
- 作者: Richard Dawkins
- 出版社/メーカー: Houghton Mifflin Harcourt
- 発売日: 2006/10/18
- メディア: ハードカバー
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旧約聖書も新約聖書も道徳の絶対基準になり得ないことを主張した後,では普通の人はどうしているのだろうかとドーキンスは設問する.ウェッブを「新しい十戒」として検索すると非常に多くのサイトが引っかかるが,その中身は驚くほどよく似ているという.多くは「不必要な苦痛を作らない.(自分の意見と異なっていても)自由な言論を認める.税金を払う.だまさない.殺さない.近親相姦をしない.自分にして欲しくないことは他人にしない.」などの内容になる.
そしてこのような道徳の規準は時代により移り変わっているとドーキンスは主張する.奴隷制,人種の考え方,女性の参政権などに例をとりつつ,実際に移り変わっていることを説明していく.ドーキンスはミームのミームプール内での頻度動態を考えると面白いかもしれないとコメントしているが,いずれにせよここでの主張の要点は道徳律は時代によって変わり,そしてそれは宗教によるのではあり得ないというところである.確かにここ10年程度で日本のタバコに対する考え方はずいぶん変わってきたように思う.(そしてそれは明らかに宗教とは関係ないだろう)ドーキンスの予想では次にくるのは動物の権利に対する考え方ではないかということだ.
続いて「スターリンやヒトラーは無神論者だったからあれほど邪悪であったのではないか」という予期される反論について.これが予期される反論だというのが日本にいてはちょっと理解しにくいが,無神論者は基本的に邪悪だと思われていることのひとつの表れなのだろう.
ドーキンスはまず事実として,確かにスターリンは無神論者だったがヒトラーは怪しいと指摘する.
続いてそもそも問題にされるべきなのは極端な少数の例でなく,統計的に見て無神論者の方が有意に邪悪なのかどうかという設問であって,そしてそのような証拠はまったくないと切って捨てている.
そしてさらに一歩踏み込んで,いろいろな事実や推測を紹介しつつ,ドーキンスは,まず邪悪は無神論の名のもとではなくドグマ的なマルキシズムや狂気で非科学的な優生主義の名のもとで行われたのだと主張し,さらにヒトラーは少なくとも宗教を利用して邪悪な行為をより効率的に行ったのではないかと推測している.
第7章 「善」の書物と道徳律の時代精神の変遷
「政治は何千人も殺してきた.しかし宗教は何万人も殺してきたのだ.」 ショーン・オケイシー
(4)道徳の時代精神