読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その3

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


物質にかかる認知を言語から見ていく話の続き.
ピンカーは英語における可算名詞と不可算名詞の話に話題を移す.


まずピンカーは普通の「もの object」と「材質 substance」 の差が可算名詞と不可算名詞の差と同じではないと釘を刺しつつ,可算名詞と不可算名詞について解説を行う.数えることができるか,複数形を持つか,そのままのかたちで文章にはいることができるかなど.
そして不可算名詞の認知的モデルの重要なポイントはそれは複数形と同じように扱われることだという.それらは共通の数量詞を持ち,文章中に修飾なしで同じように現れる.また all over のような状況を示す語を共通にとれる.

more applesauce. more pebbles.
I like applesauce. I like pebbles.


文法において共通要素を多く持つと言うことは,心の中でも「材質」と「もの」の複数形を同じように取り扱っていることの証拠だ.そしてこれを共通して aggregates と呼ぶ.
「材質」と複数形は両方とも本質的な境界が無く,どんな形にもなれる.合体でき,合体しても性質が変わらない.また分割できる.これは可算名詞の単数形にはすべて当てはまらない.


一方複数形が不可算名詞と異なるところは,それが一つ一つ数えられる個物の集合体だということだ.


つまり心の中での最も重要な区別は数えられるか(可算か)どうかではなく,第1に形と境界があるのか,第2に個別物からできているのかということだということになる.


すると形と境界はあって,個別物からできているという第4の類型があることになる.そして実際にあるのだ.これを集合名詞 collective noun と呼んでいる.committee, bouquet, rock band などだ.
ピンカーによるとこれには子供が学校では覚えさせられて,しかし実際には誰も使わない動物の群れの名前も含まれるそうだ.a gaggle of geese, an exaltation of larks などいろいろ聞くが,確かに実際のアメリカ人が使っているとは思えないなあといつも思っていたものだ.


まとめると以下の表のようになる.

 形と境界がある  ない
 個別物からできている  集合名詞 可算名詞複数形
 できていない  可算名詞単数形 不可算名詞


ピンカーは,ここで可算名詞と不可算名詞の区別には恣意性があり,言語によって微妙に異なることを示し始める.つまりこの区別は絶対でないことを読者に説明しようとしているのだ.このあたりは日本語話者から見るとなかなかわかりにくいところだが,実際にいろいろな印欧語内でも区分されるところは異なるらしい.普通の日本人がここで苦労するのはむしろ当然だということらしい.


ちょっとだけ例を挙げてみると
noodles は可算名詞で macaroni は不可算名詞.beans は可算名詞で rice は不可算名詞 
スパゲッティは英語では不可算名詞で,イタリア語では可算名詞
もともと pease はエンドウ豆の不可算名詞だった.しかしそれを pea の複数形とどこかで勘違いして,今や可算名詞になっている.(ここではいずれコメの一粒をrouceと呼ぶようになって,これも可算名詞になるかもしれないというジョークがあって笑える)



ピンカーはこのような形と境界の有無,個別物からできているかという問題は名詞の性質だけでなく動詞にも関連することを示している.当然ながらこの詳細も言語間で異なるらしい.
pour は目的語に不可算名詞か複数形をとる.
smear, streak は不可算名詞のみをとる.
scatter, collect は複数形のみをとる.
これは動作の概念はそれが影響を与えるものの数と種類によるからだ.


日本語話者はこのような区別をしているのだろうか,もう少し敷衍的にいうと,このような認知は母語により決定的な影響を受けるのかが次の話題になる.



第4章 大気を切り裂く


(1)すりつぶし,パッケージ,分類整理:物質についての思考