読書中 「The Stuff of Thought」 第2章 その10

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


二重与格の続き.
最後の謎解きは動詞 fine だ.
なぜ「The IRS fined me 1000$.」とは言えて,「*The IRS fined 1000$ to me.」とは言えないのか.


これは受益と被害に関わることだというのがピンカーの説明だ.


多くの言語は受益にかかわる格を表すマーカーを持っている.英語では通常 for を使う前置詞与格になる,そしてこのうちいくつかの与格は二重目的与格になることもできる.


 buy a house for your fiance
 buy your fiance a house


しかしそうできないものもある.
 Gentlemen open doors for women.
 *Gentlemen open women doors.


 *He fixed me my car.


この区別は今までの説明から明らかなように所有させるもののみ二重与格がとれるということになる.


では被害の場合はどうか.
被害を表す格のマーカーは英語では on だ.


 They played a trick on me.


そしてある種の動詞のみ二重与格構文をとることができる.この場合意味としては「誰かに何かを持たないようにさせる,意図する」ということになる.


 They fined her 25 cents.
 That remark just cost you your job.
 Forgive us our trespasses.


最後の例はよくわからない.日本語の「許す」という動詞で考えると「我々の行った侵害について我々を許してくれ」だから被害者ではないのでは?という気がするが,「そういう侵害のようなことを無かったことにしてくれ」という感覚であって,英語話者にはこれは同じような状況と認識されるのだろうか?さらにピンカーが挙げる例には同様なものが含まれている.


charge, begrudge(誰かに,何かを出し渋る), deny, envy(ねたむ・・これもよくわからない), spare(勘弁する・・forgiveと同じ), save


そしてこのような被害を表す二重与格は,それを移動させるわけではないから,前置詞与格構文に変換できない.ここはわかる.


さらにわかりにくいものとして,(所有にかかる)実際の利益損失状況の変更が無い,全くの抽象的な受益や被害が二重与格構文をとれることがある.
ピンカーはこれも詳しく見ていく.


慣用句
 give me a hand
 give me a kiss
 do me a favor


象徴的な犠牲
 kill me a dragon
 cry me a river


非標準的な英語に見られるoneself構文
 have yourself a merry Christmas


ピンカーのお気に入りは「そんなことをして私のためと思うな」という意味で使われる新語的命令調の文学表現だ.
 Thank me no thankings, nor proud me no prouds.
 NO, but me no buts.
 Prize me no prizes, for my prize is death.


なぜ英語や多くの言語はもののやりとりと純粋な受益,被害について同じ構文をとるのだろう.ピンカーの説明はこれは比喩だというものだ.文法に良く現れるメタファーとして「良いことは持つこと,助けることは与えること」というのがあるだという.


与格は私たちの心にある抽象的な概念を見せてくれるのだ.
「良いことは持つこと,知ることは持つこと,持つことは近くにいること」



ピンカーの説明はちょっとわかりにくい.整理しておこう.
まず基本に所有=二重与格,移動=前置詞与格という構造がある.
そして例外に見えるものとして,被害がある.
被害は何かを「持たない」ようにさせるから,所有の意味内容があり,しかし移動の意味はないから二重与格のみとれる.許諾に関してもピンカーは被害と同じ「持たない」という所有関係だとしている.「無かったことにする」という語感なのだろうか.これは「許し」という権利が,移動ではなく相手のところに発生すると考えても説明できるかもしれない.
例外に見える2番目は慣用表現だ.
これは何も移動せず,利害も(所有として)変化するわけではなくとも二重与格がとれる.(そして前置詞与格についてはふれていないがとれないのだろう)そしてこれはメタファーにより所有と同じに見ることができるためだということになるだろう.


第2章 ウサギの穴に


(5)having, knowing, helping についての思考