「生物がつくる<体外>構造」


生物がつくる「体外」構造―延長された表現型の生理学

生物がつくる「体外」構造―延長された表現型の生理学



副題の「延長された表現型の生理学」というのが私にとってのアイキャッチャーだ.ドーキンスファンの私としては読まざるを得ない一冊だろう.もっとも本書は副題の最後にあるとおり生理学者による生理学の本だ.生理学をじっくりと考えていくと,生物と非生物の境界は曖昧になってくる,というかあまりその身体の境界を厳密に考えても仕方がないことを説明している一冊ということになる.それがドーキンスのいう「延長された表現型;The Extended Phenotype」と実にしっくりなじむということで原書の原題「The Extended Organism: The Physiology of Animal-Built Structure」になっているということの次第のようだ.


さて中身だが,冒頭で生物の実体や境界は実はあまりはっきりしたものでないことをナイアガラの下流のワールプールを例にとり興味深く例示したあと,一気に熱力学,水分平衡や炭酸カルシウム堆積の化学反応論,さらにエネルギーと代謝の講義が続く.ここは多くの読者にとってなかなか苦痛な部分ではないだろうか.少なくとも私にはなかなかしんどい部分だった,結局著者のいいたいのはそのような反応系が生物の体内にとどまらないということで,その反応の詳細ではないという展開が読めるだけになかなかつらい.


そこから数々の生物の作る<体外>構造の話になってくる.これもなかなか取っつきにくいものからだんだん面白いものへ話が移り変わっていくのは著者の計算なのだろうか?とにかく本書を読む場合には話はどんどん興味深くなるので忍耐が大切だ.


最初の例はクラモドミナスの作る懸濁液中の生物対流プルーム.浮力中心と重力中心がずれることによりプルームが作り出される仕組みが解説される.
続いてカイメンとサンゴによるモジュール成長のフラクタル性について.表面対流と拡散・堆積作用の結果,堆積付加物がフラクタル的に成長する仕組みが説明される.これは正のフィードバック的な付加がフラクタルになる部分が興味深い.さらにこれが発展した樹上サンゴやテーブルサンゴの成長モデルも紹介されている.
次は干潟に穴を掘る生物が有酸素泥と無酸素泥に酸素の通路を造ることにより,そのエネルギー差を利用する細菌を育て,そこからエネルギーを得ている仕組みが説明される.これが最終的には電子のポテンシャルの移動に還元されていてなかなか面白い.
そして似ているようだが全然異なるミミズの穴掘りの説明.ミミズは結局生理的には淡水性の生物であり,土壌に穴を掘り,細かい粒は粘液で一定の大きさまでに固めることでミミズにとって適度な湿度を持ちかつ酸素が得られる環境の幅を広げているのだ.
次は泡の表面を酸素ガス交換膜として用いる水中生活昆虫やミズグモの話題.泡に一定の強度を与えてその機能を高めたり,水の流れを利用してそれを達成する昆虫が紹介される.また関連してアワフキムシの泡はアミノ酸分解の過程で生じる窒素を尿素や尿酸を作る代わりにアンモニアとして排出する仕組みだという仮説も提示されている.
次は植物にできるゴール.これが寄生昆虫による作用だというのは有名だが,ここでは植物の生長発達の仕組みとゴール形成の生理作用を細かく解説している.そして植物体にとっての適温からずれていることにより,これは相利共生ではなく,寄生昆虫による操作だろうと結論づけている.次は音響学とケラによる穴が見事な楽器になっていることの説明,最後は社会性昆虫の巣,特にシロアリの巣の生理機構の説明だ.


そして最後の章はガイア仮説を扱っている.ここでのガイア仮説は地球上の生物集団は地球環境に大きな影響を与えており,負のフィードバック機構として働いているという主張だ.これがどこまで事実の表現で,どこまでMUSTであらねばならないかということが論争の1つの断面だと思われる.著者はドーキンスを引用し,生物の遺伝子がそれぞれ利己的であることから,自動的に全体で利他的である(負のフィードバック)になる仕組みはないと進化生物学者は考えていることを紹介し,著者自体そのことには異論はないが,しかしエネルギーや電子のマクロのあり方を考えると十分負のフィードバック機構になるという説明が成り立つだろうと示唆している.これは生理学者にとって非常に魅力的で筋の十分通った仮説であり,実は本書の核心であると最後に述べている.

本書の最後はなかなかアンビバレントな終わり方だ.著者はドーキンスの著作で紹介される現代的な進化生物学のファンであると同時に,それが先鋭的になりすぎているのではと感じているようだ.エピローグには,世界を解説し終えて少々擦り切れ古びてきたとか,スコラ哲学のようにわかりにくい抽象的な事柄についての際限ない論争に没頭しているという表現さえある.(私が今読んでいるような信号理論はそういう部分の代表ということになるのだろうか)行動生態学者は概してガイア理論には冷たいので,そういう感想を持たれるのかもしれない.私にはちょっと違和感のあるところだった.


いずれにせよ途中の各生物の生理学の紹介は非常に面白い.化学式がふんだんに出てくるのも生理学的な風情を感じる.(逆に適応度関数などは登場しない)そのような式をとばしても十分に興味深い記述にあふれていると思う.少なくとも私はクラモドミナスからシロアリの巣まで大変楽しめた.




2008/2/5追記 柏木さんのご指摘により,ワールプールをワープホールとまるで出来の悪いSFのように誤記していたのが見つかりました.訂正いたしました.ありがとうございます.



関連書籍


本書の原書.上品とは言い難いが,この蟻塚の写真は迫力たっぷりだ.

The Extended Organism: The Physiology of Animal-Built Structures

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表題のもとになったドーキンス本.私はドーキンス本の中ではこの原書が一番好きだ.濃密な論理の虜になっていく快感が味わえる.

The Extended Phenotype: The Long Reach of the Gene (Popular Science)

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邦訳

延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子

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