読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その1

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


今日から第3章.

第3章ではピンカーの言語習得の考え方に対立する仮説を見て批判していく章のようだ.
ピンカーの考え方はこれまで見てきたとおりであり,概念統語論(conceptual semantics)と呼んでいる.「言語の意味は,より豊かで抽象的な思考言語の1つの表現であり,単語の意味は言語によって異なる.子供はより原始的な概念から,単語の意味を集め,洗練するという形で学習する」という考え方になる.


対立候補は3つ挙げられている.「極端生得主義」「極端プラグマティズム」「言語決定主義」だ.

それぞれ,非常に広範囲な基本的概念,そしてそれを組み合わせる能力が生得的にあるという考え方,そもそも単語の意味のもとになる概念構造を否定し,意味は文脈と話者の期待に依存するという考え方,言語が思考そのものだという考え方だ.

そしてこれらを考えていくのは単に言語習得のみを考えるということになるのではなく,ヒトの本性を考えていくことになるのだと説明している.そしてこの議論は生得的とか学習と言うこと自体がどういう意味を持つのか,文化は普遍的なのかということにもつながると説明している.


冒頭の序節では極端生得主義者のフォダーの話が振られていておもしろい.フォダーはピンカーのMIT時代の同僚であり非常に手練れの論客らしい.フォダーが如何に手強い論客かを示すために,まず筋の悪い論争のやり方として「かかし」を仕立て上げてそれをぼこぼこにたたくという方法が紹介されている.ここもアメリカのアカデミズムの裏側が見えるようで面白い.


ピンカーによるとかかしの利用方法には3つあるそうだ.

1. 手強い敵をたたきやすいかかしに変えてたたきまくるという方法.
2. 2ステップ法.まずまずかかしを作る.そしてこれはそれほど馬鹿じゃないと認める.そしてそれを協定書のように使って思いっきり批判する.
3. かかし犠牲法.まず自分の理論の狂気版を作り,それから思いっきり距離を置く


そしてブランクスレートを書いたときに,自分は中庸だと思っていたので,ドアノブからキャブレターまですべて生得的概念だという極端生得主義者の「かかし」を仕立て上げても良かったのだがそれをしなかった.それは知的抑制ということもあるが,実際の極端な言語生得主義者フォダーが実に手強い論客だからだと話を振っている.
MITの学者で手強い論者が,いかにも無理筋の極端生得主義であるというのはなかなか面白い.一流の知性がどのように極端生得主義を擁護するのか,その言い張りぶりが楽しみだ.



第3章 50,000の生得的概念(そしてその他の言語と思考に関するラディカルな理論)