読書中 「The God Delusion」 第3章 その3

The God Delusion

The God Delusion



神の実在についての議論への反論の最後だ.


まず有名なパスカルの賭け.神の実在の可能性が低くても信仰に対する報酬と罰がより非対称なので信仰を持った方がよいという議論だ.ドーキンスの反論は,まず信仰を持つかどうかは報酬と罰で決める戦略ではないだろう,パスカルの賭けは神を欺いているのではないのか?そしてその神は全知でそういうことを見抜けるのではないのか?というものだ.そして,ダグラス・アダムズは小説の中で自分の代わりに信仰してくれるロボットを考案していると皮肉っぽく紹介している.(その小説の中ではデラックスモデルはサルトレイクシティでも信じないことまで信じてくれるそうだ!)

ドーキンスはここでパスカルの戦略の不誠実さについて追求している.彼のつっこみはさらに,「なぜ神を信じることが神を喜ばせることだと思うのだろうか?他人に優しくしたり謙虚であればいいのではないのか?真実を知ろうとするのはどうか?神が本当に宇宙を創造したのなら科学者的だったかもしれないではないか?ラッセルはもし死後,神と対面したらどう答えるかを問われて「証拠が足りません」と言うとした.これは神にとってパスカルの賭けに乗った人より遙かに誠実ではないのか?」と続いている.

そして最後にパスカルの賭けの論理的な難点について,死んでみたら実は神がヤハウェでなくそのライバルのバールだったら,パスカルのオッズはまったく正反対になるだろうと皮肉っている.確かに唯一神が自分の信じている神しかあり得ないというのはいかにも傲慢な前提だと苦笑せざるを得ない.


最後はステファン・アンウィンが最近「The Probability of God」という本で展開しているベイズ統計に基づく神の実在論への反論.いきなりあまりにしょうもない議論なので本書に収めるかどうか迷っていたが,この本は結構話題になっているのでここで取り上げることにしたと述べる.欧米ではベイズ統計と絡めている議論が新鮮で面白かったのだろう.そしてドーキンス自体も神の実在性は不可知ではなく確率で議論できるという立場なので無視できなかったということのようだ.

まずアンウィンの議論を紹介している.

まず最初にまったく不確実なところから始める.神の実在の最初の事前確率は50%だ.そして6つの事実から導かれる数字をベイズ定理に代入していく.ただし本書の数字は客観的なものでなくアンウィンの個人的な主観によるもので,結局それが最終的に神の実在に結びつく.
6つの事実とは
1.私たちは神がいると感じる
2.人々は時に邪悪なことをする
3.自然も時に邪悪だ
4.時々小さな奇跡が起こる(無くしたものを見つけるとか)
5.大きな奇跡もあるのかもしれない(キリストの復活)
6.人々は宗教的な経験をする

これで事前確率は上下を繰り返し,最終的にアンウィンは67%という数字を出すのだ.最後にアンウィンは信仰を持ち出してこの数字を95%にする.

ドーキンスの反論は,この手の議論によくある空虚な中身だというものだ.またデザインの議論,アキナスの議論,その他のこれまでよくされてきた議論が含まれていないことも注目すべきだとしている.(要するにアンウィンはこの手の議論の歴史について無知らしい)
また中身的にも,この世に邪悪があることが神の実在を下げることになっているが,これは一般の神学者とは異なる独自の立場だと指摘している.



第3章 神の存在の議論


(7)パスカルの賭け


(8)ベイズ推定の議論