
Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong
- 作者: Marc Hauser
- 出版社/メーカー: Ecco
- 発売日: 2006/09/01
- メディア: ハードカバー
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第3章は暴力が主題だ.
まずは国によって殺人率がまったく異なることを見せ,これについての道徳の普遍文法と文化によるパラメーターの構造を見ていきたいと前振りしている.
キリスト教では殺人を禁じているが,実は集団外の人を殺すことはこの禁止に含まれていない.実際に為政者が外集団を排除しようとして暴力に訴えると歯止めがきかなくなることはよく観察されている.そしてこのことから殺人を巡る心理,特にどのような状況で殺すことが許されると直感するのかを理解しなければならないと議論している.
確かに殺人についての外縁部は,敵対集団への攻撃,中絶や嬰児殺し,死刑などを巡ってなかなか微妙な問題がありそうだ.
第1節では前に出てきた列車のポイントを切り替えるかどうかの問題をもっと詳しく見ていく.
状況は暴走している列車が主線(と引き込み線)のあるところに向かっているというものだ.
- デニス 主線に5人いて引き込み線に1人いる.デニスはポイントを切り替えてもよいか?
- フランク (主線のみのケース)主線の5人を救うために,ただひとつの方法である橋の上にいる太った男を突き落として列車を止めることは許されるか?
- ネッド 主線には5人いる.引き込み線はまた主線に戻る.引き込み線には太った男がいて彼に当てれば列車は減速して5人は助かる.ネッドはポイントを切り替えてよいか?
- オスカー 配置は同上.ただし引き込み線には重いおもりがあり,それに当てれば列車は減速する.その手前に痩せた男がいる.(この男だけでは減速しない)オスカーはポイントを切り替えてもよいか?
まずデニスは許され,フランクは許されないと判断してしまうことは何故だろうというところから議論が始まる.功利的にはデニスとフランクは同じだ.太った男には巻き込まれない権利があるが,1.の1人の男は引き込み線にいること自体ですでに巻き込まれていると感じるのだろうか.ハウザーはこの区別は非常に微妙だと指摘する.
ではカントの「人を手段として利用してはいけない」という定言命法に関わるのだろうか.デニスはスイッチを押すだけでフランクは人を突き落としているからだろうか.行為の直接的な目的が何か(ポイントを切り替えることと男を突き落とすこと)によるのだろうか.
ネッドとオスカーになると万人の判断は一致するわけではないようだ.多くの人はネッドは許されず,オスカーは許されるというものらしい.人によってはネッドのケースとデニスのケースは同じに感じるだろう.どちらも5人を救うためにスイッチを入れるだけだからだ.さらに別の人によってはネッドとデニスとフランクが同じだと感じるかもしれない,
ハウザーは整理して分析する必要があるという.
行為 | 行為の感情的な質 | 意図した結果か,予知できた結果か | 結果 | |
---|---|---|---|---|
デニス | スイッチ | 中立 | 予知できた | 1人が死んで5人助かる |
フランク | 突き落とす | ネガティブ | 意図 | 1人が死んで5人助かる |
ネッド | スイッチ | 中立 | 意図 | 1人が死んで5人助かる |
オスカー | スイッチ | 中立 | 予知できた | 1人が死んで5人助かる |
ハウザーはこの整理から,より悪い結果を避けるためであっても意図的に誰かを殺害することはいけないということになる.意図した結果ではなく,それに伴って生じる結果が予知できただけの場合には許されるとまとめている.そして特に強調するのはちょっとした小さな条件が我々の直感に大きな影響を与えることだ.
確かに自分でも考えながら読んでいて,ほんのちょっとした違いが大きく道徳判断に関わってくるのには驚かざるを得ない.
第3章 暴力の文法
「復讐は野生の正義だ.人はそれを行使するほど,法律はそれを排除しなければならない」フランシス・ベーコン
(1)許される殺人