「ブラインド・ウォッチメイカー」改題「盲目の時計職人」


盲目の時計職人

盲目の時計職人


ブラインド・ウォッチメイカー―自然淘汰は偶然か?〈上〉

ブラインド・ウォッチメイカー―自然淘汰は偶然か?〈上〉

ブラインド・ウォッチメイカー―自然淘汰は偶然か?〈下〉

ブラインド・ウォッチメイカー―自然淘汰は偶然か?〈下〉


今日はかなり前の本の感想だ.


考えてみればドーキンスの3番目の著作である本書については出版当初に一度読んだきりでそのままだった.原書が出たのが1986年だからもう20年以上になる.邦訳が出るのにその後7年を要し,1993年に出版されたときには2分冊で,邦題は「ブラインド・ウォッチメイカー」1900円×2だった.(その後2004年に1冊になって「盲目の時計職人」と改題されて出版されている.3000円とお得にもなっている)当時はもちろんネットはなく,まだ原書を入手して読むという習慣もなく,「利己的な遺伝子」,「延長された表現型」を読んで感激していた私は,海外では3作目が出ているのにと,邦訳の出版をじりじりと待っていたことを思い出す.
そういえばこのあとは1995年に「遺伝子の川」,1996年に「Climbing Mount Improbable」と出版されるのだが,この2冊の出版は私が初めて原書で読むようになった時期に一致している.後者は10年以上たっても結局翻訳されていなかったりするがどうしてなのだろう.


さて本書である.15年も読んでいなかったので久しぶりに読んでみることにした.さすがに随分忘れている.確か自然選択と進化全般を解説した本で,当時のマッキントッシュによる進化アルゴリズムが見えるように工夫したバイオモルフが登場していたりしたはずだという記憶がある程度だ.読み返してみるといろいろ思い出す.そしてやっぱりじっくり練られた密度の高い書物の読書は大変充実する.


本書の流れは前半で,生物が自然選択による進化により生じたものであることを議論する.そして後半では執筆当時に創造論者から「科学者のあいだにも自然淘汰による進化には異論がある」として利用されていた論争を取り上げている.取り上げられているのはグールドの区切り平衡説,種淘汰説,生物学分類と分岐学論争などだ.最後に獲得形質の遺伝による進化がなぜ不可能なのかを論じている.


全体として創造論者による反進化キャンペーンに対するまじめな反論となっている.特に力をいれて論じているのは累積淘汰の力だ.単純な一段階の淘汰ではなく,それによる改良が累積的に進むことによりきわめて大きく革新的なデザインが生じることがあるということが,進化適応を理解する鍵だとドーキンスが考えていたことがわかる.創造論との議論ということで,後の The God Delusion 「神は妄想である」における議論の骨格は随分本書にも現れている.また今日的に再読するには後半の各論が特に興味深かった.


読んでいて面白かったところを個別に紹介しておこう.


ドーキンスは題名にも登場するウォッチメイカーを持ち出したペイリーの議論の建て方を賞賛している.彼は生物の存在に特別な説明が必要だということを認めたのだと.というわけで,ドーキンスはそもそも何が説明されるべきかという粘着的な議論から始めている.何が複雑で,それに対してどのような説明がなされるとヒトは満足するのか.こういう手順の厳密さは改めて読むとなかなか楽しい.
そして複雑なものとしては最初に古典的な眼を,本書独自の工夫としてはエコロケーションについて書いている.この工学的な説明の細かさも楽しい部分だ.創造説への反論に対しては,神という存在自体が説明を要する問題だという主張,そして物事を説明するうえでの人間原理の重要性がこの時代から確固としてドーキンスの心に中にあることがわかる.


累積淘汰の力を示すのにはバイオモルフプログラムを用いている.今読むとこれはかなり初歩的で古風なプログラムだし,もっと驚くべきシミュレーションに比べると色あせているが,逆に当時のドーキンスの興奮が伝わってくるし,その間のコンピューターサイエンスの進歩にも感慨深いものがある.


軽微な修正の積み重ねという部分は(当然ながら)幾度も幾度も繰り返されていて,少しでも改良された眼は少しだけより役に立つはずだというような議論が重ねられている.この中でカレイやヒラメの眼が片側に移ってくる説明があるが,これは逆に片側に移るまでの途中はあきらかな利益はなさそうな例であって,説明としては珍しく説得力がないのが印象的.


生命の起源については,仮説の一つとしてケアンズ=スミスの粘土説を取り上げている.ちょっと懐かしい感じだ.CDの一般名詞として「レーザーディスク」という用語を使っているのも時代だろう.


累積的進化の特に面白い事例としてアームレースと性淘汰が取り上げられている.ここの部分は特別に丁寧に紹介されていてちょっと面白い.ドーキンスが特にこれらの状況が興味深いと当時考えていたことがわかる.特に性淘汰のシグナルについては,フィッシャーのランナウェイ過程自体が理解され始めた時期であり,ハンディキャップ的だということについてはまだ了解される前夜にあたる.謎に対して取り組んでいた生物学者達の生き生きとした思いが伝わってくる.
ここの部分,フィッシャー過程を数式を一切使わずに一般読者に高い水準で理解させようとするドーキンスの知的格闘は特に賞賛すべき取り組みだ.トップチャートにはいること自体が成功とされるポップミュージックのカルチャーを例として取り上げているところなどはセンスが光っている.


エルドリッジとグールドの区切り平衡説への論評もまことに見事だ.すでに20年以降経過した論争を振り返ってみて,本書の記述にほとんど何も足すことはないように思う.すでにDC8伸長型なる用語とともにエヴォデヴォの論点すら先取りした記述も見られる.
グールドがことさらダーウィンを含め主流派を「漸進説」として戯画化していることについて特に厳しく批判している.今回改めて知ったのだが,すでにダーウィン自身に「多くの種はいったん形成されるとそれ以上には決して変化はしない.種が変化している期間は,年数で測れば長いにしても,同じ形のままでいる期間に比べれば,おそらく短いだろう」という記述が見られ,それに対してグールドは真正面から答えていないそうである.まあこのあたりもすでに歴史の中に入ってしまった感がある.


今回特に面白かったのが,生物分類を巡る論争が論評されている部分だった.ここで論評されたのは,この中の極端な一分派があたかも自然淘汰を否定しているかのような言説を弄して創造論者に利用されたからだが,当時ドーキンスのような進化生物学者が生物分類と分岐学にかかる論争をどう見ていたのかがわかって興味深い.ドーキンスから見ても当時の論争の激しさは科学的な議論を超えていて,政治学や経済学(この両分野にどういうイメージを持っているかということも面白いが)に見いだされるようなものだったといっている.
現生動物を主に考えている進化生物学者は,DNAコードがどんどん読まれるようになって,分岐論に相当親和的であったこと,古生物学者は「種」に実体を求めたがり,区切り平衡説にあわせて種淘汰理論に親和的になることが示されていて面白かった.なおドーキンスの立場からは「種淘汰」は論理的にあり得るだろうが,一段階淘汰に過ぎず,あまり興味深いものではないだろうということだ.


最後にラマルク説がなぜあり得ないのかを,ケーキのレシピを使ってうまく説明している.これも最近あまり聞かれらなくなったが,確かに20年前にはラマルク説の復権のような議論がトンデモ風の本といっしょにならんでいたのだなあと時代が思い出される.

また発生等の制約を認めないカリカチュアダーウィン主義者という「かかし」を仕立ててぶん殴る筋悪の議論についてもふれていて,ここもユーモアたっぷりでちょっと面白かった.

ガブリエル・ドーヴァーの分子駆動説についてもこてんぱんに批判していて痛快だ.確かに「拝啓ダーウィン様」でドーキンス批判をいろいろ並べ立てているものを読んだことがあるが,論旨不明確で,大したことがなさそうなことをさも重大なことのように言い立てるばかりで,あれではダーウィンの名をかたる資格はないと思ったものだ.


読み返してみて,時代を思い出しながら大変楽しめた.背景を濃密に考えてある書物はいつ読んでも楽しいものだ.



関連書籍


ドーキンスの本を見てみよう
最初は当然ながら「利己的な遺伝子」,
初版,第二版,30周年特装版と3種類,原書,邦書ともにある.とりあえずもっとも新しい邦書

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060617



次が「延長された表現型」もっともオタク的で完成度の高い本だと思う.

延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子

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The Extended Phenotype: The Long Reach of the Gene (Popular Science)

The Extended Phenotype: The Long Reach of the Gene (Popular Science)


そして3冊目がこのブラインドウォッチメイカーだ.これは原書

The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design

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4冊目はサイエンスマスターシリーズで「遺伝子の川」DNAの流れに絞って書いた初心者向けの本だ.

River Out of Eden: A Darwinian View of Life (Science Masters)

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遺伝子の川 (サイエンス・マスターズ)

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5冊目はこのすぐあとに出た「Climbing Mount Improbable」

Climbing Mount Improbable

Climbing Mount Improbable

この本の邦訳は結局10年たっても出版されていない.一時は近刊予告もされていただけに残念だ.
中身は本書の続編という感じで,自然淘汰に関する説明を引き続き行っている.本の題名は適応地形の山を登っていくというイメージが強くだされているもの.
ドーキンスの本でももっともイラストが秀逸で,美しい動物の絵や,蜘蛛の巣の進化のシミュレーションなどが記載されている.飛行への適応,また引き続いて眼の進化の詳細が詳しく取り上げられている.さらにバイオモルフを進めエヴォデヴォを先取りしたデジノイドという説明概念が取り上げられていて興味深い.大変斬新な書物だと思う.


6冊目は一転して科学の美しさを語る「虹の解体」だ.

Unweaving the Rainbow: Science, Delusion and the Appetite for Wonder

Unweaving the Rainbow: Science, Delusion and the Appetite for Wonder

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか


7冊目はエッセイ集

A Devil's Chaplain: Selected Writings

A Devil's Chaplain: Selected Writings

悪魔に仕える牧師

悪魔に仕える牧師


8冊目は進化の全体像を逆回し巡礼の旅で描いた祖先の物語

Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution

Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060801



そして最新作は「the God Delusion」だ.

The God Delusion

The God Delusion

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070221




論敵の本では一冊だけこれをあげておこう.

Dear Mr. Darwin

Dear Mr. Darwin

拝啓ダーウィン様―進化論の父との15通の往復書簡

拝啓ダーウィン様―進化論の父との15通の往復書簡

分子生物学者によるあの世のダーウィンとの往復書簡という変わった体裁の本.
一般的な分子生物学の進展あたりのところはなかなか楽しい作りなのだが,途中でドーキンス批判になってからは見るも無惨.結局この本は本書でドーキンスからこてんぱんにされてから14年ぐらいたってから出ていることになるのだが,まったく進歩はないようだ.曲解したドーキンス解釈をダーウィンに言いつけても,ダーウィンがそうは答えはしないでしょというのが私の正直な感想.