日本進化学会2007参加日誌 第三日


大会第三日(9月2日)



朝はまた土砂降り.大気が不安定なようだ.しかし8時過ぎにはあがってくれた.バス路線マップをよく見ると51系統のバスで烏丸通りを北上してそのまま京大農学部前に行けそうなことを発見.51番のバスに乗ってみるとなんと今出川通りで西へ向かうではないか.あわてて飛び降りて今出川通り203系統に乗り換えたが,京都のバスは難しい.(あとで調べてみると京都には市バスのほかに京都バスがあり,同じ51という系統が烏丸通りを走るのだが,実はルートがまったく異なることがわかった.そやかてそれはすこしいけずやおへんか.番号ぐらいかえてくれたらよろしいのに.)


さて気を取り直して1コマ目.WS04の「DNA塩基配列による分類とその問題点」というのも面白そうだったが(三中信宏がDNAでも「種」は延命できないのだと咆哮するのを是非見たい),S2の「菌類と動植物の間で見られる相互作用と共進化」の方に参加した.菌類についてあまり知識がなかった(イグチがキノコの名称ということさえ知らなかった)こともあってこれは非常に面白かった.各発表者も菌類をメジャーにしようという意欲か,最初のイントロで菌類について詳しく説明してくれ,これも大変ありがたかった.ご配慮に感謝したい.




最初は本シンポジウムの企画者佐藤博俊による「外生菌根菌オニイグチ属の宿主特異性の進化について」

まず菌類のお勉強.
菌類は生態的には腐生菌(エノキダケ,シイタケなど),寄生菌(赤星病,冬虫夏草など),共生菌(マツタケ,地衣類,オオシロアリタケ(胞子散布共生)など)がある.菌根菌はこのうち共生菌に含まれるもので,さらにいくつかの生態的な分類ができるが,本日の主題はこのうちマツタケなどを含む外生菌根菌のグループであるオニイグチ属のキノコ.(キノコと通常いわれるのは菌の世代のうちの子実体といわれる部分)
菌根菌の共生は樹木から光合成生産物を受け取り,土壌中の窒素,リンなどの栄養分を受け渡す.さらに重金属,酸性アルカリ性,乾燥に対する耐性,病原菌に対する耐性にも関与しているらしい.

ここまでがイントロで本発表の趣旨は,通常これらの菌根菌は宿主特異性が低いといわれているが本当なのかというところ.なぜなら通常分類は形態で行われているが,キノコの子実体の形態差というのはあまりないので多くの隠蔽種が存在していることが疑われる.実際に同一種が世界中に分布することになっていたり,そういう種は形態が単純なものが多いらしい.また通常の観察は子実体のみで菌根まで観察しているものは少ないということもあるということだ.
オニイグチ属は日本での記載種は4種だが,実際にDNAを分析してみると,多系統の16ぐらいのクラスターに分かれ,宿主特異性もある程度認められるという結果が得られた.さらによく分析すると16のうち少なくとも4つは同所的にありながら遺伝子流動も少なく隠蔽種といえるだろうという結果だった,形態が単純なので隠蔽種が多いだろうというのはありそうな話ではある.まだまだ分子的には調べられていないことが多いのでこれからの菌類のリサーチは面白そうだ.


広瀬大の「分布パターンから見る菌根共生菌の多様性創生メカニズム」
まずはお勉強タイム.菌類の分布,系統,集団遺伝,生態の記載はまだまだ遅れている.また植物の進化の理解には共生菌の理解の不可欠であると考えられる.
菌類の世代はn世代が長いことが特徴的で2nは有性世代の一瞬に現れるだけである.また担子菌と子嚢菌で世代交代の流れが異なる.

さて菌類の生物地理だがリサーチは少ない.本発表は高山帯にあるハイマツ,ゴヨウマツの菌根菌(担子菌のベニバナイグチ類)とツツジの菌根菌(子嚢菌のカビの一種)を調べるというもので,まずは日本中の山に登って松の根っこを掘りまくるという大変そうなのか楽しそうなのかわからないリサーチの結果報告だった.
ゴヨウマツ類は日本に3種類あってそれぞれヒメコマツは西日本,キタゴヨウが東日本,そしてハイマツが高山帯のという分布.これにつくベニバナイグチは宿主特異性が高くおおむねこの分布に沿っている.これに対してツツジの菌根菌はカビの一種で根っこを切って培養して識別する.スライドを見たが素人にはまったく同じように見える.この菌類は宿主特異性が低いので,ツツジの各種の分布とは交叉的に分布しているという報告だった.


西田貴明の「アーバスキュラー菌根菌が食植者と宿主植物に与える影響について」
これは植物が昆虫による食害から防衛を行うに当たってアーバスキュラー菌根菌がそれにどう影響を与えているかをリサーチしたもの.アーバスキュラー菌根菌は宿主特異性が低く,宿主植物には主にリンを供給していることで知られている.リサーチはミヤコグサを使いナミハダニに食害させて反応を計測した.
この結果実験に用いたアーバスキュラー菌根菌の効果は,確かに防衛反応を強化するが,同時にナミハダニの活動にも正の影響を与え,ネットでは食害が大きくなるというものだった.しかし実際の生態系では多くの種類のアーバスキュラー菌根菌が同時に共生していることが多くその複雑な相互効果を考えなければならないとして,予備的に6種のアーバスキュラー菌根菌について調べたところそれぞれの効果は異なるようだったという報告だった.複雑な生態系の相互反応をうまく切り取って見せていて興味深い発表だった.


中森泰三の「きのこの防御と菌食性トビムシの食性分化」
トビムシのうち子実体食性トビムシはキノコの子実体を食べるのだが,キノコはそれをどう防御しているのかという主題.(子実体ではない菌糸食性だと観察が困難というのは頷ける)実際に子実体の上でトビムシがよく死んでいるキノコを分析すると毒物で防御しているらしいことが示された.さらにそれに対して適応しているトビムシがいて,毒のある部分にいる時間を短くするような行動特性があることが示された.


山下聡の「菌食性昆虫の群集生態について」
お勉強タイムではキノコを食べる動物群や胞子散布について.
菌類の胞子散布についてはほとんどは風によるものだが,一部齧歯類や昆虫に媒介されていると考えられているものがある.本発表ではモリノカレバタケとケシキスイで実際にどのくらい媒介があるのかを調べたもの.モリノカレバタケはキノコとしては子実体の存在時期が長く,ケシキスイはこれを利用し,食べるとともに,産卵し,幼虫はこの中に潜り込んで地中に移動する.胞子散布については風だけで十分というデータしか得られなかったという趣旨の発表だった.


総合討論ではキノコの毒がどのような適応かが問題となった.大型動物への防御か対昆虫かについては両説あって決着がついていないらしい.もともと地中から窒素をもってくることができるので毒生産コストが小さいのだろうとか,哺乳類が忌避するのならより昆虫にとって食物としての価値が高くなるだろうとか,トビムシがつくことで哺乳類が忌避するかもしれないとかという説明もあって興味深かった.毒性と警戒色については研究者は否定的だったのも興味深い.中には「キノコは暗いイメージなのにどうして研究対象にされたのか」という質問も飛び出して和やかな討論だった.


昼食休憩時に京大総合博物館に.多様性についての特別展示中だった.なかなか気合いの入った博物館だが入場者が少ないのが気がかりだ.


午後の1コマ目はS05の「適応的分化と生殖隔離」を選んでみた.
わりと狭いC会場だったので満員で立ち見も出たようだ.適応的な形質が副産物として生殖隔離としても働くことについてのシンポジウムだ.


最初は高橋鉄美の「貝に住むシクリッドの生態的種分化」
タンガニーカ湖ビクトリア湖と違って1000万年の歴史を持つ.(通常の湖は数十万年で埋まってしまうのでこれは例外的な長さだ)ここのシクリッドはこの長さで数回適応放散を行っているので適応形質のリサーチとしては面白いのだそうだ.
さてタンガニーカ湖は湖辺は一般的に岩場だが,調査地の南端において2箇所だけ沖合にシェルベッド(貝殻が堆積してる場所)がある.シェルベッドでは小さな穴しかないので,捕食を逃れて隠れる場所が小さい魚にしかないという違いがある.ここで岩住型と貝住型のシクリッドの遺伝子を分析する.分析の結果は岩住型が祖先型で2カ所で独立に貝住型の小型種が分岐していることが示された.体サイズの適応が生殖場所の選好を通じて生殖隔離を起こしたと解釈するというもの.


木村幹子の「アイナメ属3種の生息地隔離と人為的生息地改変によるその崩壊」
日本近海のアイナメ属3種(アイナメ,クジメ,スジアイナメ)は生息場所により生殖隔離されてきたが,防波堤の建設によりそれがモザイク状に入り交じり生殖隔離が崩れたという内容.これは中間的な場所ができたわけでも,片方の生殖地が無くなって侵入してきたのでもなく,モザイク状になった原因だとして新しい現象だという主張だった.


小沼順二の「マイマイカブリの採餌形態の適応的分化」
オサムシの1種マイマイカブリにおいては頭部が細い型と太い型があり,それぞれカタツムリの殻に首をつっこむ方式と殻を砕く方式に向いている.太い型は佐渡に見られ,細い型は関東に見られる.この適応形質のプレゼンがなかなか面白かった.
そしてトレードオフがあれば同所的種分化が生じ,その後場所によりスペシャリストになるというモデルへの当てはめが示唆されていたようだが,ここはよくわからなかった.


長太伸章の「オオオサムシ亜科のサイズ分化と機械的生殖隔離」
オサムシの発表が続く.オオオサムシは日本固有種で15種あり,中部日本では4種ほど同所的に分布している.交尾器の大きさにより機械的に生殖隔離されており,側所的分布種では交雑が観察されるが同所種には交雑が観察されない.しかしこれを核とミトコンドリアのDNAで分析してみると遺伝子浸透が認められた.さらにこの遺伝子浸透の大きさは,体長,交尾器の大きさが有意に効いていたという内容.


新田梢の「キスゲとハマカンゾウの送粉適応と生殖隔離」
ハマカンゾウキスゲは近縁種だが,それぞれの送粉媒介者に適応しており,花の咲く時刻,閉じる時刻,花の色,香りに差がある.これの雑種F2まで作ってどのような形質が発現したかを見たもの.1世代2年かかるのでF2にたどり着くのに4年かかるというのが大変そうだ.結果を見る限りポリジーンの相加的な量的形質というより複雑で,開花閉花時間は遺伝子座が少なそうな形,色については複数の遺伝子座による形質発現になっていた.開花閉花時刻や色素カロチノイドとアントシアニン,香りのベンゼン,モノペルニンなどの形成の考察のあと,進化様式が推測されていて,それによると祖先形質はチョウが媒介のハマカンゾウで,最初にチョウの少ないところに進出,媒介者が蛾に変わってから開花時刻が変化,さらに色,香りが進化したのだろうということだった.いろいろな部分に目を配っていて面白いプレゼンだった.


山本哲史の「クロテンフユシャクの同時的異時的集団の成立過程」
同所的に分布するが異時的に生殖隔離されている集団が本発表の主題.有名な例としては17年ゼミと13年ゼミ,偶数年と奇数年で隔離されているカラフトマスなどがあるそうだ.
クロテンフユシャクでは晩秋に羽化生殖する集団と早春に羽化生殖するものがいて,遺伝子を調べると有意に分化した集団形成をしていることが示された.地域差を加えて分析しても地域差より時間差の方が大きいことが示された.


いずれの発表も生殖隔離にこだわりがある発表で,どちらかというと適応に興味がある私の視点とは異なっていて面白かった.



最後の3コマ目.WS11「琉球列島の生物地理学」も面白そうだったが,昨年に引き続きWS10「言語の起源と進化」に参加.このセッションは定説が無くホットな分野で,発表者の考えていることもバラバラで熱気があって面白い.


最初はまず鳥瞰図のプレゼントいうことで河合伸幸による「比較認知科学から見た言語進化研究のこれまでとこれから」
動物の言語研究にはまずイヌの先行研究があって,結構ヒトの言葉を聞き分けることが示されていたそうだ.次の流れは動物を訓練してしゃべらせようとするもの,しゃべれないことが明らかになって研究の流れは手話,さらにシンボル操作に移る.今のトレンドは発話の方ではなく理解の方でカンジの研究が有名.
これとは別の流れが実際に使われている音声コミュニケーションの観察.ベルベットモンキーの有名な3種類の警戒コールの研究や,ニホンザルのクーコールの研究が紹介された.
要するに動物は訓練すればある程度理解できるし,音声コミュニケーションもしている.ではヒトの言語と何が違うのかということで今非常に多く引用されている論文として2002のハウザー,チョムスキー,フィッチの論文が紹介された.("The Faculty of Language: What Is It, Who Has It, and How Did It Evolve?" Marc D. Hauser, Noam Chomsky, W. Tecumseh Fitch)(これは読んでいないがhttp://www.vancouver.wsu.edu/fac/portfors/Hauser.pdfにあるようだ.一度読んでみなければ)
これは議論の整理の枠組みを与えたもので,まずこれまでの議論のポイントとして3点上げている.それは1.言語を動物と共有しているか 2.言語はコミュニーケーションのための適応か 3.言語進化は漸進的だったのか跳躍的だったのか の3点だというもの.そしてヒトの言語の特徴は何かという問題についてはそのメカニズムにおいて「再帰性」があるというところが非常に重要だと強調しているということだった.現在この「再帰性」について何らかの適応なのか,心の理論との関連などいろいろな議論が生じているという.


続いて主催者の岡ノ谷一夫からもうひとつ鳥瞰的なプレゼントして「動物コミュニケーションに見られる特性変動の離散性」
最近ヒト言語の特異性の1つとして話題になっているパラメトリックバリエーションについて.これは文法などのパラメーターが環境要因によりある離散値に設定されることを指しているようだ.岡ノ谷は少し基準をゆるめるとヒト言語だけでなく動物のコミュニケーションにも実例はあるだろうとカナリア,ミヤマシトド,ヌマウタスズメ,キンカチョウとジュウシマツでのその例を示した.厳しい基準と緩い基準の差がよくわからなかったので,講演の趣旨がよくわからなかったが,一般的にこのような環境要因によるパラメーターの離散値への収束が適応現象に生じて何ら不思議はない気がする.何故言語だけの特異性とされるのはよくわからなかった.


北野誉の「発話とFoxP2遺伝子」
北野誉はFoxP2遺伝子発見を伝える論文の共著者であることから本プレゼンを依頼されたもの.発見のきっかけになったKEファミリー,探索が一時行き詰まったところに現れたCS少年のデータ.さらにいくつかの紆余曲折のすえにFoxP2遺伝子が同定できたらしい.また系統樹も生のデータはネット状になったので論文に発表されたような系統樹まで整理するのは結構大変だったという裏話も興味深かった.
実際に遺伝子発現を解析すると小脳に大きく現れるのが特徴で,おそらく最初に報告されたような「文法」遺伝子ではなく,何らかの運動制御に関わっているのだろうということだった.
その後の討論,最終討論でもこの点は取り上げられたが,結局文法遺伝子を主張しているのはゴプニック1人で,あまりに興味深いために話が広がったが「がせ」だろうという結論だった.複数形のsはきっと録音データを起こすときの取り扱いの問題だったのだろう,goとwentの話も同じだろう.生の録音データは相当聞き取りにくかったので先入観があればあり得るだろうということだった.これは収穫.


山内肇の「言語知識の自己組織化と進化-言語知識はシャボンの膜か」
ここでいうシャボンの膜とは表面張力エネルギーが最小になる形が(適応ではなく)自然に現れるという趣旨.チョムスキーは言語が適応形質ではないと考えており,コミュニケーションに対して適応していないと主張.むしろより簡単な仮説として自己組織化を考えようということで,彼の言語に対する見方はシャボンの膜のような何らかの最小化から生まれる特質を持つ.適応の方がよほどありそうな仮説に思える私にはまったく理解できないが,このあたりは何が簡単で何が自明かは人によりまったく異なるということだろうし,チョムスキーとピンカーの違いでもあるだろう.
またダイナミクスとして自己組織化のほかにも獲得過程と認知システムという外部環境があること,適応としてもボールドウィン効果やニッチ構築,文化進化との関連という要因があることなどいろいろな複雑な要因を挙げていた.ここは自己組織化以外はその通りだと思う.


橋本敬の「意味変化の一方向性・超越性と,汎化・メタファー・メトニミーについて」
計算モデルを使ってのリサーチ.「今,ここ,私」以外の話題を話せる「超越性」が生まれるための条件,内容語が文法語になることに一方向性が現れる条件等を探ったもの.類推,連結,カテゴリーなどの認知特性が重要という主張のように思われた.少なくとも超越性についてはコスミデスのいうようなメタ表現適応の方が数段説得的なように思える.


井原泰雄の「文化伝達と言語の起源」
これもモデルを使ったシミュレーションで,進化的なアプローチで文化伝達の特性を理解しようというもの.多くの人類文化に非合理的な名声追求行動は単純な適応だけとは限らずにこのメカミズムによっても生じていると主張.私にはミーム論の主張との違いがよくわからなかった.
質疑で長谷川眞理子副会長から文化伝達だけでなく社会的に高い位置にある人による社会的な弱者に対しての操作・搾取のメカニズムがあるだろうという指摘がなされていた.


最後は生成文法研究者のプレゼン.当初福井直樹が予定されていたが,急遽こられなくなったということで藤田によるピンチヒッター講演.
生成文法についての手慣れた紹介.まず対象はある個人の頭の中にある言語(I言語)であり社会的な言語(E言語)ではない.チョムスキー階層.普遍文法.そして言語獲得は学習ではあり得ないこと.普遍文法から個別のI言語への変換はundown(9/9訂正 unlearn)と表現され,余分なものが削除されていく過程として捉えること.
言語は適応ではないと考えること,その根拠は例えば英語においてJohnという主語がhe, him, himselfというかたちでthat節の中での主語になれるかどうかを巡る規則のあり方はコミュニケーションのための適応ではあり得ないということにある.
再帰性」は非常に重要で,aとbを結びつけるだけではなく,くっつけたものがどちらのラベルを持つかが要求される.これを繰り返すと再帰性が得られる.


質疑では生成文法者に対して「何故それほど「適応でない」ことにこだわるのか.そのほかの丁寧で厳密な考証に比べて,適応の否定はあまりに稚拙ではないか」との疑問がだされた.これは私もまったく同感だ.驚いたことに藤田はあっさり「イデオロギー的な面がある」ことを認めた.「言語はコミュニケーションか思考か」というイデオロギー的な対立がありチョムスキーは思考派なのだという.そんなこと認めてしまっていいのかと思うが,事実なのだろう.言語学者の世界では生成文法者が適応を認めると背徳者になってしまうのだろうか?ピンカーもそういう扱いなのだろうか.疑問はつきないが,長谷川眞理子副会長からも,あの議論では適応が否定されたことには全然ならないとつっこみが入った.同感だ.そもそもコミュニケーションの効率性と合理性のみが個体の適応度を上げると考える根拠はないだろう.
やはり適応でありそれにふさわしいデザインだとと考えるか,自然にエネルギー最小の状態が現れ,それが言語の特性と一致していると考えるか,どちらがよりありそうかと感じるかということがポイントなのだろうか.


適応以外では「再帰性」が言語だけの特性かどうかが話題となった.数学,心の理論,音楽にもその構造があるわけで,岡ノ谷は再帰性は言語の前適応だろうという意見だった.いまのところは言語の進化においての直接の適応である可能性も否定できないだろう.仮に前適応だとして一体何に対する適応だったのだろうか,興味が持たれるところだ.こころの理論は有力な候補だろう.数学,音楽に対する再帰性こそ前適応ではないだろうか.
またヒトの再帰性も6次ぐらいの制限があるのだから程度の差ではないかという意見,それに対して紙と鉛筆があれば無限になるのだからワーキングメモリーの制限さえなければ無限と言っていいだろうという意見.コンピュータがあれば何でも可能だろう,いや紙と鉛筆があれば原理的にチューリングマシンになるのだからとか面白い議論になった.


パラメトリックバリエーションについては岡ノ谷は今の興味はむしろ鳥の歌の方にあると説明.緩くすればいろいろ見られるはずだという意見だった.これも同感だ.ハウザーのモラルマインドの話こそ出なかったが関連するだろう.


言語の議論は定説がないだけに盛り上がって面白かった.しかし適応を巡る考え方の溝は深い.日本にも言語学者にピンカーが現れて欲しいものだ.


さて最終の議論が終わると19時10分.バスに飛び乗って京都駅へ.親子丼と宇治茶ソフトクリームを食して8時過ぎの「のぞみ」に乗り込んだ.ハードで楽しい3日間だった.