読書中 「The God Delusion」 第10章 その1

The God Delusion

The God Delusion




さて本書もいよいよ最終章だ.
神はいないとして,そして道徳に宗教は不要だとして,さらに宗教にいろいろな暗黒面があるとして,それでも人間には宗教があった方が良いのではないかという擁護論があり得る.本章はそういう議論へのドーキンスのコメントだ.


まず人間には心にギャップがあり,それを宗教が埋めてくれるという議論がある.ドーキンスの基本スタンスは,仮にもし親や友達を求める隙間があったとして,それを埋めるものは宗教でなければならないと言うことにはならないだろうというものだ.曰く「科学や芸術,実際の友達,ヒューマニズム,生活への愛,自然への愛では駄目なのか?」

ギャップと言われるものは通常1.説明2.道徳の教え,3.慰め,4.霊感があげられる.説明と道徳についてはすでに議論しているので本章のドーキンスの議論は慰めと霊感だ.


最初の取り上げるのは子供の想像上の友達だ.その代表としてくまのプーさんでおなじみのロビンの想像上の友達であるビンカーの名前を挙げている.ビンカーは英国ではそれほど有名なのだろうか.私は読んでいて最初にビンカーと言われても出典がよくわからなかった.ドーキンス自身にはこのような想像上の友達をほんとにいると信じた経験はないそうだ.私にもない.しかし,実際に身近な子供がこのような友達を本当に信じていると証言する大人は多いようだ.


実際に一定割合の子供がこのような想像上の友達がいると信じているとして,これはどのように解釈すべきだろうか.ドーキンスは(ミームとして)ビンカーが神に進化した可能性や神がビンカーに進化した可能性を検討しつつ,最終的にはおそらく神とビンカーは同じ心理的傾向から生まれる副産物なのだろうと結論している.
ドーキンスの展開したこれまでの宗教の説明からはこの結論しかあり得ないことは明白で,この節が何故ビンカーをことさら取り扱っているのかはちょっとよくわからない.それに本当に想像上の友達がいると信じている子供が多くいるのだろうか?


最後に関連してジュリアン・ジェインズの「両院制の心の分解としての意識の起源」という本を紹介している.ジェインズによると多くの人は自分と脳の中にいる別の人格との対話を感じている.そしてBC1000年より前の人はこのもう1人の人格について(それが自分自身であると気づかずに)神であると考えていたというのだ.(さらにジェインズはこの声が自分自身だと気づいたときが人間の意識の夜明けだとしている)ドーキンスはこの説が正しいかどうかは別にしてこれはなかなか面白い本だとコメントしている.私にはかなり眉唾な話のように思える.いずれにせよ本節は位置づけも内容も謎めいた節だ.



第10章 とても必要とされたギャップ


(1)ビンカー



関連書籍



The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind

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本文中で紹介されている「両院制の心の分解としての意識の起源」
内容を聞く限りかなりトンデモ風だがどうだろうか.




<2/12追記>


Shaxさんに教えられた邦訳

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

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