読書中 「Breaking the Spell」 第10章

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon



第10章は宗教と道徳という標題だが,ここは本書での議論の核になる部分のようだ.要するに宗教がよいトリックと管理責任者を持つミームだとして,でもこれは宗教が人類にとっていいものなのかどうかという究極の問いについての議論だ.じっくり読んでいこう.


まずデネットは幼稚な議論を切り捨てる.宗教は地獄での罰を信じさせて世間に道徳を行わせるので人類にとって善だという議論だ.これにはまず実証主義的に宗教を信じている人と信じていない人の間で犯罪率が異ならないことをあげて否定する.(かつ離婚率はボーンアゲインクリスチャンの方が高かったりするとちくっと皮肉るところもある)そして何かにつられて善をなすものがいるとしてもそれは道徳を増しているといえるのだろうか.むしろ善のために善をなすということの基礎を失ってしまう罠といえるのではないかとして罰のほのめかしによる効果を倫理的にも疑問視する.歴史的にはどうだったのか.このような報酬と罰のミームはその信頼性について壊れやすかったのではないかと疑問視している.ここはなぜ壊れやすいと思うのかについて十分な説明が欲しいところだ.


逆に宗教の悪徳についてでネットは切り込む.純粋な信仰は軍隊を強くする.宗教による殺人許可証という恐ろしい結果を生じさせるのだ.ここでは「我々はかつて酔っぱらいに責任能力はないと考えていた.今は酒を飲むという行為を行ったと言うことで責任があると考えている.宗教も同じように考えられるべきだろう.」と述べていて,その毒性を主張しているようだ.


さらに宗教の悪徳性について,明らかに詐欺的なカルト宗教の例を取り上げる.そしてこれに干渉すべきだろうかと読者に問いかける.一般論として人生を輝かせる他人の幻想に干渉するのは,それがより大きな悪を導くのでない限り,良くないことだという共通認識があるとし,そして問題は「より大きな悪」とは何かと言うことだと議論をつなぐ.さらに結局他人の宗教に関与しないで放って置くのは「偽善」だと看破する.


別の選択肢としては,スポーツチームへの愛のような宗教であれば人を苦しめたり嘘を強いることにはならず偽善とも関わらないだろうという.しかしこの立場をとるなら道徳についてはまったくあきらめなければならない.これは現代日本の宗教観と妙にぴったりはまる気がする.ほとんどの日本人は葬式仏教にあまり道徳を求めてはいないのではないだろうか.


道徳にこだわるなら現代は非常に難しい時代だとデネットは言う.いわく,「『せねばならない』というのは『できる』と言うことが前提になっている.昔は地球の裏側で起こることには何もできなかった.しかし現在は違う.できることは増えている.しかし『せねばならない』についてはこのペースについて行けない.あなたは第3世界で搾取しているタバコ会社に投資することもできるし,イスラム世界の教育ファンドに寄付することもできる」というのだ.確かに善について誠実であり続けようとするなら現代は難しい時代だろう.


デネットの議論は普通の人はだから善悪の判断を他人にゆだねる方向に向かうと続く.しかしそこでの最終的な誠実さを保つには,その誰かにゆだねることが,もし自分が真剣に考えた場合の決断と同じになるだろうという信頼がなければならないだろうという.であれば,神がそういっているからという理由で他人に善悪をとくべきではないというのがデネットの結論だ.誰かがモラル判断を宗教指導者にゆだねることが誠実であると是認できるとしても,他人がそのモラル自体を是認する理由にはならない.モラルには理由が付されるべきなのだ.


デネットはさらにきびしく「宗教はプールのようなものだ.それは魅惑的だが危険なのだ.持ち主は子供にセイフガードをつけなければならない.宗教指導者にも義務が課せられるべきだ.宗教を政治的に利用する狂信者への対処はその宗教自体の責任なのだ.アルカイーダはイスラムに責任があり,中絶病院への爆弾魔にはキリスト教に責任がある.それは宗教の内側からなされなければならない.(外から批判されれば反発を産むだけだろう)その宗教の中庸的な人々が鍵を握っているのだ.キリスト教指導者はキリスト教の名前を使う狂信者を名指しで非難すべきだ.」と主張している.


本章の最後でデネットは,道徳性と精神的超能力があることが結びつけられやすい西洋社会の風潮を嘆き,批判している.一神教社会の中では超能力の中に超自然的な正しい神を見ていたり,それを信じないものは邪悪だと思う文化があるらしい.ここは日本人にはちょっとわからないところかもしれない.


第10章 道徳と宗教


1. 宗教は我々を道徳的にするか?


2. 宗教はあなたの人生に意味を与えるのか


3. 神聖な価値について何が言えるのか?


4. 私の魂に幸あれ;精神性と利己性


宗教は道徳的だという主張は問題だ.来世による動機付けは不要だ.宗教が人生の意味を与えるという主張は偽善の罠に人を誘い込む.宗教的指導者に善悪を判断してもらうのは現代の世界にはあわない.そして精神性と善の関連は幻想だ.