「自然主義の人権論」


自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範

自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範





アメリカの独立戦争フランス革命を通じて確立された「人権」の考えかたは,しかし今日「文化相対主義」の立場から,それは単に西洋の特殊な価値観に過ぎないのではないかと批判されている.本書は進化生物学的な観点からヒューマンユニバーサルを認め,その立場から人権について普遍的な基礎付けを試みている書物である.


本書はジャンルでいうと法学のうち憲法論であり,日本では,法学に自然科学的な人間観を持ち込んだ珍しい試みの1つであると思われる.心意気はおおいに買いたい.ただし結論には異論がある.


さて基本的人権立法権に優先するというのは,それに「価値」を認めているからであり,これは価値観の問題だ.そして「文化相対主義」からはそれは価値観である以上,文化によって相対的であるべきで,通常の「人権」は西洋の価値観に基づいているに過ぎないと批判する.これに正面から反論することは難しいだろう.本書はこれに反論を試みている.


本書ではその反論に先立ち日本の憲法学の解釈を紹介する.主流派は宮沢俊義の単純な説明「人間が人間であると言うことにのみ基づいて当然に持っていると考えられる権利」だ.これは価値の源泉については何も説明していないに等しい.おそらく憲法学者の興味はそこにはあまりないのだろう.
しかし当然ながらここに注意を向けた憲法学者も存在する.佐藤幸治は「人格的自律性」をその根拠とする.しかしこれでは「自律性」の価値について相対論から逃れられない.次に阪本昌成は自由の正統性の根拠として「一個人の限られた知識を最大限利用できる機会と誘因との双方を個人に保障する」という功利的な観点から基礎づける.著者はこの考え方について「人間が自己愛追求する」「そのためには人権を認める方が功利的」という事実の根拠が示されていないし,結局「自己愛追求」がよいものだという価値観の問題から逃れ得ていないと批判している.
また森本進は道徳的直感と自己所有制から人権を基礎づけようとする.著者はここで示される道徳的直感が事実かどうかについて疑問を示しているが,本来的に直感的道徳感自体がよいものと認めるかどうかという部分については切り込んでいない.
別の基礎付けの方法はプロセス論である.対話的方法や社会契約論的考えがある.著者はこれを導く舞台装置を考えること自体が価値観を密かに持ち込んでいるだけだと批判する.
結局価値観から逃れ得る解釈論はこれまで存在しないのだ.


本書は続く第3章で進化生物学的観点から示される「人間の本性」について簡単に説明している.最終的に「繁殖」に結びついている行動導出,意志決定メカニズムがヒトには普遍的に備わっているだろうという説明で,やや法学者独特の例示とかこだわりはあるが大きな破綻はない.最後に,集団形成について,利己的な個体から見て,集団に加わる利益が,出ていく利益より大きいときに集団が形成されるという説明がなされている.


ここまでが前振りで第4章からが本書の中心だ.


本書はここから「事実」から「規範」が導けると主張する.そして「A子さんは自動車を運転したい.免許を持っていない.法に違反したくない.免許を取る能力も時間もある」という事実から「A子さんは運転免許を取るべきである」という規範が導けると主張する.著者はこれは方法が合理的かどうかという功利的な判断から導けると主張しているのだ.しかし私にはこれは成功していないように思える.この規範の結論には「A子さんの望みは叶う方が望ましい」という価値観から逃れられていないように思う.
著者は個々で主体が複数である場合にその人たちに共通する条件があればよいのだという.つまりヒトの本性に基づく道徳観にしたがっていればよいといっているようだ.そしてこの人の本性に基づく道徳観の基礎を集団形成の条件と合わせて論じるのだ.
結局著者の主張は,ヒトは集団で社会生活を行う生物であり,そこで安定的な集団が自然成立するような道徳観は正しいと認めて良いということになる.それを突き詰めると,「繁殖」のために資源追求を行う集団が安定するためには「人権」が認められる方が具体的手段として合理的なのだということになる.(そうでない社会が結局反乱により瓦解していく例が数多くふれられている)


私には二重三重にこの結論には疑問がある.

まず手段的合理性として固定的身分制より流動的な社会の方が効率的だという主張だが,これは事実としての論証が不十分だろう.少なくとも人権を認められた国家とそうでない国家で,(国家間の争いまで視野に入れて)どちらがより効率的,集団安定的かは明らかではないように思う.
そしてそれは効率的,集団安定的なことがよいものだという価値観から逃れられてはいない.
それは,結局「ヒトの本性に基づく道徳観に価値を認めて良いか」という部分について本書の論考がきわめてナイーブであることからきているのではないか.本書の議論は道徳から集団の効率性と安定性に重点が移っているのでその部分については曖昧だが,結局進化によるヒトの本性は価値があると認めて良いのかという最大の「自然主義的誤謬」問題について本書は明示的には答えていないし,私には誤謬のわなに絡めとられているように感じられる.


著者はこの予想される反論に対して,最終章で「『繁殖』に向けて動くということを規範的にどう評価するか,肯定するか否定するかという議論はナンセンスである.人間は『繁殖』に向けてしか動いていないのだから,それを『良くない』と評価し『反-繁殖』的な価値や目標に基づく規範を設定するのは人間に関する議論として意味をなさない」と述べている.


私は賛成できない.確かにヒューマンユニバーサルとしての人の普遍的行動パターン,その心理メカニズム自体はすでに進化の結果そこに存在するものであり,それを変えられるわけではない.しかし実際に様々な環境下でヒトがどう行動するかは大いに可塑性があり,心理メカニズム,実際の行動,社会や規範との相互作用,最後に実現する社会という複雑な過程を経る.このようななかでどのような社会が望ましいか,そのためにどのような社会規範をよしとするのかを,何らかの形で決めなければならない.本書は,「人間の本性に従った生き方に対して,特に集団における資源獲得活動に功利的で合理的」という判断基準で決めよう,そしてそれは人が自然に持っている道徳観とマッチするだろうという主張のように思われる.しかしこのように進化メカニズムから最後に形成される社会まで何段ものメカニズムが働く以上,事実に価値を認めるという自然主義的誤謬が紛れ込んでしまうことから逃れられてはいないだろう.また何段も過程があるのだから,そのすべての段階で道徳観にマッチすることも考えにくいだろう.


仮にマイルドな男女差別の方が資源獲得の観点から集団安定的で効率的だとされればどうするのだろうか.少なくともこれまで女性による反乱による大規模な社会不安が生じたことはない.事実から規範を求めようとすると,実はこうした方が効率的だという事実が発見されると人権が覆ってしまう.そしてそれを言い張る独裁者に利用されやすくなるという政治的脆弱性も併せ持つだろう.


また私達が進化してきた環境が現代とは異なっていることも忘れてはならない.ハウザーの「The Moral Minds」に示されているように人間の道徳観はこれまでの進化過程におけるある意味特殊な環境に対する適応として成立しているのであって,細かく見るときわめてトリッキーで特殊なものである.現代社会の中での規範はそこからは独立して定めるべきだという議論は十分に成立するだろう.


書評から離れて人権の基礎について私の意見を述べるなら,人権を論じるにあたって価値観から逃れられると考えるべきではない.理性的,功利的にどのような社会が望ましいかという議論を通じて価値観を正面から認めるしかないだろう.個人個人の幸福が望ましいと決めて,そのためにはどのような規範が望ましいかを正面から議論すべきだ.そしてアメリカ独立戦争フランス革命を通じて手に入れた「人権」という考え方は,歴史の僥倖ではあるが,(1つの価値観の表れとして)人の幸福という観点からうまく機能したのであって,憲法解釈論としては日本国憲法はそれを価値として認め,国民,国会はその価値観を支持していると考えるべきだろうと思う.


本書はその中心たる主張には賛成できないが,きわめて独創的な試みであり,読んでいろいろ考えるには格好の題材であり,力作だ.人間の本性がどうであるかという「事実」の問題が法学において功利的に重要なのは,経済政策,刑事政策の立法論の分野だろう.今後はこの方面にも様々な流れが生まれることを期待したい.