読書中 「The Stuff of Thought」 第1章 その1

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature



第1章は「言葉と世界」と題して,ヒトの社会生活の中で言語がどのように絡んでいるのかを示していく章のようだ.
冒頭に9/11事件が取り上げられ,あの時ニューヨークでで正確にいくつの事件(イヴェント)が生じたのかと読者に問いかける.当然ながらそれは「イヴェント」という言葉の定義によるとしか答えようがないという感想を持つわけだが,ピンカーはこれは確かに「単にセマンティックス」な問題だと片付けられるのだが,しかし本書はまさにセマンティックスについてのもので言語と世界の関係が知的に魅力的で,実世界でも重要だということを示せると主張している.


ここからちょっとひねりが入って,実はこの問題はビルのオーナーと保険会社の間で1件の事故の補償上限が35億ドルとされていたため2つの崩落を意味するのか1つの計画を意味するのかが訴訟で争われたのだということが披露される.ピンカーはこれは知的にも面白いことだと指摘している.つまりこの事件の数問題は「事実」に関することではなく,物理的な事件とヒトの反応を問題にしているということだ.事実の解釈がヒトの心にどう概念化されているかという問題で,それは言葉の意味に強くつながっているという.


ピンカーはこうまとめている.

セマンティックスとは言葉と考えの関係のことだ.そしてそれは言葉と他人の関心の関係でもある.言葉と現実の関係.話者は自分を共通の真実の理解の中でコミットし,世界の中に自分の考えを位置づける.言葉と社会の関係.ある人の考えが別の人にどのような反応を生じさせるのか.だからヒトは分かり合える.そして言葉と感情の関係.言葉は物事を指し示すだけでも聞き手に感情を生起させる.それは言葉に魔術,タブー,罪のセンスを与える.そして言葉と社会関係の関係.ヒトは情報を伝えるためだけでなく何かを交渉するために言葉を使う.


さて導入が終わって第1節.言葉と考え
ここでピンカーは「思考の言語」を言語そのものと区別しなければならないと主張している.ちょっとわかりにくいが,デジタルで表現されたアナログな概念を文法的に並べて,ビンラディンの行動がビルの崩落を「引き起こした」ということを伝えるという仕組みを「思考の言語」と呼んでいる.そしてこれは言語学者が「概念セマンティックス」と呼んでいるものだという.


この思考の言語は物事をフレーム化していろいろな解釈を作り出し,ヒトの知性の豊かさのもとであり,創造性,ユーモア,社会生活のドラマ,多くの論争のもとになっている.例えば論争はどちらのフレームがより適切かを争うことが多いという.いわれてみれば,事実そのものの有無を言い争っているよりどちらの解釈が正しいかを言い争っていることの方が多いような気がする.


また冒頭の9/11のケースで面白いのは事件の数がものの数と同じように扱われていることだと指摘している.ある意味あたりまえのような気がしているが,指摘されてみるとこれは時間について空間と同じように扱っているということだ.この人の思考と言語を巡る話題は第5書で取り扱われる.



第2節は言葉と現実


これまた9/11関連の話題から始まっている.ブッシュ大統領イラク大量破壊兵器について "The British government has learned that Saddam Hussein recently sought significant quantities of uranium from Africa." と述べてイラク戦争を始めた.しかし結局イラク核兵器製造設備はなかった.大統領は嘘をついたのだろうかと言うことが大きな政治的な問題になった.
これは動詞「Learn」のセマンティックスにかかっているという.


ここで解説が入る.

Learnは言語学者がfactive verbとよぶものだ.
動詞は、話者が補部の陳述がtrue であるという前提を持つとき使われる factive verbs と,そのような前提がないとき使われる non-factive verbs に分かれる.knowやlearnはfactive verbとされる.このほかにadmit, discover, observe, remember, show, などがある.
しかしLearnには別の用法がある.それは「教えられる」という意味でこのときには non-factive verbになるのだ.しかし通常の用法,特にhaveを伴って完了形になるとこれは「真実の情報を獲得する」という意味を持つfactive verbになる.

つまり日本語の「知る」と同じような用法と「教わる」と同じような用法があるということで,このあたりの雰囲気はネイティブでないとなかなかわかりにくい部分だろう.いずれにせよ通常の意味では日本語で言う「知っていた」という語感に近かったということだから,人々は言葉の通常の用法で,文章の主語が信じていたかどうかとは別に,これが真実かどうかにコミットされていたということになるのだろう.

factive verbの用法を巡ってはブッシュは嘘をついたという厳しい議論をすることができるだろうとピンカーはいう.このような動詞の細かな用法が大統領の命運にかかるのかどうか,isのセマンティックスとともに第4章でまた考えるとされている.


また別の言語と現実の関係として,私たちが何らかの言葉の意味を知ると,頭の中の神経網に何らかの変化が生じるはずだという視点がある.ピンカーはここで sidereal と言う言葉の意味を最初に聴いたときの経験を述べている.英和辞書では「星の,星座の,恒星の,恒星観測の」という意味がだらだら載せられているだけでよくわからないのだが,それは実は「恒星との関係において」と言う意味であり,だから sidereal day が恒星日と言うことになるのだ.ピンカーはそれを聞いて初めてその概念自体を理解したのであり,そのときに頭の中で何かが変化したはずだろうと言っている.


また単語は単に共有された意味を持つだけではなく,それは現実の何かを指しているという視点もある.
ピンカーは例として固有名詞を取り上げている.シェイクスピアについて辞書にはいろいろな定義が載っているが,この定義の一部が間違いだとしてもシェイクスピアは私たちの頭の中に実在していると言っている.これはシェイクスピアが実在人物ではないのかという議論があることを背景にしていると思われる.
いずれにせよピンカーの指摘は名前は単に意味ではなく,何らかの実体を指し示している,だから循環した言葉遊びにならないと言うことだ.
最後にID泥棒の話が出てくる,これは記号と現実の関係をよく考えるには良い例だ.
ID泥棒に自分の身分を詐称されたときにどうやって自分のIDを示せばいいのだろうか?IDの意味をいくら並べてもうまく盗まれていればむずかしい.結局最後は何らかのつながりから現実と結びついたものを見つけなければならない.(例えば銀行口座開設時の運転免許証からたぐっていって出生証明書の証明者からの証言とか)同じように言葉はどこかで現実につながっているというのがピンカーの結論だ.




第1章 言語と世界


(1)言葉と考え


(2)言葉と現実