「言葉を使うサル」

言葉を使うサル―言語の起源と進化

言葉を使うサル―言語の起源と進化



言語の進化について包括的に説明をしようとする試みである.部分部分はすでに議論されている題材でもあるし,また推測の域を出ていないものもあるが,全体として過不足なくまとめている印象だ.

著者バーリングは言語学者であり,その立場から書かれているわけではあるが,バイアスなく素直に物事をとらえようとしている姿勢に好感が持てる.バーリングの分析の特徴は,まず言語について表出側よりも了解側について考えようとするところ,必ずしも音声言語にこだわらないこと,機能について社会的関係を重視すること,言語の成立過程については斬新的に説明しようとする姿勢などに現れている.


バーリングの議論はまず言語の特徴として,デジタル性,恣意性,再帰性を取り上げ,これらが叫び声や笑い声などの感情を表すジェスチャーコールの相同物ではないこと,またジェスチャーコールが現在もヒトに残っていることから,言葉はこのようなジェスチャーコールから起源したものではないと議論する.

そして言語にはまったく別な進化的な説明が必要だと主張し,了解側の心の進化からそれに迫る.そして了解側の心にはまず概念があり,共同注意を行い,模倣し,アイコンとインデックスが理解でき,パターンを見ることが言語に先立ってあったはずだとする.そして人類の進化シナリオに沿って説明するなら,まず直立し,手が使えるようになり,模倣が生じ,他者の心を理解するようになって共同注意をおこなうことが了解側の利益になる状況が生まれたのだろうという.
つまり言語の進化にかかる淘汰圧は,他者の心を理解することにより自分が利益を得ることができるということだっただろうというのだ.そしてそれは社会的な文脈におけるコミュニケーションにかかる淘汰圧だという.

また言語の要素として,音韻→平仄→強勢→抑揚→調子というより感情表現に近くなるものがあるが,これについてはアナログで感情情報を表しており,ジェスチャーコール体系が言語に寄与しているのだと説明している.


続いては起源と進化過程の考察.

まず身振り言語起源論については話し言葉への切り替えのところがうまく説明できないのではと疑問を呈している.いったん身振り言語が成立してしまうと,将来有望だからといってぎこちない音声言語を使うという風に自然淘汰は働かないのではないかという疑問だ.ここはあまり説得力がないような気がする.身振りとともに音声を少し加えることにより,より機能の高い言語になるだろうし,次第に重心が移っていっても問題ないのではないだろうか.
そして音声への注目に対する前適応として音楽をあげている.このあたりはミズンの主張にも近いが,バーリングはプロト発声から音楽と言語が別れてきたのだろうと推測している.
音声への注目が始まった後で単語が生まれる.これは何らかの概念と何らかの発声が自然に結びついていくことから生じる.模倣,アイコン性,インデックス性,共同注意が改善されつつある生物種において個体は同種個体の行動の意味をよりうまくとるように進化しただろうという.
いったん単語が成立すると同じ淘汰圧により次に抽象語や機能語が派生してくるだろう.そして膨大な語彙が成立する.ここでバーリングは言語が語彙も含めて生得的でない理由として,本来その方が有利だろうが,それを成立させるためのコストが高く,普遍文法+語彙の学習という方が効率的だったのだろうとしている.ここは語彙は学習される方が環境の変化に対して有利だと説かれることが多いのでやや面白い考え方だ.
語彙の成立の次の段階は統語法・文法の成立だ.ここでバーリングはチョムスキーの普遍文法にかかる貢献と彼のとなえた奇妙な文法突然発生説,そしてそれに対してグールドの悪のりとピンカー,ブルームの見事な裁きを解説している.そしてバーリングはピンカーと同じ立場に立って統語法も淘汰によって漸進的に進化したのだと説明する.早く言おうとする発声者と理解しようとする受話者の競争により,文法化が生じる.そして淘汰の中には自然淘汰,性淘汰,そして(一種のミーム淘汰である)言語淘汰を含め,さらにゆっくりと文法が進化し,それを効率的に学習する能力が進化し,さらにより文法が進化するというボールドウィン効果も働いただろうとしている.
文法の進化過程についてはジャッケンドフに従うとしている.単語列,意味ある語順,句構造,機能語,意味論的役割,文法機能,説示と合成語,その消失などが解説されている.
単語の順番に対するこだわりは英語が母語であるとより強くなるのだろうか,チョムスキーもそうだが,バーリングも語順にはかなり比重を置いているようだ.この辺はちょっと違和感がある.


過程の後に適応の問題が考察される.複雑な文法はどのような淘汰圧のもので進化したのか.

バーリングはそれはヒトの社会生活上の淘汰圧に違いないとし,情報伝達という考え方に対して,言語はそのためには複雑すぎコストが高いものであること,また情報伝達が基本であれば,クレブスとドーキンスが主張したような操作の問題から言語が今あるような体系にはなっていないだろうこと,さらに実際の場面では皆発話を争っていることから,何らかの競争が背景にあるという考え方をとる.そしてまず,ダンバーの説を紹介した後,ネットワーク作りと,自分が有能であることを宣伝することによって社会的地位の競争という淘汰圧と,ミラーのいう性淘汰の考え方を紹介している.適応の問題についてはこれまで出された説得力のある仮説を要領よくまとめている.


最後の考察は言語が与えた影響について.

バーリングは言語は文明の発達にとっての前適応だったという議論を行っている.入り組んだ社会の見取り図を作り,込み入った協力や競争をすることが可能になったことで言語は心の使い方を変えたのだという議論だ.さらに暦や神話の成立などの影響も与えただろうと考察されている.また意識が言語によっているという考え方は否定している.最後に我々は何故読み書き能力をユニーバーサルとして持っているのかという疑問が提出されている.確かに識字能力だけ失う症例があることから読み書き能力は言語能力から自動的に出てくるものではない.バーリングはこの疑問に答えていないが,これは確かに興味深い問題提起だ.


本書はカバーがださいのがちょっと残念だ,私も最初に手に取るときにはちょっと引いてしまった.しかし中身はいろいろな仮説にきちんと目配りしつつ,なおかつ著者独自の考え方の筋を通して,バランスのとれた内容をわかりやすく平易に書いている.言語進化に興味のある人には現段階のまとめとしても推薦できるものだと思う.