読書中 「The Stuff of Thought」 第2章 その14

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


第7節はヒトが言語を操るときにこのような原則のもとになる合理性をを意識しているのかどうかについて.
ピンカーの答えはイエスでありノーであるというものだ.

エス;言語は誰かが設計して決めたのではなく,社会の中で進化したものだ.予測可能な形式と意味の連結は誰かが始めたものだ.そしてwugテストでわかるのは母語をしゃべっている人は形式と意味のルールにセンシティブだということだ.

ノー;単に他の人と同じようにしゃべるだけならこの合理性をすべて理解する必要はない.細かなルールだけわかっていればいいのだ.

ピンカーはおそらく別の人が別の時期の別の規則について合理性に敏感であったのだろうという言い方で推測している.ピンカーの考えではこれは社会のほかの文化と同じということになる.

意味論の合理性はこれをしゃべり始めた人や早期に採用した人の心にまずあっただろう.受容は気まぐれだったろうが,しかし背後の合理性は後の人にも気づかれ得ただろう.そして似たような動詞にその用法は広がっていったのだろう.

確かに誰かが使い始めて,その周りのヒトがそれを理解できたということだから,最初からこのような原則のもとになる合理性が(おそらく無意識的に)あるのだろう.しかし私はネイティブではない英語でこの合理性を(無意識的に)すべて理解することはできない.(一部は理解できているのだろうと思いたいが,本当のところはどうなのだろうか(苦笑))だからすべてのヒトが気づいているわけでもないのだろう.


ピンカーは最初に新しい用法が広がる様は観察できるだろうかと問いかけている.言葉は常に揺さぶられているので可能だというのがピンカーの考えだ.

新しい言い方はすぐに全面的に受け入れられるわけではない.受容には年齢や属するサブカルチャーなどによって個人差がある.
ピンカーは give a headache to anyone trying to determine her size という言い方は受容できるが,ニューヨークタイムズに載った kiss good-bye to some of the features of the recent crisis という言い方は我慢できないということだ.そしてアップルの sleep the computer もまだなんか変な印象を持つと言っている.しかし若いマックユーザーにはまったく自然に受け取られているだろう.


そのほかにもピンカーにとって不自然と思われる例を挙げている.

squeeze fish fillet with lemon juice
install banks with ISDN lines
reach me my socks
preach you a great funeral


日本語で容器と中身にかかる動詞の使い方や使役交替に関して新しい用法が見られるだろうか.きっとあるのだろうが,あまり思いつかない.とりあえずピンカーが英語の例としてあげている「スリープする」について調べてみたところ,Macのヘルプでは「コンピューターをスリープ状態にする」という用語の使い方だった.
Googleで検索すると多くは「コンピュータがスリープする」「コンピュータをスリープさせる」という用法だが,中には「リモートでMacをスリープする」「スリープ時のMac切替は,Macをスリープすることの多い環境に欠かせない機能です」「Windows Vistaで電源ボタンをクリックするとコンピュータをスリープするよう既定の設定がされている」「設定した時間が経過するとマックをスリープするアプレット」などの表現が見られる.
私にはちょっと引っかかる表現だ.(英語のマック関連文書の直訳からの影響かもしれないが)日本語でもまさに同じ現象が生じ始めているらしい.なかなか愉快だ.



第2章 ウサギの穴に


(7)話者が賢いのか,言語が賢いのか