かにオスでは排除されるので接合子をメスに変えることに利益があるが,もともとメスになるはずの個体がXXX*になって致死になるデメリットがあるため性比がオスに傾いていない限り説明できないというのだ.XXX*が致死であるという前提ならこれは鋭い指摘だ.」と書いたが,原論文を読むと当然ながらHaigはこの説明の難点に気付いていて,さらにいくつか追加の説明まで行っている.私の読み方の勘違いだったようだ.


この論文は最後のDiscussionのところが面白い.ゲノムの中に遺伝様式が異なる要素が混じると遺伝的革命が生じる.遺伝様式はそれぞれの要素の利害を決め,それによりコンフリクトが生じるのだ.しかし単一遺伝子座のコンフリクトと異なり,複数遺伝子座にまたがるコンフリクトのため,単純な利害だけでは結果は決まらない.遺伝要素相互の力関係が重要になる,これはどのように表現型が発現するか,発生のパスルートはどうなっているか,社会的な文脈がどうかに依存するためコンフリクトの帰結を予想するのは難しい.だから本論文の物語もすべてが正しいわけではないだろうとしている.
さらに遺伝研究のモデル生物としてキノコバエは一時ショウジョウバエと同じほどポピュラーであったが,染色体システムが複雑なためその王座をショウジョウバエに譲った.しかし現在これほど面白い研究対象となってきたこともありまたポピュラーになるのではないかとして論文を締めくくっている.


トリヴァースとバートの指摘は,これは仮説の提示だが,この染色体システムを説明しようとした初めての試みであり,特にL染色体,monogenicな卵生産システムへの説明は印象的だとしている.確かによく考えられていて印象的な論文だと思う.
課題としては最初の母由来の常染色体のX染色体ドライブへの賛歌のプロセスがよくわかっていないことだと指摘し,またL染色体についてはB染色体起源としても説明できるし共生バクテリア起源の可能性もあるだろうといっている.
論文にはここまで整理されていないが,Haig仮説から導かれる仮説を整理して今後の研究を促している.面白そうな研究テーマだと考える研究者が増えることを期待しよう.

最後に論文上は近縁種ではとされている(本書では近縁かどうかわかっていないとする)タマバエとの比較が紹介されている.



第10章 ゲノミックエクスクルージョン その6


2. キノコバエの染色体システム


(2) 進化的仮説


e. 予測

Haigの仮説はいくつかの予測を生み出す.
1)X染色体とL染色体には相同関係があるだろう.
2)L染色体は生殖系列の中で生存競争をしているだろう.
3)複数の遺伝要素が性比のコントロールを巡って争っているだろう.
4)精子形成時の父由来染色体の排除は母由来遺伝子により引き起こされているだろう.
5)父由来染色体のマーク(インプリント)は受精後に行われるだろう.
6)父由来のX染色体の排除はL染色体の発現により引き起こされているだろう.
7)そしてその発現はXX'のメスの卵母細胞か栄養細胞(nurse cell)によって抑えられているだろう.

これらの予測に対してはほとんど証拠が見つかっていない.
XとLの類似性についてはいくつかの事実がある.Lの無いキノコバエの性決定システムからみるとmonogenicな卵生産システムがLへの対抗とする仮説はやや苦しいようだ.


f. 困難と代替案

Haigの仮説は,彼自身も認めているように後付で何とか事象を説明しようとしたものだ.しかしこれはこの現象を最初に説明しようとした試みである.ただし説明されていないことがいくつか残っている.

この複雑なシステムは染色体ごとに遺伝様式が異なることから多くの遺伝要素間のコンフリクトを持つものであり,今後の研究が待たれるところだ.


(3) メカニズム


このキノコバエの染色体システムのメカニズム,特にその分子的な詳細についてはあまりわかっていない.

a. 発生中の生殖系列における父由来X染色体の1つか2つの排除

b. 体組織における父由来X染色体の排出

c. L染色体の排除

d. 精子形成における父由来ゲノムの喪失

e. オスの減数分裂2期での母由来X染色体のnondisjunction


(4) タマバエのPGL


タマバエも異常な染色体システムを持つ.キノコバエと近縁なのかどうかはよくわかっていない.
これはやはり生殖系列限定のE染色体,PGL,monogenicな卵生産システムを持つ.体組織におけるX染色体の排除があり,E染色体は繁殖のみに必要だ.L染色体と異なりE染色体は精子形成で排除され,母由来でのみ伝わる.