HBES-J 2007 参加日誌 第一日


今年の人間行動進化研究会は長谷川眞理子先生の所属先,葉山の総研大で行われた.総研大湘南国際村の一角にあり,なかなか瀟洒なたたずまいを見せている.確かここはバブルの時期に三井不動産により企画された別荘と研修所の街であり,一時はいろいろあったはずだが,バブルの傷も癒え,街並みも成熟しているようだ.途中の紅葉も風情良く,天候も小春日和,小規模な研究会で手作り風の開催ぶりが心地よい.さて今回も発表者の紹介について敬称は略させていただいた.(共同研究者についても紹介を省略させていただいている)


大会第一日(12月8日)


招待講演


最初の招待講演は内藤淳による「人間行動進化学は法理論にどう影響するか:人権と正義を巡って」
人間行動進化学を法理論において応用しようとするなら,そもそもヒトとはどういうものかを法に応用する,つまり,経済政策や刑事政策の立法論としての応用がまず頭に浮かぶのだが,本講演は憲法解釈に切り込んでいる.
まず法学が置かれている現状として,進化学と社会科学の間に壁があり,さらに社会がどういうものかという社会科学と法理論の間に2番目の壁があるという.それは社会科学は「事実」を扱い,法は「規範」を扱う分野だという意識が強く,法学者は社会科学(ましてや進化学)に関心が薄いからだそうだ.
講演ではしかし,事実としてのヒトや社会の現実をふまえなければ政策の実現としての法のコストが上がってしまうことを指摘している.これは主に立法への応用の部分だろう.本講演では解釈への応用にもふれていて,相続法の解釈として,現在の法解釈の主流は「配偶者の配分が多いこと」と「遺留分制度」から,逆に立法者の意思を「遺族の生活保障」だと解釈する帰納的なやりかただが,正面から「血縁者への支援傾向」をヒトの本性として認めて法解釈した方がよいのではないかという話があった.法解釈としては現在ある条文から立法者意図を帰納的に推定するほか無いわけで,条文的な根拠が薄くても,よりヒトの本性にあった,(制度コストの低い)解釈に踏み込んでよいのかどうかは解釈学としては重大な話だろう.


そして本講演の目玉は「人権」の理論的根拠だ.
なぜ人権は立法をも制約できるのか.通常,これは自然人が国家という制度が発生する前から持っている自立権に価値を認めているからであり,その中核は精神的な自由だとする.
しかしそれでは文化相対主義的に単に西洋的な価値観ではないかとか,そもそも前国家的な自然人の自立こそフィクションだとかの反論がなされてしまう.
内藤先生は「配分原理」としての人権を提案される.
ヒトは生存,生殖のために資源獲得を行い,また集団生活をしている.ここで,集団生活が壊れないような資源獲得機会の配分ルールが,集団の存立要件としての「自然法」たる「人権」であると位置づけようというものだ.
このように解釈することで,いろいろな「人権」を統一的に解釈でき,公共の福祉との調整についても筋が通るという主張のようだ.


非常に興味深い論考だ.最近「自然主義の人権論」と言う著書を出されているということなので,早速読んでみなければ.(帰宅して早速アマゾンで発注しておいた)


ただ人権の解釈には疑問も残る.
まずそもそも「人権」は人を幸福にするために認めるということなのではないだろうか.進化的にヒトが持っている本性を前提として集団が安定化する条件としての資源獲得機会配分が,メンバーのひとりひとりを幸せにするかどうかは別の問題だろう.(特に狩猟採集民が置かれている条件も安定だとするなら,私はそのような社会で集団が安定しているからと言って,そこで認められている人権で十分だとはとても言えないのではないかと思う.)私は「近代における基本的人権」とは非常に特殊な条件でのみ成立したもので,歴史が与えてくれた僥倖だと考えた方が良いと思う.


また集団が安定化する資源獲得機会配分条件が二つ以上あればどうなるのだろうか.どちらの「人権」をとるかはこの考え方では決められないのではないだろうか.結局「価値観」の争いから逃れられなくなりはしないだろうか.


そして究極の疑問は,このような解釈の「政治的な脆弱性」だ.悪意を持った為政者に悪用されないということはこれまでの歴史から見て非常に重要な課題ではないかと思う.「集団維持できる資源獲得機会配分」を根拠にする,ある意味「功利的」な解釈は,人権を制限したい為政者に格好の言い訳を作ってしまうことになりかねないと懸念する.
私は基本的には物事にはできる限り演繹的な根拠が望ましいと考える方だが,人権については悪用されるリスクとその結果の重大性から考えて,これまでの歴史経験から帰納的に価値を認める方がよいと思う.


あとで内藤先生とは少しお話しできたのだが,このような配分条件が「均衡」ということなのか,という指摘をほかの方からも受けていてこれからよく考えてみたいとおっしゃっておられた.大変刺激的な取り組みなので,ますますの発展を祈念申し上げたい.



ポスターセッション


平石界の「公共財ゲームにおける個人差の遺伝環境分析」は興味深かった.イントロで,そもそも知能について遺伝分散がなぜ無くならないのかという振りが入っていて,考えてみると不思議だ.リサーチ自体は双子を用いたもので,公共財ゲームで相手の利得ごとにどう反応するかの戦略をパターンわけし,その分散について共有環境要因,遺伝要因,その他要因に分けてみてみるもの.相手の寄付が高いときに自分もつきあうか,それともただ乗りに走るかで分散が大きくなる.ここに遺伝要因や共有環境要因が生じてくるという結果だった.データ数が増えてきて,性格因子との関連がわかれば面白いことになりそうだ.


山形祈子の「ノンバーバルな手がかりから利他主義者を見分けることができるか」
リサーチの前提となっているそもそも会話程度で簡単に見分けることについて有意さが現れるという事実は何度聞いても興味深い.第3者(リサーチャー自身)との会話ビデオを見せられただけで評定者は有意に見分けられるというリサーチで,しかし評定者自体の利他性は見分ける正確性に相関していないという結果だった.


橋本博文「社会的環境へのデフォルトの適応戦略」
総合認知力テストと称するテストを被験者にさせてみて,自分の成績について自己申告させる.何も条件を示さずに申告させた場合(デフォルト)と正確に申告できれば報酬が得られると教示して申告させる場合の差を見る.
日本人,アメリカ人の男女にさせると予想通り,日本人の女性はもっともデフォルトで謙遜し,アメリカ人の男性は両条件で差がない.正確に申告させると,これまた予想通り,自己の優秀性について自信過剰傾向が出る(リサーチでは自己紅葉と呼んでいた)あまりにもステレオタイプ通りの結果で面白かった.またアメリカ人でも女性は少しは謙遜するのも興味深かった.文化的な利得行列が異なっているのだろうが,配偶者選択も効いていそうだ.


坂口菊恵「男性ホルモン濃度と出生数の季節変動」
そもそもの基礎知識として,このような季節変動があること自体無知だったので,とても興味深かった.昭和30年より前の日本でも冬に出生が多いこと,現代ではなくなっていること,北欧と北米ではパターンが逆になること.謎だらけだ.


倉島治「飼育チンパンジーと狩猟採集民における繁殖率・生存率の加齢変化」
標題の通りだが,チンパンジーにも,ヒトほどはっきりしていないが閉経があるというデータは面白い.


小室匠「遅延リスクに対する人々の選好と時間割引の関連性」
アンケートを採って1年程度の期間の中で,報酬の変動リスクを好むか回避するかを調べると,ヒトは報酬額の変動リスクを回避する.しかし報酬の得られる時期の変動についてはむしろリスクを追求する結果が得られる.これを同じく時間割引率をアンケートでとって双曲割引関数で補正するとリスクニュートラルになると言う内容.
エインズリーの「誘惑される意思」を読んだばかりだったので興味深く拝見した.補正してニュートラルになるという結果だが,なぜ回避的にならないのだろうという疑問は残る.1年で1万円程度の報酬ではそもそもあまり割り引かない人も多いと言うことらしいのでそのあたりにも原因があるのだろうか.一般的には報酬変動に対して回避的だが,ギャンブル好きというのはまさに逆な傾向であり,このあたりにも興味は引かれる.いろいろ発展できそうなリサーチだった.



招待講演その2


ポスターセッション後,次の招待講演は颯田葉子による「人類特異的な遺伝的変化と人類進化」
人に特異的な遺伝パターンについて,構造遺伝子の変化,遺伝発現の変化などに区分してそれぞれいろいろなことを説明する講演だった.構造遺伝子の変化についてはヒトとチンパンジーとゴリラについていろいろな3分岐が混じっていることとか,ちょうど脳の増大が生じた300万年前あたりの脳発現の遺伝子については注目が集まりやすいこととか,乳糖耐性の変異については中東欧州型とアフリカ型で独立に進化していることなどいろいろと面白い話が聞けた.



口頭発表


中尾央「人間行動生態学進化心理学の対立について」
夏の進化学界のときの内容から一歩進んだお話だった.HBEとEPについての論争時には「現在環境において適応化した行動」を探すHBEプログラムが問題になり,この前提は維持できない.しかしHBEの実際の研究は,論争があったときの前提によるプログラムにはもはやなっていない.実際には現在の研究は過去環境への適応であり,動機としての心理メカミズムも認めるものになっていて,今後は共存できるプログラムとして発展していけばよいのではないかという趣旨であった.
マレー諸島でのカメ狩りをグラフェンのシグナルモデルで分析している研究が取り上げられていて興味深かった.


講演後の質疑では長谷川壽一先生から,なかなか深いコメントがあった.そもそもHBES自体「EP」の語を使わなかったのには,この両分野は対立するものではないという見識があるということであった.
余談だが,本研究会ではマックのKeynoteによる発表も認められていて中尾先生のはKeynoteだった.フォントもアニメーション効果もおしゃれで美しく,そのこだわりも含めて印象的だった.



安藤寿康「ふたごは互いに何を教え合うかー教育の進化的基盤」
冒頭には双子研究によるこれまでの知見と,それが教育に対して持つインプリケーションについてふれたあと,今後は教育の進化的な基盤を問う「進化教育学」の確立を目指したいという志を披瀝された.
「教育」の発生的起源(教育行動自体学習が必要なのかなど),教育内容の進化的起源(何が学ばれるのかなど),生活史の中での教育あたりをリサーチプログラムとしていければという内容だった.
ここから具体的なリサーチで,双子が何を教え合っているのか.一般的な教育は教える側と教わる側に知識の傾斜があるが,双子にはないので,この要因をコントロールできるのが着目点.大きく言葉,シンボルにかかるものと遊びとルールにかかるものがあり,その詳細や,性差,発達による変化などが示されていた.



宮越誠「脳波を用いた顔認知の右半球優位仮説の検証」
冒頭に脳の片側化の話があり,あまり知らない分野だったので興味深かった.ニワトリは卵の時に強い光を照射すると簡単に片側化を引き起こせること,片側化を起こしたニワトリは採餌や社会的対応において有利になること(ここは驚き,おそらく別の分野では不利になっているのだろうが)などの知見は興味深かった.
リサーチ自体は脳梁を伝わる情報を脳波を用いて測定したもの.



第一日の発表はここまで.
その後学会設立準備について説明があり,さらに懇親会となり葉山の夜は更けていくのであった.



関連書籍


内藤先生の御著書


本日入手.なかなか面白そうだ.じっくり読んでみたい.

自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範

自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範