「うそつきの進化論」


うそつきの進化論―無意識にだまそうとする心

うそつきの進化論―無意識にだまそうとする心




<少し長い前置き>


自己欺瞞の進化的な説明はトリヴァースに始まる.彼はドーキンスの「利己的な遺伝子」の初版の序文において,ドーキンスが描いた世界の延長のひとつの例として動物のコミュニケーションが相手を操作しようというものなら,嘘をつく方向,次に嘘を見抜く方向,そして嘘を見抜かれないように自己欺瞞をよしとする方向に強い淘汰圧がかかるだろうと記している.
ピンカーは「心の仕組み」でトリヴァース説を紹介し,嘘をつくのが難しいこと,それはそうであるからこそ,そのような情動が進化したと考えるべきこと,そしてそうであれば自己欺瞞が進化するだろうと述べる.また社会心理学の研究から一般的に人は自分の善意と有能さについて自分をだますことが知られていると説明している.


ここからいくつかの疑問が浮かぶ.


まず善意と自己の有能さについての自己欺瞞の適応的意義について

善意については理解しやすい.基本的に他人を操作するには嘘をつける方がよいだろう.また特に他人には利他主義を説得し,自分は少しただ乗ろうとするにはうまく自分の善意について嘘をつければ有利になるだろう.
自分の有能さを偽ることの説明はなかなか難しいように思う.単純に考えると有能そうな方が他人を操作しやすいと考えるのだろうか,もっともここは,そもそも現実一般についてやや悲観的になってリスク回避的になり,自己能力についてのみ楽観的になってリスク受容的になる方が,様々な環境において適応的だったという立論もあるところだろう.


またそもそも何故,自己欺瞞なしに嘘をつけるような能力が進化しなかったのだろうか

ピンカーは情動はその適応デザインから嘘をつくのが難しいとしているが,しかし情動がそういうものだとしても,それをかいくぐる方向に淘汰圧がかかればそれも克服できる個体が有利になるだろう.結局情動を出し抜くもっともコストのかからないお手軽な方法が自己欺瞞と理解すればよいのだろうか.

いずれにせよこのあたりについては一度まとまって読みたいものだと思っていた.


<本書の書評>


本書は2004年に Why We Lie と題して出された本の邦訳である.
自己欺瞞の進化について一冊分まるまる詳しい議論があるのかと思って読み進めると,実は本書の後半は無意識の世界についての深い洞察,そして最後には無意識によるコミュニケーションとその解釈というちょっときわどい世界についてのものになっている.非常に興味深い本だ.


本書の構成としてはまず最初に題名通り自己欺瞞の進化的意味についての議論から始まる.
まず自己欺瞞は,ヒトとヒトがつきあう上で利点が多かった,他人に嘘をついて操作することが容易になるとする.
そしてこのような自己欺瞞の能力は人の心の根本的な設計に関わり,無意識のうちに自分自身に嘘をつくと同時に相手の心も読み取るようになっている(これを社会的無意識と読んでいる)のだとしている.このため本書では後半に無意識の世界を探索することになる.さらに人の心を読む無意識の心は,その会話の中にメタファーやアナロジーという形で隠されていることがあるのだと主張している.


まず動物の世界の信号システムは相手を操作しようとする嘘に満ちあふれていることを示す.ヒヒの意図的なだましの事例から始め,さまざまな擬態,ハチのオスをだますランの花,寄生虫によるホストの行動の操作の事例も紹介される.そしてヒトの世界も化粧や衣服,マナー,広告から謀略まで嘘に満ちあふれていることを示す.そして嘘は意識的についているだけでなく,無意識に,まるで息をするようについているとするのだ.この息をするように嘘をついているというフレーズにはなかなか鋭いものがある.

自己欺瞞は自己に複層性がなければ生じ得ない.そして無意識の世界を探索し始めたフロイトには(間違っている多くの概念とともに)鋭い指摘も多いのだとする.残念なことにフロイトは無意識が自分自身の欲求を隠していると洞察したがその証拠探しには関心がなかった.しかし現在ではいくつか無意識の働きの証拠がある.ヒトは自分の決定が何に影響されているかに気づいていないことが多いし,また鬱病のヒトはより現実を理解していると考えられる.むしろ鬱病とは自己欺瞞の能力が失われたために起こるとという考え方まである.

そして自己欺瞞の進化的起源については,まずトリヴァースとアレキサンダーの嘘による操作と嘘を見抜く能力の軍拡競争の概念をあげる.そして知性のマキアヴァリ仮説を引きつつ,嘘を見抜くには言葉以外のノンバーバルなサインをみる方が効果的であるため自己欺瞞が進化したのではとしている.もうひとつ面白いのは嘘をつくことは,ばれれば罰の対象となるのでリスクが伴う,このため嘘をつく方にはストレスがかかる.そして自己欺瞞はこれを和らげる効果もあるというのである.(はっきり書かれていないが,そもそもリスクある行動をとる際にストレスがかかること自体が適応的であるのだが,嘘をつくときだけは,嘘がばれるリスクを引き起こしてしまうため,それをはずす方がよいという考え方になるのだろう)


ここでいったん振り返って,ではそもそも自己欺瞞は何故完全に隠しおおしてしまわないかを考察している.ここの答えは明確ではないが,嘘は常につけばよいというものではなく,頻度が高すぎても逆に不利になる(嘘がばれやすくなるから)ためとしている.



本書はここから無意識の世界の探索に旅立つ.数々の有益なアイデアはある時突然心に浮かぶという現象,これは無意識に考えていたからではないのか.認知科学の発達と視覚・言語情報処理など無意識における情報処理の莫大さがわかってきたこと.逆に意識は後付の理由作りに用に振る舞うこと.このことから無意識における情報処理が非常に重要なことがわかるとしている.
そしてここが面白いのだが,上手に嘘をつくことが難しいのは嘘をつくのに「意識」を使うのは向いていないということだとしている.(私は上手に嘘を嘘をつくもっとも安上がりな方法が自己欺瞞かと考えたわけだが,著者はそもそも「意識」は嘘をつくなどという難しい作業には向いていないほど小さなキャパシティしかないのだとしているわけだ.遙かに説得的だ!)意識はコンピュータシステムでいうとCPUなどでは全くなく,むしろ出力装置,ディスプレーに近いというのだ.

では無意識の中にある計算装置はどのような計算をしているのか.無意識は単に知覚すればいいわけではない.行動への影響力が必要だ.他人の行為を読むには深い心理的洞察が必要で,嘘をつくにはそれを隠さなければならない.このために心を分裂させる設計が必要になる.そして他人の嘘を見破るのは「無意識」の仕事になった.そして私たちが他人の嘘を見破るのがそれほど上手でないのは,言語が現れて以来嘘をつく側にアドバンテージがあり,嘘を見破る方にはまだそれについて行くだけの進化的な時間が与えられていないのではないかと考察している.このあたりの考察もなかなか刺激的だ.

最後に無意識の心の働きをとらえたいと考えていた著者は,ヒトが無意識のうちの会話に混ぜる内容にその片鱗が現れていると考えるようになった.無意識にお互いの心を読みあった内容をコード化して交換する方が,意識的な摩擦を引き起こさずにうまく社会生活を機能させられるのではないか,また協力者間の密やかな信号交換の可能性もあるというのだ.そして無意識に語られるストーリーの解釈の世界に入っていく.ここは非常に興味深いが,(著者自身も何回も何回も断り書きしているように)通常のリサーチプログラムとは異質の世界だ.見つけてしまったあまりに面白い世界について書かずにはいられなかったということなのだろう.しかしもう少し何とか定量化できないのだろうか.なかなか難しいのかもしれないし,若い研究者には勇気のいるフィールドだ.ただ読んでいくのはとても面白い.難しいと知りつつもこのような研究が今後進むことを期待せずにはいられない.




原書はこちら


Why We Lie: The Evolutionary Roots of Deception and the Unconscious Mind

Why We Lie: The Evolutionary Roots of Deception and the Unconscious Mind