読書中 「Moral Minds」 第1章 その1

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong


今日から第1章.私たちがふわっと受け止めている「道徳」とは一体どのようなものかよく考えてみようという章だ.

現在一般的に「道徳」の中身はどのような考えられているのだろう.ハウザーによると,大統領の倫理委員会から大学の倫理講座や法律家,そしてテレビの相談室まで,すべての道徳家は「明確な原則に基づいた意識的な理由付けが道徳判断の基礎にある」と考えているということらしい.
しかしハウザーの主張は,道徳判断は無意識のプロセス,隠された道徳文法によってなされるというものだ.そしてこの道徳を科学の題材として取り扱うのが本書の主題ということになる.私たちの道徳本能はどう働くのか,何故進化したのかを考えていこうということだ.

本題に入る前に自然主義の誤謬と議論の無意識のうちの前提にはよく気をつけようという注意書きが書かれている.道徳を扱うときにはこのあたりに注意しておかないと議論がぐちゃぐちゃになってしまうのだろう.


第1節では「道徳」とは論理なのかが問われる.

最初の題材はアメリカの道徳を主題にしたテレビ番組から
ある週のテーマはティーンエイジャーのフランキーがアダムにキスした後で,ボーイフレンドのデイブにあれは偶然で意味がないと説明するが受け入れられずに,自殺を図る.という内容だ.私たちは結婚していなくとも恋人たちのコミットメントに道徳的な文脈を見てしまう,これはレストランで手づかみで食べ物を食べてはいけないというルールとは質的に異なると感じるのだ.


そして道徳的なジレンマとは異なる道徳的な義務が衝突する場合だと解説される.
例としては,安楽死ソフィーの選択が取り上げられる.
そしてハウザーはソフィーの選択についてよく考えてみるように読者に問いかける.彼女は選択して,それを罪に感じる.何故私たちは選択するよりもコインを投げた方がましだと考えるのだろう?ハウザーは私たちはそれを説明できないのだという.確かに私もそう感じる.その理由を示せといわれると後付の理由をひねり出そうとするだけだ.

ハウザーによるとまず誰がいつどこで何をしているのかの場面認識が先で,それから感情がわき起こる.だから論理的にはまったく是認するほかなくとも,幼い子供の1人を選択する場面に私たちは耐えられないのだ.この例によりハウザーが示しているのは道徳が論理ではないという事実だ.これは非常に説得的だ.

そしてハウザーはだめ押しで次の例を出す.
a) 運転中道路サイドで出血している子供を病院に運ぶ(ただしシートの汚れで200ドルかかる.)
b) ユニセフからの手紙に小切手を送れば50ドルで20人の子供の命が救える.

私たちはaはするべきで,bはオプションだと考える.しかし冷静に考えると結論は逆になるはずだろうとハウザーはたたみかける.これもハウザーの言うとおりだ.私もそう感じるが,説明できない.ハウザーはこれは進化適応した心理の限界だという.bのような遠くにいる人を救うことは進化的な過去にはほとんど生じなかったからだと説明している.確かに道徳は論理ではないのだ.納得するしかない.



第1章 何がいけないのか



(1)真実の世界