「旧約聖書のゲーム理論」

旧約聖書のゲーム理論―ゲーム・プレーヤーとしての神

旧約聖書のゲーム理論―ゲーム・プレーヤーとしての神



本書は米国の社会選択論やゲーム理論の分野で活躍している政治学者ブラムスにより.旧訳聖書の物語を題材にして書かれたゲーム理論の本である.ちょうどデネットドーキンスの宗教本を読んでいることもあり,面白そうなので読んでみた.題材がアメリカ人になじみのある旧約聖書からとられているが,著者はゲーム理論家だし,基本はゲーム理論の本だろうと思って読み進めていくと,そういう面もあるのだが,むしろゲーム理論を応用した旧約聖書の解釈の方が比重としては重くなっている.


ゲーム理論的には逐次選択型の2×2型のノンゼロサムゲームが主体.旧約聖書の神を含むいろいろな登場人物の選択をゲーム理論的に解説していく.基本的に物語に題材をとっているためか,逐次選択ゲームが基本で,同時選択型の囚人ジレンマ型ゲームは登場しない.これは最も興味深いところだけにちょっと残念だった.
神をゲーム理論のプレーヤーとして扱うために,神は全知でも全能でもないことが前提になっている.というより旧約聖書を普通に読む限り,神は全知でも全能でもあり得ないと言うことだと思う.神は退屈のためか,あるいは自分を賛美してもらうために,宇宙と人類を創造する.(この解釈もなかなかのものだが,実際にこう解釈しないとそもそもゲームにならないし,旧約聖書の神を普通に擬人的に解釈するとそう考えるのが自然と言うことらしい)そしてそのためには人類が自由意思を持たなければならなかったというのが本書における神の立場である.


そして宇宙の創造や,アダムとイブの物語を次々とゲーム理論の題材として取り上げる.私の目から見ると,結局ほとんどの場合,実際に旧約聖書で書かれている選択がプレーヤーにとり合理的であったというためには,得点表はこうでなければならない.ということはその時点で各プレーヤーの選好はこのようであったはずだという強引な解釈が延々と続いているだけで,やや興ざめだ.ただ,逆にこのような聖書の記述の解釈が,多くのアメリカ人にとっては非常に重要なことなのだと言うことが印象深い.


ゲーム理論的には最終章の改訂版への増補として取り上げられている啓示ゲームの解説が面白かった.これは神は自分の存在を示す奇跡を行うかどうか,人間は神の存在を信じるかどうかというゲームである.神は人間が奇跡なしで自分を信じることを好み,人間は奇跡があって信じる方を好む.また奇跡がないときには人間は神を信じない方を好むとするものだ.このゲームは逐次手順で(奇跡なし,人間は信じない)という解が均衡になる弱い循環型の形をとるが,プレーヤーが逸脱できればそのプレーヤーがよりよい結果を強制できる.現象的には逸脱できる方が,相手の選択の直後に手を変えられる形に近い.(神に逸脱力があるなら,人間が信じなくなったら奇跡を起こし,信じれば奇跡を起こさない.人間に逸脱力があるなら,奇跡が起これば信じ,起こらなければ信じない)逸脱力を巡るダイナミズムの解説は興味深かった.


最後にこれは今ドーキンス本を読んでいる影響もあるのかもしれないが,本書で紹介されている物語を読む限り,旧約聖書の神の行動はなかなか理解しがたい,よくいって奇矯だし,ドーキンスが「旧約聖書の神は,嫉妬深く,残酷で,人種差別主義で,女性・同性愛嫌いで,殺戮主義でとんでもないやつだ」という意味が非常によくわかる.こんなに自己顕示欲が強い神を受け入れる信仰というのは私にとっては不思議だ.キリスト教の博愛主義と,信者の中ではどう均衡がとれているのだろうと深く考え込んだ次第である.