読書中 「Breaking the Spell」 第11章 その1

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon




さて本書もいよいよ最終章だ.我々はどうすべきなのか.科学哲学者としてはなかなか踏み込んだ提案になるのだろう.
さて,まずこれまでのデネットの仮説をまとめるとこうなる.

宗教は進化した.進化するためにはそれは我々にとって善でなければならないということはなかった.我々が言語を習得するのはそれがよいからではなく,そうするしかできないからだ.宗教は言語よりも教育と訓練が必要だ.話すことより読むことに似ている.宗教はそれがよいからということではなく,人はそれに浸るのを好むためにひろがった.宗教は何千年も修正され,整えられて人為淘汰を受けてきた.ある人にとっては宗教は相利共生的なミームだ.別の人にとっては有害な寄生体だ.

デネット自体これが仮説であることを認めている.しかし「宗教がよいものである」というのも仮説にすぎないと主張する.そしてこれはリサーチによってテストされなければならないし,そのような実践的な議論はできるはずだという.ここは哲学者として当然の主張だろう.しかし注目すべきことにデネットはさらに一歩踏み込む.
保健衛生政策と同じように,現在ある危険から見て我々は今何かをすべきだというのだ.一部の狂信者が世界を破滅させられるのだから単に検証されるまで放って置くべきではないというのだ.そして政策オプションと理論によるその結果の議論を行うべきだと主張する.


そしてリサーチはすべての鍵だという.ここでかつての科学研究が科学の無知から科学者たちに嘲笑されたが,現在は真摯なリサーチによって目を開かされるものもでていることを取り上げ,宗教をリサーチしようとするものは宗教について深く理解すべきだと警告する.面白いのは宗教側から入門テストを課してもいいのではないかという提案だ.これは科学哲学者に科学のテストを課すのと同じだろう.そうしたいと思っている科学者はきっとたくさんいるに違いない.


リサーチの課題として本書で取り上げたものとして以下をあげる.

第4章 宗教以前の人の祖先の生活はどのようなものだったか
第5章 言語を持たない類人猿は超自然的な概念をでっち上げられるか なぜ人類は祖先の作り話を作るのか 文字のない民族はどのように儀式を伝えるのか 治癒儀式はどのように始まったのか 
第6章 フォルク宗教はなぜ,どのように組織化された宗教になったのか
第7章 なぜ人はグループに参加するのか 宗教は本能のなせる技なのか,自由意思の選択によるものか 
第8章 信仰の信仰を持つ人のうちどのくらいが神を信じているのか

ここからはデネットの推測が述べられている.
宗教の脳回路とか宗教遺伝子とか言う単純なものはない.脳についてはもっとしっかりとした認知機構の一般的な理論が確立するまで単純なニューロイメージによるリサーチはたいした結果を生まないだろう.単純に宗教的傾向を持たせる遺伝子が自然淘汰を生き残るというヘイマーのモデルはありそうもない.などなど.


いくつかの心理状態の傾向と宗教との関連,催眠状態にかかりやすい遺伝傾向,ある傾向を持つ宗教に影響されやすい遺伝傾向,宗教に対する免疫,宗教的な信念と普通の信念は何が異なるのかなどが面白い研究テーマだろうと指摘している.


アメリカでは現在福音主義派と無宗教が増えている.つまり両極化しているのだ.これの説明も面白い課題だという.スタークとフィンケによるとこれはもっともコストの高い宗教のみが無宗教に対抗できるからだと言うことになる.デネットは科学が進むにつれて人は無宗教になりそして残された人は超自然により強く引かれるのだろうかと推測している.


リサーチの実践的な問題も重要だと指摘している.データはチェックしなければならない.データ収集にバイアスは不注意がなかったのか.宗教を信じているかという質問だけでもそのデータの取り扱いにはいろいろに難しい問題があるだろう.方法論が確立されていないので結構難しそうだ.



第11章 我々はどうするのか?


1. 単なる理論


2. 探索すべき道;どのように宗教的確信に至るのか