読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その10

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

相の説明が続く.


次にものがいろいろにパッケージされた現象のパラレルはあるのだろうか.ピンカーはこれもあるといっている.
動態動詞をパッケージする別の方法は英語の道具箱の道具 out up off などを使うことだ.これらは端のない行為に頂点を与えてくれる.たとえば shake と shake up の違いだ.単に振るのと,振って何かの状態が変化するという違いがある.変化は比喩的な場合もある.これらの語は空間の配置を示すものだが,時間の相に関しても使えるのだ.
もっともこのあたりは英語学習者からみるとなかなか難しいし,憶えにくいところだ.ここでは英語話者にとってもどうしてそうなるのかはなかなか説明できないことをネタにしたジョークも紹介されている.


パッケージやすりつぶしについてはさらに強力な方法が紹介される.
それは「相」の2番目の様相「視点」だ.パッケージやすりつぶしより良い比喩は「ズームイン」(動態動詞の一部を詳細に検分する)と「ステップバック」(動態動詞の全体を小さな一点になるまで引いてみる)だ.

「ズームイン」は「未完了相」imperfective と呼ばれるものだ.
「ステップバック」は「完了相」perfective と呼ばれる.


<未完了相>
英語は未完了相を表す現在進行形を持っている.Lisa is running.
これによりズームされた動作は時間の境界を持つようになる.ちょうどコーヒーカップをズームしてみてそれがプラスチックの材質であると認識するようなものだ.だから
 *Lisa drove home, but she never got there. とは言えなくとも
 Lisa was driving home, but she never got there. と言えるのだ.
つまり ingは運転している行為に焦点を当て,到達点を視点から外していることになる.

未完了相は物語で出来事のステージをセットするためによく使われる.そして過去形や現在形は物語のストーリーラインの進行によく使われる.
Lisa was driving home, and suddenly a spaceship landed on the roof of her car.


日本語ではこれは「テイル」というかたちになるだろうか.
達成動詞「着替える」にテイルを使うと「着替えている」となって確かに完了点が視界から消えて継続相を表しているようだ.
物語でも「リサはある日車を運転していた.そのとき空飛ぶ円盤が彼女の車の屋根に降り立った.」となってちょうど同じようになる.


<完了相>
ピンカーによると英語は完了相を表す接尾辞を持っていない.基本的には文脈で判断する.
After Sarah jogged, she took a shower. これでちょうど遠い視点から見ているように,ジョギングを完了したことがわかる.


日本語ではどうだろうか.上記の英文と同じように「サラは走ったあとシャワーを浴びた」となって,「タ」をとるようだ.しかし英文もそうだが,ステップバックしているというより,単に時点を過去にずらしているだけのような気がする.英文もあわせて「ステップバック」というピンカーの説明はよくわからないところがあるように思う.


ここで完了形の説明になる.これは完了相と同じものではなく,時制と相が組み合わさっている.現在完了の場合には,何かが現在ある状態にあって,それは過去に生じた行動によるものだということを示している.
そしてI have eaten. と言えば私はすでに満腹であるという意味が加わるのだ.結果動詞(到達動詞,達成動詞)が示す結果(melt the butter)と異なり,完了形の示す結果は文脈から解釈されるものだ.だから I have spoken. とか I have arrived. と言うのは厚かましい言い方になる.


ここからはかなり細かな文法の話になる.
時制と相は本来別のものなのになぜこんがらかっているのか.ピンカーによると人生の出来事は常に話者がしゃべるタイミングとシンクロしているわけではないからだということになる.このため出来事としゃべっているタイミングは単純な関係にはならない.だから同じ現在形でも動作クラス(動詞の語義相)によって結果の解釈が異なるという現象を生じる.


例としては現在形があげられている.
現在の状態を示すのには現在形を使う.He knows the answer. He wants a drink. しかし現在の動作や達成を示すには現在進行形を使わなければならない.He is jogging. He is crossing the street.

*He is knowing. と言えないのは,このような動詞に対しては現在進行形が現在の状態ということに関して冗長になるからだ.しかしデフォルトで完了相である動詞について現在の動作を取り出すには必要になるのだ.
瞬間動詞は現在形も現在進行形も,簡単には使えない.He swats a fly. He is swatting a fly. どちらも少し変だ.というのはそれがちょうど生じている時にこれを発声すると言うことはあまりありそうにないからだ.
現在進行形は瞬間動詞を反復継続動詞に変える.The light is flashing. と言えば,その明かりは何度も何度もついたり消えたりしているのだ.

単純現在はではどのようなときに用いられるのか.1つは現在進行中の物語で,これには「歴史的現在」が含まれる.もうひとつは習慣的な動作だ.
英語ではスポーツの実況中継で現在形が使われるようだ.
習慣的な動作は時間を超越した,そういう傾向があるという意味で使われる.


日本語でも時制と相は微妙な関係のようだ.
現在形で考えると,まず状態動詞は英語と同じように「テイル」がつけられない.

タイタンには変動重力源がある/*あっている.


「知る」は日本語では結果動詞なので「彼は答えを知っている」が状態を表す.


瞬間動詞はどうだろうか.

中村はボールを蹴る.
中村はボールを蹴っている.

表現として変ではないが,確かにいましゃべっているこの瞬間蹴る動作をしているという意味としてはしっくりこない.日本語では未来形がないので,特に文脈的な手がかりがなければ前者はこれから生じる出来事のような印象を与えるし,後者は英語と同じように反復継続していると解釈するのが自然だろう.
私達が英語の時制に苦労するように日本語学習者もこのあたりは結構苦労せざるを得ないのだろう.

現在形の,物語用法と習慣的現在はどちらも日本語にもあるようだ.
スポーツ実況中継では,「三浦第一球を投げました,高橋打った.打球は左中間を抜けていく.高橋,走る.走る.2塁を回った」という感じだから,現在形と過去形(完了形)が,それぞれの動詞の動作クラスにあわせて使われるようだ.



このあとピンカーはちょっとした面白い話として,モニカ・ルインスキー事件の時のクリントン大統領とスター検査官の間のやりとりを紹介している.クリントンはモニカとの間にthere was absolutely no sex of any kind・・・と書かれた宣誓供述書にサインしていてそれは偽証ではないかと詰め寄られ,「それは is が何を意味しているかによる.もし is が今もそして過去も全くなかった(is and never has been)という意味であれば話は別だが,現在そうだという意味であればそれは正しい」と答えたそうだ.そして,この場合の現在形は数ヶ月程度の期間だと(ピンカーによれば文法的に正しい)議論をしたそうだ.
そしてピンカーは,言語という手段で意思疎通するには話し手と聞き手が協力的な関係にあることが前提であり,法廷のような両者が敵対している場面ではうまく働かないのだといっている.



時間に関する認識の特徴の最後として,ピンカーは認知のフレーム間の切り分けに関して平行現象があるという.空間の位置に関して言語が,単に幾何的だけでなく,私達がどう使うかによって規定されていたように,時間についても単に時計だけでなく,目的と行為者の力によって規定されている.



例として刑事責任が取り上げられる.

「状態」は変化がないということで決まっているのではなく,意図的なコントロールの外側にあるという意味合いを持つことが取り上げられる.ピンカーはこれはこの行為については責任がないということを認知させるので,それが刑法にも現れているといっている.
一般的にいって,あなたは誰かが「答えを知っている」ことについて説得したり強制したりできない.また計画的にあるいは注意深く「答えを知っている」こともない.また「答えを知れ」と命令できない.そして,このように状態と意図が関わっていることは私達の道徳的な帰責についての概念に深く関わっている.私達は「状態」が意図の外側にあると考えているので,それについて責任を問おうとは(少なくとも細かく調べずに問おうとは)しない.

実際にアメリカでは麻薬の販売と使用は違法だが,「中毒であること」は違法でないとした判例や,公衆の面前で飲むことや酔っぱらって公衆の面前に出ることは犯罪であっても,公衆の面前で酔っぱらっていることを犯罪として訴追することをアンフェアだとした判例があるそうだ.
そしてこの例外は麻薬所持であり,そして多くの人がこれはアンフェアだと感じているという.

さらに瞬間的な到達動詞も,結果に到達すること自体は周りの環境によって自動的にそうなるという印象を与えるので責任を問いにくいし,到達動詞の行動が始められて,通常と異なる結果が生じたときに,その犯罪が行われたのかどうかわからなくなるのだともいっている.

瞬間動詞や継続動詞のような活動を表す動詞,そして達成動詞は逆に責任を問いやすい
達成動詞の場合,行為者の最終的な目的はその動詞の完成状態なのだ.(絵が完成することを目的に絵を描く,道の向こう側に渡りきることを目的に渡る)
そしてこれは私達の道徳の基礎なのだ.犯罪は悪い行為と,悪い意図を必要とする.犯罪行為は活動動詞か達成動詞で明示される.(kill, steal, rape, ...)


日本語ではどうだろうか.
確かに犯罪の類型をみていくと,殺す,盗む,犯す,壊す,脅す,閉じこめる,偽造する,などの達成動詞,活動動詞的な行為類型がほとんどだ.
例外としては,ピンカーもふれている,麻薬所持,そして日本では銃刀砲類不法所持がある.もっともこれがアンフェアだという認識は日本では薄いように感じる.持っているだけで法益侵害は明らかだという社会的な合意があるからだろうか.


さらに細かくみるとおそらく賄賂を渡す,受け取るというのも例外だろう.これは到達動詞的だ.これはそのような行為があればその先の法益侵害は当然であり,かつ証明が難しいことから,特に構成要件としては要求していないし,一般認識としても法益侵害があることが当然だと思われているからだろう.


いずれにせよ日米共通して犯罪の構成要件は達成動詞,活動動詞的である.これは犯罪が,意図を持って何らかの動作を行う,そして場合によっては結果を生じせしめるという類型として認識されることを意味している.


ピンカーははっきり述べてはいないが,その考え方はおそらく以下のようなことだろう.
ヒトの社会生活への適応として,犯罪的な行為を認識して,それに対して社会として罰を与えるという行動が進化したのだが,その際に犯罪をどのようなものとして認識するかは,適応の論理によって決まったはずであり,それは意図を持って何らかの動作を行い,目的の結果を引き起こすようなものであった.だからそのような行為を区別して認知する心の仕組みがあるのであり,それが文法や思考に現れている.
具体的にはどのようなものを達成動詞として扱うかの境界事例では,それが犯罪的な行為として認識されれば達成動詞として扱われる傾向が生じるし,その反面で,何が犯罪かを考えるときには心はその行為がどのような動詞で表されるかに影響を受けてしまうということだろう.確かに達成動詞というカテゴリーがあって,ある文法規則に従っていて,犯罪類型は多くがそれで記述されるという現象は日米共通だし,おそらくユニバーサルなのだろう.なかなか興味深い考えだ.


ピンカーは最後に時間についてこうまとめている.

空間の言語が絶対的座標システムを持たないように,時間の言語も単なる時計を持っているわけではない.空間は人が認知する何らかのレファレンスに対し表示され,時間は人が認知する能力や意図などの行動に対して表示される.
近代の自然科学と数学の見事な達成は,言語がそうであるのと同じように,空間と時間を,宇宙を記述する中心と考えたことによりなされたのだ.


第4章 大気を切り裂く


(3)デジタル時計:時間についての思考